菊祷優-きく、とうとうとやさしく-

今日は空が重たく暗くて、ヤグは嬉しそうにワクワクしていた。雷が落ちたら、私の胸の中鳴くだろう。漆黒は父上の色なんだそうだ。モリオンは究極の魔除けの石だから、いつかまた出会えるはずなんだ、と。今は先ほどとは打って変わり、私にボロボロ泣きながら話しかけている。ヤグは宇宙も時間も無視して彷徨う人間の生き残りと言い張っていて、神様に祈ってもらえないと帰れないそうだ。可哀想にとは思うが、私と一緒なのは幸せに思ってもらえないのか、ちょっと不満である。10歳の折、河原で見つけた石があまりにも綺麗で口に含んだ。拳くらいの大きさがあったはずなのに、飲み込めた。ぞっとなり吐き出そうとしたが、無理だった。それから、私の心臓の横にはヤグが棲んでいる。ヤグのことは、不気味で怖いけど話し相手には最適で、寂しがり屋の私には必要だったのだと思っている。まぁ、風変わりだとか言われるけど。新羅さんもセルティも静雄くんも。臨也さんだって、みんな人間はどこかしら変わっている。基準が多数決ならば、私を手を下ろして参加もしないよ。ね、ヤグ。ネオジムドープ、ヤグ。良い名前ね、ボーカロイドの曲名みたいで。あら、気に入らなかった?まぁ、そっか。きっと貴方の未来が狂い始めたのって現代辺りからだものね。私は快適になにも害さず、幸せを幸せとまっすぐ伝えられる。真っ当な人間であるはずだ。優しくありたい。
「お前がそれを自覚したのは何歳だ?」
そう、思い出せないからこれはヤグが仕向けた計算かもしれない。それでも、優しくありたい。優しくありたいのは、私の意思のはずだ。ヤグがくるるくるると笑う。胸を抑えた。ヤグのことが嫌いで疎ましくて、それでも、彼を飼い慣らしてないと大変なことになりそうで、それ以上に私はヤグを救いたいと思ってしまった。優しいから。自分にため息が出る。優しさなんて、滲み出るもので計算するものじゃない。私は優しい善人にはなれそうもない。
「お邪魔するよ」
玄関で声がする。この家の広い窓、なんとなしにカーテンで隠した。臨也さんは合鍵で私の部屋に入ると、いくつかのUSBをテーブルに置き、私を見据える。私が目を合わせると、手招きをされた。近寄ると顎を掬われ上を向かされて。蛍光灯の光が目に飛び込んでチカチカする。臨也さんは眉を上げて挑戦的な笑みを向ける。ヤグが心臓の横で騒いでいる。
「いつも通りかい?」
「いつも通りですよ」
「退屈じゃないかい?データの番人なんて、四天王にも入らない!」
「手向けられる花があれば、私はどんな人生でも構わない」
「………つまんないな。つまんないよ」
臨也さんは私を睨むが、どこか悲しそうにも見えた。声は通り雨を望んでるような、雨乞いの声。臨也さんはため息を吐いたあと、貼り付けた笑みで私を見た。私は笑い返す、臨也さんがそれで幸福ならばそれでいい。優しいでしょう?きっとそれも優しさのはずだ。
「帰れなくなっちゃった。雨上がるまでここにいさせて」
「もちろん。ずぶ濡れの猫だって最近じゃ拾われないでしょ」
「いや、ずぶ濡れでも俺は帰れるけど?」
臨也さんが乾いた笑いをあげると、許可もなく私を抱きしめて、左胸に拳を押し込んだ。
「今日はもう、菊の花は置いてくれ」
ヤグがものすごい剣幕で怒鳴っている。言葉にならないほど。私は心に蓋をするように、心臓を締め付ける感覚でヤグの声を無視した。カーテンの向こうの雨音だけ、やけに部屋に響いて。臨也さんが帰れないのではと心配したけど。あぁこの人最初から泊まるつもりで今日は来たのかと合点がいった。データを寄越すのは、大抵セルティだものね。私が全て理解して、困った表情を作ったら、臨也さんは声をあげて笑う。
「俺は人間が好きだ!だから、いのりも例外なく愛されてね?今ヤグはいないんだろ?」
「いないわけじゃない、閉じ込めてる」
少しムッとしたので、臨也さんから距離を取る。背を向けたら、首に手を回されてまた抱きしめられる。私は天井を眺めてため息を吐いた。しばらく、そうしていて。私はぼんやりと今夜の献立を考えていた。臨也さんは、私の手料理が好きだ。
「腹減った」
「そうですか」
「今日はカレーがいいな」
「えぇ……有り合わせの材料しか」
「有り合わせの材料で作れるんでしょ?」
「……分かりましたよ」
私が臨也さんの腕を払うと、ぽんぽんと頭を撫でて、肩に両手を乗せてキッチンの方へ押し出された。しょうがないな、お腹を空かせたらどんな花も散るものだし。
「待っててください」
「はーい、よろしく!」
機嫌が良さそうなクラリネットの声。臨也さんは持ってきたUSBを仕舞い込んで、私の本棚を眺めていた。新着のものを見つけて、ソファーで読んでいる。先に読み込んでネタバレされるのは嫌だなぁ。まぁ、臨也さんだし。そうなればそうなったで仕方なくて。ヤグも臨也さんも、愛されたいだけなのだ。私は、子供は見捨てられない。私の倫理のレールは、そこに敷いてあるのだ。だから、最期まで。食い散らされても、愛することはやめられないだろう。
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