花に嵐の喩へもあれど

──夜。

八戒は部屋の灯りを落とし、一人窓辺に腰掛けていた。手元には、あの本がある。

今夜は満月が綺麗だった。空には雲一つ無い。

こんなにも綺麗に晴れ渡っている夜空なのに、八戒の心は晴れやかではなかった。

(…三蔵)

昼間の、三蔵とのやり取りを思い出す。同じ歌を知っていた。それなのに、想いの方向は全く別で…。

(…そういえば…)

こんな月の夜を前にして詠われた歌があったはずだ。八戒は本を捲り、その歌のある箇所を探した。

「…あった」

─嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな─

西行法師が詠んだこの歌は、「月前ノ恋」を詠んだ、題詠の歌だ。月に相対して恋する人を思いふと落涙する、そんな感じの歌だ。

(まさに、今の僕みたいですね…)

流石に涙は、出ないだろうけども。そう思ったのに、気が付けば頬を伝う涙が本を点々と濡らしていた。

「…思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり…」

ふと口をついてでた和歌。この歌は、堪えられない涙を歌った歌だ。

だって、堪えられるはずがない。こんなにも辛く深い想いなのに、その想いは叶うこと無く終わるのだろうから。

「三蔵…っ」

涙が、切なさが止まらない。どうしてこんなにも、あの人のことが好きなのだろう。理屈では説明しきれない想い。そんな想いだから、諦めることすら出来やしない。

そう思った時、不意に空が翳った。本の上に、一枚の黒い羽根を落として。

【NEXT→夜来様】
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