ボツの部屋
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
冬の足音が聞こえ出した頃から、無力感と焦りに苛まれて消耗している。莉子は秋からずっと具合が悪くて、入院までした。なにもしてやれなかった。させてもらえなかった。ひたすら莉子が俺に遠慮をするのが、俺に嫌われるのを怖がっているからなのか、俺が煩わしいからなのか、分からなくて。今度の月曜がクリスマスイブで、ちょうど祝日で。一緒にいたいと、言い出せずにいた。
(そんなこと言ったら、嫌われやしないか)
俺は莉子より丈夫だけれど、俺だって不安になる。不安になるんだよ。莉子は知らないのかもしれない。カッコ悪くて、言い出せない。なにも言えなくなっていく。黙っていても側にいてくれると、信じていた季節が懐かしい。
(嫌だ、嫌われてもいい。側にいたい)
熱病にうかされるように、連絡を取る。今度の月曜、空いてるか。不自然なくらい、自然な尋ね方をする。クリスマスなんて、忘れているみたいに。
『その日、王子と遊ぶけど……一緒に来る?』
思いがけない名前が飛び出て、面食らう。なんであいつ。先約があれば、そちらを優先される。それは分かっているけれど。でも。
『一緒に行く』
俺とだけいてくれとは、とても言えなかった。天井を仰いで、ため息。まぁ、行き帰りは一緒にいられるし。焦っても仕方ない。2人の時間を、大事にする。誠実に向き合うしかない。もう一度、息を吐いた。莉子より丈夫で、切り替えが早いのが俺の取り柄のはずだから、失わないように。
クリスマスはあっという間にやってきて。コートの下に隠れるっていうのに、ずーっと着ていく服に悩んで。思えば、そんな時間は久しぶりで、胸の内がくすぐったくてウキウキする。プレゼントと、財布と鍵。あとはハンドクリームとかカイロとか。鞄に詰めて、窓の外を見る。どんより曇っているから、雪でも降りそうだ。折り畳み傘を追加する。待ち合わせより10分早いが、玄関を出て待つことにした。ほてった頬を外気が冷やしていく。莉子がマンションのエントランスから出てきたのを見て、思わず駆け寄る。
「おはよ」
「……莉子、帽子はどうした?」
「あっ忘れた」
忘れたと言いつつ、ま、いっかと莉子は歩き出してしまう。思わず肩に手を伸ばし、俺の方を向かせる。自分の耳当てを、莉子にしてやる。
「む、いい」
「寒いだろ」
「拓磨が寒くなる」
「俺のことはいいから」
北極にいたって、俺はこうするよ。なにも心配しないでいいよ。微笑みかけて頭を撫でれば、莉子は俯いてもじもじと手遊びをする。
「……帽子、取ってくる」
莉子は背伸びして、俺に耳当てを返そうとする。屈んで、つけてもらう。莉子は小走りで家に帰る。……口元が緩んで仕方ない。不安も辛さも、会ってしまえば麻酔にかかったように消えてしまう。莉子もそうならいいのにと思うけれど、莉子は心配性だからそうはいかないだろう。ふわふわしてる場合じゃない、ちゃんと見ていなきゃ。
「おまたせ」
莉子が袖を一瞬だけ引っ張って、歩き出す。ポンポンのついた毛糸の帽子がよく似合う。可愛いしか入ってこない!
「あ、弓場さん。そこで迅さんと会ってね」
なんで迅までいるんだよ。思い切り睨んでしまった。莉子が不安そうに俺を見上げたから、慌ててやめたけれど。王子は莉子に半歩近寄ると饒舌にあれこれ喋って、そのまま莉子の隣をキープして歩き出す。近けぇ。襟首を掴んで引っ張る。
「なんだい?」
王子は興味深いとばかりに笑みを深くする。こいつ!
