テキサス・サンライズ(キン肉マン二次小説)
陽はまた昇る (日本時間:12月3日21:00-テキサス:12月3日5:00)
テリーマンはもう乞い願うことも嘆き悲しむこともせず、ただひたすら脳裏に浮かぶナツコの姿を追いかけていた。
喜怒哀楽をハッキリと顔にだし、思ったことは臆せず口にする男勝りの美人記者、それが彼女の第一印象だった。
奥ゆかしいことがまだまだ美徳とされていた当時の日本人女性のなかでは、ずいぶん稀有な性質で、だからそれだけ彼の眼にナツコはスペシャルな女性として映っていた。
『テキサス・ブロンコ』の二つ名を持つことからも判るように、旺盛なファイティングスピリットがテリーマンの最大の持ち味だ。
それは数えきれないくらいの勝利を彼にもたらしたが、同時にしばしば落命の危機も負った。
瀕死の重症で何日も意識不明のまま、病院のベッドに横たわったことも一度や二度ではない。
そんな時、ナツコは貝のように押し黙り、ただひたすら病床に寄り添って彼の顔を見つめていた。
いや、正しくは見つめていた、と周囲から何度も聞いた。
まさに今の彼のように。
信じて待つ――ただそれだけのことが、こんなにも辛くもどかしいということを、テリーマンは今夜初めて知った。
そして目の前の女性が自分にとって、どれだけかけがえのない存在なのかということも。
それはそろそろ曙光が差しはじめるという頃だった。
不幸がふいに訪れたように奇跡もまたふいに訪れた。ほんのわずかの瞬きから、ゆっくりとまぶたが開き、きれいな、テリーマンがこの上なく愛している黒い瞳が顔をのぞかせた。ナツコはかぼそい声で呼びかけた。
「テリー」
テリーマンは気づかないうちにうたた寝をしていたがすぐに飛び起き、自分に向けて差し伸べられた小さな手をそっと握りしめた。
「ナツコ……!」
彼女は呼びかけにこっくりとうなずいた。
「私はもう大丈夫。……行って、日本へ」
細くかすれた声だが口ぶりはしっかりとしていた。何よりナツコの眼差しは元気な時とまったく変わらず、いや、病床にあってなお凛と光をたたえ、ガッシリとテリーマンの眼を見据えていた。はかなく揺らめき消えかけていたテキサス・ブロンコのファイティングスピリットが、その光を受けて糧を投じられた熾火のごとく再び勢いよく燃え上がった。彼の左右の上腕にある、精髄ともいうべき五芒星が闇夜を照す光のように輝きを放つ。
「愛してるよ、ナツコ。オレは日本に行ってくる!」
ナツコと同じ光を瞳にたたえてテリーマンは立ち上がった。
覚悟は決まった。
ICUから出てきたテリーマンの様子に、バッファローマンとウォーズマンは事態が好転したことをすぐに悟った。
「バッファローマン、ウォーズマン、ナツコが目を覚ました。行こう、日本に」
「良かったな、テリー!」
「本当に良かった!」
「ああ、心配をかけてすまなかった。まだ容態が心配だが『日本へ行ってこい』と言われたよ」
「行こう、ナツコさんの気持ちを無駄にしないように」
現在時刻は12月3日、まもなく朝の5時になろうとしていた。
日本は同じ12月3日の夜の9時前後だろう。
普通旅客機でテキサスから日本までの所要時間はおよそ15時間。ただしアマリロから空港までの移動や手続き、着いた後に同様に要する時間は加味していない。
今から出立して果たして間に合うのか。
一度牧場に戻り、そこで今後のことを決めようと三人は慌ただしく帰り着いたが、フライトのタイムテーブルを確認したテリーマンはガクリと肩を落とした。これから出発しても、一番早い便が昼近くだった。
どう逆立ちしても日本時間12月4日夜6時に神奈川県川崎市の等々力陸上競技場には間に合いそうにない。
「あークソッ!何とかなんねえのか!!」
バッファローマンはガシガシと頭をかきむしった。
なにか、なにか手段はないものか。たとえば航空会社になにがしかの便宜をはかってもらうとか。
1980年代はモバイルはもちろんのこと、電子メールはおろか民間人がwww(ワールドワイドウェブ)にアクセスする機会も手段もない時代だった。誰と交渉するにせよ、電話や対面しか手段はないし、残された時間から逆算すれば選択の機会は恐らく一度しかないだろう。
