お礼話

※蝶ノ光番外編

 ネットの向こう側にいる仁王が、どうやって私がマネージャーの白石であると確信するか。彼にどこまで通じるかという目的で変装しているのに、いつまで欺けるか私は楽しんでいる。
 表情に出ないよう気をつけなければ。
 正体が暴かれるというのに、胸を弾ませながら試合に臨んだ。



 時は遡り、三日前。
 今後、柳と他校に偵察へ行く機会が増えるので、変装技術を上げたいと思ったことがきっかけで始まった。
 現状は氷帝へ行った際、跡部にあっさり見破られてしまったこともあり、今のままでは不安だ。
 青学のレギュラーたちと会う前に偵察したいし。
 変装しても何故か仁王を欺くことができないし。彼の、あっと驚いた顔が見たい。
 要するに変装技術を上げるのは建前で、仁王の色んな表情が見たかったのである。
 今の実力では変装しても、また見破られてしまうだろう。
 成功させるためには協力者が必要だ。そこで仁王を欺くため、柳生に相談することにした。
 中休みに空き教室へ呼び出し、相談内容を伝える。

「仁王くんに変装がどのくらい通用するか試したい、ですか」

 柳生は中指で眼鏡のブリッジを上げた。

「ええ。それで柳生くんに協力してもらえたらと思ったのだけど、どうかしら? その……仁王くんに仕掛けて驚かせたいというのが本音なの」

「……なるほど、分かりました。ぜひ協力させていただきます」

「ホント!? ありがとう!」

 心強い協力者を得られ、ほっと胸を撫で下ろした。
 仁王と入れ替わりをする柳生なら、きっと私の知らない仁王の癖や弱点などを知っているはず。

「いえいえ、また興味深い――珍しい光景が見られると思ったので、お気になさらず」

 柳生が優しく微笑む。彼自身も楽しんでいるようで、声が弾んでいた。
 早速作戦会議を始めると、仁王の新たな一面を知ることができ、とても有意義な時間となった。
 変装内容については、昼休みに柳にも相談。
 三人で打合せの結果、新入部員に変装することに。過去のデータより、今の時期はまだ仁王は新入部員を把握しきれていないから紛れやすいらしい。
 そして、変装スタイルや名前、プレイスタイルなどを決めた。
 黒髪のショートヘアーにし、眼鏡をかけるというシンプルな変装で、名前は黒崎吹雪となった。苗字は単純に白の反対である黒を入れ、他の部員と被らないものを選んだ。
 下の名前はというと――――

「名前はどうする?」

「吹雪にしよう」

 間髪入れずに柳が返答した。しかも兄の名前である。

「兄さんの名前と同じなのは、理由があるの?」

「仁王の百面相が見られるかもしれない」

「そうですね。白石さんの言葉なら、仁王くんが動揺すると思います」

 柳の案に柳生も賛成のため、吹雪に決まってしまった。
 後で兄に許可をもらうため連絡しようと思ったら、既に柳が許可をもらっていた。妹の頼み事であれば、俺の名前を使っても良いとのこと。
 おそらく、兄さんが想定した使い方と違うと思うのだけど良いのかしら。
 その他詳細を決めた後、新入部員に混ざって部活に参加するため、幸村に説明。柳が味方にいるおかげで、あっさり許可が降りた。
 変装に必要なものは、部活後に柳と買いに行くことに。柳生が仁王を引き付けてくれたおかげで、彼に怪しまれずに済んだ。
 柳生も柳も私が変装することに乗り気で、この状況を私以上に楽しんでいると思うのだった。
 そして粛々と準備を進め、決行日を迎える。



 はあ~。白石さんいないし、やる気が出ないのう。
 ランニングをしながら、ため息をつく。
 いつも通り部活に参加したら、ミーティングで今日はマネージャーが休みと連絡があった。先日何やら彼女が柳生と打合せしてたようだし、代わりの姿ー――雪宮桜とか――で部活に参加するのかと思いきや、それもなさそうだ。
 いつもならランニング後に彼女が用意するドリンクを飲めるのだが、今日は柳と黒髪の新入部員が用意していた。
 決められたコースを走り終えてドリンクを飲んだが、いつもより元気が湧かない。気持ちの問題だとは思うが、彼女がいなくて落ち込んでいる自分に苦笑した。
 ランニング後は柳生とペアを組み、コートでストロークやボレーの練習を行う。
 その時、ふと隣のコートから視線を感じた。しかしコートを観察しても、丸井が一、二年生に球出しをしているだけだ。
 本当に?
 もう一度目を向けると、コートの後ろで球拾いをする新入部員たちが目に入る。その中には柳とドリンクを作っていた黒髪の子もいた。
 先程は顔がよく見えなかったが、眼鏡をかけている。髪を長くして眼鏡を外せば、彼女に似てないだろうか。そう思うと目が離せない。
 練習中ということを忘れ、気づけばその子に近づいて名前を聞いていた。

