* * *
「え···みょうじなまえさんを、ですか?」
予算の見直しを交渉するため再び青春堂を訪れた俺は、クライアントの急な発言に思わず言葉を詰まらせた。
「前回のご希望は人気急上昇中の若手女優さんでしたよね? なぜ突然みょうじさんに?」
青春堂は、CM出演依頼の希望を突如なまえさんに変更してきたのだ。
「うん。俺がファンだから」
るん、というご機嫌な擬音を背後に振り撒く担当者。冗談だろ? とツッコミたくなった衝動にどうにか蓋をしてみせる。
一呼吸置いて気を落ち着かせ、俺は一旦状況を冷静に飲み込むことに努めた。なんにせよ、もう少し明確な理由がほしいところだ。
「失礼を承知で申し上げますが、現在みょうじなまえさんの日本での知名度は無いに等しいと認識しております。音楽業界では有名な方なのでしょうが」
商品は世間の若い世代をターゲットとしている。正直、知名度のない人物が一般的な消費者に受け入れられるかどうかということに関しては疑問を感じる、と主張した。
これは、ビジネスなのだ。消費者の購入意欲を掻き立てるための宣伝広告。どんなに良い商品も、人の目に触れなければ手に取ってもらうことも叶わない。認知度を上げ、確実に結果に繋げる。そのためには人選こそ重要になってくる。
「確かに今はそうかもしれないね。けど彼女、これから日本中心で活動していくのに事務所に入ったらしいじゃない。女優やモデルではないけれど、華のある子だ。知名度も上がると思うんだよね。商品のコンセプトにイメージも合ってるし、こちらもピアニストを起用するのは初の試みってことで話題になるんじゃないかと踏んでの決断なんだけど」
先程とはうって変わって、クライアントは真面目な顔付きでそう語る。冗談ではなく、本気で彼女を推してきている。
彼の言うことも一理ある。
もともと名の知れた人物よりも、例えば売り出し前の新人を起用しタレントの知名度共々商品の売り上げを伸ばす戦略。
特に、夏の清涼飲料などは商品のフレッシュさと新人を掛け合わせてオーディションで選出されたりもする。だが下手をすれば空振りに終わる可能性もなきにしもあらず。人選ミスは失敗に繋がる恐れあり。
これは、大きな賭けになる。
「なまえちゃんをCMに!?」
口に含んだビールを盛大に吹き出した黒尾さんがたまげたといった様子で目を丸くした。
俺は反射的に自分の手元にあったおしぼりを黒尾さんに差し出す。
ワイシャツの胸もとが少し濡れたが問題はない程度のものだろう。
汚れると面倒なジャケットは早々に身体から解き放たれていたので、余計な心配はせずに済んだ。
しかしビールを噴き出す反応は、あながち大袈裟…とも言えない。
「これ、預かってきたなまえさんのプロフィールと資料です」
まだジョッキビールとお通ししか並んでいないテーブルの中央に、俺は開いた軽量型ノートパソコンを置いた。黒尾さんと二人で飲む時は仕事の話になってしまうことも多いため、大抵今日のような個室付きの飲み屋を利用することが多い。
乾杯後豪快に流し込む予定だったろう黒尾さんのビールは吹き出した分しか減らず、真剣な面持ちで資料を眺める黒尾さんの隣でしゅわしゅわと泡だけを消していく。
「…これはっ!!」
「! なんですか!?」
「なぁんだよ~。スリーサイズ非公開じゃね~の~」
「……あの、真面目に見てください」
「ウヒャヒャ、見てる見てる」
俺は笑う黒尾さんにジトリとした視線を向けた。が、それを最後に黒尾さんはおふざけをする様子もなく黙々とパソコンに集中している。
顔色は別段変えず、リズミカルにタッチパッドの上で指先を滑らせる。
しばらくして、静かにパソコンが閉ざされた。
「なーるほどね。まあ状況はだいたい呑み込めた」
返ってきたUSBメモリーを鞄に戻し、俺は黒尾さんから続く言葉を待った。
「赤葦」
「はい」
「明日にでもアポをとってくれ」
「"セイントミュージック"にですか?」
酒と魚とまじめな話
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