たしかめるようにもう一度(ブラックホール夢小説)
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ブラックホールと彼女は行きつけのカフェバーで週末の夜を楽しんでいた。
その店は街の中心をすこし外れた場所にあって、洞窟みたいな階段をおりると、端々に小さくサビの浮いた金属製の重いドアが来店者を待っている。ドアの向こうの店内は、ちょっと足元を用心したくなるほどおぼろな照明で、そのかわり部屋のあちらこちらに配された間接照明が「今夜はここへ座れ」と手招きする。広い店内の片側壁一面にもうけられた酒棚に並ぶのは、醸造酒やら蒸留酒やら、おびただし数のボトル。棚の正面にあるバーカウンターにはのっぽのスツール席が、そして一段さがったフロアにはいくつものソファ席があって、思いたった時にフラリと一人で訪れても、今夜の二人のように秘密のおしゃべりを楽しむためにイソイソやってきても、同じように満ちたりたひと時をすごせるようになっていた。
彼女はふかく沈むソファに腰かけ、まるでとっておきの秘密を打ち明けるような、真剣そのものの顔でブラックホールに語りかけた。
「わたし、気がついたんだけど」
ブラックホールはとっさに「自分はなにか失態でもおかしたのだろうか」と考えた。
彼女は自分のテキーラサンライズをひとくち飲むとこう続けた。
「あなたとキスをするとき、わたしの顔って、もしかしら向こう側からまる見えなんじゃないかしら」
「……やっぱり、それってイヤかい?」
「そういう顔は、あなた以外の人には見られたくないかな」
その人のためだけの顔、というものが顔のないブラックホールには理解しがたい。しかし考えてみたら、本来自分だけのものを他の人にシェアされるのは面白くない。
ブラックホールは彼女にしばしばキスをする。「会いたかった」「またね」「おやすみ」「おはよう」、さしずめそんなタイミングで。それからとくに決まっていなくても。たとえば彼女を愛しく思ったときとか。まなざしやほほ笑みでそれらを伝えるかわりにキスをする――もちろん人前でも。
今夜の問題はそこだ。
しかし「つき合って初めて○○した記念日を忘れていた」とか「『うちの両親に会ってほしいんだけど』と頼まれて忘れていた」とか、そういうリカバリしにくい失態でなかったのは不幸中の幸いだった。もっとも彼女はそんなこと今まで一度も言ったことがないが。
「ええと、確認なんだけど、僕からのキスは嫌じゃない?」
「嫌じゃないわ、もちろん」
「人前でも?」
「キスの回数が減ることのほうが嫌」
「ふむ」
ブラックホールは一考ののち、「ちょっとゴメン」といって彼女を立ちあがらせると、自分と座る位置を入れかえた。今度は壁に背をむけた椅子にブラックホールが、店内に背をむけた椅子に彼女が座ることになった。
「今夜のところは、これでどうかな。歩いてるときなんかは僕がかがんでたけど、君が上を向いてくれれば大丈夫だと思う――首が痛いかもだけど」
「試してみましょう?」
ブラックホールは彼女にそっとキスをした。
「どう、問題ない?」
「ええ、万事解決」
「よし、これで君は元どおり僕だけのものだ」
そう言うと、ブラックホールは確かめるようにもう一度彼女にキスをした。
end
(2024.9.1 書き下ろし)
その店は街の中心をすこし外れた場所にあって、洞窟みたいな階段をおりると、端々に小さくサビの浮いた金属製の重いドアが来店者を待っている。ドアの向こうの店内は、ちょっと足元を用心したくなるほどおぼろな照明で、そのかわり部屋のあちらこちらに配された間接照明が「今夜はここへ座れ」と手招きする。広い店内の片側壁一面にもうけられた酒棚に並ぶのは、醸造酒やら蒸留酒やら、おびただし数のボトル。棚の正面にあるバーカウンターにはのっぽのスツール席が、そして一段さがったフロアにはいくつものソファ席があって、思いたった時にフラリと一人で訪れても、今夜の二人のように秘密のおしゃべりを楽しむためにイソイソやってきても、同じように満ちたりたひと時をすごせるようになっていた。
彼女はふかく沈むソファに腰かけ、まるでとっておきの秘密を打ち明けるような、真剣そのものの顔でブラックホールに語りかけた。
「わたし、気がついたんだけど」
ブラックホールはとっさに「自分はなにか失態でもおかしたのだろうか」と考えた。
彼女は自分のテキーラサンライズをひとくち飲むとこう続けた。
「あなたとキスをするとき、わたしの顔って、もしかしら向こう側からまる見えなんじゃないかしら」
「……やっぱり、それってイヤかい?」
「そういう顔は、あなた以外の人には見られたくないかな」
その人のためだけの顔、というものが顔のないブラックホールには理解しがたい。しかし考えてみたら、本来自分だけのものを他の人にシェアされるのは面白くない。
ブラックホールは彼女にしばしばキスをする。「会いたかった」「またね」「おやすみ」「おはよう」、さしずめそんなタイミングで。それからとくに決まっていなくても。たとえば彼女を愛しく思ったときとか。まなざしやほほ笑みでそれらを伝えるかわりにキスをする――もちろん人前でも。
今夜の問題はそこだ。
しかし「つき合って初めて○○した記念日を忘れていた」とか「『うちの両親に会ってほしいんだけど』と頼まれて忘れていた」とか、そういうリカバリしにくい失態でなかったのは不幸中の幸いだった。もっとも彼女はそんなこと今まで一度も言ったことがないが。
「ええと、確認なんだけど、僕からのキスは嫌じゃない?」
「嫌じゃないわ、もちろん」
「人前でも?」
「キスの回数が減ることのほうが嫌」
「ふむ」
ブラックホールは一考ののち、「ちょっとゴメン」といって彼女を立ちあがらせると、自分と座る位置を入れかえた。今度は壁に背をむけた椅子にブラックホールが、店内に背をむけた椅子に彼女が座ることになった。
「今夜のところは、これでどうかな。歩いてるときなんかは僕がかがんでたけど、君が上を向いてくれれば大丈夫だと思う――首が痛いかもだけど」
「試してみましょう?」
ブラックホールは彼女にそっとキスをした。
「どう、問題ない?」
「ええ、万事解決」
「よし、これで君は元どおり僕だけのものだ」
そう言うと、ブラックホールは確かめるようにもう一度彼女にキスをした。
end
(2024.9.1 書き下ろし)
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