時は大正。
閑静な土地に佇む広い屋敷の門柱に、みょうじと不死川の表札が並んでいた。
実弥となまえ。
二人の間に生まれた赤子が一歳を迎えた夏の日のこと。
「「ごめんください」」
敷居を跨いだ玄関口に、複数人の来客が訪れた。
「······何しに来たァ」
「よぉ不死川! 変わらず元気そうで安心したぜ!」
「こんにちは。突然お邪魔してごめんなさいね」
「あんた全然こっちに顔見せにこないからさ」
「やあん、スミレちゃんがおっきくなってます!」
宇髄一家である。
須磨は、実弥の腕に抱えられた幼子を見るや否や「お姉さんのところにおいで~!」と両手を大きく広げてみせた。
つられるように、幼子も饅頭のような手で空を切る。
不死川スミレ。齢一歳。昨年の夏、産声を上げ誕生した実弥となまえの愛娘。
「ぁぅ、ぁ」
「やっぱりなまえちゃんによく似てますぅ! こちらのお方のような怖ぁいお顔にならなくて本当によかったでちゅね~、スミレちゃん~!」
「···オイ宇髄。揃いも揃っていったいどういう了見だァ」
スミレに頬擦りしている須磨の発言には目をつむり、実弥は天元に向かってぶっきらぼうに顎をしゃくった。
「なにってお前、今日はめでてぇスミレの誕辰だろ。だからこうしてみんなで祝いにきたんじゃねェか」
「わざわざ赤子抱えてかァ? ご苦労なこったなァ」
「うちのもそろそろ半年になるからな。交流にはもってこいだろ?」
「ハァ? いくらなんでも早すぎんだろォ」
「私たちもなまえさんとスミレちゃんに会いたくて···。けど、やっぱりご迷惑だったかしら」
雛鶴がそう遠慮がちに微笑む。
天元との間に宿った赤子を冬に出産したばかりの彼女は、今ではなまえと同じ新米の母親だ。
天元の背には、スミレよりも一回りほど小さな赤子がすやすやと寝息をたてている。
「きゃああスミレちゃん! そんな風にお鼻を摘ままれたらお姉さんは痛いです!」
「ぁぁぅ、きゃ、きゃ」
「あはは、いいぞスミレ、もっとやっちゃえ」
「うわぁん、まきをさんがまた意地悪なこと言ううぅ! けど今日はこのスミレちゃんの可愛いお手々に免じて許しますぅ!」
スミレは目の前にいる須磨の顔の凹凸をぺチペチと叩いてみたりむぎゅうと握ってみたりする。声音や香り、肌質など、母でも父でもないその違いに興味津々の様子だ。須磨が仰々しい反応をしてみせるほど、面白いおもちゃでも見つけたような表情できゃらきゃら笑う。
「···まァ、はるばる山越えてまでわざわざ邪魔しに来たんだろ? 上がってくれやァ」
追い返す理由はない。
実弥は宇髄一家を屋敷の中へと促した。
なまえと三嫁が文通をしているので、実弥と天元はこれといったやりとりをしていない。
時折嫁たちからの手紙に天元の一筆が添えられていることもあり、その筆跡から変わらず息災なのだろうと知れるだけで十分だった。
同じくなまえが実弥の近況を間接的に報告していることも知っている。
(もう、一年以上かァ)
どうりでスミレも成長したものだと、実弥は時の間しみじみと想いを馳せた。
なまえは? と、天元が問う。天元は二人が夫婦になってからなまえを下の名前で呼ぶようになった。
嫁たちの言う呼び名が馴染んでしまったせいでもあるが、みょうじではなくなったというのが一番の理由だ。
「ああ、今は厨でジャムとやらを作ってる」
「ジャム? お料理は苦手だってなまえさんいつも言ってるけど、ジャムを作れるなんてすごいわね」
雛鶴が感心したように目をしばたたかせた。
「ジャムは甘露寺直伝のもんだと。甘露寺の遺した手記とにらめっこしながらやってるぜ。あと、なまえの婆さんも気にかけて手を貸してる」
「あ、本当だ。すごい甘い匂いがしてきた」
「きゃーん、おいしそうでちゅね~、スミレちゃん」
客間に脚を運ぶ途中、厨付近の廊下に漂う甘優しい苺の香りに、まきをや須磨もくんくんと鼻先を高くする。
そこへ、
「実弥、お客様どなただった······あらっ」
ひょっこりと姿を見せたなまえが表情を華やかにした。
「宇髄さんに皆さん···! お揃いでいらしてくださったんですか?
