名前なき綺羅星
1.夜の深淵に包まれたくて、クロックスを履いて外に出た。出た瞬間にあぁ、駄目だなと思った。この街は夜も明る過ぎる。照らさなくていいものばかり照らし、見なければいけないものを深い影に押し込んでしまう。心地好い闇を探してふらふらと歩けば、同じような気分なんだろう猫に出会った 。
2.「煙草の火、つけてくんない」
「まだ任務中だ」
自分の過ちから両手につけられた枷。しかしながら、今この仕事についているのも過ちがきっかけであるわけで。政府の犬にも人権くらい寄越して欲しい。愛する煙草をいつでも吸えるくらいの。
「余計なことを考えるな。死ぬぞ」
「はいはい」
3.「雨の匂いがするね」
感覚の鋭い君がそう言う。正直僕には分からないので黙ったままでいる。君の目、耳、鼻、五感の全て。それはどれだけ美しく世界を捉えているのだろう。どれほど醜く感じているのだろう。
「雨の匂いがする」
あぁ、僕には君の心が笑ってるのか泣いてるのかさえ分からない
4.「で、お前はどうしたい?」
シニカルな笑みを浮かべ、文字通りの悪魔は僕に問いかける。僕の次の一言次第で、世界は転覆する。そんな予感が背筋を走る。それに何故か僕は笑っていた。
「どうしたい?」
「僕は、」
彼を信じよう。そう、目の前のこの人は、かつては天使であったのだ。
5.「諦めることが悪いことだと思ってるんじゃないだろうね?」
しわがれた老婆の声。僕の心を穿つ声。
「手放す勇気もないものなら、手に入れても持て余すさ」
老婆は続ける。僕は反論すら出来ない。
「諦めて零になれば、見えるものだってあるだろうさ」
その目は今、何を見ているだろうか?
6.僕の知らない所でまた誰かの心が死んだ。助けようと思っても、僕の言葉は届かない。僕が欲しいのは拡声器だった。この世の果てまで声を届けられるような。手に出来れば誰かを救えるはずだ。知識もないがらんどうの僕には、この優しさだけが美徳なのだから。だから今日も僕は拡声器に手を伸ばし足掻く。
7.「貴方と私の愛は違うのね」
あぁ、そう寂しそうな顔をしないでおくれよ。僕らの愛の重さは、それぞれ違うのかもしれない。たとえ同じでも、鉄と綿くらい違うものなのかもしれないね。でもね、
「それでも、君が好きだという気持ちは本物だよ」
「うん、信じてる」
同じになれないから、僕ら愛し合うんだ。
8.いつも通りの朝が来た。けれど僕にとっては特別な朝だ。今日の予定はない。人と会う約束も、しなければならない仕事もない。それでも特別な朝だ。今日という日を特別にしたのは、昨日久しぶりに会った恩師の言葉だった。
「幸せになりなさい」
それを知るだけで僕ら、こんなにも息がしやすい
9.真っ直ぐ歩く、ということを大事に思ったことはなかった。曲がり道にもいいことはあるだろうと。しかし、後ろから凄い勢いで自転車が通り過ぎた時、その考えを改めた。もし、ふらふらと右に飛び出してたら。ぞっとした。自分のペースでいいけど、前を見据えて真っ直ぐ歩く。これは大事なことなんだ。
10.雲が天高く連なって、輝かしい星を隠す。この雲を抜けた空には確かに存在するのに、そんな日は皆、一様に声を揃えて言う。
「今日は太陽が出ていない」
そうじゃない。いつだってその星はそこにいて、僕らが迎えに行くのを待っている。だから、どんなに冷え込む雨の日でも、きっと伸ばせば手は届く。
11.寒い日の朝、窓の外を見ると少し遠くに白い煙が見えた。
『火のない所に煙は立たぬ』
昔の人はそう言ったけど、あの煙の火元はなんだろうか。願わくば、誰かの為に焚かれた火であって欲しい。迷惑がられるような煙は、立って欲しくない。そう思い私は、きっと自分も火であると心を引き締めた 。
12.ふと掌を眺めて、この中でどの指が一番大切かを考えた。僕は無難に人差し指じゃないかと思う。君にも訊いてみた。
「そんなの小指に決まっているわ。赤い糸が繋がっているんですもの」
ふわり笑う君に、思わず渇いた笑いが。ロマンチストな君とはいつだって合わないな。それがいいんだけども。
13.世の中の広さを知った蛙は、家に帰ってふて寝しました。冷たく平和な井戸の底、そこには綺麗な夢がありました。なんでも出来るヒーローのような、自分の夢がありました。目が覚めるとそこはいつもの井戸の底で、特に変わったことはありません。見上げた井戸の入り口は、いつもより小さく遠く見えました
14.僕らはいつも、充電の切れることを気にしている。そのくせ、行く先も決めずに夜を彷徨ったりする。残された時間は決められているのに。バッテリーが赤になっても、家に帰ることをしない。休まず歩ける距離は決まっているのに。行く先も目的も、探すものではないはずなのに。あ、充電切れた
15.わらわら。わらわらと一人、また一人と集う夜会。日付が変わっても続くそれは、音と言葉だけで成り立っている。仮面をつけたまま、それでも楽しい夜会は続く。カタカタとキーボードを打つ音をBGMに、離れた誰かと繋がる喜び。そう毛嫌いするもんでもないさ、良ければ君も一緒にどうだい?
