闇のとばり明けやらで
闇のとばり明けやらで
小さな部屋。引き戸の向こうはキッチンと玄関ドア。いかにも独り者の住まいといった間取り。
蛍光灯が照らし出す室内にはマンガや雑誌が至るところに積みあげられ、壁際の棚にはフィギュアやプラモデルがズラリと並んでいる。部屋の片隅のテーブルにはノートパソコンが置かれていて、一人の青年がその画面をのぞき込んでいた。
オリンピック予選競技「二人三脚でZEI!ZEI!」を観戦していた者であれば、彼がチェック・メイトのパートナーをつとめた青年・シンヤであるとすぐにわかるだろう。怪我はすっかり癒えたのか、体のどこにも包帯など見当たらず、顔の血色もいい。しかし、そこに浮かんだ表情はどうにもさえないものだった。
どんよりとした目で見つめるモニタには、匿名のインターネット掲示板サイトが表示されている。
彼が閲覧中のスレッドでは、過日の超人オリンピックが話題になっており、気の毒なことにシンヤはそこでつるし上げ裁判の被告にされていた。
いわく
「チェック・メイトが負けたのはパートナーのデブが悪い。ジェイドのパートナーは女の子だったけどゴールしたのに」
女の子、というのは二階堂凛子を指しているのだろう。
その他には
「ギブアップするくらいなら、最初から参加するな」
「ファンなら苦しくてもガマンしてゴールまで選手を助けるべきだった」
などなど。
匿名掲示板の常で誰もが言いたい放題好きなことを書き捨てていく。そんな場所の投稿を気にしていたらキリがないが、掲示板をのぞくことが彼の数少ない趣味だった。退院後も、まず常駐していた掲示板をのぞいた。しかし、そこで彼は自分への誹謗中傷を目にしてしまう。書きこんでいる人間も、まさかチェック・メイトのパートナーをつとめた当人が閲覧しているとは思っていないのだろう。
それ以来シンヤは自分自身を責め、後ろ向きな自己確認をくり返していた。
本当なら、退院したらチェックと会うはずだった。それがとても楽しみで、怪我の痛みも全然苦にならなかった。だけど、みんなのいう通り、足手まといにしかならなかった自分にチェックに会う資格などないのだ。
シンヤがチェック・メイトの存在を知ったきっかけは、彼がまだd.M.pのメンバーとしてレックス・キングと共に「ナイト・メアズ」を名乗り、師・サンシャインと共に大阪城を襲撃した時だった。彼ら悪魔超人と新世代超人の戦いは「真昼の決闘」と題され、大阪ドームで大観衆のもとで行われることになった。超人格闘技の熱烈なファンだったシンヤはその催しに勇んで駆けつけ、そこでチェックの姿を初めて目にしたのだった。
その名の通りチェスを模したボディを持ち、キングを表す王冠をいただき、両肩からはナイトとルークの駒が顔をのぞかせている。涼やかな顔立ちのなかでひときわ目をひくネオンブルーの瞳と、身にまとった深紅のリングコスチュームがとても印象に残った。それはさながら彼のなかにひそむ冷静と情熱を思わせた。
その物腰は一見するととても柔らかで、観衆は彼に好印象を抱いた。しかし、新世代超人ガゼルマンが握手をもとめて差し出した手を、彼は力比べと勘違いし、渾身の力で握りつぶしてしまう。「握手」という行為そのものを知らなかったのだ。生まれてこの方、悪魔超人としての修行以外してこなかったため、チェックには他者と関わる術が全く身についていなかった。
さらに異質なのは試合開始直後、万太郎から攻撃を受けたにも関わらず平然としていたことだ。不審に思った万太郎が問えば「自分は生まれてこの方痛みを感じたことがない」と当たり前のように答えた。その証拠に彼は己の両足の関節を自ら外すことで、万太郎のかけた技・マンタローストレッチからあっさりと脱出してみせた。