「お前さん、名前は?」

「僕ですか? 黒崎吹雪です」

 吹雪……?
 それは彼女の兄の名前ではなかったか。本当に彼の名前は吹雪なのか、それとも俺を試しているのだろうか。
 黒崎が不思議そうに、こちらを見ている。
 いや、迷っていても仕方ない。ここはテニスプレイヤーらしく、プレイスタイルで判断しよう。

「黒崎。俺とこの後試合をせんか?」

「えっ、試合!? 僕、入部したばかりですよ?」

 黒崎がぎょっと後ずさる。
 普通の新入部員であれば、当然の反応だろう。レギュラーが新入部員に対し、試合を申し込んでいるのだから。
 だが、俺は黒崎とテニスがしたい。

「それなら、ダブルスはどうじゃ」

「ええと……」

 黒崎は困惑気味だが、引くわけにはいかない。もし彼女であれば、ここでボロを出さないと思うから。

「黒崎、どうした?」

 なかなかコートの隅から動かないからか、柳がやって来た。

「あ、柳先輩……。仁王先輩にダブルスを申し込まれまれたのですが、僕で良いのかと思いまして」

「ほう、ダブルスか。それなら俺が黒崎のパートナーになろう」

「え! 本当に試合するのですか?」

「ああ、これから練習試合の予定だったので問題ない」

「……分かりました。ラケット取ってきます」

 これは断れないと腹を括ったのか、黒崎はベンチに置いてあるラケットを取りに行く。
 その間に、俺はコートで待ってくれている柳生に事情を話し、ダブルスパートナーを組んでもらえることになった。


 試合が始まり、ラリーが続く。柳のサポートもあるが、黒崎は難なくボールを返す。
 黒崎が新入部員であることを踏まえ、先に4ポイント先取した方が勝ちというルールになったのだが――本当に、ただの新入部員だろうか。いくら俺も柳生も様子見とはいえ、大抵の新入部員ならばボールに追いつけずショットが決まるはずなのに。
 テニス経験者で実力があると言われればそれまでだが、どうも違和感を覚える。黒崎の方も、力をセーブしているように感じた。
 ラケットを右手で握っている姿に、彼女の姿が重なる。体育の授業の時、彼女も最初はラケットを右手に持って試合した。
 まずは黒崎から余裕を奪わないとのう。
 俺は1ポイント取ったところで、柳生に相談した。黒崎の実力がどのくらいか知りたいから、レーザービームを打ってくれないか、と。

「分かりました。それにしても、仁王くんが特定の部員を気に掛けるなんて珍しいですね」

「そうじゃな。黒崎がどこまで俺を楽しませてくれるか、期待しているぜよ」

 俺はコートの定位置に着き、トスを上げてサーブを打った。レシーバーである黒崎は、やはり容易に返した。ボールは柳生の方へ向かう。
 好都合だ。自然と口角が上がる。
 柳生はすでにレーザービームを打つ構えだ。

「これにて遊びは終わりです。アデュー」

 ちょうど黒崎と柳の間に放たれる、超高速パッシングショット。

「あっ……!?」

 レーザーが黒崎の真横を通り抜ける。
 端から見れば、反応できず動けなかったように見えただろう。確かに黒崎は返球しなかったが、わざとボールを見送ったのだ。目では確実にボールの軌道を捉えていた。

「黒崎、これは俺が返す!」

「は、はいっ!」

 ここで黒崎が我に返ったように、慌ててラケットを構え直した。
 柳がレーザービームを返すが、想定内。俺は黒崎の隙を狙い、2ポイント目を決めた。
 こちらが優勢だが、この試合の目的は黒崎が彼女であるか見極めることだ。まだ黒崎は余裕を残している。
 さて、どうしたものか。
 サーブは1ポイントごとに順番で打つルールなので、今度は黒崎の番だ。サーブを放ち、それを柳生が返球した。

「黒崎、右に二歩だ」

「はい!」

 時折レーザービームを打っても柳自身か、柳が指示を出して黒崎が返す。
 黒崎がただの新入部員ではないのは俺の中で確定事項だが、彼女であると確信できる後押しがほしい。ラリーを続けながら、必死に考える。
 彼女であると見破る技。
 かまいたち。綱渡り。風林火山。立海のプレイヤーの技ではレーザービームのように、あえてスルーするかもしれない。
 そこでふと、彼女と始めてテニスをした体育の授業の出来事を思い出す。
 これならいけるかもしれない。
 俺は教わった打ち方に従い、構えて放つ。
 もし彼女であれば、必ず返してくるだろう技を。



