打ち合わせを兼ねた食事会の席を設けたのは都内の中華料理店。初顔合わせとなる今夜はなまえさんと彼女のマネージャーが二人でやってくる予定になっている。
約束の二十分前に到着し店内へ入っていくと、黒の蝶ネクタイとベストを着用した若い男性スタッフに声をかけられたので予約の旨と名前を告げた。
品のある笑顔が印象的な店員の後を追い、辿り着いた個室の前。
丁寧な所作で眼前の扉が開かれる。
自分の心臓が微かに震えたことには気づかないふりをした。
部屋の中はがらんどうでまだどちらの姿もない。
美しい角度で腰を折り曲げたスタッフに会釈を返し、ぱたりと希薄な音を鳴らして閉ざされた扉の内側で、なんとなくおいてけぼりを食らったような気分になる。
ここは店の入り口から最奥にある部屋で、防音が施されていた。お忍びで訪れる有名人もいると聞く。
証明は明るすぎず暗すぎない。ベージュを基調としたモダンな空間の中央に構えているのは回転皿付きのラウンドテーブル。
彼女に会ったら、何を言おう。
やっぱりまずは『お久しぶりです』とか『お元気でしたか?』かな? なんて常識の範囲内な挨拶しか思い浮かばず、もう少し気の利いた言葉はないものかと脳内の引き出しをまさぐる。
なまえさんは、名前を名乗らなくても俺だと気付いてくれるだろうか。もしかしたらとうに忘却の彼方へ葬られている可能性もあるんじゃないか。
そんな想いを巡らせながら、ふと、俺は何を考えているのだと唐突に呆れた。
忘れてはいけない。今日は"仕事"でここに来ているのだということを。
初顔合わせはこれから円滑に事を進めていくための大切な一歩なのだから。
「こちらになります」
さきほどと同じ男性スタッフの声が扉のすぐ向こう側から耳に届いた。
次の瞬間、固い床を踏む靴音がゆらりと空気を揺らした気がした。
「みょうじなまえのマネージャーをしております、
先に姿を見せたのは、彼女のマネージャーの盛川さんという男性だった。
挨拶を交わしながらの名刺交換。
サラリーマンの生態マニュアルに沿った行動を一部分済ませると、彼は左腕に巻かれた時計を気にするように目線を下げた。
「申し訳ございません。みょうじは少し遅れるそうです。なんでも渋滞にはまってしまったようでして…」
眉を下げ、盛川さんがすまなそうに腰を屈める。
「渋滞ですか。店の場所はご存じで?」
「ええ、たぶん、問題はないかと」
"たぶん"は気に止めなかった。
それならばら仕方ないと、俺達は先にテーブル席へと腰を落ち着けた。適当な世間話でもしていればそのうち彼女もやってくるだろう。
盛川さんは雰囲気も穏やかで、まさに【良い人】のお手本という感じの人だった。
少し気の弱そうなところもあるが、話題が豊富で話しやすく会話にも花が咲く。
約束の時間から三十分が過ぎる頃になり、いまだ姿を見せない彼女を心配してか、盛川さんが携帯電話を取り出した。確かに、向かっていると言っていたわりに少し遅すぎるかもしれない。
彼の耳元に当てられた携帯電話からはコール音が漏れ、盛川さんは少ししてから出ないですね…と呟いた。
「お忙しいのにすみません」
「いえ、僕は大丈夫ですよ。今日はこのまま直帰ですし。それよりみょうじさんが心配ですね。何かあったんでしょうか?」
あの頃のままだった
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