「近けぇよ」
「普通だと思うけどなぁ。莉子さんはどう?」
「……拓磨、私小さいからみんな遠いと声聞き取れない」
莉子が申し訳なさそうな目で、俺を見上げる。途端に罪悪感が湧いて、小さくなりたくなる。ごめんなさい、俺が言える立場じゃないね。遠慮させてそんなこと言わせて、ごめんなさい。ひとつも言葉に出来なくて、ただ莉子の目尻に触れて撫でた。莉子は黙って受け取って、また前を向く。王子は目を細めて、意味深に笑ってまた話し出す。こいつ。ずっと静かなので隣の迅を見る。いつも通りへらりと笑っていて腹立つ。
「なんでお前がいんだ」
「いやぁ王子がいるなら俺もいていいかなって」
舌打ちはよくない、落ち着け。誤魔化すようにため息を吐いた。
「許してよ」
「……許せねぇよ、お前のことは」
夏からずっと。莉子が迅といるのが居心地が良いことも知ってる。悔しくて仕方がない。どこかで許さないと、この先がないのも分かってる。
「……悪かったよ、夏のことは」
ギッと反射で睨んだ。頭の隅で、謝ったことを意外に思う。言い訳くらいは聞くことにした。
「自分が弱ってるからって、莉子ちゃんに甘えすぎたよ」
「……なんもなかったんだよな?」
「ないよ、誓って」
碧の瞳を覗き込む。その瞳がなにを映してるのか知らないし、莉子と違って俺は信じてない。けれど、莉子が信じてるなら、莉子のためには動いてくれると、ほんの少しは信頼を預けてもいいかもしれない。全部利用してやる。全部使い果たして、莉子を幸せにするのは俺だ。
「妙なことしてみろ、八つ裂きにするからな」
「怖いなぁ」
迅は底知れぬ笑みを見せる。どいつもこいつも腹の読めねぇ笑い方しやがって。
「拓磨、お昼どうする?」
莉子が立ち止まって、背中越しに俺を見上げる。肩に触れて、伸ばされた首を撫でて、顎下をくすぐる。莉子が小動物みたいに目を細める。あぁ、誰もいないところに連れ去ってしまいたい。
「なんでもいい。莉子が食べたいもんにしよう」
全員そんな感じなので、莉子はなんでもいいけどなぁと呟く。呟きながらも、いつものイタリアンに足を向けたので、黙ってついていった。
あっという間に夕方になる。あれこれ街を見て回れば、陽が落ちるのは早い。昼食の際、自然に隣に座った時に意味ありげに見上げられたのがずっと引っかかる。隣に座っちゃダメだったろうか。迅が「いつもいつもは嫌なんじゃない?」と口を出してきて、王子が「いっつもはずるいよねぇ」と言った。そんなに隣にいるかと急に気恥ずかしくなって、俺はずるいだろうか、莉子は本当は嫌なんだろうかと不安になって。なにも言えずにいると、莉子はそっと俺の太ももに手を置いた。
「別に、大丈夫だよ」
なにも考えないで、鵜呑みにしたくなる。やっぱりなにも言えなかった。莉子は何事もなかったかのようにメニュー表を見て、クリスマスだから奮発するとチーズの盛り合わせを頼んだ。美味しそうにたくさん頬張って食べるのが、どうしようもなく可愛らしかった。
「残念だけど、僕このあとも約束があるんだよねぇ」
王子の声で引き戻される。今日はありがとぉと、王子は莉子の手を両手で握る。だから近ぇよ。眉間に皺が寄る。慌ててほぐす。嫌われたくないんだって。
「弓場さんも、ありがとね」
王子は手を大きく振りながら、ボーダー本部の方へ消えていった。同い年のメンバーとパーティでもやるのかもしれない。迅は王子が抜けた穴にするっと収まって、莉子を撫でている。ダメだ、ヤキモチでいっぱいになる。俺だっていつも撫でているのに。莉子の背中から、俺も手を伸ばして撫でる。
「わ、わ」
莉子は拒絶することは出来ずに、でも困惑した声を出す。迅の方へ目配せするが、止める気はないようで。ひとつ息を吐いて俺が手を止めて、なおもしつこく触る迅の手首を掴んで、下ろさせた。莉子は乱れた髪を直す。
「嫌だった?」
迅が今更そんなことを尋ねる。
「嫌じゃないけど、びっくりしちゃった」