16.「さあ、眠れない貴方のお供に。眠たくなるラジオのお時間がやってまいりました。いつでもどこでも。眠れない貴方にお届けする、眠たくなるラジオ! 本日のゲストは貴方です。貴方は何故、眠れないんでしょう? ふむふむ、死にたいから? そんな時は睡眠が足りてないのです! さっさと寝てください!」
17.未来の僕が会いに来た。僕は尋ねた、
「後悔してる?」
って。未来の僕は答える。
「君が後悔してるなら」
って。
「どんな風に僕が見えても、それは君が選んできた僕だよ」
そう言って微笑んだ。
「他に聞きたいことは?」
「いや、やめておくよ」
そう断れば、夢のように未来の僕は消えていった。
18.下を向くなと誰かが言った。そんなとこに良いものは落ちてないからと。上を向くなと誰かが言った。羨んでも良いことないからと。どこを向いたっていいじゃないか、と僕は辺りを見回す。僕が見つめるものは僕自身が決めていくんだ。例え後ろだって、大切ななにかが見つかるならそれでいい。
19.この地とお別れしようと思う。なんの未練も残っていないから。ここでの思い出を置き去りに、新しい自分に会いに行こう。重い荷物は全て置いていって、気まぐれな鼻歌と貴方の「愛してる」を道連れに。夜が明ける前に飛び立とう。翼なんて持っていないけれど。うまく飛べたなら、どうぞ褒めてください。
20.始まりを覚えているのはぼくだ。それをわたしが眺めていたのを覚えている。自分を天才だと思い込んだぼくを、わたしは止める。それを振り切り、やがておれになってここまで来た。来てしまった。もう、ぼくにもわたしにも戻れないおれは。おれは誰なんだ? その答えはきっと、ぼくが知っているのだろう
21.赤信号を目の前に、白線の外側に飛び出そうかどうかを悩んでいる。まばらに行き交う車、吹き荒ぶ風に身を縮こませる。生きている実感、どこにでも転がっている死の香り。ただの白線が仕切る境界線。思いふけっていれば、緑に移り変わった信号。ああ、また死に損ねた。ほっと胸をなでおろす自分がいた。
22.頭上にくゆっていく煙を眺める。「彼女といる時くらい、喫煙やめない?」「あ? なんで俺がお前の為に我慢しなきゃなんねーんだ」ふうっと吹きかけられる煙草にむせた。睨みつけてやれば、存外機嫌の良さそうな顔。「俺とお前の間に遠慮とかいらねーだろ」死なば諸共、私達は傷つけ合いながら生きる。
23.鏡を叩きつけている人を見た。何度も何度も。その拳は割れた破片で赤く滲む。鏡の向こうに、憎き敵を見ているのだ。それは自分の姿であり、傷つける敵ですらないのに。それすらも許すまいと、その人は拳を振り上げ続ける。僕からの声は聞こえない。ああ、可哀想だな。僕は立ち去ることしか出来ない。
24.「人に嫌われるのは怖くない。本当に怖いのは、人に忘れられることだ」
