短編
「あんた、く」
あのおしゃべりが初めて口にした名前は、私であったらしい。夏の終わりに生まれたパライバトルマリンは、真冬に生まれた私とペアを組んでいる(一応)。冬眠明けもあまり眠らず、「積乱雲を走る稲妻のごとき破竹の勢い」で活動しているだとかなんとか。よく分からん。分からないけれど、そんなに眠らなくて大丈夫なのかと問えば、「……電気信号が夜もパチパチとうるさくてな。あまり眠れんのだよ」と、しみじみ寂しそうな顔をした。
「おはよう、アンタークチサイト。よく眠れたかな?」
「なんだってお前は、私が起き上がるタイミングぴったりに目の前にいるんだ」
「アンタークが起きる時間を正確に把握している。若しくは、そろそろだと思ったら毎日ずっと張り付いている。どちらだと思うかな?」
おそらく、前者なんだろう。肩を脱力して答えとした。身体を水槽から起こす。ザブ、と水が揺れる。まだ柔らかい身体を、パライバが手を差し出して支えてくれた。服に袖を通す。パライバを見れば、通常の冬服のままだ。
「お前も着替えたらどうだ、パライバ」
「そうだねぇ。レドベリが「あんたの服、痛みやすいから刺繍はしてらんないわ!」と、怒られてしまった」
「仕立ててはもらえたのだろう?白い服じゃないと、月人に狙われて迷惑だ」
「御意。まさしくそうだ」
パライバトルマリンは、仕立ててもらった冬当番の服に袖を通し、頷く。靴は通年、冬当番のヒールを履いてるようだ。気に入っているのだろう。
「さて、先生との再会には何分ほど要するのかな?」
「私は先生と2人きりがいいんだ!同い年生まれだから組んでやってるが」
恥ずかしくて、そんな嫌味を言ってしまった。けれど、パライバは気にする素振りはなく、ゆるゆると手を振る。
「オーライ、相棒。俺は早めに寝床に着くよ。なにかあれば部屋においで」
パチパチ、とパライバの静電気が笑っている。その様子に、ほっとする自分も確かにいる。先生とは違う部分で、私は彼に甘えているのだろう。調子に乗るから、口には出せないが。……さあ、冬が始まる。
流氷割りに出かける前と帰って来てから、ずっと先生と一緒に過ごす。パライバは揶揄ってくることもあるが、最近ではほとんど邪魔してくることもなく、黙って同じ空間にいる。時折、パチパチが大きくなって、急に流暢に喋る。先生はそれを聞き落とさず、あの素敵な安心する声でパライバに答える。私は先生の膝の上、うっとりと夢見心地で意識の遠くで問答を聞いている。
「アンターク」
先生が私の名前を呼ぶので、まばたきを数度して頭を起こす。
「冬眠室の様子を見て来てほしい」
「かしこまりました」
パライバと並び立って、冬眠室へ。ボルツの寝相が悪いのが本当に困る。どこかへ行こうとするのを、布をかけておさめる。みんなもそれぞれ適度な距離感に誘導してやって。先生の元に戻れば。
「おや、瞑想してらっしゃるね」
「お前の話で眠くなったんだろ、きっと。先生を煩わせるな」
「おやおや。君が膝の上にいるのに、安心したのかもしれないよ?」
返す言葉が出ないのが悔しい。クスクスと笑うパライバにそっぽを向き、部屋に戻った。冬の夜は長い。窓から差し込む月光が、怪しげに揺らめいて不安を誘う。先生の瞑想中、なにも起きなければいいのだが。
次の日に限って、冬の快晴だった。流氷割りは楽だろうが。パライバがカカン、とヒールを鳴らした。目を合わせれば、しっかりと頷き弧を引く口元。私も頷き、学校の外へ踏み出す。気温が少し高い。本調子ではない。月人はおそらく、確実にやってくる。恐るな、自分よ。低硬度から勇気を取ったらなにもない。
「緊張するな、アンターク」
パチパチ、と耳元で声がする。柔く甘言にも聞こえる響き。少し先を歩くパライバが振り返り、にこ、と笑う。少し悔しい。自分の身体を労ってくれるのは、先生だけでいいんだ。パライバに気遣われても、丈夫な身体を羨むだけ。
「別に、大丈夫だ」
そう私が答えると、パライバは目を伏せてそうか、と呟いた。その表情が妙に艶っぽく、しばし目を止める。あぁ、先生が彫った顔の中でも。パライバの造形は好きかもしれないな。
「空」
パライバが指差した先、黒点が見える。私が構えると、パライバは手で制する。
「アンタークは、先生を呼んでくるといい」
「め、瞑想中だぞ。起こすなんて」
