スリル(キン肉マンゼブラ夢小説)
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梅雨あけを間近にひかえた七月。キン肉マンゼブラはみずみずしい若草のうえに横たわり、ぼんやり空をながめていた。どこまでも青い空をやわやわと雲がながれていく。
ふと、視界のすみをちいさな虫が横ぎった。ゼブラはすばやく右手をのばし、なんなくそれを掌中にとらえる。ボクサーである彼の動体視力をもってすれば朝飯前だ。にぎった拳をひろげると、正体はテントウムシだった。まん丸の赤い胴体に黒い丸がぽちぽちと七つ。捕らわれたショックで硬直していたが、ゼブラがジッとしていると、危険はないと判断したのかテントウムシはソロソロと動きだした。普通はこそばゆいのだろうが、長きにわたって鍛えに鍛えたゼブラの掌はすっかり皮が厚くなっていて、なにも感じない。
やがてテントウムシは彼の人さし指をてっぺんまでのぼりつめ、パッと羽根をひろげて飛びさった。掌はテントウムシがもらしたオレンジ色の汁でちょっぴりよごれていた。
「……きたねぇな」
ゼブラはそこらの草で手をゴシゴシとこすったあと、たしかめるように鼻をよせた。とたんに青いにおいが鼻腔にひろがった。
キン肉星王位争奪戦からどれほどの月日がたっただろう。当時「運命の五王子」の一人として世間を騒がせたゼブラだったが、表舞台から姿を消してすでにひさしい。しかし超人ボクシング界においては稀代のボクサーとしていまだ名をとどろかせており、日々過酷な鍛錬を己に課している。筋肉のビルドアップはもちろんのこと、量や質、バランスについても心を配らねばならない。とくにハードパンチャーであるゼブラにとって、しっかりとした下半身の育成はかかせない。最大限の威力を拳にこめるために、体幹の筋肉は重要で不可欠なのだ。
豪快無比な彼のあのパンチにはそんな倦まず弛まずの努力がいくつもかくされている。技巧の神がゼブラを見初めたのもそんな職人気質のところがあったゆえだろう。
しかし筋肉への過度な負荷は、かえって筋量をそこなうおそれがある。理想の状態を維持するためには適度な休息も必要なのだ。彼がのんびり草原で寝ころがっているのはそんな次第があるわけだが、つねづね彼女は「休息日はよかったら呼んでね」と声をかけていて、ゼブラもまた彼女を憎からず思っているので、この場所で過ごすことをあらかじめ伝えてあった。いくらもしないうちに姿をみせるだろう。
予想にたがわず、とうとつに離れた場所から「ゼブラ!」と名をよぶ声が聞こえたが、彼はとっさにたぬき寝入りをきめこんだ。恋人の声に反応してやにさがるタイプの男というのがゼブラはどうにも受け入れがたく、万が一にも周囲からそんなふうに思われるのは言語道断だったのだ。
そのまま気がつかないふりをしていると、頭のうえから声がふってきた。
「セブラ、そんなところに寝ころがっていると、服が汚れるわ――眠ってるの?」
草原のまんなかにキン肉マンゼブラが寝ころぶ姿を見つけ、彼女の顔はほころんだ。いつも渋面をうかべている彼のくつろぐ姿をながめるのはじつにいいものだ。名を呼んだけれど返事がないのは、きっと寝たフリだろう。
ゼブラは感情をおもてにだすのが苦手だ。とくにうれしいとかたのしいとか、陽気なたぐいのそれが。きざしが顔の端にのったかと思うと、つぎの瞬間パッと消えているし、たいていの者は気づきもしない。キン肉マンゼブラはいつも不機嫌だという定評がまかり通っているのはそのためだろう。彼女のように長く彼のそばにいる者はきちんと分かっているのだが。
あるいはそれはリングでの心理戦を勝ちぬくために身についた性分なのかもしれない。彼は骨の髄までファイターだから。
彼女はゼブラのすぐそばでもう一度声をかけたが、やはりいらえはなかった――コレはまちがいなく起きている。
そういうことなら、と彼女は彼の顔のちかくにヒザをついて、そっとキスをした。ふれるかふれないかの、本当に眠っているなら気がつくはずのない、羽根のようなキス。
くちびるをはなしたあと、ゼブラの顔を注視していると、目尻がほんのり赤らむのがわかった。なんだか眉毛もピクピクしている。
「ダウトよ、ゼブラ。起きているんでしょう?」