昔誰かがそう言った。誰だったかは忘れてしまった。僕らは人の目に晒されて見えない何かに怯え続けている。自分も取りこぼしていくのを棚に上げながら。恐怖を何かと引き換えられるなら、それを絆と呼ぶのだろうか。
25.時折、熱を奪われるように自分を見失う。水没するように、ゆっくりと何かに飲み込まれる。思考が鈍る。然るところ、思考とはなんだ? 己とはなんだ。不満などざらにあるが、全て飲み込み呼吸だけ繰り返す。自分とはなんだ。言葉にせずして形を成せるものなのか。自分の形は、色は、姿は。
26.愛犬と出会ってもう10年。そろそろ散歩にも若かった頃の勢いはなくなってきた。のんびり足並みを揃えて歩いていると、珍しく急に駆け出すペンネ。
「ワン!」
追いつくと、彼の足元には五円玉が。笑みがこぼれる。
「今年はお前の年だもんね」
帰り道、その五円玉をお賽銭に初詣をした。今年もよろしくね。
27.失くしたものの数を数える時、過ちの数を数える時、人は絶望に苛まれることがある。それは僕らの都合とは関係なく訪れて、しばしば僕らを凍えさせる。
「絶望出来るということすら、既に甘えている」
そう強すぎる人は言った。いつも一人で凍えることを知らないその人を、ただ強いと思うしかなかった。
28.寒空の下。空は高く、星々がよく見えて、身に染みるそれが俺は嫌いじゃない。燃えさかる闘志が、冷えて研ぎ澄まされる感覚。不安すらも巻き込んで、なにかをここに刻み込めそうな予感。人はそれを青いと言うんだろう。それでも、確かな思いと共に進んでいく。たとえ後悔しようと、泣くことになろうと。
29.夢を諦めることにした。若い頃から追い焦がれた夢だったが、諦めることにした。今思えば「自分は選ばれた存在だ!」と、信じきれていた時代が懐かしい。こう決断した感想は、苦々しさはなくいっそ清々しいだった。夢の枷を捨てて僕は人生を選びに歩み出すのだ。やりたいことは幾らでもある 。
30.言葉は高速渋滞中。空は馬鹿みたいに快晴で、無限に広がっていく僕のキャンバスのようで。君が笑い飛ばす画面向こうのその人は、僕の隣人で僕自身だ。だから、口には気をつけた方がいいよ。ウィンカーを出して、無理にでも右に曲がるのは、行き止まりの気配を感じたからだ。言葉は高速渋滞中……。
31.「僕が君の全てを知る必要はないの」
親愛なる隣人は僕にそう声かける。
「僕も僕の全てを知る必要なんてない」
三日月のように吊り上がった唇が、僕の向こう側を見つめたような瞳が。ゾクゾクと僕の内面を這い回る。
「だって、僕ら初めから一つなんだから」
君は、僕なんだから。声は深夜の部屋に消えた。
32.「きっとこれは、過ちーー」
残り香の様に離れない、美しい人がいた。いつも死にそうな顔に笑顔だけ貼り付けて、僕を迎え入れる人。
「ここにはもう、来ないと思ってた」
今日も彼女は笑う、儚げにそっと。その姿は半世紀変わらないーー。目を瞑れば、変わりない声に安心した。あと何度、巡り会える?