莉子は少し恥ずかしそうに、下を向いた。可愛い。意地悪でもう一度触れたくなる。迅と目が合って、なんとなく同じことを考えていたように見えてイラっとする。
「俺もそろそろ行かなきゃなんだよね」
迅がそう言うと、莉子は顔を上げる。寂しそうに見えて、胸が締まる。俺が、俺が最後までいるからそんな顔しないでくれ。莉子は迅とも握手をして、手を振る。2人きりになった。
「あー……」
やっと2人きりになれたのに、言葉が出ない。2人だけの時、どうしていたっけ。クリスマス、みたいな特別な時に、どうしたらよかったっけ。
「……拓磨も帰る?」
莉子の瞳を見て、すぐに逸らした。そんな寂しそうな顔されたら、いつまでだって帰れないし。理性が焼き切れて、散り散りになりそうだから。
「……まだ帰らねぇ」
「うん。どこか行く?」
「そうだな……」
口にした言葉と、頭の中が、解離してるような感覚。なにも考えられない。なんだこれ。
「行きたいところ、ある?」
莉子が行きたいところに、どこへでも連れていってくれ。どこへでも。甘い言葉を、言えるわけもなく。
「イルミネーション、とか」
言ってから、ぶわっと顔に熱が集まる。そんなとこ行ったら、誰が見たって恋人同士に見える。一緒に歩けたらと浮かれながら、心の下の方で断られたらと不安が流れていく。おそるおそる、胸あたりにある莉子の顔を見る。莉子は読めない表情をしていた。でも、頬が少し赤いのを見逃せなかった。無意識に触れてしまう。余計に赤くなる。心臓が大きく音を立てて、倒れるかと思う。
「うーん……いいよ」
歯切れは悪いけど、いいよと言ってくれた。やった!!心の中はお祭り騒ぎ。祭りの喧騒の外で、まだなにか遠慮されてるのに気付いているけれど。莉子は駅の方へ歩き出す。駅前のイルミネーションは明日まで。きっと人が多いだろう。人混みの中に紛れそうで、莉子の手首を掴んだ。細すぎて、気がおかしくなりそうだ。
「ん?」
莉子が不思議そうに俺と掴まれた手首を見る。そっと離して、それから柔らかく手を握った。
「あーその。人が多いし。恋人ばっかで、恥ずかしいだろうから……」
なにを訳の分からないことを言ってるんだろう。君と恋人みたいに歩けて、恥ずかしいことなんてないのに。いや、恥ずかしいけど。ごめん、俺は小学生の頃から変われてない。莉子は首を傾げている。そりゃそうだ。
「繋いでないと、恥ずかしい?」
「うん、そう」
「分かった」
莉子は優しい声で了承すると、手を握り返して歩き出す。心臓の音以外、なにも聞こえなくなった。莉子のこと以外、なにも見えない。莉子も言葉数は少なくて、綺麗だねーと言うのを、俺は小さな声で頷く。イルミネーションの端に白い小さな花が植えられている。莉子はそれにも気付いて写真を撮っていた。
「…………一周した」
莉子がそう呟いて、弾けたように急に寒さが身に染みる。莉子は人混みに疲れたようで、首を前後に伸ばしている。
「もう一周する?」
「いや……いい」
永遠に続いたって構わないくらいだけれど、俺も莉子も身が持たないだろう。手を繋いだまま、帰り道に向かう。人混みを抜けても、手は離されなかった。手の甲を親指で撫でれば、きゅっと握り返される。熱にうかされたような幸せの中、家が近づくごとに急速に冷え込むような寂しさが差し込む。別に明日も明後日も、会えないことはないのに。
「今日はありがと」
莉子のお得意のシェイクハンド。手が離れていく。寒くて仕方がない。
「あっ」
最後の足掻きではないのだが、プレゼントを渡しそびれていたことに気づく。鞄を漁り、莉子の手に渡す。ラッピングが少しよれてしまって、しまったなぁと思う。
「これ……」
「?プレゼント」
当たり前のようにそう答えて、頭をそっと撫でたら。莉子が大きな瞳からボロボロと涙を溢すので、ギョッとする。
「ど、どうした」
「拓磨のプレゼント、ない……」
「いや、だから」
「拓磨に渡すプレゼント、ない」