「起こした方がいい。俺のインスピレーションがそう言ってる」
「なんだそれは!」
黒点が開き始め、矢が飛んでくる。パライバが似合わない剣を抜いて、矢を弾いた。
「早く、行け」
月人の群れが多い。勝算を見極め、学校に走った。パライバだけなら、勝てるかもしれない。私は、足手まといになる。先生が起きなかったら、パライバは。ゾッと背筋に凍てついた風が吹くよう。失敗したくない、私のせいで誰かいなくなるなんて。とにかく走った。走って、座禅を組む先生に勢いよく飛びついた。先生のうなじに顎が当たった。カツン、と確かな響き。
「先生、先生!起きてください!月人です」
肩を揺らした。向かいあい、頬を撫でてからぺちぺちと叩く。瞼を無理やりこじ開けようともしてみた。
「先生〜!!」
冬眠室のボルツを起こした方が早いか?そう思ったところで、カツ、カツと不規則なヒールの音が響く。
「いやはや、やれやれ。なかなかに手強かったが、右手首ひとつで満足してもらえたようだ」
帰ってきたパライバは右肘から下を失い……袖が引きちぎれて服はボロボロだった。
「パライバ!」
声は震える。パライバはなんでもないような顔、腹立たしいくらいに。拳を握握り締める。
「うん?どうしたかな」
そういつものトーンで聞いた途端、言葉にならない声を飲み込んで、顔は歪んだ。よかった。本当によかった。パライバがいなくならなくて、本当に。パライバの静電気が、いつもより数が多いが弱々しい。それに気付けば、自然と顔が緩む。
「バカ者……元気じゃないか」
「おう。ただいま、アンターク」
視界がぶれる。たまらず笑う。胸の緊張が解けて、軽くなる。
「おかえり、パライバ」
先生が瞑想から起きたのは3日後で、パライバの腕の代わりを探しに緒の浜に行く許可を得た。3日間、あの時のことを思い返していた。先生のうなじに、顎をぶつけた。どちらも生身でぶつかったはずだった。私にも先生にもひび割れは起きなかった。先生は。先生は、宝石ではないのか?前々から予感めいたものはあった。今回のことで確信に変わったように思う。
「考え事だね?アンターク」
「考え事だ」
パチパチがうっとおしくて、怒気をこめた。パライバは気にせずそうかそうかとのらりくらり。くそ、余裕ぶって。でも、相談相手などこいつ以外にあり得ない。先生と、パライバと。たまーにシンシャ。私が仲がいいのはこれくらいのものだ。私の世界は狭く、白く、閉ざされて。それでも、先生が大好きで私は幸せなのだ。雪の結晶のような私の世界の、守護者であろう石。それがパライバトルマリンだ。私は相談をする決心をした。
「パライバ、先生のことなんだが」
「ふむ?」
「先生は、宝石ではないのでないか」
パライバは無表情になり、空を見上げた。雲は厚く、雪がちらつく。
「先生が月人についてなにか隠しているのは?知っているかい」
「当然だ」
「それならば、まぁ。先生が俺たちと違う生き物であることなんて、別に不思議なことでもないのでは?」
「…………先生と生身で接触したが、割れなかった」
「なるほど」
しばらく沈黙が続き、緒の浜に到着する。雪を払うが、砂金や銀くらいしかない。パライバへの申し訳なさがここに来て胸を抉った。
「なにもないね」
「……すまない」
「アンタークが謝ることではないさ」
パライバはマイペースに緒の浜をぐるりと見て回る。その後ろについていきながら、先生のことを考えていた。先生のことが好きだ。たとえ得体の知れないなにかであっても。
「アンターク」
パライバが前方を見たまま、私に声をかける。返事をせずに、耳を澄ました。
「秘密を握っているということは、暴くか暴かないかを選ぶことができる。それだけのことさ」
ふっと胸が軽くなる。視界がクリアに目が覚める。パライバの言う通りだ。私の金剛先生への気持ちは、なにがあろうと揺るがない。だから先生が望む時まで、冷たい海の底まで沈めてしまえばいい。そんな重要な秘密ではないかもしれないし。秘密を握っている。その表現は甘美で気に入った。
「ありがとうパライバトルマリン」
「どうも。たまには俺のことも、気遣っておくれね?」
「どうしたものかな」
軽口を叩き合い、笑う。なんだかんだ、パライバがいてくれてよかった。パライバが最初に求めて呼んだのは、私らしいから。仕方がない、ペアとしてこれから先も。よろしく頼むよ、相棒。