その時、じっと考え込むように立ち尽くしていたウォーズマンが二人に向き直った。
「日本までの移動手段、リスキーだけどオレにひとつ考えがある」
「ホントか!?」
「さすがファイティング・コンピューター!」
しかし、ウォーズマンの提示した内容にバッファローマンとテリーマンは驚愕した。
彼ら三人だからこそ選択可能で、シンプルかつ誰の意向も関与しない移動方法。
それは『日本まで自力で飛行する』だった。
「現在時刻12月3日8:00、日本時刻12月4日24:00。ここから会場まで直線距離で約10000キロ強。18時間が猶予として、時速560キロ以上で飛行
出来れば試合開始時刻までに現地に到着することは不可能じゃない」
九々をそらんじる小学生のようにスラスラと告げるウォーズマン。その内容、行程のハードさにバッファローマンとテリーマンは絶句した。
大抵の超人は飛行能力を有している。
しかしいつの頃からか彼らは飛行することを止めた――いや、止めざるを得なかった。
人類が動力などを利用して飛行を始めておよそ100年。かつて職業能力者や特権階級だけに許されていた航空機による移動手段は、二十世紀になってようやく一般人も利用できるようになりつつあった。比例して空の密度はあがり、それにともない秩序を形成するための取り決めや約束事がおびただしいほど発生した。そこにおいてマイノリティである超人の権利や主張が尊重されることはなく、ただ一方的に制約ばかりを課せられ――結果、超人は自らの能力で空を飛ぶことを止めた。
ウォーズマンは自分の提案に何のリアクションも返ってこなかったので「どうかな?」と小首をかしげた。
「……マジかよ、飛行許可はどうすんだ」
「仕方ないよ、緊急事態だもの」
「ユーらしくない」
「オレのスタイルより今はタスクを達成することのほうが重要じゃないか?」
「それは……そうだか」
(ヤバい、テリーはもうその気だ)
バッファローマンはテリーマンを一目し、すぐ彼の心中を察した。しかし反対するわけではないがあまりにもリスクが高すぎないか。
「体力の限界ギリギリで飛行したら、向こうに着いてもまともに試合なんか出来る状態じゃねえぞ」
「それについては考えがあるんだ。テリーマンとバッファはオレのすぐ後ろについて飛行してもらう」
「スリップストリームか!」
スリップストリームは高速移動する物体の後方に空気流が発生する現象だ。
後続する物体の加速を助け、スタミナの消耗を減少させる。
「うん、それでいくらかは消耗を防げる。気休めかもしれないけど」
「待て、それなら一番デカいオレが先頭を飛ぶ。そうすればお前らの消耗が減らせるだろ」
「気遣いはありがたいけど、先頭はオレでないと務まらないんだ。既存の航空路と交差せず最低高度より低いルートを算出できるのはオレだけだから。データベースはココだしね。」
ウォーズマンは自分の側頭部を人差し指でトントンと叩いた。
「ウォーズ……」
「それにオレはレーダーで障害物の探知も少しならできる。だけど時速500キロの飛行中に情報伝達はできないよ、例えば前方から飛行物体が接近しているから回避行動を取れ、とかさ」
全て彼の言う通りだ。
「けどよぉ」
バッファローマンは心配なのだ、彼がソビエト連邦出身の超人だから。
当時冷戦は終わりつつあったが、ペレストロイカは始まったばかりで、米ソの間にはまだまだ根深い緊張感があった。
超人界のソビエト連邦代表ともいえるウォーズマンが、アメリカ合衆国の顔ともいえるテリーマンに会うために渡米したことさえ、公になれば眉をしかめるものが少なくないだろう。加えてウォーズマンは軍のラボラトリー出身だ。
もしも無断飛行が発覚したら、単純に航空法違反だけでは済まないかもしれない。
「いいんだ、ここへは自分の意思で来た。
だから最後までそれを貫く。
バッファの心配してることが現実になったら……そうだなあ、そうなったら情熱の国にでも住もうかな」
最後は冗談めかし、肩をすくめて笑ってみせた。
みなまで言わずともバッファローマンが何を危惧しているのかウォーズマンは判っているのだろう。