33.「傷つけ合いの会話をしよう」
唐突に君がそう言った。
「僕を傷つけたいのか、それとも君が傷つけられたいのか」
「どちらかといえば、後者」
ならば、と僕は君に向き直る。剃刀ような瞳を見すかす振りして見下ろした。
「無人島で僕と遭難したとする。その時、価値があるのは僕かヤシの実か」
「……後者」
34.「大人なんかに負けるもんか」
そう泣いて叫んだあの日から、一年。大人として迎えられたこの日と、あの日は変わらずに一本の線で結ばれている。
「大人になんてなるもんか」
僕は大好きな童謡を鼻唄で歌いながら、薄暗く街灯が照らす道を歩いた。それは僕のこれからの人生のようで、ワクワクした。
35.目覚めるより先に、朝日は昇る。意識する前に、風が季節を運んでくる。無情に過ぎる日々が、肩にのしかかっていく。自由を求める指がねじれて、掴むのは他人の栄誉ばかり。ため息を吐けば、ストーリーが僕を追い越していく。ああ、追いすがる為に、魂を燃やし、今日も眠る前に夜空を見上げるのだ。
2.「煙草の火、つけてくんない」
「まだ任務中だ」
自分の過ちから両手につけられた枷。しかしながら、今この仕事についているのも過ちがきっかけであるわけで。政府の犬にも人権くらい寄越して欲しい。愛する煙草をいつでも吸えるくらいの。
「余計なことを考えるな。死ぬぞ」
「はいはい」
3.「雨の匂いがするね」
感覚の鋭い君がそう言う。正直僕には分からないので黙ったままでいる。君の目、耳、鼻、五感の全て。それはどれだけ美しく世界を捉えているのだろう。どれほど醜く感じているのだろう。
「雨の匂いがする」
あぁ、僕には君の心が笑ってるのか泣いてるのかさえ分からない
4.「で、お前はどうしたい?」
シニカルな笑みを浮かべ、文字通りの悪魔は僕に問いかける。僕の次の一言次第で、世界は転覆する。そんな予感が背筋を走る。それに何故か僕は笑っていた。
「どうしたい?」
「僕は、」
彼を信じよう。そう、目の前のこの人は、かつては天使であったのだ。
5.「諦めることが悪いことだと思ってるんじゃないだろうね?」
しわがれた老婆の声。僕の心を穿つ声。
「手放す勇気もないものなら、手に入れても持て余すさ」
老婆は続ける。僕は反論すら出来ない。
「諦めて零になれば、見えるものだってあるだろうさ」
その目は今、何を見ているだろうか?
6.僕の知らない所でまた誰かの心が死んだ。助けようと思っても、僕の言葉は届かない。僕が欲しいのは拡声器だった。この世の果てまで声を届けられるような。手に出来れば誰かを救えるはずだ。知識もないがらんどうの僕には、この優しさだけが美徳なのだから。だから今日も僕は拡声器に手を伸ばし足掻く。
7.「貴方と私の愛は違うのね」
あぁ、そう寂しそうな顔をしないでおくれよ。僕らの愛の重さは、それぞれ違うのかもしれない。たとえ同じでも、鉄と綿くらい違うものなのかもしれないね。でもね、
「それでも、君が好きだという気持ちは本物だよ」
「うん、信じてる」
同じになれないから、僕ら愛し合うんだ。
8.いつも通りの朝が来た。けれど僕にとっては特別な朝だ。今日の予定はない。人と会う約束も、しなければならない仕事もない。それでも特別な朝だ。今日という日を特別にしたのは、昨日久しぶりに会った恩師の言葉だった。
「幸せになりなさい」
それを知るだけで僕ら、こんなにも息がしやすい
9.真っ直ぐ歩く、ということを大事に思ったことはなかった。曲がり道にもいいことはあるだろうと。しかし、後ろから凄い勢いで自転車が通り過ぎた時、その考えを改めた。もし、ふらふらと右に飛び出してたら。ぞっとした。自分のペースでいいけど、前を見据えて真っ直ぐ歩く。これは大事なことなんだ。
10.雲が天高く連なって、輝かしい星を隠す。この雲を抜けた空には確かに存在するのに、そんな日は皆、一様に声を揃えて言う。
「今日は太陽が出ていない」
そうじゃない。いつだってその星はそこにいて、僕らが迎えに行くのを待っている。だから、どんなに冷え込む雨の日でも、きっと伸ばせば手は届く。
11.寒い日の朝、窓の外を見ると少し遠くに白い煙が見えた。
『火のない所に煙は立たぬ』
昔の人はそう言ったけど、あの煙の火元はなんだろうか。願わくば、誰かの為に焚かれた火であって欲しい。迷惑がられるような煙は、立って欲しくない。そう思い私は、きっと自分も火であると心を引き締めた 。
12.ふと掌を眺めて、この中でどの指が一番大切かを考えた。僕は無難に人差し指じゃないかと思う。君にも訊いてみた。
「そんなの小指に決まっているわ。赤い糸が繋がっているんですもの」
ふわり笑う君に、思わず渇いた笑いが。ロマンチストな君とはいつだって合わないな。それがいいんだけども。
13.世の中の広さを知った蛙は、家に帰ってふて寝しました。冷たく平和な井戸の底、そこには綺麗な夢がありました。なんでも出来るヒーローのような、自分の夢がありました。目が覚めるとそこはいつもの井戸の底で、特に変わったことはありません。見上げた井戸の入り口は、いつもより小さく遠く見えました
14.僕らはいつも、充電の切れることを気にしている。そのくせ、行く先も決めずに夜を彷徨ったりする。残された時間は決められているのに。バッテリーが赤になっても、家に帰ることをしない。休まず歩ける距離は決まっているのに。行く先も目的も、探すものではないはずなのに。あ、充電切れた
15.わらわら。わらわらと一人、また一人と集う夜会。日付が変わっても続くそれは、音と言葉だけで成り立っている。仮面をつけたまま、それでも楽しい夜会は続く。カタカタとキーボードを打つ音をBGMに、離れた誰かと繋がる喜び。そう毛嫌いするもんでもないさ、良ければ君も一緒にどうだい?
