意見が別れた。
CMで流す楽曲をどれにするのか。クライアントの青春堂、各制作会社の担当者が集うその中に、黒尾さんと俺はいた。
決めかねているのは三曲目と十一曲目。
三曲目はとある洋楽をクラシック調にアレンジしたピアノバージョンだ。こちらは楽曲制作会社が特に強く希望しているもので、しかしカバー曲ではなく真新しいもので固めたいと主張する青春堂サイドが、著作権の問題等で少々手続きに費用や手間がかかることも含めて渋っている状況だった。
「……あの、良いでしょうか」
思いのほか意見は平行線で時間が押してきたこともあり、疲弊しはじめた空気の流れを変えようと輪の中へ滑り込む。
恐縮ではございますが、と冒頭でへりくだり、自分は十一曲目を改めて推薦しますと楽曲制作会社の担当者に率直に伝えた。
それから互いの主張を簡潔にまとめ、その上で、今回の商品のコンセプトや映像の雰囲気、既存の楽曲よりも新しい風を取り入れるメリット、ターゲットの年齢層etc.。これらを踏まえ、今回はクライアントである青春堂の希望を聞き入れてみませんかと意見する。
俺はあの日持ち帰ったCDサンプルで何度もなまえさんの作曲したものを聴いていたので、三分弱の曲の中でもどの章のメロディーを映像と照らし合わせたらイメージと合うのかが自然とシミュレーションできていた。
もちろんその決定権は自分にはない。なのであくまでもプランの域を飛びたさない程度の提案。
思いの丈をすべて伝え終わると、シン…としていた会議室に笑いが起こった。
「ハハ! いや、なんか静かなる情熱って感じだったよ」
「赤葦くんてそんなにしゃべる人だった?」
「うん…まあ……赤葦くんがそこまで推すなら」
根負けしたという表情で、楽曲制作会社の男性担当者が肩を落としつつも笑った。そして、「赤葦くんはみょうじさんの大ファンなんだね」と柔らかな微笑みを向けてくる。
俺は少々気恥ずかしくなったのを誤魔化すように、
「そうですね、もう、ずっと前から」
と微笑み返した。
「今日は随分と熱が入っていたようだねぇ、赤葦クン」
帰り道、黒尾さんがご機嫌な足取りで歩み寄ってくる。
「青春堂とセイントミュージック側の希望でもありましたから」
「ま、なんにせよ結果オーライだな」
「まだ決定したわけではないですけどね。最終的に青春堂の上層部に承認していただかないと」
「問題ねぇだろ。今回は担当の光石がほぼ一任されてるみてぇだし」
季節は日に日に冬への距離を縮めていく。夜は吹く風が冷たくて、昔なまえさんにもらった手袋がクローゼットの奥に眠っていたことを思い出した。
「なぁなぁ赤葦、一杯飲んでかねー?」
駅周辺は飲み屋街になっている。
本日は花の金曜日。サラリーマンとおぼしきスーツを着た人達が続々と居酒屋へ吸い寄せられていく。
「今日は止めておきましょうよ黒尾さん。明日はバレーの日じゃないですか」
「おぉ! そーだった!」
「まさか忘れてたんですか?」
「今朝まではちゃんと覚えてましたぁー」
「それ以降は忘れてたんですね」
そう。明日は久しぶりに、元ネコVS元フクロウでゲームをすることになっている。
来れるやつは来いと黒尾さんが集合をかけたのだ。既に何人かは来ることが決まっていて、孤爪もまた来るようだった。
「明日に備えて今日は大人しく帰りましょう」
携帯電話の着信が鳴ったのは、黒尾さんの「そーねー」という返事を聞いた後だった。ポケットから取り出して画面を見ると、そこには『なまえさん』の名前があった。
タイミングがいいと思う。
選曲の件に関してはまだ決定したとは言い切れず、最終的にgoサインが出てから正式にお伝えするとして、またバレーを観たいと言っていたなまえさんを明日のネコVSフクロウのゲームに招待してみようと思った。
今回はふたりきりの誘いではないし、なまえさんの昔馴染みも何人かいる。あまり神経質になりすぎなくても大丈夫だろう。
俺は逸る気持ちを抑えて通話ボタンを手早く押した。
「はい、赤葦です」
『……』
「……?」
無言だった。電話の向こう側からは物音も何も聞こえない。
どうしたんだろう?
不思議に思い、「なまえさん?」と彼女の名前を呼んでみる。
『────…』
ようやく耳に届いたそれは、なまえさんの震える呼吸音だった。
「……なまえさん?」
話しかけても返事はない。
嫌な予感がした。
「…泣いてます?」
駅のロータリーは多くの人間が行き交い、道行く人の邪魔にならぬよう隅に移動し脚を止める。そんな俺の行動に気づいて振り返った黒尾さんに目配せをして、ちょっとすみませんと右手を翳す。
『…けー、じくん、ごめ、急に電話』
「なまえさん? なにかありました? 今、どこです?」
『ごめ、なさ…。他に頼れる人が、つかまらなくて』
「それは問題ありませんから。落ち着いて、何があったのか説明できますか?」
「おい、どした」
黒尾さんも俺の傍までやってくる。
『……マンションの近くの、コンビニに、いるんだけど』
「コンビニ? なまえさんのマンションの近くですね?」
『私の、思い違いかもしれなくて…でも確かめられなくて…。警察への連絡も、迷ったんだけど…でも』
瞬間、空気がキン…とした。
今、彼女の身になにか危険な事が起きているのだと悟った。
なまえさんの口調からも混乱している様子が伝わる。
「すぐ、行きますから…。そこ、動かないでくださいね」
「赤葦。何かあったのか?」
「なまえさんが、」
経緯を説明すると、黒尾さんの眉間に深い皺が刻まれた。
今のやりとりだけでは詳細はわからない。けれど、一刻も早く彼女のもとへ行かなければと思った。
「とにかく俺、なまえさんのところへ行ってきます」
「待て赤葦、俺も行く。なんかあったときふたりのほうがいいだろ?」
近くにタクシー乗り場があったことを思い出し走り出そうとした俺の肩を黒尾さんが掴んだ。確かに状況を把握しきれていない今、黒尾さんが一緒なら心強い。
「──すみません…っ」
俺達はふたりで急遽タクシーに乗り込んだ。
夜のしらべ
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