ここに分類不可の三題噺を置きます。

三題噺(廃駅、指輪、ミルクティー)

2025/09/05 10:53
「どこからいらしたのですか」
ここいらはど田舎で、1年前に電車は来なくなった。廃駅に人影を見たので、そーっと忍び込み、声をかけた。不思議と怖くはなかった。と、言うよりも、僕は人に優しい善人だった。
「どうだっていいでしょ、そんなこと」
その人は長い黒髪をしていて、俯くと顔が見えなくなるが、泣いているのだと思った。細い指、右手の薬指に指輪がハマっている。恋人にフラれでもしたのだろうか。
「ここはもうじき暗くなります、都会の人の想像以上に暗いはずです。よければ、僕の家に来ませんか。泊まるところもないでしょう」
ゆらり、と彼女は顔を向けた。
「優しいんだね、あんた」
赤い頬と目尻、なにかを振り切れたように見える。雰囲気が変わった。彼女がふらふらと立ち上がるので、僕は慌てて忘れ去られた自販機でミルクティーを買って。
「どこから来たか知らねぇけど、水分くらいは摂ったほうがええで」
と、彼女に手渡した。彼女はふつふつと、声もなく肩を揺らす。
「そうよね。私のことなんて、なにひとつ知らないものね」
「??」
「ありがとう、大丈夫。もう帰れるわ。またいつか」
彼女が僕の頬に急に触れるもんだから、半歩後退りした。目を細めて愛おしそうに撫でてくれる。くすぐったい中に、どこか懐かしさを覚えた。やがて離れていく。不安の蛇が胸を囲った。
「それじゃあね。愛していました。さよなら、一郎さん」
名前なんて教えてない。当てずっぽうでも当たりそうな名前であるけれど。そして、今起きてるのは非日常なのだと悟ると、少しだけ背筋が冷えた。頭も冷えたから、この人を俺は悲しませたのだと理解した。どうしようもなく、身に覚えもないのに愛しく思う。
「迎え、行きます。また会いましょう」 
彼女は柔く笑い、目尻を擦って。ミルクティーを俺に返した。
「何も貰っちゃいけない約束なのね。だから返します。この指輪も」
指輪の輪はとても小さかった。無くさないように、小指になんとか引っ掛けた。ミルクティーは、無性に喉が渇くのでキャップを開け、一口飲んだ。いつもより甘い。
「あの、」
顔を上げた瞬間、ふっと当たりが夕刻になり。彼女の姿はなかった。僕は帰り道が分かるうちに帰らねばならない。ミルクティーは、まだ冷えている。

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