「不死川先生、そろそろお昼休みが終わりますよ」
ソファで横になっている不死川実弥のそばに立ち、みょうじなまえは柔らかな口調でそう呼び掛けた。
見下ろした先の長い睫毛が微かに震える。けれど、実弥は一度の呼び掛けでは目を覚まさない。
背中を丸め中腰になる。
色素の薄い眉の辺りに指先を添え、沿うように、そっと撫でる。
眠っているときの実弥の眉毛はほんの少し下がっていて、いつもとても優しい顔をしていること、この学園に通うほとんどの生徒たちは、きっと知らない。
「さーねーみーくん。早く起きて戻らないと、午後の授業に遅刻しちゃうよ」
しゃがみ込んで耳打ちすると、実弥の口から「…ンン」という低い声が零れた。
「なまえ……?」
「時間が─、ッ」
後頭部に手が回り、少し強引に引き寄せられて、ほんの一秒、唇が重なる。
ライトなキスが何度か繰り返されたあと、漂ったミントの香りが消えないうちに、実弥のまぶたがうっすらと開かれた。
まだほのかに寝惚けたような眼差しと目が合う。
唇から覗いた紅色の舌先が下唇にちろりと触れる。
──あ。
これはいつもの。
口開けろ、の実弥の合図だ。
「っ、だめ…っ」
「…あァ?」
「実弥くん寝惚けてる。ここは学校です」
「……あァ、そういやそうだったなァ」
ようやく目が冴えたのか、実弥は大きな目をぱちぱちとまたたかせ、思い出したような顔でなまえを見た。
ここは、キメツ学園高等部にある一室。
カウンセリングルームである。
「よく眠れた?」
「あァ助かったぜぇ。近頃仮眠室行ってもなかなか寝つけねェからよォ」
キメツ学園のカウンセリングルームは広い。
ぬくもりのあるベージュを貴重とした内壁に、テーブルや本棚などのインテリアはウォールナット素材のもので揃えられていて、所々に観葉植物が並んでいる。
正面の窓は広く、外光は差し込むが直射日光は当たらないため光の加減がちょうどいい。
より陽光具合を調整できるようブラインドがついていて、それを閉め切り、暖色のダウンライトを少しだけ灯しながら眠るのが、実弥のお気に入りでもあった。
「今日はたまたま予約が入ってなかったから良かったけど、そう頻繁には寝かせてあげられないよ?」
「わぁってるって。その辺はちゃんとわきまえてっから安心しろォ」
「!」
コツン、と小突かれたひたいに手を添え、なまえは実弥を見上げながら微笑んだ。
恋人同士になって、そろそろ二年になる。
はじめの一年こそ秘密で交際していたのだが、その後美術教師の宇髄天元に勘づかれ、今では教師たちの間でのみ公認の仲となっている。
とはいえ、生徒たちに示しがつかないのはいけない。そのため校内では必要以上に接触しないよう注意を払って生活している。
「一応出ていくときも生徒たちがいないか確認してね。ここ(カウンセリングルーム)は別棟で人通りも少ないから大丈夫だとは思うけど」
「なァ、カウンセリングってよぉ、生徒だけのモンじゃねェんだろ?」
「うん、そうだね。先生たちや生徒さんの保護者にも対応できるようにはしてるよ。まあこの学園の先生をカウンセリングしたことは一度もないんだけどね」
「…だろうなァ」
「タフネスな方たちばかりだもんね。本当に感心しちゃう」
「教師も利用可能なら、ここへの出入りを生徒に目撃されようが問題ねぇんじゃねェのかぁ?」
「…えええ?」
「ンだよその声はァ」
この人は本気でそんなことを言っているのか? となまえは思う。
この学園に通う子たちは、みんな個性的だ。
校則は厳しい一面もあるものの、生徒は自由でのびのびしている子が多く、みんなそんな校風に憧れてキメツ学園に入学してくる。
加えてこの学園に至っては、教師も同等にのびのびしている。
教職はストレスも並でないと言われる仕事のひとつだ。だがキメ学の教員たちはメンタルもフィジカルもとにかく強い。
この学園の教師陣と接していると、仕事にどう向き合うのかの信念が各々で確立されているなと感じる。そのためなまえも日々良い刺激を受けている。
さきほどなまえは"タフネスな方たちばかりだ"と口にしたが、中でも実弥は最もそれに当てはまる人物だと言っていい。
「実弥くんがここから出ていくのを見られたら、別の意味で大騒ぎになるんじゃない?」
「そりゃどういう意味だぁ」
「まさかあの"しな先"がカウンセリングに頼るほどの悩みを抱えているのか!? って学園中がざわつくと思」
「ほォ…言いてぇこたァそれだけかァ…?」
「嘘ですごめんなさい…実弥くんにだって眠れなくなるくらい落ち込んじゃうときもあるんだよねきっと…実は繊細って誰かから聞いたような聞かないような…」
「顔が笑ってんだよォ……!」
「ふ、ふふっ」
なまえの頬を片手でむぎゅうと鷲掴み、実弥は黒い笑みを浮かべる。
それでも頬が綻んでしまうのは、小突くときも、鷲掴みをするときも、痛くないように力を緩めてくれている実弥の優しさが伝わるから。
「あーあァ、いいのかねェ。今日はお前が食いてぇつってたパステリー粂野の新作ケーキ買って帰ってやろうと思ってたのによォ、やっぱやめちまおうかなァ」
「えっ」
なまえは驚いて目を丸くした。
「ケーキって、なんで今日?」
「…いらねぇなら買わねェ」
「そうじゃなくて、だって今日は実弥くんの誕生日だよ? わたしのためのケーキじゃなくて、実弥くんの食べたいもの買っていいんだよ? パステリー粂野はおはぎも売ってるし、実弥くんあそこのおはぎ好きでしょ?」
「毎年誕生日は家族が作るそれを食うのが定番だからなァ。昨年なまえも一緒に食っただろう」
「そういえばそうだったね。上の階に住むみんなが実弥くんのところまで届けに来てくれて。あのおはぎ、すっごく美味しかったなあ」
束ねる
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