闇のとばり明けやらで

キッドが指定したのは週末の夜の公園だった。シンヤの住まいの近くで、おそらく彼に合わせて場所を選んでくれたのだろう。
遅れないように、とシンヤが5分前に待ち合わせ場所に到着すると、相手はすでに公園内にたたずんでいた。チェック・メイトよりは小柄なものの、超人に特有の筋肉がガッチリついた見事な逆三角形の体躯は、街路灯の白々と無機質な光に照らし出され、まるで古代の彫刻のようだった。
「キッドさん!」
シンヤの呼びかけにキッドは片手をあげてこたえた。
青地に白襟のシャツにサスペンダーと、ピッタリとフィットした白いパンツ。誰もが思い浮かべるテリー・ザ・キッドのいつもの装いだ。
「キミがシンヤかい?突然連絡してすまなかった」
「いいえ、大丈夫です」
「コレを、預かってきたんだ」
そういってキッドはパンツのポケットから小さくたたんだ布切れを取り出した。
差し出されたそれを、受けとったシンヤがハラリと広げれば、あの日「二人三脚でZEI!ZEI!」で憧れのチェック・メイトと走るときに、彼が額にしめた白いハチマキだった。汗とホコリで今ではうっすらと黒ずみ、茶色く変わった小さな血のシミがポツ、ポツとあった。
「あの時のハチマキなんだろう?リタイアしたあと、病院に運ばれるときにキミが忘れていったらしい」
「チェックは……これを持っていてくれたんですか?」
病院にかつぎ込まれとき、シンヤは疲労と痛みで意識が朦朧とした状態で、気がついたときには額のハチマキは姿を消していた。運ばれる途中か、あるいは治療の際に邪魔になる、と捨てられてしまったのだとばかり思っていた。
自分のせいでリタイアする羽目になったのに、彼はわざわざこれを持っていてくれたのだ。
うつ向いたまま口をつぐんでしまったシンヤにキッドは問いかけた。
「もしかしたらシンヤは、危険な目にあわされてチェックを恨んでいるのかい?」
「そんな、そんなことはありません、絶対に。チェックは悪くないんです、悪いのは全部ボクなんです。だからもう連絡しないほうがいいと思って」
「……そうか」
ふむ、とキッドは大きくため息をついた。それから顔を上げると公園の隅に向かって声をかけた。
「と、いうことらしいぞ。チェック」
その名前を聞いて、シンヤがハッと顔をあげた瞬間、街路樹の陰から赤い人影が姿を現した。
新世代超人チェック・メイトだった。
「だますような形になってしまってすまない。チェックから『キミと連絡がとれない』と相談を受けたんだ。もしも会いたくないようなら、ソレを渡して終わりにするつもりだった」
チェックは二人に歩み寄ると、かつてのパートナーにおだやかに呼びかけた。
「お久しぶりですね、シンヤ。身体の方は良くなりましたか?」
コクリ、とシンヤはうなずく。
「……ごめんよ、チェック・メイト。あの日、ボクが会場にいなければ、君は別のパートナーを選んで、もしかしたら優勝できてたかもしれないのに」
チェックは驚きで目をしばたたいた。
「なぜ今さらそんなことを言うのです、シンヤには何も責任などない」
「ううん、みんなにそう言われたんだ。自分でもそう思う。ボクみたいなグズでデブは君のファンになる資格なんてないんだ」
チェックはフルフルと頭をふった。
「……私には理解できない。誰かを好きになることになぜ資格が必要なのですか?超人オリンピックは、あくまでも超人ひとりひとりの名誉のために参加するものであって、誰かを助けるためのものではない。そうでしょう?キッド」
「ああ、そうだな」
事実「ビーチフラッグでイェイ!」において、競技を離脱して溺れていた子供を救出したキッドの行為でさえ、「勝利よりも大切なものがある」という彼の信念が判断基準になっていた。突きつめれば競技は純粋に彼らのためにあったのだ。
だのに、なぜシンヤが悪者にされ、彼自身も謂われなくそれを受け入れているのか。チェックは心底腑に落ちない様子だったが、キッドには何となく察しがついた。
他者に向かって送られる声援には「あなたは素晴らしい、あなたという存在を『私』は肯定している」という意味がこめられている。そこにはファン対象者を選択するという個人の意志がはたらいているため、ファン対象者が役割期待を果たせなければ、彼を選んだ個人の価値も損なわれることになる。
ネット掲示板で、シンヤを叱責しているというチェックのファンらは(恐らくは)チェックを愛するがゆえに、その責をシンヤに転嫁したのだ。

チェックは両の手をシンヤの肩におくと、静かに語りかけた。
「……悪魔超人だったころの私にとって、悔しさや恨みだけが勝つことへの原動力でした。だけど、声援をうけてリングに上がるということが、どれだけ心に勇気と誇りを与えてくれるのか、今回のオリンピックで初めて知ることができました。
シンヤ、私にはあなたが必要なのです。私を信じ、励まし、奮いたたせてくれる存在が」
「……チェック」
「だから、いまの自分が『チェック・メイトのファン』に相応しくないと思うのであれば、自分を変えてください。強くなってください、シンヤ」
「己(チェック・メイト)のために強くなれ」という傲慢で、だけどこの上なく無垢なその訴えを、シンヤはどう受け止めたのだろうか。
答えはすぐに判った。
彼はうつ向いていた顔を上げるとチェックの顔をじっと見つめて言った。
「ありがとう、チェック。ボク、変わる……変わってみせる。だから、待っててよ。必ずまたリングサイドに応援にいくから」
その言葉を聞いた瞬間、ネオンブルーの色をしたチェックの瞳は、暖かな陽光を浴びたように和らぎ、口もとには笑みが浮かんだ。
「ありがとう、シンヤ。その日がくるのを、私は楽しみに待っています」
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