試合の中盤、対戦相手の特異な性質に呆然自失し、なすすべもなくマットに縮こまる万太郎を、チェックは高笑いをあげて苛烈に攻め立てた。
その姿は王のように気高く、奔馬のように猛々しく、城塞のように堅牢で、彼の戦いぶりにシンヤはただひたすら圧倒かつ魅了された。
しかしその時、チェック・メイトが体現していたのは「悪の美学」というものでもなかった。
悪の美学と称される、または自称するものの殆どは、身の内の猥雑さや無理解、無思慮を「悪」という言葉で安易に塗り固めただけで、是正すべき問題を内包する何かでしかない。正義の対義語として悪を定義するならば、悪のなかに存在するのは美学ではなく正義と同質の真実だ。
老サンシャインはたしかに、悪魔超人の後継者としてチェック・メイトを育てようとしたけれど、それ以外の生き方を彼は知らなかった。悪魔超人の再興を弟子の成長に重ね合わせ、教導に心血を注いだ。そのあいだ、彼は徹頭徹尾「悪」であったが、そこに上述のような韜晦は一切含まれていなかった。チェック・メイトがそういう雑多なものに侵されずにいられたのはそれが理由だ。そして悪が内包する真実によって、彼はどこまでも無垢であり続けた。
そうして悪の繭のなかに包まれていた無垢が、キン肉万太郎との戦いを経てついに陽のあたる場所へ燦然と姿を現したのであった。
シンヤが大阪ドームのリングで見たのは、単なる正悪の角逐ではなく、その軋轢から生じたダイナミズムの具現化であった。
しかし、「痛みを知らない」というチェックの特性は、すなわち痛みを感じていることが常態となってしまい、肉体の異常を知らせる信号として機能していないという意味だった。
試合の後半、彼はそれを何度も師・サンシャインから指摘されていたが、疑うことを知らない無垢なる悪は己を過信し、忠告を無視した。度重なる負荷によりとうとうチェックの肉体は限界を迎え、右の膝蓋骨、じん帯、アキレス腱に甚大な損傷を負った。
そしてついに闘いは正義の――万太郎の勝利で決した。
試合後、すっかりチェックのとりこになったシンヤは、ネット掲示板サイトで同好の士と感動と興奮を分かち合った。そんな風に過ごしていると、素晴らしいもの、優れたものの一端に自分が属しているように感じられ、いつも彼の心は充足感で満たされた。
翌年になって、超人オリンピックが開催されること、正義超人に転身したチェック・メイトがモナコ代表としてそれに参加することを知った彼は、再びあの勇姿が見られると歓喜した。
そうして過日の結末を迎えたのだった。
ふと、気がつくとパソコンの時計は夜の十時をさしていた。そろそろ休もうか、とシンヤが考えていると彼のモバイルから着信音が鳴り響いた。
液晶画面に表示された発信者の番号は記憶にないものだった。
「……もしもし?」
「夜分に失礼。この電話はシンヤ君のもので間違いないかい?」
若くハリのある声。聞き覚えのあるような、ないような。
「そうですけど。それよりあなた、誰ですか?」
「すまない。テリー・ザ・キッド……といえばオレが誰だか判ってくれるかい?」
全く予想もしていなかった相手の名前を聞いて、シンヤの目が驚きに見開かれた。
チェックの相談をうけたキッドは、シンヤにはおそらく何らかの事情があるはずだから、まずはそれを明らかにするべきだと考えた。自分のモバイルの番号なら彼も知らないはずだから、最初の電話には出てくれるだろう。そう目算をたてて、こうして電話をかけたのだった。
「あなたの名前は知ってます。でもボクに何の用でしょうか」
声に緊張の色を感じるのは気のせいだろうか。
「オレの友達のチェック・メイトから、キミに渡してくれと預かっているものがあるんだ。大切なものらしい。突然ですまないが、一度、オレと会ってもらえないかな」
チェックは自分に何を渡そうとしているのだろう。がぜん、シンヤは興味がわいた。