これ以上言葉も気遣いもいらない――なにもかも吹っ切れたような、そんな笑顔だった。
テリーマンはもう乞い願うことも嘆き悲しむこともせず、ただひたすら脳裏に浮かぶナツコの姿を追いかけていた。
喜怒哀楽をハッキリと顔にだし、思ったことは臆せず口にする男勝りの美人記者、それが彼女の第一印象だった。
奥ゆかしいことがまだまだ美徳とされていた当時の日本人女性のなかでは、ずいぶん稀有な性質で、だからそれだけ彼の眼にナツコはスペシャルな女性として映っていた。
『テキサス・ブロンコ』の二つ名を持つことからも判るように、旺盛なファイティングスピリットがテリーマンの最大の持ち味だ。
それは数えきれないくらいの勝利を彼にもたらしたが、同時にしばしば落命の危機も負った。
瀕死の重症で何日も意識不明のまま、病院のベッドに横たわったことも一度や二度ではない。
そんな時、ナツコは貝のように押し黙り、ただひたすら病床に寄り添って彼の顔を見つめていた。
いや、正しくは見つめていた、と周囲から何度も聞いた。
まさに今の彼のように。
信じて待つ――ただそれだけのことが、こんなにも辛くもどかしいということを、テリーマンは今夜初めて知った。
そして目の前の女性が自分にとって、どれだけかけがえのない存在なのかということも。
それはそろそろ曙光が差しはじめるという頃だった。
不幸がふいに訪れたように奇跡もまたふいに訪れた。ほんのわずかの瞬きから、ゆっくりとまぶたが開き、きれいな、テリーマンがこの上なく愛している黒い瞳が顔をのぞかせた。ナツコはかぼそい声で呼びかけた。
「テリー」
テリーマンは気づかないうちにうたた寝をしていたがすぐに飛び起き、自分に向けて差し伸べられた小さな手をそっと握りしめた。
「ナツコ……!」
彼女は呼びかけにこっくりとうなずいた。
「私はもう大丈夫。……行って、日本へ」
細くかすれた声だが口ぶりはしっかりとしていた。何よりナツコの眼差しは元気な時とまったく変わらず、いや、病床にあってなお凛と光をたたえ、ガッシリとテリーマンの眼を見据えていた。はかなく揺らめき消えかけていたテキサス・ブロンコのファイティングスピリットが、その光を受けて糧を投じられた熾火のごとく再び勢いよく燃え上がった。彼の左右の上腕にある、精髄ともいうべき五芒星が闇夜を照す光のように輝きを放つ。
「愛してるよ、ナツコ。オレは日本に行ってくる!」
ナツコと同じ光を瞳にたたえてテリーマンは立ち上がった。
覚悟は決まった。
ICUから出てきたテリーマンの様子に、バッファローマンとウォーズマンは事態が好転したことをすぐに悟った。
「バッファローマン、ウォーズマン、ナツコが目を覚ました。行こう、日本に」
「良かったな、テリー!」
「本当に良かった!」
「ああ、心配をかけてすまなかった。まだ容態が心配だが『日本へ行ってこい』と言われたよ」
「行こう、ナツコさんの気持ちを無駄にしないように」
現在時刻は12月3日、まもなく朝の5時になろうとしていた。
日本は同じ12月3日の夜の9時前後だろう。
普通旅客機でテキサスから日本までの所要時間はおよそ15時間。ただしアマリロから空港までの移動や手続き、着いた後に同様に要する時間は加味していない。
今から出立して果たして間に合うのか。
一度牧場に戻り、そこで今後のことを決めようと三人は慌ただしく帰り着いたが、フライトのタイムテーブルを確認したテリーマンはガクリと肩を落とした。これから出発しても、一番早い便が昼近くだった。
どう逆立ちしても日本時間12月4日夜6時に神奈川県川崎市の等々力陸上競技場には間に合いそうにない。
「あークソッ!何とかなんねえのか!!」
バッファローマンはガシガシと頭をかきむしった。
なにか、なにか手段はないものか。たとえば航空会社になにがしかの便宜をはかってもらうとか。
1980年代はモバイルはもちろんのこと、電子メールはおろか民間人がwww(ワールドワイドウェブ)にアクセスする機会も手段もない時代だった。誰と交渉するにせよ、電話や対面しか手段はないし、残された時間から逆算すれば選択の機会は恐らく一度しかないだろう。
