くずかご
界境防衛機関、ボーダー本部の一室。副本部長を務める服部晃久は、昨日から続いているイレギュラー門ゲートについての報告書に目を通していた。報告書にはこう書かれている。
『……市街地にて、早乙女隊如月瞳隊員、及び尾形隊六条健龍隊員が交戦。トリオン兵計三体を撃退(詳細は別紙参照)。
そのおよそ三時間後、別の地点で門発生。居合わせた中村隊網代樹隊員、元網代隊佐々木恵隊員が同じくトリオン兵三体を撃退している。以上、六件のイレギュラーな門の発生については、開発部を中心に調査中。』
書類の最後まで目を通し、確認印を押す。晃久はひとつ伸びをすると、肩を回し、少し休憩しようと部屋を出た。ランク戦ブースを横切り、喫煙室へと足を運ぶ。扉を開けると、既に先客が二人いた。
「副本部長、お疲れ様です」
「晃久師匠、ご無沙汰しています」
「清仁君、雪、お疲れ様。昨日から慌ただしいな」
「そうですね……まぁ当然といえば当然ですけど」
そう応えた須藤清仁は、新しい煙草に火をつけながら、晃久に火を貸す。晃久は礼を言うと、火をつけ煙で肺を満たした。この場にいるもう一人--網代雪は煙草の灰を落としながら、師匠を心配する。
「晃久さん、家には帰れてます?」
「昨日は帰れなかったな。抗議の電話が鳴りっぱなしだ。娘も巻き込まれたらしいから、今夜は帰らせてもらいたいが」
「アリサちゃんが? それは心配ですね」
アリサ、の名前を聞くと、清仁はある噂を思い出す。副本部長の娘は、彼の実子ではないという話だ。なんでも、奥さんはロシア人だがだいぶ歳が離れており、他界している。娘のアリサの年齢に対して、副本部長は若すぎる、というのが噂の元だった。
(まぁ、連れ子とか珍しい話じゃないしな)
清仁は考えながら、ある別の可能性を疑っていた。しかしそれは、黙認されているようなものだし、言わぬが花だろうと判断した。なので、話題を逸らすことにする。
「樹も巻き込まれたって昨日言われましたよ。雪さん、あいつどんな様子ですか?」
須藤清仁と、昨日巻き込まれた網代樹は、同じ中村隊の隊員だった。
「「早めに上がれてラッキー」って言ってた」
「あいつ……」
そして、網代樹は網代雪の弟である。
「まぁ、清仁君に会えなくて寂しいとも言っていたが」
「その情報は知りたくなかったっす」
軽く笑いが起きる。雪が二本目の煙草に火をつけた。部屋に満ちる煙が、外界との交信を断つかのようだった。
「……そういえば、報告書に恵君がトリガーを使ったと書いてあった」
その言葉に、清仁と雪は驚いた表情になる。
「あいつが? トリガー持ってたんですか」
「網代隊は、……雪のトリガーが没収されたままなだけで、謹慎は解かれている。だから、戦闘員に復帰しようと思えばすぐに出来るんだが」
晃久の言葉に、雪は俯きため息を吐いた。二人は何も言わずに、煙草の灰を落とす。やがて、雪が口を開いた。
「私のせいだな。恵が戦わなくなったのは」
「頑固なだけですよ。あそこまで頑ななのは、逆に感心します。本当は戦闘好きなくせに」
「緊急時に動いてくれるだけでも、有難い。逆に言えば、それくらい彼女の戦力は大きいのだが」
それ以降、しばらく沈黙が続いた。雪は、自分を臆病にさせたあの事件を思い出す。その時の恐怖を思い出し、少し震えた。
(本当は、私のトリガーも返却が打診されている。でも、もう私は)
「雪さんが思い詰める必要はないっすよ。全部、あいつのわがままなんですから」
清仁の言葉に、雪は顔を上げる。清仁は煙草を灰皿に押し付けると、退室の準備を始めた。
「雪さんにトリガーが戻ったとしても、恵が復帰するとは限らない。あいつは城戸司令を許さないうちは、誰にも戦闘を見せる気はないんだから」
「そうなんだろうか」
「そうです。だから、雪さんの問題じゃない」
お先に失礼します、そう言って清仁は出て行った。喫煙室には晃久と雪が残される。
「……副本部長の立場から言えば、網代隊には全員復帰してもらいたいところだがな」
「…………すみません、晃久さん」
「だが、当人達の心の整理がつかないうちに、トリガーを使わせるわけにはいかない。危険だからだ」
「はい、勿論です」
「だから、慌てることはない。今の仕事も大事だしな」
「ありがとうございます……じゃあ、私も鈴鳴支部にそろそろ戻るので」
「ああ、お疲れ様」
雪が喫煙室を去る。晃久がもう一本、煙草に火をつけようとすると、本部に全体放送がかかった。
『イレギュラー門が発生しました。近くの隊員は、現場に向かってください。繰り返します、イレギュラー門が発生しました……』
「そうゆっくりはしていられないか……」
煙草を仕舞うと、晃久は本部長室へ向かう。今夜こそは自宅に帰りたいと思いながらも、半ば諦め「悪いが遅くなる」と、娘にメールを送った。この後、市街地に爆撃型トリオン兵、イルガーが現れ、ボーダー本部は対応に追われることとなる。