「クソ、バレたか」
ゼブラは半身をおこすと首のうしろを手でかいた。
「またそんな言葉つかって」
それから彼女は「どいてちょうだい」と彼をわきにおいやり、荷物のなかからレジャーシートを取りだしてひろげた。
「はい、いいわよ座って……ヤダ、背中が葉っぱだらけ」
彼女はゼブラの背中についた枯葉をはらいのけた。白いTシャツごしにも鍛えぬかれた筋肉の感触がつたわってくる。こういうとき、いつも彼女は「ああ、この人は闘いのなかに生きているのだなぁ」と実感する。
そうしてともに居心地よくシートに座りこんだあと、彼女のさし出したウェットティッシュでゼブラが手をふいているあいだに、弁当がひろげられた。
ボクサーとして理想のコンディションを維持するために、ゼブラはめったに外食をしない。彼にとって店の料理はたいてい脂質や糖質、塩分が多すぎるのだ。
「どうぞ、召しあがれ」
「いつも悪いな」
ゼブラは片合掌をするとさっそく弁当に手をのばした。
アスパラと鶏の胸肉を蒸したもの、サーモンとアボカドのクリームチーズあえ、煮玉子と彩りにゆでたブロッコリーとリンゴ。あとは小さめのたわら型のおむすびがいくつか。
ゼブラはまず煮玉子をゆっくり味わうと「うまい」とつぶやいた。だれに聞かせるふうでもない一言がじつに彼らしく、それだけで苦労がむくわれる。
たまには五王子おむすびとかKINマークをあしらったオムライスとか、デートらしい弁当をつくってみたいな、と思うこともある。後者はもしかしたら不敬なのかもしれないけど。
だけどもしもそんな弁当を目にしたらきっとゼブラはリアクションにこまって苦虫を噛みつぶしたような表情をうかべるにちがいない。もくもくと料理に箸をのばすゼブラをながめながら、そのさまを想像して、彼女はクスリとわらった。
弁当を食べおえ、食休みのあとでゼブラはシャドーボクシングをはじめた。休養日のそれはごく軽いものだが、素人のものとは次元がかけはなれている。
引きしまったボディ、するどい眼差し。見えない相手にむかってパンチをくり出すたび、ゼブラの口からはカミソリのように鋭い息がはきだされ、音をたてて空気がさける。闘気かあるいは殺気か、見えないなにかが、たしかにその背中から立ちのぼっているのがつたわってくる。
彼女はそれを飽かずながめながら、よほどの胆力がないとゼブラと戦うなんてできないだろうな、と考えていた。
「――降りそうだな」
ふと、ゼブラがシャドーをピタリととめ、空のむこうを指した。ふり返れば、いつのまにか空には墨をおとしたような黒雲がひろがっている。とうとつにふきつけた風にも雨を予感させるつめたさがあった。
「駅まで送っていこう」
彼女はあわただしく弁当の容器をバッグにしまい、ゼブラはレジャーシートをたたんだ。
急ぎ足のゼブラを小走りにおいかけて、なんとか降りだすまえに駅までたどりついた。
「傘はもっているか?」
大丈夫、彼女はいつも折りたたみの傘をバッグにしのばせている。
「あるわ。でもざんねん、今日はもう少しあなたと一緒にいられると思ってた」
ゼブラはそれを聞くと一瞬口ごもったあと、あらぬ方向をながめつつ彼女にたずねた。「ウチでコーヒーでものんでいくか?」
ゼブラの自宅に招かれたことはまだなかったので、彼女は雨雲に感謝したい気持ちになった。
「いいの?」
「ああ。あまりキレイではないが、それでかまわなければ」
「ぜんぜん気にしない、うれしいわ」
ゼブラはとくになにか理由があって彼女を部屋に招かなったわけではない。だから自分の申し出を彼女がこれほどよろこぶとは思ってもいなかった。なんだか彼はきまり悪くなって、思いだしたようにつけ足した。
「コーヒーはインスタントだぞ」
「たのしみだわ、ゼブラのコーヒー」
「まあいい、いこう」
ゼブラは彼女をつれて歩きだしたが、頭のなかでは部屋の散らかりぐあいや、見られたくないものがキチンとしまってあったかなどすばやく考えをめぐらせていた。彼女は彼女で駅から家までの道順をしっかりおぼえておかなくては、とあちこちに注意をはらっている。
二人の歩く速さは先ほどと変わらなかったけれど、もう黒い雲のことも冷たい雨粒が落ちてきそうなこともすっかりたがいの頭から抜けおちていた。
だってこれから起こることのほうがもっとスリルにみちているだろうから。
