「いい加減気持ち伝えたらどうですか」
「それが簡単にできたら苦労はしない」
乾杯の代わりに二人で奏でた硝子瓶の音は、ほんの瞬きの分だけ手の甲に涼風を呼んだ気がした。
真夏の陽射しを浴び続けた堤防のコンクリートは想像していたよりもずっと熱く、折り畳んだタオルの上に腰を下ろしても皮膚の温度をすぐに上回ってしまうほどだった。
目の前には、大海原と白い砂浜が広がっている。
「わわっ」
「ああもう、しばらく押さえたままでって教えたじゃないですか」
盛大に吹きこぼれた炭酸飲料を手になまえさんが慌てふためく。
こんなこともあろうかとリュックからハンドタオルを取り出しておいて良かったと思う。
ガラス玉を落とし損ねた自分の瓶は今か今かと待ちわびるように汗をかきはじめているのだけれど、まず俺が優先すべきはこの人の手を濡らす水滴を綺麗に拭き取ってやることだ。
柔軟剤の効いた柔らかなハンドタオルをなまえさんの手に被せ、少し歩いた先にある海の家付近に手洗い場があったことを教えると、なまえさんは首を横に振りながら眉尻を垂らしありがとうと言って
この場所に来るとなまえさんの笑顔が普段よりも特別に思える。
潮風と太陽の熱は恋情の趣を変えてしまうのかもしれない。
「今年が最後の夏ですよ」
「わかってるけど……ほら、春高に向けてそれどころじゃ」
「去年もそんなこと言って結局何もしなかったじゃないですか」
「うう、だって」
お決まりの"だって"をやれやれといった気分でラムネと一緒くたに流し込む。
夏休みの時期とあってか海にはサーファー達が点々としているものの、時は夕刻に差しかかろうとしているため人は疎らだった。
「なまえさん、大学は木兎さんとは別ですよね?」
「うん」
「ぐずぐずしてたらあっという間に卒業ですよ」
「…うん」
「あの人けっこうモテるから、大学に行ったらますます女の人寄ってくるんじゃないですか」
「……赤葦の、いじわる」
なまえさんが飲み口の先で唇を尖らせる。
俺はガラス玉の周りを発砲し続ける清涼水を口に含んで海原のずっと向こう側を見やった。遥か先に見える水平線がとても眩しい。
これが意地悪になるのなら、俺はあなたからそうとうえげつない意地悪をされていることになるな。
そんな想いを口には出せず、水面を奏でる陽光を見つめながら口の中でラムネを繰り返し弾かせる。
「木兎さんのこと好きになってどれくらいでしたっけ」
「んーと、一年の夏からだから、二年か。うわあぁぁ」
「なんすか、うわあって」
「いや、なんか改めて口にすると、そうか、もう二年もあいつのこと好きなのかってちょっとびっくり」
器用に波を乗りこなす黒色のウエットスーツと色鮮やかなボードを眺めても、赤い頬をラムネの瓶に押し当てるなまえさんの仕草へと意識が強く働いてしまう。
そういう自分はどうだったろう。
ふとなまえさんにした質問を胸中で問い直し、俺は俺自身の記憶を遡ってみた。
梟谷男子バレー部のマネージャーをしているなまえさんとはじめて会ったのは、高校一年の春。
なにを頼んでも嫌な顔ひとつしない人だなというのが、なまえさんに対しての入部当初の印象だった。
遠慮しがちな後輩に気遣いを見せるなまえさんには、入部した時から憧れている奴も多かったように思う。
恋心を自覚したのはの夏の始まり。
なまえさんの見つめる視線の先に映る人の姿に気が付いた時。
ああ、あの人か。あの人なら仕方ない。
そう納得した心の底で、カランと寂しげな音がした。
まるで、飲み終えた直後に瓶の窪みを弾いたガラス玉のそれのような。
「やっぱり、ちゃんと伝えたい」
「それがいいと思います」
「めんどくさそうな反応だなぁ」
「通常通りですよ」
「早く解放してくれって思ってる?」
「? 何がですか」
「赤葦にはずーっと相談に乗ってもらってるもんね。いい加減疲れるでしょ、こんなの」
「今さらそんなこと言いますか」
「誰にも言ってなかったのに、赤葦が気付いちゃうからいけないんだ」
「え、俺のせい」
本気なのか冗談なのか。
もどかしい恋心を棚に上げ、問題をすり替えようとするなまえさんのジトリとした瞳が俺を見上げる。
ガラス玉にキスをするのは僕じゃなくても(赤葦)
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