くずかご

太陽の光が遮られて、遠い昔に見た灰色の景色が蘇った。突然開いた門ゲートから、戦闘用のトリオン兵、モールモッドが飛び出してくる。警鐘を鳴らす頭と実際の警報が重なり、頭がグラグラする。視界の端に同級生を捉え、駆け出した足がーー


今日も普通に溶け込んで生きていた筈だった。三門の生活にも随分と慣れ親しんできたし、周囲の人間が私の目立つクリーム色の髪や、青い瞳を珍しがることも少なくなった。父親がいつか望んでいた「平和で安心な生活」を、今私は享受しているのだと思う。……この街の至る所にある、有刺鉄線と立ち入り禁止の看板の向こうでは、過去の私の日常と同じ景色が繰り返されているのに。私には、この安寧が仮初めに思えてならない。警戒区域の向こう側、中心に聳そびえ立つ界境防衛機関、ボーダーの本部。向こう側の世界からの侵略者、近界民ネイバーを警戒区域に留め、駆除を行ない、市民の生活を守っている。その行為が間違いだとか、足りていないだとかは思わない。ただ、ただ自分が、その活動に参加していないのは、それでよいのだろうかと感じる。私にはその能力も、理由もあるのに。そう思いながらも、今日もいつものように無事に家に着けると、心から信じていた。

『緊急警報、緊急警報……門が市街地に発生します、市民の皆様は直ちに避難してください』
『繰り返します、市民の皆様は直ちに避難してください』

けたたましく無慈悲な警報が鳴る。バチバチと嫌な音が背後から聞こえ、振り向けば陽の光を遮るほど暗い穴が、開きはじめていた。そこから産み落とされるように、ズン、とトリオン兵が落ちてくる。モールモッドのブレードはカシャカシャと音を立て、獲物を探し始める。恐怖で足が固まる前に、その場から走り去る必要があった。だから、私はトリオン兵から目を離し、右足に力を入れたのだが。

「あ……えっ……と」

視界の端に、立ち尽くす同級生を見つけてしまった。頭の中で、トラウマがフラッシュバックする。あのモールモッドの刃が、今に彼の胸をひと突きにして、血の花を咲かせるだろう。見たくない。そんな光景はもう二度と。気がつけば、私は同級生へ駆け寄り、庇うように押し倒していた。制服の背の部分が、ビリッと破かれる音を聞いた。間一髪だ。

「っ、大丈夫?!」

同級生に声をかけられるが、無視して私はトリオン兵と対峙する。しかし睨みつける以外、今の私には力も手段もない。もう一太刀、襲い来る前に、背後に庇った同級生を突き飛ばした。そうして、今度こそ斬り裂かれると覚悟し、目を瞑ってしまった。

ゴン……ドン、ドン、ドン!!

来るはずの衝撃はなく、目を開けばモールモッドの刃には黒い重りのような物体が。その重さで体勢を崩したところを、正確に心臓部を撃ち抜いて停止させた。

「ふぅ……驚いたー! 君達、大丈夫? 無事?」

ボーダーの隊員らしい、痩身の美少女が二丁拳銃を構えて立っていた。彼女は周囲を見渡し、警戒を解かない。私も周囲を見渡すと、知らないうちにトリオン兵は増えていて、こちらを囲んでいた。これは、彼女だけでは対応出来ないんじゃ……そんな不安をかき消すように、突然何もないところからもう一人、ボーダー隊員が現れ、囲んでいたトリオン兵二体を一掃した。

「よっと。援護が遅ぇから、片付けちまったぜ」
「健龍、お見事〜。これ、本部に行った方がいいよね!?」
「お前は勉強しなくてよくなりそうだからって! 本部行った後でも勉強は強行すっから!」
「えー……」

トリオン兵の残骸を目の前に、ボーダー隊員達は日常茶飯事といった感じで、会話を弾ませる。私は恐る恐る、声をあげた。

「あの……助けてくれて、ありがとうございました」
「あっ、君! 死ななくてよかったね!」

美少女の笑顔とチグハグな声かけに、一瞬怯む。そんな私を不思議そうに彼女は見たが、もう一人……健龍と呼ばれていたボーダー隊員に軽く叩かれた。

「痛っ」
「危険な目に合わせて申し訳ない。事情聴取をしたいから、出来ればボーダー本部まで来てくれねぇか?」

ボーダーに行く……それは養父に無駄な心配をかけそうだったが、どっちみちブレザーはボロボロなので誤魔化しようがない。私は行くことを承諾した。

「後ろの君も、いいよな?」

後ろを振り向くと、案外平気な顔をした同級生がいた。頷くと、

「はい。危ないところを助けていただき、ありがとうございました。うちの姉さんと兄さんもボーダー隊員なんです」

と、深々とお辞儀をした。

「おっ、そうなの? 誰々!?」
「樋口梢と、樋口悠の弟です。恭と言います」
「あ〜樋口隊の」
「こっちは、同じクラスの服部アリサさんです」

同級生が、私の名前を覚えていたことに驚いた。私は覚えていなかったのに。健龍さんは、私達の身体に傷がないか、前後ろを見て確認した。

「よし。じゃあ本部まで案内する。着いてきな」

私と恭くんは、健龍さんの後ろについて歩いた。非日常が起こった街は、ざわざわとした喧騒に包まれていたが、本部に近づくにつれて、人気はなくなっていった。

「アリサちゃん、さっきはありがとう。本当は真っ先に言わなきゃいけなかったんだけど」

恭くんにおっとりとした笑顔で、ゆっくりとお礼を言われた。一応頷いたが、お礼を言われるようなことは何もしてないと思った。私が見たくない光景に、蓋をしただけの話だ。

「アリサちゃんは、ボーダーに興味はないの?」
「……本当はあるけど、親がね」
「そっか、そうなんだ。じゃあもし、もしもボーダーに入ることがあったら、僕の姉兄きょうだいを頼ってよ」

恭くんはまた微笑んだ。私は照れ臭くて目を逸らした。

「まぁ、頼らないこともないわ」
「ふふ、じゃあ助けてあげて」

笑顔が柔らかすぎて、掴み所がない人。顔のない同級生だった彼の印象は、そう塗り替えられた。
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