去年の花火は綺麗だった。
射ぬかれるような日射しの中で、蒼穹にゆらゆらと吸い込まれてゆく黒煙をひたすら眺めて時間を潰した。
喪服を纏い、焼香をし、参列者に幾度となく頭を下げて、骨を拾った。
母の骨だ。
あの人のそれは余りにも脆かった。
長年介護に身を投じて生きてきた。
あいにく父親という存在は私の記憶からは廃れていたし、兄弟はなく血縁者は遠縁の親戚だけ。
私が喪主を務めることは必然で、とにもかくにも慌ただしく過ぎ去った一日。
気付けば私は喪服のまま家の縁側に腰かけていた。
夜空に打ち上がった花火の音で、眠りから目覚めハッとしたのだ。
見上げた空の色は知らぬまに紺青に落ち着いていて、伝播する音と橙の大輪に視線を引かれた私の唇からは感嘆のため息が漏れていた。
「……きれい」
無意識に呟いていた。
打ち上げ花火とは、こんなにも美しいものだったろうか。そう思ったのだ。
これまでの人生で最も華々しく映った花火が、よりにもよって母を火葬した当夜見上げたそれとは。
自分はいったいどれだけ親不孝な娘なのかと薄情に思う。
そんな母に対する後ろめたさを覚えても、花火は紛れもなく美しかった。
「あれ、起きたの?」
背後から声がして、振り返るとそこには一静が立っていた。手には木製の丸いお盆を持っている。
室内の灯りは全て消されほの暗く、けれど生活道路のあちこちに吊るされているぼんぼりの赤と夜空に上がる閃光が、部屋に配置されている家具の在処を示す
「…また、寝ちゃってた」
「また?」
「去年のお母さんの葬儀の後も、私、喪服のままいつの間にかここでこうして寝ちゃってたんだ」
「そっか……まあ、身内の冠婚葬祭はなにかと疲弊するわな」
一静が敷居をまたぐと古い床は重みに応じて音を発する。
そろそろリフォームするべきかなあと考えたとき、一静が私の隣に静かに腰を落ち着けた。
「起こしてくれればよかったのに」
「いや、気持ち良さそうに寝てたしさ。今日の一周忌も慌ただしかったし風邪ひかない程度にそのままにしとこうかなと……あ、スイカ食べる?」
一静が持ってきたお盆の上には、三角に切られたスイカが四つ並んでいた。
私は頷く。
一静は、私が昔働いていた職場の同僚だった。とは言っても私は派遣の事務職で、一静は社員の営業とそう接点はなく、当時は最低限の言葉以外を交わした記憶はほとんどない。
だから、介護を理由に退職し数年、母を亡くした一ヶ月後に街でばったり一静と遭遇し声をかけられたときは、心底驚いた。
私のことなんて忘れているどころか、一静の世界には存在すらしないのだろうと思っていたから。
二口三口と、スイカにリズミカルにかぶりつく。
やけに甘いスイカだ。
濃厚な甘みが執拗に口のなかに纏いついて、適度な水分が身体中に染み渡る。
もしも一静を食べることができたなら、こんな味なのかもしれないと思う。
「甘いな。熟しすぎたか」
「ふふ」
「なに笑ってんの?」
「すごく美味しいよ。私は好きだな」
「ならよかったよ。担いできた甲斐があったな」
昔ながらの平屋の我が家は、花火が打ち上がる度にビリビリと痺れるような音をたてて震える。
一静もまだ礼服を着たままでいた。ただしジャケットとネクタイはすでに無く、首もとのボタンは三つまで外されている。
「一静、今日は本当にありがとう」
「いや? お疲れ」
一静だけが、唯一、終始そばにいてくれた。
一周忌に遠縁の親戚は顔を見せなかった。
母の長年の友人と、生前お世話になったご近所の方々がちらほらと足を運んでくれたのみの質素な法要。
戸籍上なんの繋がりもない、ただ一年弱私の恋人であるだけの彼が、誰よりも近い場所で私と母に寄り添ってくれていた。
「お母さんにもひとつ、お供えさせてもらったから」
「明日には蟻が沸いてそうね」
「大事なのは気持ちだからね?」
「ふふ、うん。ありがとう。お母さんスイカ大好きだったから、きっと喜んでる」
そういえば、子供の頃、母とここでこうして毎年スイカを食べながら花火を見ていた。
なぜ、忘れていたんだろう。
「今年のスイカも美味しいよ、お母さん」
呟いても母からの返事はない。
去年のこの日、母は空へと熔けた。
*某SNSのお題から
「去年の花火は綺麗だった」からはじまり「だから、その瞬間までは」で終わる
「去年の花火は綺麗だった」からはじまり「だから、その瞬間までは」で終わる