たぶん、きっと。
end
(2024.05.30 書き下ろし)
ふと、視界のすみをちいさな虫が横ぎった。ゼブラはすばやく右手をのばし、なんなくそれを掌中にとらえる。ボクサーである彼の動体視力をもってすれば朝飯前だ。にぎった拳をひろげると、正体はテントウムシだった。まん丸の赤い胴体に黒い丸がぽちぽちと七つ。捕らわれたショックで硬直していたが、ゼブラがジッとしていると、危険はないと判断したのかテントウムシはソロソロと動きだした。普通はこそばゆいのだろうが、長きにわたって鍛えに鍛えたゼブラの掌はすっかり皮が厚くなっていて、なにも感じない。
やがてテントウムシは彼の人さし指をてっぺんまでのぼりつめ、パッと羽根をひろげて飛びさった。掌はテントウムシがもらしたオレンジ色の汁でちょっぴりよごれていた。
「……きたねぇな」
ゼブラはそこらの草で手をゴシゴシとこすったあと、たしかめるように鼻をよせた。とたんに青いにおいが鼻腔にひろがった。
キン肉星王位争奪戦からどれほどの月日がたっただろう。当時「運命の五王子」の一人として世間を騒がせたゼブラだったが、表舞台から姿を消してすでにひさしい。しかし超人ボクシング界においては稀代のボクサーとしていまだ名をとどろかせており、日々過酷な鍛錬を己に課している。筋肉のビルドアップはもちろんのこと、量や質、バランスについても心を配らねばならない。とくにハードパンチャーであるゼブラにとって、しっかりとした下半身の育成はかかせない。最大限の威力を拳にこめるために、体幹の筋肉は重要で不可欠なのだ。
豪快無比な彼のあのパンチにはそんな倦まず弛まずの努力がいくつもかくされている。技巧の神がゼブラを見初めたのもそんな職人気質のところがあったゆえだろう。
しかし筋肉への過度な負荷は、かえって筋量をそこなうおそれがある。理想の状態を維持するためには適度な休息も必要なのだ。彼がのんびり草原で寝ころがっているのはそんな次第があるわけだが、つねづね彼女は「休息日はよかったら呼んでね」と声をかけていて、ゼブラもまた彼女を憎からず思っているので、この場所で過ごすことをあらかじめ伝えてあった。いくらもしないうちに姿をみせるだろう。
予想にたがわず、とうとつに離れた場所から「ゼブラ!」と名をよぶ声が聞こえたが、彼はとっさにたぬき寝入りをきめこんだ。恋人の声に反応してやにさがるタイプの男というのがゼブラはどうにも受け入れがたく、万が一にも周囲からそんなふうに思われるのは言語道断だったのだ。
そのまま気がつかないふりをしていると、頭のうえから声がふってきた。
「セブラ、そんなところに寝ころがっていると、服が汚れるわ――眠ってるの?」
草原のまんなかにキン肉マンゼブラが寝ころぶ姿を見つけ、彼女の顔はほころんだ。いつも渋面をうかべている彼のくつろぐ姿をながめるのはじつにいいものだ。名を呼んだけれど返事がないのは、きっと寝たフリだろう。
ゼブラは感情をおもてにだすのが苦手だ。とくにうれしいとかたのしいとか、陽気なたぐいのそれが。きざしが顔の端にのったかと思うと、つぎの瞬間パッと消えているし、たいていの者は気づきもしない。キン肉マンゼブラはいつも不機嫌だという定評がまかり通っているのはそのためだろう。彼女のように長く彼のそばにいる者はきちんと分かっているのだが。
あるいはそれはリングでの心理戦を勝ちぬくために身についた性分なのかもしれない。彼は骨の髄までファイターだから。
彼女はゼブラのすぐそばでもう一度声をかけたが、やはりいらえはなかった――コレはまちがいなく起きている。
そういうことなら、と彼女は彼の顔のちかくにヒザをついて、そっとキスをした。ふれるかふれないかの、本当に眠っているなら気がつくはずのない、羽根のようなキス。
くちびるをはなしたあと、ゼブラの顔を注視していると、目尻がほんのり赤らむのがわかった。なんだか眉毛もピクピクしている。
「ダウトよ、ゼブラ。起きているんでしょう?」
「クソ、バレたか」
ゼブラは半身をおこすと首のうしろを手でかいた。
「またそんな言葉つかって」
それから彼女は「どいてちょうだい」と彼をわきにおいやり、荷物のなかからレジャーシートを取りだしてひろげた。
