鬼退治の前に

得意ではない握り飯を、しこたま作ると家を出た。日はもうてっぺんにまで来ようとしている。お昼ご飯にはピッタリだが、彼に会いにいくとなると少し遅いくらいだろう。なにせ、見つけるのにまず時間がかかる。彼は山中を駆けずり回っているから。

「伊之助*! いるか*!? いるなら出てこーい!」

そう叫んで回りながら、次第に獣道に入っていく。パキパキと小枝の折れる音に、驚いて飛び立つ鳥のさえずり。道無き道を歩くのは骨が折れる。そうやって、小一時間歩き、山の中腹まで来たところで、ようやっと猪頭の彼が飛び出してきた。

「お前か! 例のものは持ってきてんだろうな!」
「はいはい」

私が大風呂敷を渡すと、伊之助は嬉しそうにその場で広げた。そうして、手当たり次第に握り飯にがっつく。

「ん! 美味い! 流石、山の王の子分!」
「それほどでもないですよ*」

伊之助に差し入れをするようになってから、どれくらい経っただろう? そろそろ半年程になると思う。初めは、私が山で鍛錬の途中に握り飯を食べていたら、突然飛び出して来て、「そいつをよこせ!」と偉そうにのたまったのだ。よく分からない猪頭に驚いた私は、素直に一個渡してやった。それをあんまりにも美味しそうに、いや食べ方は汚いのだが。美味しそうに食べるので、可哀想に思って差し入れをするようになった。

「伊之助、生活に変わりはない?」
「ないぜ! この山にもう、俺に勝てる奴はいないな!」

井の中の蛙は、胸を張って威張る。それが可愛らしくて、笑ってしまった。

「なに笑ってんだ! 馬鹿にしてんのか!?」
「いいや、懐かしいなと思ってさ」

私にもあった、誰よりも強いという自信が。いくつも取りこぼして、何度も折られて、そんなものもう粉々でどこにもないけれど。綺麗な顔の伊之助の、特別美しい瞳を見ると、思い出して元気が湧いてくるのだ。負けていられない、まだやれるって。

「……俺はこの山を出るぜ。だから、今日が最後だな」
「え」

突然告げられたお別れの言葉。そんな心の準備、してこなかったんだけどな。

「お前はこの山の王の子分だからな! この山はお前に任せて、次の強者に会いに俺は行くのさ!」
「……そっか、そうだね」

伊之助とは、ここでさよならだ。短かったような、長かったような。不思議な出会いと付き合いだった。

「お前の握り飯は、最高だったぞ! また、俺の為に作れ!」
「……出て行くんでしょう? この山」
「そうだ! だが作り続けろ! 俺の為に!」

思わず吹き出した。私の本職は握り飯屋じゃないし、握り飯だって上手じゃないってのに。

「はいはい。伊之助様の為に、また作りますよ。……だから、たまには会いに来てよ」
「おう! いいだろう! 子分の様子を、俺は見に来てやるぞ!」

最後の最後まで威勢のいい伊之助に、笑いが止まらなかった。こんな清々しく人と別れられたのは、初めてだった。夕方頃、私は山を降り、伊之助は何処かの寝床へ帰っていった。ありがとう、山の王様。私に、また前を向く勇気をくれて。


その後、何故か私と同じ鬼殺隊士になっていた伊之助と出会うのは、また別の話。
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