ここに分類不可の三題噺を置きます。

三題噺(朝焼けのリハーサル、音を失った楽器、嘘つきの約束)

2025/11/07 22:22
空が白んでいき、水平線から朝日が顔を出す。甲高いトランペットの響きで、白い鳩たちが羽ばたいて散らばっていく。トランペットの音は、調律が悪く響きも迫力がない。プペ、プペぺと、迷惑な音が続く。共用住宅の屋根の上、老人が立つ真下に住むランベリックが窓を開け、声を荒げた。
「うるせぇよカークさん!いつまでリハーサルしてんだ」
「リハーサルは本番のためにある」
「その本番がねぇんだろって」
まったく。ランベリックはあくびをひとつして、伸びをして。昨日の残りのスープを飲んだ。不器用なトランペットの音色、それに合わせてテーブルを指で叩く。カークさんの鳴らす音の、リズムだけは心地いいと感じる。ランベリックは、朝焼けのリハーサルの鑑賞もそこそこに、仕事に出ていった。
カークさんのトランペットが止んだのは、木枯らしの吹く冬の入り口のことだった。ランベリックは寝坊をした。カークさんのトランペットがなかったんだもの。ランベリックはカークさんを見舞いに行った。筋力が衰え、随分と小さく覇気のない老人が、ロッキングチェアに座って本を読んでいた。暖炉の柔らかい灯りに照らされて、老眼鏡をあげる。
「トランペットはどうしたんだよ」
「もう吹けないね。寒いし、体力も落ちた」
「そんなんでいいのか?リハーサルで終わっちまう」
「いいんだよ」
カークさんは顔を上げ、ランベリックに優しく笑いかけた。あまりにも穏やかで、ランベリックは何を言えばいいか分からなかった。ランベリックは、老いていく人間を知らない。祖父母もまだまだ元気なのだ。
「…………トランペットが、可哀想だ」
ちょっとした思いつきを口にする。音を失った楽器は、哀れだろう。音を奏でることが、楽器の本領だろう。そう思ったのだが、カークさんは声を出して笑った。
「そう思うなら、お前が吹いてみるかい?」
「えっ」
「お前になら、譲ってやってもいいよ。息子も大して音楽に興味がないんだ」
カークさんは曲がった腰でゆっくり立ち上がり、トランペットをランベリックの前まで持ってきた。ランベリックは初めて触れるそれに、ワクワクした。
「毎日吹けよ?リハーサルで終わっちまうからな」
カークさんとランベリックは、暖かい暖炉の前で笑い合い、肩を叩く。両者にとって、それは永遠に切り取ってもいいくらい、穏やかで優しい時間だった。ちょうど、暖炉の薪がパチパチ火花を立て、崩れ落ちるような。

誰かの夜は、誰かの朝。かわるがわる、空は巡る。今日も、誰のためでもなく朝が来る。カンカンカン、慌てたような足音で、屋根の上に誰か立った。冷たい空気を吸い込み、吹き出た音は。
プペぺぺーーー!!
うるさいだけで、下手くそなトランペットの音。それを聞いて、バン!と階下の窓が開く。
「うるっせぇよ、ランベリック!!いい加減にしねぇとしめんぞ!!」
「リハーサルがまだ先だからな」
「ねぇよそんなもん」
不良学生は諦めて、部屋に引っ込む。彼は朝、なにを食べて出かけるんだろうな。毎日吹けよと言われて、吹き始めたのは結局仕事を辞めてからだ。嘘つきの約束には、なっていないよな?カークさんを懐かしんで、ランベリックはトランペットを吹く。プペぺ、プペぺ……同じリズムだ。

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