16.「さあ、眠れない貴方のお供に。眠たくなるラジオのお時間がやってまいりました。いつでもどこでも。眠れない貴方にお届けする、眠たくなるラジオ! 本日のゲストは貴方です。貴方は何故、眠れないんでしょう? ふむふむ、死にたいから? そんな時は睡眠が足りてないのです! さっさと寝てください!」
17.未来の僕が会いに来た。僕は尋ねた、
「後悔してる?」
って。未来の僕は答える。
「君が後悔してるなら」
って。
「どんな風に僕が見えても、それは君が選んできた僕だよ」
そう言って微笑んだ。
「他に聞きたいことは?」
「いや、やめておくよ」
そう断れば、夢のように未来の僕は消えていった。
18.下を向くなと誰かが言った。そんなとこに良いものは落ちてないからと。上を向くなと誰かが言った。羨んでも良いことないからと。どこを向いたっていいじゃないか、と僕は辺りを見回す。僕が見つめるものは僕自身が決めていくんだ。例え後ろだって、大切ななにかが見つかるならそれでいい。
19.この地とお別れしようと思う。なんの未練も残っていないから。ここでの思い出を置き去りに、新しい自分に会いに行こう。重い荷物は全て置いていって、気まぐれな鼻歌と貴方の「愛してる」を道連れに。夜が明ける前に飛び立とう。翼なんて持っていないけれど。うまく飛べたなら、どうぞ褒めてください。
20.始まりを覚えているのはぼくだ。それをわたしが眺めていたのを覚えている。自分を天才だと思い込んだぼくを、わたしは止める。それを振り切り、やがておれになってここまで来た。来てしまった。もう、ぼくにもわたしにも戻れないおれは。おれは誰なんだ? その答えはきっと、ぼくが知っているのだろう
21.赤信号を目の前に、白線の外側に飛び出そうかどうかを悩んでいる。まばらに行き交う車、吹き荒ぶ風に身を縮こませる。生きている実感、どこにでも転がっている死の香り。ただの白線が仕切る境界線。思いふけっていれば、緑に移り変わった信号。ああ、また死に損ねた。ほっと胸をなでおろす自分がいた。
22.頭上にくゆっていく煙を眺める。「彼女といる時くらい、喫煙やめない?」「あ? なんで俺がお前の為に我慢しなきゃなんねーんだ」ふうっと吹きかけられる煙草にむせた。睨みつけてやれば、存外機嫌の良さそうな顔。「俺とお前の間に遠慮とかいらねーだろ」死なば諸共、私達は傷つけ合いながら生きる。
23.鏡を叩きつけている人を見た。何度も何度も。その拳は割れた破片で赤く滲む。鏡の向こうに、憎き敵を見ているのだ。それは自分の姿であり、傷つける敵ですらないのに。それすらも許すまいと、その人は拳を振り上げ続ける。僕からの声は聞こえない。ああ、可哀想だな。僕は立ち去ることしか出来ない。
24.「人に嫌われるのは怖くない。本当に怖いのは、人に忘れられることだ」
昔誰かがそう言った。誰だったかは忘れてしまった。僕らは人の目に晒されて見えない何かに怯え続けている。自分も取りこぼしていくのを棚に上げながら。恐怖を何かと引き換えられるなら、それを絆と呼ぶのだろうか。
25.時折、熱を奪われるように自分を見失う。水没するように、ゆっくりと何かに飲み込まれる。思考が鈍る。然るところ、思考とはなんだ? 己とはなんだ。不満などざらにあるが、全て飲み込み呼吸だけ繰り返す。自分とはなんだ。言葉にせずして形を成せるものなのか。自分の形は、色は、姿は。