あのおしゃべりが初めて口にした名前は、私であったらしい。夏の終わりに生まれたパライバトルマリンは、真冬に生まれた私とペアを組んでいる(一応)。冬眠明けもあまり眠らず、「積乱雲を走る稲妻のごとき破竹の勢い」で活動しているだとかなんとか。よく分からん。分からないけれど、そんなに眠らなくて大丈夫なのかと問えば、「……電気信号が夜もパチパチとうるさくてな。あまり眠れんのだよ」と、しみじみ寂しそうな顔をした。
「おはよう、アンタークチサイト。よく眠れたかな?」
「なんだってお前は、私が起き上がるタイミングぴったりに目の前にいるんだ」
「アンタークが起きる時間を正確に把握している。若しくは、そろそろだと思ったら毎日ずっと張り付いている。どちらだと思うかな?」
おそらく、前者なんだろう。肩を脱力して答えとした。身体を水槽から起こす。ザブ、と水が揺れる。まだ柔らかい身体を、パライバが手を差し出して支えてくれた。服に袖を通す。パライバを見れば、通常の冬服のままだ。
「お前も着替えたらどうだ、パライバ」
「そうだねぇ。レドベリが「あんたの服、痛みやすいから刺繍はしてらんないわ!」と、怒られてしまった」
「仕立ててはもらえたのだろう?白い服じゃないと、月人に狙われて迷惑だ」
「御意。まさしくそうだ」
パライバトルマリンは、仕立ててもらった冬当番の服に袖を通し、頷く。靴は通年、冬当番のヒールを履いてるようだ。気に入っているのだろう。
「さて、先生との再会には何分ほど要するのかな?」
「私は先生と2人きりがいいんだ!同い年生まれだから組んでやってるが」
恥ずかしくて、そんな嫌味を言ってしまった。けれど、パライバは気にする素振りはなく、ゆるゆると手を振る。
「オーライ、相棒。俺は早めに寝床に着くよ。なにかあれば部屋においで」
パチパチ、とパライバの静電気が笑っている。その様子に、ほっとする自分も確かにいる。先生とは違う部分で、私は彼に甘えているのだろう。調子に乗るから、口には出せないが。……さあ、冬が始まる。
流氷割りに出かける前と帰って来てから、ずっと先生と一緒に過ごす。パライバは揶揄ってくることもあるが、最近ではほとんど邪魔してくることもなく、黙って同じ空間にいる。時折、パチパチが大きくなって、急に流暢に喋る。先生はそれを聞き落とさず、あの素敵な安心する声でパライバに答える。私は先生の膝の上、うっとりと夢見心地で意識の遠くで問答を聞いている。
「アンターク」
先生が私の名前を呼ぶので、まばたきを数度して頭を起こす。
「冬眠室の様子を見て来てほしい」
「かしこまりました」
パライバと並び立って、冬眠室へ。ボルツの寝相が悪いのが本当に困る。どこかへ行こうとするのを、布をかけておさめる。みんなもそれぞれ適度な距離感に誘導してやって。先生の元に戻れば。
「おや、瞑想してらっしゃるね」
「お前の話で眠くなったんだろ、きっと。先生を煩わせるな」
「おやおや。君が膝の上にいるのに、安心したのかもしれないよ?」
返す言葉が出ないのが悔しい。クスクスと笑うパライバにそっぽを向き、部屋に戻った。冬の夜は長い。窓から差し込む月光が、怪しげに揺らめいて不安を誘う。先生の瞑想中、なにも起きなければいいのだが。
次の日に限って、冬の快晴だった。流氷割りは楽だろうが。パライバがカカン、とヒールを鳴らした。目を合わせれば、しっかりと頷き弧を引く口元。私も頷き、学校の外へ踏み出す。気温が少し高い。本調子ではない。月人はおそらく、確実にやってくる。恐るな、自分よ。低硬度から勇気を取ったらなにもない。
「緊張するな、アンターク」
パチパチ、と耳元で声がする。柔く甘言にも聞こえる響き。少し先を歩くパライバが振り返り、にこ、と笑う。少し悔しい。自分の身体を労ってくれるのは、先生だけでいいんだ。パライバに気遣われても、丈夫な身体を羨むだけ。
「別に、大丈夫だ」
そう私が答えると、パライバは目を伏せてそうか、と呟いた。その表情が妙に艶っぽく、しばし目を止める。あぁ、先生が彫った顔の中でも。パライバの造形は好きかもしれないな。
「空」
パライバが指差した先、黒点が見える。私が構えると、パライバは手で制する。
「アンタークは、先生を呼んでくるといい」
「め、瞑想中だぞ。起こすなんて」