そう言ってわんわん泣く。なんでこんなに泣いているのか、必死に考える。どうしようもなくて、抱きしめて誤魔化す。背中を撫でて、落ち着かせようとした。
「嫌だったか?俺から貰うの」
「違う、違う」
「じゃあどうして泣いてんだ」
莉子がゆるく俺の胸を押し返す。身体を離して、莉子を見つめる。莉子は俯いている。頬に触れて、涙を拭う。泣かないでくれ。泣かせる度に、俺は俺を見失うくらい、自分のことが嫌になってしまう。お前のことを好きでいていいのか、すっかり自信がなくなってしまうんだ。せめて、せめて好きでいさせて欲しい。
「ずっと具合悪くて、」
「うん、知ってる」
「拓磨へのプレゼント、用意できなかった」
「うん?仕方ないだろ」
「貰ったのに、返すものがない」
莉子はグスグス泣いて、目を擦ろうとする。手首を掴んでやめさせる。莉子が力を込めて振り払おうとするから、そのまま引き寄せてもう一度抱きしめる。
「そんなことで、泣かなくていい」
「そんなことじゃない、貰ってばっかいやだ」
「貰ってばっかでいい。貰ってくれればそれでいい」
自分の気持ちが、君よりずっと重たくなったのは分かってる。水をやり過ぎたら花は枯れるのに、俺は注ぐのをやめられない。だから、なにも返さなくったっていい。受け取って、笑ってくれるだけでいいのに。
「夏からずっと遠慮してるのも、そのせいか?」
莉子は俺の胸の中で、黙って頷く。切なさが頭を冷やしていく。そうだな、莉子が俺のことを好きじゃないなら、俺の気持ちに応えられないなら、遠ざけて当然だよな。でも、莉子は俺を拒絶はしない。だから縋りつきたくなってしまう。
(俺のことが嫌いか?)
訊いてしまえたらよかったのに。ついぞ、そんな決定的な言葉は言えなくて。だって、お前は俺のこと、大好きなはずだろ。
「なにも遠慮しなくていい。気遣いもいらない」
莉子が首を横に振るから、なおも強く抱きしめた。
「対等に返そうとか、考えなくていいから。思いっきり甘えてくれ」
それだけで、充分蕩けそうなほど幸せなんだから。素直にそう伝えられて、君にちゃんと伝わるのはいつになるんだろう。今日はごめん、そこまで勇気を出せなくて。莉子は俺の顔を覗き込んで見上げる。涙は止まったみたいだ。情けない俺が君の瞳に映る。
「甘えて、いい?」
「いい」
「幼馴染だから?」
「…………うん、そう。だから、昔みたいに頼ってくれ」
好きだからだよって言えたら、よかったんだろうな。後の祭り。ダセェ告白をしたくないあまり、君をもう泣かせたくないあまりに、いつだって遠ざかる。
「分かった、頑張る」
なんも分かってねぇなぁ。馬鹿だなぁ。愛しくて仕方なくて、どさくさに紛れてもう一度抱きしめて。全部、全部伝えたら。全部、全部伝わったら。清い君を汚すことになってしまうだろうか。それは許されるんだろうか、俺はどうしたいんだろうか。
「プレゼント、ありがとう」
ようやく君は笑って。中身はさ、スケジュール帳だから。願わくば来年も、そのノートに俺との予定が増えますように。自分の切実さが馬鹿らしくなって、誤魔化すように笑った。君はプレゼントを大事そうに抱えて帰る。もうあんなことで泣かしたらダメだ。ちゃんと考えなきゃ。俺も部屋へ帰って、1人で反省会。手を繋いで帰ったことが邪魔して、集中なんて出来ないけれど。
(そんなこと言ったら、嫌われやしないか)
俺は莉子より丈夫だけれど、俺だって不安になる。不安になるんだよ。莉子は知らないのかもしれない。カッコ悪くて、言い出せない。なにも言えなくなっていく。黙っていても側にいてくれると、信じていた季節が懐かしい。
(嫌だ、嫌われてもいい。側にいたい)
熱病にうかされるように、連絡を取る。今度の月曜、空いてるか。不自然なくらい、自然な尋ね方をする。クリスマスなんて、忘れているみたいに。
『その日、王子と遊ぶけど……一緒に来る?』
思いがけない名前が飛び出て、面食らう。なんであいつ。先約があれば、そちらを優先される。それは分かっているけれど。でも。
