花筏(ウォーズマン夢小説)
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朝食のあとで、ウォーズマンと彼女は予定どおり花見をしようと家をでた。二人はしばらく歩いて、ちいさな川のへりにでた。空気は澄んでいたけれど、温かな陽ざしにも関わらず、意外なほどヒンヤリとしていた。
それは日曜日ののどかな雰囲気にはまるで不似合いで、彼女にチグハグな感じを抱かせた。そして彼女のとなりを歩くこの黒い超人にも、どことなくそれに通じるものがあった。おだやかで、だけど時おり感じる冷たい心の壁。まるで他者を近づけまいとするような。しかしそれは、けして相手を厭うがゆえのものでない。
ウォーズマンの半生には、身を切るような別れや耐えがたい孤独があり過ぎた。それらは抱えつづけていくにはあまりにも重く、けれどそのなかに分かちがたく混ざりあった温かな思い出がいくつもあり、どうしてもそれを捨てることができなかった。だから彼は心を凍らせ、すべての過去を抱えて生きる道をえらんだ。そしてウォーズマンは、その選択を万人が理解できるわけではないということもまたよく理解していた。彼が心に壁を設けたのは、そんな無理解ゆえに生じる齟齬を避けるためだった。
彼女はそのことを、きちんと理解していた。
二人は川べりをしずかに歩きつづけた。川の流れにそって、桜並木がえんえんと続いている。木々はどれも年ふりて、節くれだったふとい幹から生え分かれた枝々は、今にも折れそうなほど薄桃の花房をあまたにかかえている。あたりは静まりかえり、時おり頭上の枝で鳴きかわす小鳥たちの声がひびくのみだった。いまこの瞬間がウォーズマンにはこの上なく稀有な出来事のように感じられた。
冬が去り、春が来て、暖かくなって花が咲く。ただそれだけのことなのに。
「キレイだね」
「ええ、心が洗われるよう」
川面には雨滴に耐えきれずに散った無数の花弁が漂っていた。まるでカーペットのように水面をおおいつくし、ゆらゆらと流れてゆく。
そのさまはウォーズマンにかつての故郷の景色を思い起こさせた。春の訪れとともに、冬の寒さで凍っていた川が溶け、くだけた氷のかけらはぐるぐると水面をまわりつつ、流れくだっていく。母を亡くしたあと、ウォーズマン――ニコライは、春がおとずれるたびにその様子を眺めながら「自分も一緒に連れていってくれないだろうか」と、いつも考えていた。
「……なにか考えてる?」
「いや、べつに」
本当のことを話せば、彼女は哀しみに眉をひそめるだろう。優しいひとだから。
彼女は見すかすようにウォーズマンの顔をのぞきこんが、次の瞬間、プッとちいさく吹きだした。そうしてその仕草にウォーズマンが戸惑ううちに、クスクスと笑いはじめる。ウォーズマンは、自分はなにかヘマをしたのだろうかと、うろたえた。
「ど、どうしたんだい?」
「ニコ、あなた、桜の花びらがついてる」
「え!?」
ウォーズマンの黒いヘルメットには、樹上から散り落ちたいくつもの花弁がペッタリと貼りついていた。雨に濡れていたせいで風にさらわれることもなく、艶々ときらめくヘルメットのうえで、ぬくぬく陽光を浴びている。
「……まいったな」
とっさにウォーズマンは払いおとそうとしたが、もちろん当人には見えてはおらず、その手は見当違いの場所をぬぐうばかりだった。
「ほら、こっちにきて」
そう言って彼女は彼を自らのほうへ招くと、ヘルメットに点々と散らばった花弁をていねいに取りのぞいた。
「はい、キレイになった」
「あ、ありがとう」
ウォーズマンは照れた口ぶりで礼を言った。仮面をかぶった彼でなければ、きっとその顔面は朱にそまっていただろう。だけど、もうずっと彼とつき合っている彼女にとっては、文字通り鉄仮面の彼がすっかり恥じ入って顔を赤らめているように見えている。
「ファイティング・コンピュータも、形無しね」
彼女は相手の頬をそっと指でなでた。やわらかなそのほほ笑みに、ウォーズマンの心があたたかなもので充たされていく。彼は彼女の手をとると、両手でそっと包みこんだ。
細い指。少しでも力をこめたら、小枝のようにあっけなく折れてしまいそうだ――いつか時の流れが彼女を連れていってしまうだろう。だけど今はまだその時ではない。
「……来年も桜が咲いたら君とここを歩きたい。来年だけじゃなく、ずっと」
「そうしましょう、来年も再来年もね」
うちあけ話のようなささやきにこめられた想いの丈を、彼女はすっかり理解していた。
そして、低くかすれたその声をさらわずにいてくれた春風に感謝しながら、願っていた。