その時、じっと考え込むように立ち尽くしていたウォーズマンが二人に向き直った。
「日本までの移動手段、リスキーだけどオレにひとつ考えがある」
「ホントか!?」
「さすがファイティング・コンピューター!」
しかし、ウォーズマンの提示した内容にバッファローマンとテリーマンは驚愕した。
彼ら三人だからこそ選択可能で、シンプルかつ誰の意向も関与しない移動方法。
それは『日本まで自力で飛行する』だった。
「現在時刻12月3日8:00、日本時刻12月4日24:00。ここから会場まで直線距離で約10000キロ強。18時間が猶予として、時速560キロ以上で飛行
出来れば試合開始時刻までに現地に到着することは不可能じゃない」
九々をそらんじる小学生のようにスラスラと告げるウォーズマン。その内容、行程のハードさにバッファローマンとテリーマンは絶句した。
大抵の超人は飛行能力を有している。
しかしいつの頃からか彼らは飛行することを止めた――いや、止めざるを得なかった。
人類が動力などを利用して飛行を始めておよそ100年。かつて職業能力者や特権階級だけに許されていた航空機による移動手段は、二十世紀になってようやく一般人も利用できるようになりつつあった。比例して空の密度はあがり、それにともない秩序を形成するための取り決めや約束事がおびただしいほど発生した。そこにおいてマイノリティである超人の権利や主張が尊重されることはなく、ただ一方的に制約ばかりを課せられ――結果、超人は自らの能力で空を飛ぶことを止めた。
ウォーズマンは自分の提案に何のリアクションも返ってこなかったので「どうかな?」と小首をかしげた。
「……マジかよ、飛行許可はどうすんだ」
「仕方ないよ、緊急事態だもの」
「ユーらしくない」
「オレのスタイルより今はタスクを達成することのほうが重要じゃないか?」
「それは……そうだか」
(ヤバい、テリーはもうその気だ)
バッファローマンはテリーマンを一目し、すぐ彼の心中を察した。しかし反対するわけではないがあまりにもリスクが高すぎないか。
「体力の限界ギリギリで飛行したら、向こうに着いてもまともに試合なんか出来る状態じゃねえぞ」
「それについては考えがあるんだ。テリーマンとバッファはオレのすぐ後ろについて飛行してもらう」
「スリップストリームか!」
スリップストリームは高速移動する物体の後方に空気流が発生する現象だ。
後続する物体の加速を助け、スタミナの消耗を減少させる。
「うん、それでいくらかは消耗を防げる。気休めかもしれないけど」
「待て、それなら一番デカいオレが先頭を飛ぶ。そうすればお前らの消耗が減らせるだろ」
「気遣いはありがたいけど、先頭はオレでないと務まらないんだ。既存の航空路と交差せず最低高度より低いルートを算出できるのはオレだけだから。データベースはココだしね。」
ウォーズマンは自分の側頭部を人差し指でトントンと叩いた。
「ウォーズ……」
「それにオレはレーダーで障害物の探知も少しならできる。だけど時速500キロの飛行中に情報伝達はできないよ、例えば前方から飛行物体が接近しているから回避行動を取れ、とかさ」
全て彼の言う通りだ。
「けどよぉ」
バッファローマンは心配なのだ、彼がソビエト連邦出身の超人だから。
当時冷戦は終わりつつあったが、ペレストロイカは始まったばかりで、米ソの間にはまだまだ根深い緊張感があった。
超人界のソビエト連邦代表ともいえるウォーズマンが、アメリカ合衆国の顔ともいえるテリーマンに会うために渡米したことさえ、公になれば眉をしかめるものが少なくないだろう。加えてウォーズマンは軍のラボラトリー出身だ。
もしも無断飛行が発覚したら、単純に航空法違反だけでは済まないかもしれない。
「いいんだ、ここへは自分の意思で来た。
だから最後までそれを貫く。
バッファの心配してることが現実になったら……そうだなあ、そうなったら情熱の国にでも住もうかな」
最後は冗談めかし、肩をすくめて笑ってみせた。
みなまで言わずともバッファローマンが何を危惧しているのかウォーズマンは判っているのだろう。
これ以上言葉も気遣いもいらない――なにもかも吹っ切れたような、そんな笑顔だった。
