早朝の凍てつく空気に震え、俺は剥き出しの顔の面積をマフラーに半分埋めた。手にはなまえさんに貰った手袋。真新しいカシミアの匂いが冷風と共に鼻腔を擽る。
体育館の扉を開くとまだ薄暗く、非常灯のぼんやりとした白い光だけが浮かんで見えた。
一人黙々と筋トレメニューをこなしていく。
壁パス、サーブ練、コントロール調整。思っていたよりも、悪くなかった。
「うお、赤葦!? まさかマジで六時に来たの!?」
「来ましたよ。昨日言ったじゃないですか」
「お前ってやっぱ真面目だわ」
「ほっといてください」
しぼらくしてやって来た小見さんの無駄口を軽くあしらい、俺はバラけたボールを集めに走った。
「あかーしー! 何してんだよ、こんなトコロで!」
「木兎、少しはそっとしといてやれよ!」
「え、なんで?」
休憩時間。ドリンクを口にしながら空を見上げていると、背後から喧しい人たちがやってくる。
「なあ……昨日、どうだったわけ?」
俺の隣に腰を下ろした木葉さんが空を仰ぎなから聞いた。
「そうですね、フラれました」
正直に、俺は答えた。
なまえさんと別れた後は普段通り部活に励み、普段通りに帰宅した。彼等は気を使ってくれたのか、昨日は何も聞かれなかった。
「え、なになに、赤葦お前フラれたのか!?」
「おい木兎! お前空気読めバカ!」
「バカとか……!」
練習中は普段通りだった先輩達も、今ばかりはそれなりの励ましの言葉を探してくれている。
木兎さんだけは相変わらずで、けれどこれはこれで気がまぎれるなと、唇から小さく笑みが零れる。
「てゆーかさ、俺、なまえは赤葦のことちゃんと好きだったと思うぜー?」
まさかの発言にみんなが驚いた様子で木兎さんを見た。もれなく俺も目を丸くした。
「…うん。いや、実は俺もそう思う」
「俺もー」
木葉さんと小見さんも続けて同意してくれる。
だよな、だよなと互いの顔を見合せている三人を、俺は黙って眺めていた。
そう励ましてもらえるのはとても有り難いことだけれど、なまえさんから直接好意のある言葉は聞けなかったのだから、自惚れる気にはなれなかった。
「けどなぁーんで言ってくんなかったんだぁ? なまえのやつ」
「さあ? 女ってよくわかんねー」
木兎さんが口を尖らせ小見さんが相槌を打つ。
真相は闇の中。そして、おそらく二度と知ることはないのだろう。
「もういいんですよ。十分です」
俺の気持ちはちゃんと伝えられたのだから、後悔はしていない。
「あたしもー」
語尾を伸ばした声がして、振り向くと白福さんぎそこにいた。
「あたしもみょうじさん、赤葦のことちゃんと好きだったと思うー」
「じゃあなんで言ってくんなかったんだよ?」
木兎さんは納得のいかない様子でまだ口を尖らせている。
「だからぁ、それはぁ、今度またいつ日本に戻ってくるかなんてわかんないんでしょお? 中途半端なこと言ってお互い縛り付けたってしょうがないじゃん。お互いのためにも言わなかった。言えなかったんだよー。そんだけ赤葦のことも大事に想ってたってことでしょお? もぉー男って本当ガキだねー」
呆れた声でそう言い残し、白福さんは背を向けて去っていく。
男四人残されて、言葉がなかった。
「女子って、大人だな…」と、小見さんが呟いた。
「お、そろそろ休憩終わる! 行こうぜ」
真っ先に木兎さんが走り出し、コートに戻っていく背中を目で追いかける。
「木葉さん」
「ん?」
「色々とありがとうございました」
続けて駆け出そうとした木葉さんを呼び止めて、お礼を言った。
本当は昨日のうちに言わなければいけないことだったと気づいて、面目ない気持ちになる。
木葉さんに背中を押してもらえなければ、俺は、きっと自分の気持ちを彼女に伝えることはできなかったと思うのだ。
「な、なんだよ急に! 別に俺は、お前の調子が悪いと木兎だって悪くなるし、そんな状態で春高行っても迷惑だしな! そんだけだからな!」
「あれ、昨日は可愛い後輩に後悔してほしくないって言ってましたよね確か」
「うるせーよ!」
木葉さんは耳を真っ赤にして目を吊り上げている。
照れ屋なくせに、お節介な先輩である。
「ほら行くぞ」
「はい」
「勝つぞ」
「え?」
「春高優勝! このメンバーで、絶対勝ぁつ!!」
力強い言葉を受け取り、俺もうなずく。
今この瞬間を、繋いで繋いで、繋いでいくのだ。
「───はい」
まだ見ぬ先の、未来を信じて。
~Fin~
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