「わかりました、いつですか?」
小さな部屋。引き戸の向こうはキッチンと玄関ドア。いかにも独り者の住まいといった間取り。
蛍光灯が照らし出す室内にはマンガや雑誌が至るところに積みあげられ、壁際の棚にはフィギュアやプラモデルがズラリと並んでいる。部屋の片隅のテーブルにはノートパソコンが置かれていて、一人の青年がその画面をのぞき込んでいた。
オリンピック予選競技「二人三脚でZEI!ZEI!」を観戦していた者であれば、彼がチェック・メイトのパートナーをつとめた青年・シンヤであるとすぐにわかるだろう。怪我はすっかり癒えたのか、体のどこにも包帯など見当たらず、顔の血色もいい。しかし、そこに浮かんだ表情はどうにもさえないものだった。
どんよりとした目で見つめるモニタには、匿名のインターネット掲示板サイトが表示されている。
彼が閲覧中のスレッドでは、過日の超人オリンピックが話題になっており、気の毒なことにシンヤはそこでつるし上げ裁判の被告にされていた。
いわく
「チェック・メイトが負けたのはパートナーのデブが悪い。ジェイドのパートナーは女の子だったけどゴールしたのに」
女の子、というのは二階堂凛子を指しているのだろう。
その他には
「ギブアップするくらいなら、最初から参加するな」
「ファンなら苦しくてもガマンしてゴールまで選手を助けるべきだった」
などなど。
匿名掲示板の常で誰もが言いたい放題好きなことを書き捨てていく。そんな場所の投稿を気にしていたらキリがないが、掲示板をのぞくことが彼の数少ない趣味だった。退院後も、まず常駐していた掲示板をのぞいた。しかし、そこで彼は自分への誹謗中傷を目にしてしまう。書きこんでいる人間も、まさかチェック・メイトのパートナーをつとめた当人が閲覧しているとは思っていないのだろう。
それ以来シンヤは自分自身を責め、後ろ向きな自己確認をくり返していた。
本当なら、退院したらチェックと会うはずだった。それがとても楽しみで、怪我の痛みも全然苦にならなかった。だけど、みんなのいう通り、足手まといにしかならなかった自分にチェックに会う資格などないのだ。
シンヤがチェック・メイトの存在を知ったきっかけは、彼がまだd.M.pのメンバーとしてレックス・キングと共に「ナイト・メアズ」を名乗り、師・サンシャインと共に大阪城を襲撃した時だった。彼ら悪魔超人と新世代超人の戦いは「真昼の決闘」と題され、大阪ドームで大観衆のもとで行われることになった。超人格闘技の熱烈なファンだったシンヤはその催しに勇んで駆けつけ、そこでチェックの姿を初めて目にしたのだった。
その名の通りチェスを模したボディを持ち、キングを表す王冠をいただき、両肩からはナイトとルークの駒が顔をのぞかせている。涼やかな顔立ちのなかでひときわ目をひくネオンブルーの瞳と、身にまとった深紅のリングコスチュームがとても印象に残った。それはさながら彼のなかにひそむ冷静と情熱を思わせた。
その物腰は一見するととても柔らかで、観衆は彼に好印象を抱いた。しかし、新世代超人ガゼルマンが握手をもとめて差し出した手を、彼は力比べと勘違いし、渾身の力で握りつぶしてしまう。「握手」という行為そのものを知らなかったのだ。生まれてこの方、悪魔超人としての修行以外してこなかったため、チェックには他者と関わる術が全く身についていなかった。
さらに異質なのは試合開始直後、万太郎から攻撃を受けたにも関わらず平然としていたことだ。不審に思った万太郎が問えば「自分は生まれてこの方痛みを感じたことがない」と当たり前のように答えた。その証拠に彼は己の両足の関節を自ら外すことで、万太郎のかけた技・マンタローストレッチからあっさりと脱出してみせた。
試合の中盤、対戦相手の特異な性質に呆然自失し、なすすべもなくマットに縮こまる万太郎を、チェックは高笑いをあげて苛烈に攻め立てた。