「はい、いいわよ座って……ヤダ、背中が葉っぱだらけ」
彼女はゼブラの背中についた枯葉をはらいのけた。白いTシャツごしにも鍛えぬかれた筋肉の感触がつたわってくる。こういうとき、いつも彼女は「ああ、この人は闘いのなかに生きているのだなぁ」と実感する。
そうしてともに居心地よくシートに座りこんだあと、彼女のさし出したウェットティッシュでゼブラが手をふいているあいだに、弁当がひろげられた。
ボクサーとして理想のコンディションを維持するために、ゼブラはめったに外食をしない。彼にとって店の料理はたいてい脂質や糖質、塩分が多すぎるのだ。
「どうぞ、召しあがれ」
「いつも悪いな」
ゼブラは片合掌をするとさっそく弁当に手をのばした。
アスパラと鶏の胸肉を蒸したもの、サーモンとアボカドのクリームチーズあえ、煮玉子と彩りにゆでたブロッコリーとリンゴ。あとは小さめのたわら型のおむすびがいくつか。
ゼブラはまず煮玉子をゆっくり味わうと「うまい」とつぶやいた。だれに聞かせるふうでもない一言がじつに彼らしく、それだけで苦労がむくわれる。
たまには五王子おむすびとかKINマークをあしらったオムライスとか、デートらしい弁当をつくってみたいな、と思うこともある。後者はもしかしたら不敬なのかもしれないけど。
だけどもしもそんな弁当を目にしたらきっとゼブラはリアクションにこまって苦虫を噛みつぶしたような表情をうかべるにちがいない。もくもくと料理に箸をのばすゼブラをながめながら、そのさまを想像して、彼女はクスリとわらった。
弁当を食べおえ、食休みのあとでゼブラはシャドーボクシングをはじめた。休養日のそれはごく軽いものだが、素人のものとは次元がかけはなれている。
引きしまったボディ、するどい眼差し。見えない相手にむかってパンチをくり出すたび、ゼブラの口からはカミソリのように鋭い息がはきだされ、音をたてて空気がさける。闘気かあるいは殺気か、見えないなにかが、たしかにその背中から立ちのぼっているのがつたわってくる。
彼女はそれを飽かずながめながら、よほどの胆力がないとゼブラと戦うなんてできないだろうな、と考えていた。
「――降りそうだな」
ふと、ゼブラがシャドーをピタリととめ、空のむこうを指した。ふり返れば、いつのまにか空には墨をおとしたような黒雲がひろがっている。とうとつにふきつけた風にも雨を予感させるつめたさがあった。
「駅まで送っていこう」
彼女はあわただしく弁当の容器をバッグにしまい、ゼブラはレジャーシートをたたんだ。
急ぎ足のゼブラを小走りにおいかけて、なんとか降りだすまえに駅までたどりついた。
「傘はもっているか?」
大丈夫、彼女はいつも折りたたみの傘をバッグにしのばせている。
「あるわ。でもざんねん、今日はもう少しあなたと一緒にいられると思ってた」
ゼブラはそれを聞くと一瞬口ごもったあと、あらぬ方向をながめつつ彼女にたずねた。「ウチでコーヒーでものんでいくか?」
ゼブラの自宅に招かれたことはまだなかったので、彼女は雨雲に感謝したい気持ちになった。
「いいの?」
「ああ。あまりキレイではないが、それでかまわなければ」
「ぜんぜん気にしない、うれしいわ」
ゼブラはとくになにか理由があって彼女を部屋に招かなったわけではない。だから自分の申し出を彼女がこれほどよろこぶとは思ってもいなかった。なんだか彼はきまり悪くなって、思いだしたようにつけ足した。
「コーヒーはインスタントだぞ」
「たのしみだわ、ゼブラのコーヒー」
「まあいい、いこう」
ゼブラは彼女をつれて歩きだしたが、頭のなかでは部屋の散らかりぐあいや、見られたくないものがキチンとしまってあったかなどすばやく考えをめぐらせていた。彼女は彼女で駅から家までの道順をしっかりおぼえておかなくては、とあちこちに注意をはらっている。
二人の歩く速さは先ほどと変わらなかったけれど、もう黒い雲のことも冷たい雨粒が落ちてきそうなこともすっかりたがいの頭から抜けおちていた。
だってこれから起こることのほうがもっとスリルにみちているだろうから。
たぶん、きっと。
end
(2024.05.30 書き下ろし)
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