『一緒に行く』
俺とだけいてくれとは、とても言えなかった。天井を仰いで、ため息。まぁ、行き帰りは一緒にいられるし。焦っても仕方ない。2人の時間を、大事にする。誠実に向き合うしかない。もう一度、息を吐いた。莉子より丈夫で、切り替えが早いのが俺の取り柄のはずだから、失わないように。
クリスマスはあっという間にやってきて。コートの下に隠れるっていうのに、ずーっと着ていく服に悩んで。思えば、そんな時間は久しぶりで、胸の内がくすぐったくてウキウキする。プレゼントと、財布と鍵。あとはハンドクリームとかカイロとか。鞄に詰めて、窓の外を見る。どんより曇っているから、雪でも降りそうだ。折り畳み傘を追加する。待ち合わせより10分早いが、玄関を出て待つことにした。ほてった頬を外気が冷やしていく。莉子がマンションのエントランスから出てきたのを見て、思わず駆け寄る。
「おはよ」
「……莉子、帽子はどうした?」
「あっ忘れた」
忘れたと言いつつ、ま、いっかと莉子は歩き出してしまう。思わず肩に手を伸ばし、俺の方を向かせる。自分の耳当てを、莉子にしてやる。
「む、いい」
「寒いだろ」
「拓磨が寒くなる」
「俺のことはいいから」
北極にいたって、俺はこうするよ。なにも心配しないでいいよ。微笑みかけて頭を撫でれば、莉子は俯いてもじもじと手遊びをする。
「……帽子、取ってくる」
莉子は背伸びして、俺に耳当てを返そうとする。屈んで、つけてもらう。莉子は小走りで家に帰る。……口元が緩んで仕方ない。不安も辛さも、会ってしまえば麻酔にかかったように消えてしまう。莉子もそうならいいのにと思うけれど、莉子は心配性だからそうはいかないだろう。ふわふわしてる場合じゃない、ちゃんと見ていなきゃ。
「おまたせ」
莉子が袖を一瞬だけ引っ張って、歩き出す。ポンポンのついた毛糸の帽子がよく似合う。可愛いしか入ってこない!
「あ、弓場さん。そこで迅さんと会ってね」
なんで迅までいるんだよ。思い切り睨んでしまった。莉子が不安そうに俺を見上げたから、慌ててやめたけれど。王子は莉子に半歩近寄ると饒舌にあれこれ喋って、そのまま莉子の隣をキープして歩き出す。近けぇ。襟首を掴んで引っ張る。
「なんだい?」
王子は興味深いとばかりに笑みを深くする。こいつ!
「近けぇよ」
「普通だと思うけどなぁ。莉子さんはどう?」
「……拓磨、私小さいからみんな遠いと声聞き取れない」
莉子が申し訳なさそうな目で、俺を見上げる。途端に罪悪感が湧いて、小さくなりたくなる。ごめんなさい、俺が言える立場じゃないね。遠慮させてそんなこと言わせて、ごめんなさい。ひとつも言葉に出来なくて、ただ莉子の目尻に触れて撫でた。莉子は黙って受け取って、また前を向く。王子は目を細めて、意味深に笑ってまた話し出す。こいつ。ずっと静かなので隣の迅を見る。いつも通りへらりと笑っていて腹立つ。
「なんでお前がいんだ」
「いやぁ王子がいるなら俺もいていいかなって」
舌打ちはよくない、落ち着け。誤魔化すようにため息を吐いた。
「許してよ」
「……許せねぇよ、お前のことは」
夏からずっと。莉子が迅といるのが居心地が良いことも知ってる。悔しくて仕方がない。どこかで許さないと、この先がないのも分かってる。
「……悪かったよ、夏のことは」
ギッと反射で睨んだ。頭の隅で、謝ったことを意外に思う。言い訳くらいは聞くことにした。
「自分が弱ってるからって、莉子ちゃんに甘えすぎたよ」
「……なんもなかったんだよな?」
「ないよ、誓って」
碧の瞳を覗き込む。その瞳がなにを映してるのか知らないし、莉子と違って俺は信じてない。けれど、莉子が信じてるなら、莉子のためには動いてくれると、ほんの少しは信頼を預けてもいいかもしれない。全部利用してやる。全部使い果たして、莉子を幸せにするのは俺だ。
「妙なことしてみろ、八つ裂きにするからな」