 仁王に試合を申し込まれた時はどうしようと焦ったが、いざ試合が始まってみれば面白い。
 普通の新入部員ではないと感じているようだが、私が白石であると確信が持てないでいる。
 仁王が必死に私を探してくれているのが嬉しい。
 正体が暴かれるというのに、心が高鳴り、笑みがこぼれそうになった。意識して顔を引き締め、試合に集中する。
 柳生がレーザービームを打ってきたが、わざと取りに行かなかった。相手は加減をしているとはいえ、入部したての部員が返せるとは思わなかったからだ。リョーマ位の実力なら返せるかもしれないけれど。
 柳に指示をもらうことで、レーザーを対処する。
 それからしばらくラリーが続いた。
 次は何を仕掛けてくるか期待を膨らませていたら、仁王が思いもよらぬ技を打ってきた。
 何故あなたがその技を――――。
 一瞬怯んだが、彼の表情を見てすぐに思い出す。

 ――「なあ、白石さん。さっきの技、どうやって打つんじゃ?」

 それは初めて仁王たちとテニスをした後のことだった。こっそりコートを後にして、昼休みに屋上を訪れたあの日。
 柳生、仁王とお昼を一緒に食べていると、仁王から質問された。おそらく軽い気持ちで尋ねたのだろう。打ち方を答えると、目を大きく見開いていた。

「聞いたのは俺なんじゃが……そう簡単に教えて良かったのか?」

「ええ。仮に仁王くんと試合することがあったとして、その技は打たれても必ず返すと心に決めているの……」

 青学のテニス部を辞めた私は、不二の技は必ず返せるようになろうと決意した。
 スクールの大会で本来のプレイスタイルとは異なるスタイルで挑んだせいか、どういう姿勢でテニスに向かい合えば良いか分からなくなってしまったから。ペアを組んだ不二の技を返せなければ、私の中で築き上げたテニスが、このままでは崩れると思ったから。
 理由までは伝えてないが、仁王がこの時のことを覚えて「つばめ返し」を打ってきたとしたら。
 新入部員なら初見では返せないだろう。
 だが、白石としてなら返さなくてはならない。決意が無になってしまう。
 この打球は、地に着いたら跳ねない。
 前衛にいた私はラケットを左手に持ち替え、ボールに向かって走った。

「黒崎!」

 後ろから柳の声が聞こえた。
 私が白石であると暴かれても構わない。
 ボールを掬うようにラケットを傾けて打った。

「夜凪」

 回転を打ち消したので、ボールがふわりとネットを越える。向かいのコートに静かに落ち、仁王の足元へ転がった。
 彼はラケットでボールを持ち上げ、右手でキャッチした。

「やはり白石さんか」

 仁王は目尻を下げ、満足そうに笑っていた。
 その表情は反則だ。心臓が早鐘を打った。

「俺はもう目的を達成したから、これで終わりでも良いんじゃが、お前さんは?」

「私も良いかな……」

「フッ、それじゃあ白石さんを借りるぜよ」

「え……!?」

 仁王がネットを跨ぎ、私の右手首を掴む。柳と柳生に目線で助けを求めても、二人とも微笑むばかり。
 私は諦めて、大人しく仁王について行った。
 ラケットはベンチへ置いていく。
 手首を掴まれながら少し歩くと、部室に向かっていることが分かった。今の時間なら誰もいないだろう。
 手を離された。
 仁王は部室の扉を開けて入り、長椅子に座る。左手で空いているスペースを叩くので、私は彼の左隣にちょこんと座った。

「さて。俺を欺こうとするなんて思わなかったのう。一応、なんで変装していたか聞いておくか」

「……仁王くんの驚いた顔が見たかったの」

「それで、実際どうだったんじゃ」

「色んな表情が見れて胸が踊ったわ」

「お前さん、俺に興味があるのか?」

「……うん」

 それが恋愛によるものなのか友愛によるものなのか、今の私には判断できなかった。どちらにせよ、仁王のことを知りたいと思ったのは本当である。

「ほーう……?」

 ちらりと彼を見ると、頬をほんのり朱に染めて、目を瞬いていた。今日は色んな表情が見られて嬉しい。
 癒されていると、右肩に重みを感じた。仁王が私の肩に頭をもたれかけたからだ。

「仁王くん……?」

「白石さんを見てると、時折いつかどこかに行ってしまうんじゃないかって思えてな。……白石さんを充電中」

「もし……私がいなくなったら、探してくれる?」

「もちろん。どこへ行こうと探し出してみせるナリ」

「ふふ、ありがとう」

 私が自分を見失っても、仁王なら見つけ出してくれる。青学メンバーと再会して我を忘れてたとしても、彼が側にいてくれれば大丈夫だろう。
 胸のつかえが下りる。
 私は仁王の手に自分の手を重ねるのだった。


(終)

拍手ありがとうございます。
これからも星月夜をよろしくお願いいたします。

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