俺たちは予選を勝ち抜き、一月に行われる春高への切符を手にした。そして、明日から冬休みとなる十二月二四日。終業式の朝を迎えた。
「俺、今日午後の部活ちょい遅れっから」
Tシャツをもぞもぞと捲り上げながら、丸めた背中をこちらに向けた木兎さんのくぐもった声が聞こえた。
「どーした終業式に。呼び出しかぁ?」
木葉さんが面白がってにやりと笑う。
「違いますー! 今日あいつが最後に学校来んだと」
「あいつって」
「なまえ! だからクラスのみんなで送別会やるんだ。あいつ明日オーストラリア行っちゃうんだってさ」
「オーストラリアじゃなくてオーストリアだろ」
「同じじゃねぇの?」
「おい、ここにバカがいる」
通常運転の日常。変化の乏しい先輩達の戯れを、俺は右から左へ聞き流していた。
明日、か。
「お先に失礼します」
「……」
「赤葦ー」
ドアノブに手をかけたとき、いつになく声量を控えた木兎さんに呼びとめられた。振り返って木兎さんを眺めると、髪の毛と同じ色の凛々しい眉毛がしょんぼりハの字になっている。
「お前も来るか? 送別会」
まさか木兎さんの口からそんな言葉が出てくるとは思わずに、俺は内心で驚いていた。木兎さんなりに、動物的勘というやつで何かを察したのかもしれない。珍しいこともあるものだ。
気持ちはありがたいのだが、出来れば今はそっとしておいてもらいたいというのが本音だった。
「行きませんよ。木兎さんのクラスの送別会なんだから俺がいたらおかしいでしょう?」
沈黙してしまった先輩達をその場に残し、俺は一人で部室を出てきた。
寂しくないといえば、嘘になる。けれど、どうしようもないじゃないか。なまえさんはもう、明日行ってしまうのだから。それは変わらない事なのだから。
公園で、また明日とでも言うように去っていった彼女を眺め、ほんの少しだけ、俺は馬鹿馬鹿しい期待をした。
翌日は、いつもの駅で電車に乗り込んでくる彼女の姿を思い描いた。
次の日も、また次の日も、あり得ないことだと知りながら、もしかしたらという淡い期待を、心のどこかで捨てきれずに。
もう同じ道を歩くことなどあるはずもないとわかっているのに、今日の今日まで、叶うことのない夢を見ていた。
けれど、それももう本当に終わるのだ。
「尾長悪い。なかなかタイミング合わなくて」
「いや、大丈夫っす!」
「調整しとくから」
思うように飛ばないボールを見送って、俺は体育館の壁に背中を預けた。
女生徒のはしゃぐ声が外から流れ込んでくる。
クリスマスイブとあってか、そういえば下校するクラスメイトたちも心なしかそわそわと浮き足だっていた。
「赤葦、ちゃんと水分とれよ」
至近距離からこちらに向かってドリンクが投げられる。
半回転したそれをかろうじて片手でキャッチすると、「ナイスー」と並びの良い歯を見せながらやってきたのは木葉さんだった。
「なあ、本当にいいのかお前? みょうじのとこ行かなくて」
木葉さんが俺の隣の壁にもたれる。
「……いいんです」
「あそ。こんな時でもお前はそうやってクールなのね。ま、 プレーにはだいぶ影響でてるみてぇだけど?」
痛いところを突かれ、返す言葉もない。
「みょうじのこと好きなんだろ? 気持ち伝えねぇの?」
「……」
「なあ、明日行っちゃうんだぜ?」
「木葉さんには関係のないことです」
あくまでも冷静に受け答えたつもりだが、言ったそばから少々突き放すような物言いになってしまったと反省し、「…すみません」と言葉を足した。
沈黙している木葉さんの顔は見れなかった。
あと、少しの辛抱なのだ。今日が終われば、また何事もなかったように明日からの生活が待っている。それだけのことなのだ。
俺は、懸命にそう自分に言い聞かせ、頭の中からなまえさんを追い出そうとしていた。
「まあ、そりゃ確かに…関係ねぇかもしんねぇけどさ」
「とにかくもういいんです。部活に関係ない話はやめましょう。俺は少し外の風にでも当たってきます」
そう言って立ち上がり、俺は木葉さんに背を向けた。瞬間だった。
ドカッ!!
「──ッ"、!?」
突如激しい鈍痛が俺の頭を貫く。
何が起こったのかよくわからずに、しばし俺の思考は停止した。けれど、結論から言うと、"痛い"。これ。
振り向くと、木葉さんは珍しく鬼の形相にも近い顔で俺を見ていた。
いやでも、今人の頭におもいきりバレーボールぶつけましたよねこの人…?
「え…何するんすか…普通に痛いんですけど」
「まてまて、何やってんだよ木葉!」
ボールを食らった後頭部を擦りながら木葉さんをジトリと見つめる。騒ぎに気づいた小見さんやマネージャーたちも慌ててこちらに駆け寄ってくる。
「なんでお前が熱くなってんだよ木葉!」
「っ、お前は、お前は初めてだからわかんないかもしれないけどなあ…っ、こういうのって男はすっげー引きずるんだ…! そのうち忘れられるとか、簡単に思ってたら痛い目見るぞ!?」
小見さんの頭上を抜けて、木葉さんの怒号が俺の胸に突き刺さる。けれど、木葉さんの性格からして、これは頭ごなしではなく叱咤激励に近いもののような気がした。
この言い分にも妙に納得させられるのは、彼がそれほどの失恋の経験者だと知っているからだろう。
「俺はお前に……可愛い後輩に、後悔とかしてほしくねぇんだよ」
「ヘイヘイヘーイ!! 悪い遅くなって! 今日も最高のスパイク決めてやるぜーー!!」
体育館が静寂と化した直後、再び嵐のような声がしたので何事かとシャトルドアの方を見やれば、ああ、やっぱり木兎さんか、とみんなの表情が渋くなる。
「木兎……送別会はもう終わったのか?」
尋ねたのは鷲尾さんだった。
「おう! いや~、これからあいつも頑張るのかと思うとさ、なんつーかこう、俺らも負けてらんねーよなって気になるな!」
「みょうじは!? みょうじもう帰った!?」
「ん~? そういや職員室寄ってくって言ってたような」
顎先に指をかけ、木兎さんは考えるような仕草を見せて言う。
なまえさんは、まだ学校にいる。
そう思うだけで気持ちが揺れた。とはいえ木兎さんの記憶は曖昧だ。すでに帰ってしまった可能性も十分にある。
俺は、拳を強く握った。
もう、決めたことじゃないか。
これ以上は辛くなるから、あの日を最後にきっちりと終わらせようと。
けれど、本当に出来たのか? さよならも伝えられずに、どこかでまた会えるかもしれないと心の隅で期待していたのは誰だ?
気持ちを伝えたところで変わらない。そう思うことで蓋をした。なまえさんに負担をかけたくないという綺麗事を並べて。
俺は、本当はどうしたい?
───俺は。
「赤葦ー」
ふと見ると、目の前にマネージャーの白福さんが立っていた。
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