名前なき綺羅星

恥の多い生涯だったでしょうか?何者にもなれず、何者にもならず。飽き飽きしました。苛立つこと、理不尽や不可解。その多さに、辟易しました。殺さないと気が済まないような人間が、わんさかいる。その息苦しさに幸せとはなんなのかと、考える余裕も埋め尽くされました。この世の全てが憎く、全ては敵と思えます。
話は変わりますが、生まれてこの方、生きることに価値を見出せないでいます。生きていれば必ずいいことがあるなんて、親も先生も仰いますが、いいことがあるから生きるのですか?いいことに価値はありますか?一瞬の安寧、そのためのアップダウン。それのどこに意味があるのですか?平穏で、平らに引っ張られた糸のような心にこそ、幸せはあると思えてなりません。生きることに価値などなく、死するために生きるのならば、それが早まったところで誰にも文句は言わせない。あぁ、少しずるいのかもしれないな。死というゴールを勝手にずらすのだから。そこで少し、迷いが生じて空を仰ぎました。
死ぬために生きている。生きることに、価値はない。どんな幸福が訪れようと、どんな災厄が降り掛かろうと、元々価値などないものに意味なんて発生しない。これが私が齢16にして完成させた哲学。著名な哲学者など知りもしないが。自分で辿り着く過程にこそ、美しさは宿ると思う。
桜が吹雪いております。屋上の遥か下の方に、ざぁざぁと。ここは七階になるでしょうか。屋上の鍵は職員室でくすねました。こんな悪行も、今から行う親不孝に比べれば、大した問題ではないでしょう。疲れたのです。価値のないものを生きるには、些か精神が薄弱であり。いや、ただ堪え性がないだけかもしれませんね。今日は風が強く、雲が飛んでしまって陽射しの強さが身に沁みます。フェンスを乗り越えるのに、スカートが捲れる。誰も見ていやしないから、気にも留めなかった。
「危ないよ?」
背後からの声で、冷水を浴びて目が覚めるような思いがする。振り向けば、さして仲が良いとは言えないクラスメート。いや、私と仲がいい人間なんて1人もいないのだが。
「危ないと思うよ?」
クラスメートは繰り返す。なぜか名前が出てこないことに罪悪感を覚え、答えられずにいた。
「紗季ちゃんは、死にたいの?」
問い詰められると、迷ってしまう。死にたい、というよりは、今生から退場したい。腹の立つことばかりで、それを全て正していくのは骨が折れ、また難しいのであるから、自分が去りゆくのが1番合理的と思えるのです。風が吹く。足元がおぼつかないのに、恐怖を覚える。クラスメートの顔を見た。何故か笑った。美しく見えて、やはり恐怖した。クラスメートはフェンスを登って、私よりだいぶ軽い身のこなしで隣に立った。呆然とする。クラスメートが手を握る。意味が分からず混乱した。
「じゃあ、一緒に飛ぼっか」
いち、にぃ、とクラスメートがカウントダウンする。慌てて手を引いた。クラスメートは、数えるのをやめる。
「やめる?」
「……貴方が死ぬ必要、ない」
「ないね。でも、別に死んだって構わないでしょ?」
言葉が出てこなかった。死んだって構わないと、思えるほど悪党ではなかった。自分のせいで誰かが死ぬことは、当たり前に怖かった。私の哲学には、まだ隙があったのである。私は、フェンスの内側に逆戻りした。クラスメートもそれに倣う。
「私は……早く今生とおさらばしたい」
「歌手みたいなこと言うね」
「でも、それに誰かを巻き込もうとは思わない」
「巻き込むし、巻き込まれるよ。知ってか知らずか」
「…………計算が甘かったかもしれない」
「そうだね」
また、彼女は笑った。逆光で顔が暗い。英雄のような筋書きで、私を救ってしまった人。それなのに、末恐ろしく感じられた。これから一生、彼女に縛りつけられると、本能が予感していた。
「何故、助けたの」
「助けたつもりないよ?本当に飛ぶ気だったし」
肝の座り方に説明がつかない。あのまま、2人で終わってしまっても良かったというのか。ただのクラスメートと?
「貴方も死にたいの?」
「利根友希な、あたしの名前」
名前を知らなかったことを、ついに悟られた。後ろめたくなり顔を背けると、友希は私の髪に指を通してすいた。弄んで、恍惚と笑う。
「紗季の髪は綺麗だからな」
なにひとつ結びつかない。彼女の哲学は計り知れない。恐ろしいと思った、美しいと思った。髪に触れる手を払わないまま、2人で階段を降りた。地獄の底へまでも、この手はついてくると感じた。良心を捨てられない限りこの世では苦しむのだと、自分の哲学を更新して。なにもかもかなぐり捨てた奴が得をする。けれど、得をするのにも意味などないのだから、そこに怒っていても仕方がない。そう思い直し、生涯を恥で上塗りして閉じるのはやめにした。隣を歩く友希を見やる。なにが楽しいのか微笑んでいる。道連れになるのは私か、彼女の方か。どちらでも構わないし、それを決めるのに意味なんてないだろう。
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