「なまえさんごめんね。本当は事前にお手紙で報せようと思ったんだけど」
「俺がド派手に驚かせてやろうっつったの」
「ド派手でもねぇし、留守かもしれねぇとは考えなかったのかねェ」
「まあそんときゃそんときでいいじゃねぇかと思ってよ」
「スミレちゃん今日がお誕生日でしょう? これ、私たちから」
言いながら、雛鶴が正方形の紙袋を差し出す。
口折りの奥に覗いた包装紙の花柄が、なまえの目に鮮やに触れた。
「やだ、いつも悪いわ。スミレが生まれたときにもたくさんのお祝いをいただいたのに」
「ふふ、それはお互い様でしょ」
「なまえジャム作ってるんだって? スミレも食べるの?」
スミレの頬を指先でぷにぷにしながらまきをが言う。
「ええ。実はスミレにショートケーキを食べさせてあげたくて」
「ショートケーキ!? ショートケーキってあの白くて苺が乗ってるやつですか!? なまえちゃん作れるの!?」
須磨の顔色が一瞬で薔薇色に変化した。
「とはいってもなんちゃってショートケーキなの。まだ本物は食べられないから、パンとヨーグルトを使った小さな」
「へぇ。しっかしヨーグルトとはまた高級品じゃねえか」
「今日は特別にって父様が朝から買いに行ってくれたんです」
「はは、林道の親父さんもスミレにはベタ甘だなァ」
「初孫ですもの。可愛いに決まってるわよね」
よかったら私にも作り方教えてもらえる? と掌を合わせる雛鶴に、じゃああとで紙に控えてくるわねとの約束をする。
あとは、幼子用に甘さを控えた苺ジャムをヨーグルトに少量混ぜれば、ほんのり色づけされたショートケーキ(もどき)が完成する予定なのである。
「ぁぅ、ま~」
なまえの姿を見つけたとたん、スミレが母のところへいきたいと小さな身体をよじらせる。
「スミレ須磨ちゃんに抱っこしてもらったの? よかったねえ」
「ぅ~ぅ」
「ん~っ、そうなの、嬉しかったの」
なまえは、スミレの頬に唇を寄せながら甘高い声で愛娘を愛撫した。
そこへ林道もやってきて、天元と陽気に挨拶を交わす。
せっかくなので、スミレの誕生日祝いを兼ね皆で昼食をとることにした。幸い、キヨ乃となまえで普段よりも手の込んだ食事を朝から準備していたところだ。
「外は暑かったでしょう? すぐに冷たい飲み物をお持ちしますね」
「向こうの客間でいいかァ?」
「そうね。風通しもいいしそうしましょう。実弥、あと少しだけスミレをお願いしてもいい?」
「よォし、スミレこっち来なァ」
「ぁぅ」
「凄ぇなぁスミレはァ。ケーキなんざ豪勢なもん食えちまうんだもんなァ。小豆とどっちがうめェかなァ」
「きゃ、きゃ」
宙に掲げて数回優しく上下させると、スミレは黒目がちな目を煌々とさせ愛らしい声を響かせた。
そんな実弥の姿を背後から眺めていた二人。天元と雛鶴が顔を見合わせて目尻を下げる。
各々の道を歩みはじめて一年半。
こうして時折顔を合わせる付き合いとなった不死川家と宇髄家である。
実弥の雰囲気が目に見えて柔くなったことが、天元と雛鶴の目にはとても微笑ましいものに映った。