久々に飯、外で食おうぜ。
そんな黒尾さんの誘いに乗って外へ出た午後一時。少し遅めのランチタイム。
澄みきった秋晴れの空の下、オーガニック野菜が美味いと評判の小洒落たお弁当屋で唐揚げ弁当とサラダを購入し、会社近くの大きな公園へと向かった。
昼食時間のピークは過ぎているせいか、広場に散らばる人の密度は薄かった。
弁当を広げるのに適度な場所を探していると、数メートル先に木製の丸テーブルと丸椅子を発見する。雨水などを遮るような屋根はなく、日々様々な天候に晒され続けているそれは経年劣化を感じさせたが、ビジネス街には珍しく緑の多いこの公園をどことなくノスタルジックに彩っていた。
「赤葦、午後の予定は?」
「打ち合わせがてら……なまえさんの出来上がったサンプルCDを受け取りに」
「ふーん。ま、頼むわ」
黒尾さんの購入したハンバーグ弁当の蓋が開かれ、デミグラスの濃厚な香りが風に流れて漂ってくる。
「んで、どうだったわけ? デートは」
デート……になるのかあれ。一応。
「別にどうもしませんよ?」
割り箸に加えた手の力を一旦緩めてから簡潔に答え、再度気を取り直して真っ二つに割る。ぱくり。唐揚げを一口で口の中に頬張る。
「その割には今日ちょいイラついてんね」
「──、」
ほどよくにんにくと生姜の効いた味を十分に堪能しきれないまま唐揚げが喉の奥に流れた。噛みきれなかった肉の塊が食道を通過する感覚に胸が少し痛くなる。
「……そうですか?」
確かに、俺は昨晩彼女にあんなことをしてしまった自分に対して苛立っていた。けれど普段通りに振る舞うよう努めていたし、逆に同期からは「いつもより覇気がある気がするけどなんかいいことでもあったの?」と聞かれたくらいだ。
こういう時、黒尾さんにはよく本音を見抜かれる。
二個目の唐揚げを割り箸で掴もうとしたのを、俺は止めた。
「自分の気持ちなんて、もっと簡単にコントロール出来ると思ってました」
ずっとそうしてきたのだ。
学校も、仕事も、バレーも。
───恋愛だって。
食事を終え喫煙場所へ向かった黒尾さんを待っている間も、犬を連れたお年寄りや大学生のカップルが目の前を通りすぎていくのをただ景色が機械的に移り変わっていくような気持ちで眺めていた。
一服を終えた黒尾さんが戻っきて丸椅子に腰かける。と同時に、黒尾さんは神妙な様子で口を開いた。
「なまえちゃんのあの彼氏さぁ、俺どっかで見たことあるってずっと思ってたんだけど、コレだわ」
差し出されたスマホに目を向ける。
画面に映し出されていたものは、とある経済雑誌だった。
表紙には、『時代を生き抜く若手経営者たち』という別段珍しくもない見出しが達筆なフォントで描かれていた。
いかにもやり手そうな。爽快とも、鬱陶しくとも取れるような。そんな笑顔を浮かべた三人組が載った経済雑誌。
「この雑誌が何か?」
さほど興味もない俺は、食後の穏やかな秋の気温が連れてくる睡魔を追い払おうとアイスの缶コーヒーに口付ける。
「この雑誌の37ページにあの男が載ってんデスよ」
「へえ、凄いですね」
そういえば飲食店を経営していると言ってたな。
「梶恭平? ってググっても出てくる。ま、これはどーでもいんだけど」
俺は少しだけ訝しげな顔で黒尾さんを眺めた。率先して見せてきたくせに、どうでもいいで切り捨てるとは、一体なんなんだ。
「こいつかなーり派手らしいよ?」
女遊び。
「─ゲホッ! ゲホッ! …っ、え?」
瞬間、飲み込んだアイスコーヒーが気管に入ってむせた。
しばらく咳き込み、ようやく治まってきたところで乱れた呼吸を整える。
なんてことを言っ…っ、空耳か? いや、確かに黒尾さんは言った。
「大丈夫か、赤葦」
「は、? なん、ですか……女遊び?」
つまりそれは、なまえさんの他にも女の人がいるかもしれないってこと、か?
「いや待ってください。それ、誰情報です?」
「黒尾さん情報」
「……」
「っていうのは嘘でー。マジだ。ツテのある知り合いから聞いた」
黒尾さんは顔が広い。
故に黒尾さんから耳にする情報は、濃厚な説が強い。
「……でも、あくまで噂ですよね?」
無糖の苦いブラックコーヒー。食道を通り損ねた液体は、呼吸の経路を狭めてイガイガ、苦味をなかなか消してはくれない。
「まぁねー。でも、火のない所に煙は立たぬって、よく言うだろ?」
根も葉もない噂というか、根がなくとも花は咲く、とも言いますけどね。
こういう又聞きした話をすんなり信じるものどうなのか、とは思うけど。
「こんな奴だって知ったら、 俺だったら取っちゃうねぇ~」
スマホを見つめながらそう言った黒尾さんの顔は無表情だったけれど、どこか軽蔑の、冷めた目をしていた。
そう。本当のところはわからない。が。
もし、それが本当だったなら……。
そうだな。
「俺も取っちゃう、──かな」
口が滑った。
心の中で賛同するだけのつもりだったのに。
「久々に出ちゃったねぇ。──ブラック赤葦」
「…その噂が本当だったら、ですけどね」
ニヤリと笑った黒尾さんに、俺は少し気まずい思いで一言そう言い足した。
あの頃のままではいられなかった
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