「怖いなぁ」
迅は底知れぬ笑みを見せる。どいつもこいつも腹の読めねぇ笑い方しやがって。
「拓磨、お昼どうする?」
莉子が立ち止まって、背中越しに俺を見上げる。肩に触れて、伸ばされた首を撫でて、顎下をくすぐる。莉子が小動物みたいに目を細める。あぁ、誰もいないところに連れ去ってしまいたい。
「なんでもいい。莉子が食べたいもんにしよう」
全員そんな感じなので、莉子はなんでもいいけどなぁと呟く。呟きながらも、いつものイタリアンに足を向けたので、黙ってついていった。
あっという間に夕方になる。あれこれ街を見て回れば、陽が落ちるのは早い。昼食の際、自然に隣に座った時に意味ありげに見上げられたのがずっと引っかかる。隣に座っちゃダメだったろうか。迅が「いつもいつもは嫌なんじゃない?」と口を出してきて、王子が「いっつもはずるいよねぇ」と言った。そんなに隣にいるかと急に気恥ずかしくなって、俺はずるいだろうか、莉子は本当は嫌なんだろうかと不安になって。なにも言えずにいると、莉子はそっと俺の太ももに手を置いた。
「別に、大丈夫だよ」
なにも考えないで、鵜呑みにしたくなる。やっぱりなにも言えなかった。莉子は何事もなかったかのようにメニュー表を見て、クリスマスだから奮発するとチーズの盛り合わせを頼んだ。美味しそうにたくさん頬張って食べるのが、どうしようもなく可愛らしかった。
「残念だけど、僕このあとも約束があるんだよねぇ」
王子の声で引き戻される。今日はありがとぉと、王子は莉子の手を両手で握る。だから近ぇよ。眉間に皺が寄る。慌ててほぐす。嫌われたくないんだって。
「弓場さんも、ありがとね」
王子は手を大きく振りながら、ボーダー本部の方へ消えていった。同い年のメンバーとパーティでもやるのかもしれない。迅は王子が抜けた穴にするっと収まって、莉子を撫でている。ダメだ、ヤキモチでいっぱいになる。俺だっていつも撫でているのに。莉子の背中から、俺も手を伸ばして撫でる。
「わ、わ」
莉子は拒絶することは出来ずに、でも困惑した声を出す。迅の方へ目配せするが、止める気はないようで。ひとつ息を吐いて俺が手を止めて、なおもしつこく触る迅の手首を掴んで、下ろさせた。莉子は乱れた髪を直す。
「嫌だった?」
迅が今更そんなことを尋ねる。
「嫌じゃないけど、びっくりしちゃった」
莉子は少し恥ずかしそうに、下を向いた。可愛い。意地悪でもう一度触れたくなる。迅と目が合って、なんとなく同じことを考えていたように見えてイラっとする。
「俺もそろそろ行かなきゃなんだよね」
迅がそう言うと、莉子は顔を上げる。寂しそうに見えて、胸が締まる。俺が、俺が最後までいるからそんな顔しないでくれ。莉子は迅とも握手をして、手を振る。2人きりになった。
「あー……」
やっと2人きりになれたのに、言葉が出ない。2人だけの時、どうしていたっけ。クリスマス、みたいな特別な時に、どうしたらよかったっけ。
「……拓磨も帰る?」
莉子の瞳を見て、すぐに逸らした。そんな寂しそうな顔されたら、いつまでだって帰れないし。理性が焼き切れて、散り散りになりそうだから。
「……まだ帰らねぇ」
「うん。どこか行く?」
「そうだな……」
口にした言葉と、頭の中が、解離してるような感覚。なにも考えられない。なんだこれ。
「行きたいところ、ある?」
莉子が行きたいところに、どこへでも連れていってくれ。どこへでも。甘い言葉を、言えるわけもなく。
「イルミネーション、とか」
言ってから、ぶわっと顔に熱が集まる。そんなとこ行ったら、誰が見たって恋人同士に見える。一緒に歩けたらと浮かれながら、心の下の方で断られたらと不安が流れていく。おそるおそる、胸あたりにある莉子の顔を見る。莉子は読めない表情をしていた。でも、頬が少し赤いのを見逃せなかった。無意識に触れてしまう。余計に赤くなる。心臓が大きく音を立てて、倒れるかと思う。
「うーん……いいよ」