こんな毎日が、いつまでも続きますようにと。
end
(書き下ろし 2025.04.06)
それは日曜日ののどかな雰囲気にはまるで不似合いで、彼女にチグハグな感じを抱かせた。そして彼女のとなりを歩くこの黒い超人にも、どことなくそれに通じるものがあった。おだやかで、だけど時おり感じる冷たい心の壁。まるで他者を近づけまいとするような。しかしそれは、けして相手を厭うがゆえのものでない。
ウォーズマンの半生には、身を切るような別れや耐えがたい孤独があり過ぎた。それらは抱えつづけていくにはあまりにも重く、けれどそのなかに分かちがたく混ざりあった温かな思い出がいくつもあり、どうしてもそれを捨てることができなかった。だから彼は心を凍らせ、すべての過去を抱えて生きる道をえらんだ。そしてウォーズマンは、その選択を万人が理解できるわけではないということもまたよく理解していた。彼が心に壁を設けたのは、そんな無理解ゆえに生じる齟齬を避けるためだった。
彼女はそのことを、きちんと理解していた。
二人は川べりをしずかに歩きつづけた。川の流れにそって、桜並木がえんえんと続いている。木々はどれも年ふりて、節くれだったふとい幹から生え分かれた枝々は、今にも折れそうなほど薄桃の花房をあまたにかかえている。あたりは静まりかえり、時おり頭上の枝で鳴きかわす小鳥たちの声がひびくのみだった。いまこの瞬間がウォーズマンにはこの上なく稀有な出来事のように感じられた。
冬が去り、春が来て、暖かくなって花が咲く。ただそれだけのことなのに。
「キレイだね」
「ええ、心が洗われるよう」
川面には雨滴に耐えきれずに散った無数の花弁が漂っていた。まるでカーペットのように水面をおおいつくし、ゆらゆらと流れてゆく。
そのさまはウォーズマンにかつての故郷の景色を思い起こさせた。春の訪れとともに、冬の寒さで凍っていた川が溶け、くだけた氷のかけらはぐるぐると水面をまわりつつ、流れくだっていく。母を亡くしたあと、ウォーズマン――ニコライは、春がおとずれるたびにその様子を眺めながら「自分も一緒に連れていってくれないだろうか」と、いつも考えていた。
「……なにか考えてる?」
「いや、べつに」
本当のことを話せば、彼女は哀しみに眉をひそめるだろう。優しいひとだから。
彼女は見すかすようにウォーズマンの顔をのぞきこんが、次の瞬間、プッとちいさく吹きだした。そうしてその仕草にウォーズマンが戸惑ううちに、クスクスと笑いはじめる。ウォーズマンは、自分はなにかヘマをしたのだろうかと、うろたえた。
「ど、どうしたんだい?」
「ニコ、あなた、桜の花びらがついてる」
「え!?」
ウォーズマンの黒いヘルメットには、樹上から散り落ちたいくつもの花弁がペッタリと貼りついていた。雨に濡れていたせいで風にさらわれることもなく、艶々ときらめくヘルメットのうえで、ぬくぬく陽光を浴びている。
「……まいったな」
とっさにウォーズマンは払いおとそうとしたが、もちろん当人には見えてはおらず、その手は見当違いの場所をぬぐうばかりだった。
「ほら、こっちにきて」
そう言って彼女は彼を自らのほうへ招くと、ヘルメットに点々と散らばった花弁をていねいに取りのぞいた。
「はい、キレイになった」
「あ、ありがとう」
ウォーズマンは照れた口ぶりで礼を言った。仮面をかぶった彼でなければ、きっとその顔面は朱にそまっていただろう。だけど、もうずっと彼とつき合っている彼女にとっては、文字通り鉄仮面の彼がすっかり恥じ入って顔を赤らめているように見えている。
「ファイティング・コンピュータも、形無しね」
彼女は相手の頬をそっと指でなでた。やわらかなそのほほ笑みに、ウォーズマンの心があたたかなもので充たされていく。彼は彼女の手をとると、両手でそっと包みこんだ。
細い指。少しでも力をこめたら、小枝のようにあっけなく折れてしまいそうだ――いつか時の流れが彼女を連れていってしまうだろう。だけど今はまだその時ではない。
「……来年も桜が咲いたら君とここを歩きたい。来年だけじゃなく、ずっと」
「そうしましょう、来年も再来年もね」
うちあけ話のようなささやきにこめられた想いの丈を、彼女はすっかり理解していた。
そして、低くかすれたその声をさらわずにいてくれた春風に感謝しながら、願っていた。
こんな毎日が、いつまでも続きますようにと。
end
(書き下ろし 2025.04.06)
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