26.愛犬と出会ってもう10年。そろそろ散歩にも若かった頃の勢いはなくなってきた。のんびり足並みを揃えて歩いていると、珍しく急に駆け出すペンネ。
「ワン!」
追いつくと、彼の足元には五円玉が。笑みがこぼれる。
「今年はお前の年だもんね」
帰り道、その五円玉をお賽銭に初詣をした。今年もよろしくね。
27.失くしたものの数を数える時、過ちの数を数える時、人は絶望に苛まれることがある。それは僕らの都合とは関係なく訪れて、しばしば僕らを凍えさせる。
「絶望出来るということすら、既に甘えている」
そう強すぎる人は言った。いつも一人で凍えることを知らないその人を、ただ強いと思うしかなかった。
28.寒空の下。空は高く、星々がよく見えて、身に染みるそれが俺は嫌いじゃない。燃えさかる闘志が、冷えて研ぎ澄まされる感覚。不安すらも巻き込んで、なにかをここに刻み込めそうな予感。人はそれを青いと言うんだろう。それでも、確かな思いと共に進んでいく。たとえ後悔しようと、泣くことになろうと。
29.夢を諦めることにした。若い頃から追い焦がれた夢だったが、諦めることにした。今思えば「自分は選ばれた存在だ!」と、信じきれていた時代が懐かしい。こう決断した感想は、苦々しさはなくいっそ清々しいだった。夢の枷を捨てて僕は人生を選びに歩み出すのだ。やりたいことは幾らでもある 。
30.言葉は高速渋滞中。空は馬鹿みたいに快晴で、無限に広がっていく僕のキャンバスのようで。君が笑い飛ばす画面向こうのその人は、僕の隣人で僕自身だ。だから、口には気をつけた方がいいよ。ウィンカーを出して、無理にでも右に曲がるのは、行き止まりの気配を感じたからだ。言葉は高速渋滞中……。
31.「僕が君の全てを知る必要はないの」
親愛なる隣人は僕にそう声かける。
「僕も僕の全てを知る必要なんてない」
三日月のように吊り上がった唇が、僕の向こう側を見つめたような瞳が。ゾクゾクと僕の内面を這い回る。
「だって、僕ら初めから一つなんだから」
君は、僕なんだから。声は深夜の部屋に消えた。
32.「きっとこれは、過ちーー」
残り香の様に離れない、美しい人がいた。いつも死にそうな顔に笑顔だけ貼り付けて、僕を迎え入れる人。
「ここにはもう、来ないと思ってた」
今日も彼女は笑う、儚げにそっと。その姿は半世紀変わらないーー。目を瞑れば、変わりない声に安心した。あと何度、巡り会える?
33.「傷つけ合いの会話をしよう」
唐突に君がそう言った。
「僕を傷つけたいのか、それとも君が傷つけられたいのか」
「どちらかといえば、後者」
ならば、と僕は君に向き直る。剃刀ような瞳を見すかす振りして見下ろした。
「無人島で僕と遭難したとする。その時、価値があるのは僕かヤシの実か」
「……後者」
34.「大人なんかに負けるもんか」
そう泣いて叫んだあの日から、一年。大人として迎えられたこの日と、あの日は変わらずに一本の線で結ばれている。
「大人になんてなるもんか」
僕は大好きな童謡を鼻唄で歌いながら、薄暗く街灯が照らす道を歩いた。それは僕のこれからの人生のようで、ワクワクした。
35.目覚めるより先に、朝日は昇る。意識する前に、風が季節を運んでくる。無情に過ぎる日々が、肩にのしかかっていく。自由を求める指がねじれて、掴むのは他人の栄誉ばかり。ため息を吐けば、ストーリーが僕を追い越していく。ああ、追いすがる為に、魂を燃やし、今日も眠る前に夜空を見上げるのだ。
