鬼退治の前に

任務帰り。新しい朝日は平和に戻った世界を照らす。鬼を殺した夜が明けると、いつも勘違いをするのだ。「ああ、これで世界は平和になった」と。まだまだ道半ば、戦いは終わっていないというのに。それでも、今は気分がいい。新鮮な澄んだ空気を吸い込むと、日の下を堂々と歩いた。自分の生家よりは、天元様の隠れ家の方が近いと、天元様に世話になりに行くことにした。雛鶴さんの料理でねぎらわれたいなぁ。須磨さんの泣き言聞いて励まして、まきをさんを宥めて。そんな楽しみを数えながら歩いていたのに、ひた。首もとに苦無の感触がある。動揺を隠しながら、後ろに立っているであろう男に話しかける。こいつ、ものすごく。

「人間がなんの用ですか? ただ者じゃないことは分かるんですけど」

天元様と似た気配がする。けれど、天元様ではない。天元様はもっと、もう少し柔らかい気配だ。後ろに立つこの男は。なんだ。生きているのか……?

「名乗る必要はない。お前、随分と才能があるな。俺の嫁になれ」
「はあ……!?」

なんなんだ、こいつ。名乗れない癖に嫁になれ? あまりにもトンチンカンだ。この感じは、天元様にも似てる気もするけど。私は、勝てないことは分かりきっていたが、反撃に出ることにした。身を屈め、素早く下段の蹴りを繰り出す。しかし、そこに男の姿はなく、代わりに背中にのしかかられて身動きが取れなくなった。地面で肺が圧迫されて苦しい。

「ゲホッ……」
「弱いな、まだまだ。まあ、兄に習っているのだから当然か」
「兄……?」

酸欠の脳内で、少しだけ話が見えてきた。こいつは、天元様が忌ま忌ましく話していた、弟か。

「これ以上、話していても仕方がない。死なない程度に毒を盛る。黙ってついてくるなら、これは無しだ」

鼻に届く、明らかに毒だという刺激臭。脅されている。そんなものに屈したりはしないが、この実力差は跳ね返せない。考えろ、どうしたら私は、この場から逃れられる? 必死で頭を巡らせている刹那、私の背中から男が離れた。そして、目の前には。

「天元様……!!」

天元様は私には応えず、じっと男を睨んでいた。その殺気たるや、鬼に嫁を人質に盗られた時と同じくらいに感じられた。ひゅっと、言葉は胸に引っ込む。

「なんの用だ。もう俺達はお前とは関係ねぇ」
「勿論。逃げ出した腑抜けを今更連れ帰ろうなんて思っちゃいない。ただ、優秀な嫁は探しているからな。それ、置いていけ」
「こいつはそれなんて名前じゃねえ……!! あきってちゃんとした名前がある」
「そうか。あきを、置いていけ。お前じゃ、腐らせるだけだ」

天元様は我慢の限界だったのか、弟に斬りかかった。男は、顔色一つ変えずに応戦する。忍同士の争いは初めて見る。私は、助太刀を戸惑う。なぜなら、相手は鬼ではない。人間で。憎み合えども、天元様の家族で。そう思ったら、身体なんて動かなかった。やがて、諦めたのか天元様の弟はその場を去った。天元様は気持ちが納まらないのか、その後ろ姿に叫んだ。

「俺の嫁だ、あきには指一本触らせやしねえ!!」

…………嫁? あれ、私も嫁カウントなの? 継子じゃなくて? さっきまで危険な目に合っていたというのに、私の頭は天元様の発言でパニックになっていた。天元様はふぅーっと深く息を吐くと、未だに地に伏せた私を引っ張り起こす。言葉を無くしていると、天元様は心配そうに声をかける。

「なんも、されてねえな?」
「はい…………」
「どうした、どっか痛めたか!?」
「いや、あの……嫁って……」
「ああ、それか。そんなもん」

そんなもん…………!?

「言葉のあやに決まってるだろ」

呆れた顔でそう言う天元様の顔を、思わず叩いてしまった。

「いっってえな!! それが助けてやった人間に対する態度か!!」
「うるさい!なんか失ったわ、天元様に期待した私が馬鹿だったわ!」
「はあああ!? お前俺が来なかったらどうなってたか分かってんのか!!」
「それとこれとは地味に別なんです!」
「派手に同じだろうがぁ!!」

このあと、しばらく言い合いをしていたら、うるさい! とまきをさんが迎えにきて二人とも怒られた。
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