「すみません赤葦さん! お待たせしてしまって…!」
とある日の午後、セイントミュージック本社事務所の一室に、盛川さんが息を切らしてやって来た。
約束の時間からはすでに二十分が経過していた。
先日のなまえさんとの一件もあってか、盛川さんは扉を開くなり「申し訳ありませんんん!!」と何度も深く頭を下げた。
「いえいえそんな、大丈夫ですから、顔を上げてください」
「また、先日はなまえさん共々ご迷惑をおかけしまして、重ねて申し訳ありませんんん…っ!」
「本当にお気になさらず」
土下座する勢いの盛川さんを宥めながら、待ち時間に出されたコーヒーを一口啜る。
今日は、ある報告をしにここへ来た。
「青春堂のCMの件ですが、出演は正式に絵理衣さんに決定いたしました。それに伴い、CMに起用させていただく曲についてのご提案として、これから発売されるみょうじさんのCDの中からイメージに合う曲を我々で選出したいと考えております。つきましては、みょうじさんサイドのご意見も伺いたく、本日少々お時間を設けていただいた次第です」
「それは…! とてもありがたいお話です…! ぜひよろしくお願いします!」
萎れた花のような佇まいから一転。盛川さんはしゃきんと真っ直ぐに背筋を伸ばし、ようやく先日のような笑顔を見せた。
「そういえば、赤葦さんてなまえさんと同じ高校に通ってらしたとか。あの後なまえさんに聞きましたよ」
「ええ。実はそうなんです。彼女がウィーンへ行く前に」
「水臭いじゃないですか~! この間教えてくだされば良かったのに」
「すみません。初の仕事の場でしたし…。それに、彼女に会ったのも本当に久しぶりだったんですよ」
七年振りにもどってきたんですもんねぇ~と言いながら、盛川さんが眼鏡ケースの中からクロスを取り出す。
「高校時代のなまえさんてどんなでした?」
俺はそうですね…と言葉を選び、七年前の記憶を手繰り寄せていた。
「あのままです。昔と全然、変わってないかな」
ピアノの似合う、綺麗なひと。
よく笑うひと。
ころころと変化する表情豊かななまえさんの一挙一動が、とても、とても可愛かった。
七年振りに再会した彼女は更に綺麗になっていて、平気な顔して接してみせてはいたけれど、本当は少しだけ戸惑っていたこと、なまえさんはきっと知らないでしょうね。
盛川さんとの打ち合わせを終えた後、彼は別の仕事があると言って時計を気にしながら席を立ち、再び深々と頭を下げて忙しなく出ていった。
俺もすぐに次の現場に向かわなければならない。
卓上に広げた資料やノートパソコンを、速やかに片す。
「赤葦さんとなまえさんて、同じ高校に通ってたんだ」
ふいに、ビターチョコレートのような声がした。見ると、開いたドアの角にもたれ、腕組みをしてこちらを見ていた人物がそこにがいた。
絵理衣だった。
「絵理衣さん? なぜここに?」
「所属の事務所にいちゃいけないかしら?」
そうだった。ここは絵理衣の事務所でもある。
「あのCM、最初はなまえさんでっていう意向だったんでしょ?」
「…ご存じだったんですか」
「食事会の後に知ったの」
「だからと言って致し方なしにあなたを選んだわけではありませんよ?」
「どうでもいいわそんなこと」
絵理衣は毅然としていた。
正直なところ、その事実が知れたらもっと噛み付かれるものと覚悟していたのに。
「この業界、よくある話だもの。気にしてない。要は、認めさせればいいだけ」
───自信はあるの。
堂々とした佇まいで言い切る絵理衣に胸を撫で下ろしたのも束の間のこと。
「もしかして、赤葦さんとなまえさんて、恋人同士だったとか?」
「…いいえ。ただの友人でしたよ?」
唐突に話題を振られたことに、俺はとっさにそう返していた。
なまえさんには好意を抱いていたのだから、ただの友人、とも少し違うかもしれないが、首を傾げてそう聞く絵理衣のその顔がどこか面白がっている風にも見え、なるべく悟られないよう努めろと、脳がそう伝達したのかもしれない。
「でも、なまえさんみたいな人、赤葦さん好きそう」
「……どうしてそう思います?」
それでも核心を突かれた気がして、ほんの一瞬、言葉に詰まった。
とはいえ狼狽えるわけにもいかず、何事もないように切り返す。
純粋に、絵理衣がなぜそう思ったのか、興味が湧いたのもある。
「なまえさんて可愛いですよね。あの人、思っていることすぐ顔に出ちゃうタイプでしょう? かまってあげたくなる感じ?」
「さあ…。どうなんでしょうね。彼女とは学年が違いましたから、付き合いは短かったので」
「ふうん…。なら、言っても大丈夫かしら」
「?」
「私、あの人のこと大嫌いなの」
三角、四角?
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