「起こした方がいい。俺のインスピレーションがそう言ってる」
「なんだそれは!」
黒点が開き始め、矢が飛んでくる。パライバが似合わない剣を抜いて、矢を弾いた。
「早く、行け」
月人の群れが多い。勝算を見極め、学校に走った。パライバだけなら、勝てるかもしれない。私は、足手まといになる。先生が起きなかったら、パライバは。ゾッと背筋に凍てついた風が吹くよう。失敗したくない、私のせいで誰かいなくなるなんて。とにかく走った。走って、座禅を組む先生に勢いよく飛びついた。先生のうなじに顎が当たった。カツン、と確かな響き。
「先生、先生!起きてください!月人です」
肩を揺らした。向かいあい、頬を撫でてからぺちぺちと叩く。瞼を無理やりこじ開けようともしてみた。
「先生〜!!」
冬眠室のボルツを起こした方が早いか?そう思ったところで、カツ、カツと不規則なヒールの音が響く。
「いやはや、やれやれ。なかなかに手強かったが、右手首ひとつで満足してもらえたようだ」
帰ってきたパライバは右肘から下を失い……袖が引きちぎれて服はボロボロだった。
「パライバ!」
声は震える。パライバはなんでもないような顔、腹立たしいくらいに。拳を握握り締める。
「うん?どうしたかな」
そういつものトーンで聞いた途端、言葉にならない声を飲み込んで、顔は歪んだ。よかった。本当によかった。パライバがいなくならなくて、本当に。パライバの静電気が、いつもより数が多いが弱々しい。それに気付けば、自然と顔が緩む。
「バカ者……元気じゃないか」
「おう。ただいま、アンターク」
視界がぶれる。たまらず笑う。胸の緊張が解けて、軽くなる。
「おかえり、パライバ」
先生が瞑想から起きたのは3日後で、パライバの腕の代わりを探しに緒の浜に行く許可を得た。3日間、あの時のことを思い返していた。先生のうなじに、顎をぶつけた。どちらも生身でぶつかったはずだった。私にも先生にもひび割れは起きなかった。先生は。先生は、宝石ではないのか?前々から予感めいたものはあった。今回のことで確信に変わったように思う。
「考え事だね?アンターク」
「考え事だ」
パチパチがうっとおしくて、怒気をこめた。パライバは気にせずそうかそうかとのらりくらり。くそ、余裕ぶって。でも、相談相手などこいつ以外にあり得ない。先生と、パライバと。たまーにシンシャ。私が仲がいいのはこれくらいのものだ。私の世界は狭く、白く、閉ざされて。それでも、先生が大好きで私は幸せなのだ。雪の結晶のような私の世界の、守護者であろう石。それがパライバトルマリンだ。私は相談をする決心をした。
「パライバ、先生のことなんだが」
「ふむ?」
「先生は、宝石ではないのでないか」
パライバは無表情になり、空を見上げた。雲は厚く、雪がちらつく。
「先生が月人についてなにか隠しているのは?知っているかい」
「当然だ」
「それならば、まぁ。先生が俺たちと違う生き物であることなんて、別に不思議なことでもないのでは?」
「…………先生と生身で接触したが、割れなかった」
「なるほど」
しばらく沈黙が続き、緒の浜に到着する。雪を払うが、砂金や銀くらいしかない。パライバへの申し訳なさがここに来て胸を抉った。
「なにもないね」
「……すまない」
「アンタークが謝ることではないさ」
パライバはマイペースに緒の浜をぐるりと見て回る。その後ろについていきながら、先生のことを考えていた。先生のことが好きだ。たとえ得体の知れないなにかであっても。
「アンターク」
パライバが前方を見たまま、私に声をかける。返事をせずに、耳を澄ました。
「秘密を握っているということは、暴くか暴かないかを選ぶことができる。それだけのことさ」
ふっと胸が軽くなる。視界がクリアに目が覚める。パライバの言う通りだ。私の金剛先生への気持ちは、なにがあろうと揺るがない。だから先生が望む時まで、冷たい海の底まで沈めてしまえばいい。そんな重要な秘密ではないかもしれないし。秘密を握っている。その表現は甘美で気に入った。
「ありがとうパライバトルマリン」
「どうも。たまには俺のことも、気遣っておくれね?」
「どうしたものかな」
軽口を叩き合い、笑う。なんだかんだ、パライバがいてくれてよかった。パライバが最初に求めて呼んだのは、私らしいから。仕方がない、ペアとしてこれから先も。よろしく頼むよ、相棒。