『……市街地にて、早乙女隊如月瞳隊員、及び尾形隊六条健龍隊員が交戦。トリオン兵計三体を撃退(詳細は別紙参照)。
そのおよそ三時間後、別の地点で門発生。居合わせた中村隊網代樹隊員、元網代隊佐々木恵隊員が同じくトリオン兵三体を撃退している。以上、六件のイレギュラーな門の発生については、開発部を中心に調査中。』
書類の最後まで目を通し、確認印を押す。晃久はひとつ伸びをすると、肩を回し、少し休憩しようと部屋を出た。ランク戦ブースを横切り、喫煙室へと足を運ぶ。扉を開けると、既に先客が二人いた。
「副本部長、お疲れ様です」
「晃久師匠、ご無沙汰しています」
「清仁君、雪、お疲れ様。昨日から慌ただしいな」
「そうですね……まぁ当然といえば当然ですけど」
そう応えた須藤清仁は、新しい煙草に火をつけながら、晃久に火を貸す。晃久は礼を言うと、火をつけ煙で肺を満たした。この場にいるもう一人--網代雪は煙草の灰を落としながら、師匠を心配する。
「晃久さん、家には帰れてます?」
「昨日は帰れなかったな。抗議の電話が鳴りっぱなしだ。娘も巻き込まれたらしいから、今夜は帰らせてもらいたいが」
「アリサちゃんが? それは心配ですね」
アリサ、の名前を聞くと、清仁はある噂を思い出す。副本部長の娘は、彼の実子ではないという話だ。なんでも、奥さんはロシア人だがだいぶ歳が離れており、他界している。娘のアリサの年齢に対して、副本部長は若すぎる、というのが噂の元だった。
(まぁ、連れ子とか珍しい話じゃないしな)
清仁は考えながら、ある別の可能性を疑っていた。しかしそれは、黙認されているようなものだし、言わぬが花だろうと判断した。なので、話題を逸らすことにする。
「樹も巻き込まれたって昨日言われましたよ。雪さん、あいつどんな様子ですか?」
須藤清仁と、昨日巻き込まれた網代樹は、同じ中村隊の隊員だった。
「「早めに上がれてラッキー」って言ってた」
「あいつ……」
そして、網代樹は網代雪の弟である。
「まぁ、清仁君に会えなくて寂しいとも言っていたが」
「その情報は知りたくなかったっす」
軽く笑いが起きる。雪が二本目の煙草に火をつけた。部屋に満ちる煙が、外界との交信を断つかのようだった。
「……そういえば、報告書に恵君がトリガーを使ったと書いてあった」
その言葉に、清仁と雪は驚いた表情になる。
「あいつが? トリガー持ってたんですか」
「網代隊は、……雪のトリガーが没収されたままなだけで、謹慎は解かれている。だから、戦闘員に復帰しようと思えばすぐに出来るんだが」
晃久の言葉に、雪は俯きため息を吐いた。二人は何も言わずに、煙草の灰を落とす。やがて、雪が口を開いた。
「私のせいだな。恵が戦わなくなったのは」
「頑固なだけですよ。あそこまで頑ななのは、逆に感心します。本当は戦闘好きなくせに」
「緊急時に動いてくれるだけでも、有難い。逆に言えば、それくらい彼女の戦力は大きいのだが」
それ以降、しばらく沈黙が続いた。雪は、自分を臆病にさせたあの事件を思い出す。その時の恐怖を思い出し、少し震えた。
(本当は、私のトリガーも返却が打診されている。でも、もう私は)
「雪さんが思い詰める必要はないっすよ。全部、あいつのわがままなんですから」
清仁の言葉に、雪は顔を上げる。清仁は煙草を灰皿に押し付けると、退室の準備を始めた。
「雪さんにトリガーが戻ったとしても、恵が復帰するとは限らない。あいつは城戸司令を許さないうちは、誰にも戦闘を見せる気はないんだから」
「そうなんだろうか」
「そうです。だから、雪さんの問題じゃない」
お先に失礼します、そう言って清仁は出て行った。喫煙室には晃久と雪が残される。
「……副本部長の立場から言えば、網代隊には全員復帰してもらいたいところだがな」
「…………すみません、晃久さん」
「だが、当人達の心の整理がつかないうちに、トリガーを使わせるわけにはいかない。危険だからだ」
「はい、勿論です」
「だから、慌てることはない。今の仕事も大事だしな」
「ありがとうございます……じゃあ、私も鈴鳴支部にそろそろ戻るので」
「ああ、お疲れ様」
雪が喫煙室を去る。晃久がもう一本、煙草に火をつけようとすると、本部に全体放送がかかった。
『イレギュラー門が発生しました。近くの隊員は、現場に向かってください。繰り返します、イレギュラー門が発生しました……』
「そうゆっくりはしていられないか……」
煙草を仕舞うと、晃久は本部長室へ向かう。今夜こそは自宅に帰りたいと思いながらも、半ば諦め「悪いが遅くなる」と、娘にメールを送った。この後、市街地に爆撃型トリオン兵、イルガーが現れ、ボーダー本部は対応に追われることとなる。