その姿は王のように気高く、奔馬のように猛々しく、城塞のように堅牢で、彼の戦いぶりにシンヤはただひたすら圧倒かつ魅了された。
しかしその時、チェック・メイトが体現していたのは「悪の美学」というものでもなかった。
悪の美学と称される、または自称するものの殆どは、身の内の猥雑さや無理解、無思慮を「悪」という言葉で安易に塗り固めただけで、是正すべき問題を内包する何かでしかない。正義の対義語として悪を定義するならば、悪のなかに存在するのは美学ではなく正義と同質の真実だ。
老サンシャインはたしかに、悪魔超人の後継者としてチェック・メイトを育てようとしたけれど、それ以外の生き方を彼は知らなかった。悪魔超人の再興を弟子の成長に重ね合わせ、教導に心血を注いだ。そのあいだ、彼は徹頭徹尾「悪」であったが、そこに上述のような韜晦は一切含まれていなかった。チェック・メイトがそういう雑多なものに侵されずにいられたのはそれが理由だ。そして悪が内包する真実によって、彼はどこまでも無垢であり続けた。
そうして悪の繭のなかに包まれていた無垢が、キン肉万太郎との戦いを経てついに陽のあたる場所へ燦然と姿を現したのであった。
シンヤが大阪ドームのリングで見たのは、単なる正悪の角逐ではなく、その軋轢から生じたダイナミズムの具現化であった。
しかし、「痛みを知らない」というチェックの特性は、すなわち痛みを感じていることが常態となってしまい、肉体の異常を知らせる信号として機能していないという意味だった。
試合の後半、彼はそれを何度も師・サンシャインから指摘されていたが、疑うことを知らない無垢なる悪は己を過信し、忠告を無視した。度重なる負荷によりとうとうチェックの肉体は限界を迎え、右の膝蓋骨、じん帯、アキレス腱に甚大な損傷を負った。
そしてついに闘いは正義の――万太郎の勝利で決した。
試合後、すっかりチェックのとりこになったシンヤは、ネット掲示板サイトで同好の士と感動と興奮を分かち合った。そんな風に過ごしていると、素晴らしいもの、優れたものの一端に自分が属しているように感じられ、いつも彼の心は充足感で満たされた。
翌年になって、超人オリンピックが開催されること、正義超人に転身したチェック・メイトがモナコ代表としてそれに参加することを知った彼は、再びあの勇姿が見られると歓喜した。
そうして過日の結末を迎えたのだった。
ふと、気がつくとパソコンの時計は夜の十時をさしていた。そろそろ休もうか、とシンヤが考えていると彼のモバイルから着信音が鳴り響いた。
液晶画面に表示された発信者の番号は記憶にないものだった。
「……もしもし?」
「夜分に失礼。この電話はシンヤ君のもので間違いないかい?」
若くハリのある声。聞き覚えのあるような、ないような。
「そうですけど。それよりあなた、誰ですか?」
「すまない。テリー・ザ・キッド……といえばオレが誰だか判ってくれるかい?」
全く予想もしていなかった相手の名前を聞いて、シンヤの目が驚きに見開かれた。
チェックの相談をうけたキッドは、シンヤにはおそらく何らかの事情があるはずだから、まずはそれを明らかにするべきだと考えた。自分のモバイルの番号なら彼も知らないはずだから、最初の電話には出てくれるだろう。そう目算をたてて、こうして電話をかけたのだった。
「あなたの名前は知ってます。でもボクに何の用でしょうか」
声に緊張の色を感じるのは気のせいだろうか。
「オレの友達のチェック・メイトから、キミに渡してくれと預かっているものがあるんだ。大切なものらしい。突然ですまないが、一度、オレと会ってもらえないかな」
チェックは自分に何を渡そうとしているのだろう。がぜん、シンヤは興味がわいた。
「わかりました、いつですか?」