歯切れは悪いけど、いいよと言ってくれた。やった!!心の中はお祭り騒ぎ。祭りの喧騒の外で、まだなにか遠慮されてるのに気付いているけれど。莉子は駅の方へ歩き出す。駅前のイルミネーションは明日まで。きっと人が多いだろう。人混みの中に紛れそうで、莉子の手首を掴んだ。細すぎて、気がおかしくなりそうだ。
「ん?」
莉子が不思議そうに俺と掴まれた手首を見る。そっと離して、それから柔らかく手を握った。
「あーその。人が多いし。恋人ばっかで、恥ずかしいだろうから……」
なにを訳の分からないことを言ってるんだろう。君と恋人みたいに歩けて、恥ずかしいことなんてないのに。いや、恥ずかしいけど。ごめん、俺は小学生の頃から変われてない。莉子は首を傾げている。そりゃそうだ。
「繋いでないと、恥ずかしい?」
「うん、そう」
「分かった」
莉子は優しい声で了承すると、手を握り返して歩き出す。心臓の音以外、なにも聞こえなくなった。莉子のこと以外、なにも見えない。莉子も言葉数は少なくて、綺麗だねーと言うのを、俺は小さな声で頷く。イルミネーションの端に白い小さな花が植えられている。莉子はそれにも気付いて写真を撮っていた。
「…………一周した」
莉子がそう呟いて、弾けたように急に寒さが身に染みる。莉子は人混みに疲れたようで、首を前後に伸ばしている。
「もう一周する?」
「いや……いい」
永遠に続いたって構わないくらいだけれど、俺も莉子も身が持たないだろう。手を繋いだまま、帰り道に向かう。人混みを抜けても、手は離されなかった。手の甲を親指で撫でれば、きゅっと握り返される。熱にうかされたような幸せの中、家が近づくごとに急速に冷え込むような寂しさが差し込む。別に明日も明後日も、会えないことはないのに。
「今日はありがと」
莉子のお得意のシェイクハンド。手が離れていく。寒くて仕方がない。
「あっ」
最後の足掻きではないのだが、プレゼントを渡しそびれていたことに気づく。鞄を漁り、莉子の手に渡す。ラッピングが少しよれてしまって、しまったなぁと思う。
「これ……」
「?プレゼント」
当たり前のようにそう答えて、頭をそっと撫でたら。莉子が大きな瞳からボロボロと涙を溢すので、ギョッとする。
「ど、どうした」
「拓磨のプレゼント、ない……」
「いや、だから」
「拓磨に渡すプレゼント、ない」
そう言ってわんわん泣く。なんでこんなに泣いているのか、必死に考える。どうしようもなくて、抱きしめて誤魔化す。背中を撫でて、落ち着かせようとした。
「嫌だったか?俺から貰うの」
「違う、違う」
「じゃあどうして泣いてんだ」
莉子がゆるく俺の胸を押し返す。身体を離して、莉子を見つめる。莉子は俯いている。頬に触れて、涙を拭う。泣かないでくれ。泣かせる度に、俺は俺を見失うくらい、自分のことが嫌になってしまう。お前のことを好きでいていいのか、すっかり自信がなくなってしまうんだ。せめて、せめて好きでいさせて欲しい。
「ずっと具合悪くて、」
「うん、知ってる」
「拓磨へのプレゼント、用意できなかった」
「うん?仕方ないだろ」
「貰ったのに、返すものがない」
莉子はグスグス泣いて、目を擦ろうとする。手首を掴んでやめさせる。莉子が力を込めて振り払おうとするから、そのまま引き寄せてもう一度抱きしめる。
「そんなことで、泣かなくていい」
「そんなことじゃない、貰ってばっかいやだ」
「貰ってばっかでいい。貰ってくれればそれでいい」
自分の気持ちが、君よりずっと重たくなったのは分かってる。水をやり過ぎたら花は枯れるのに、俺は注ぐのをやめられない。だから、なにも返さなくったっていい。受け取って、笑ってくれるだけでいいのに。
「夏からずっと遠慮してるのも、そのせいか?」
莉子は俺の胸の中で、黙って頷く。切なさが頭を冷やしていく。そうだな、莉子が俺のことを好きじゃないなら、俺の気持ちに応えられないなら、遠ざけて当然だよな。でも、莉子は俺を拒絶はしない。だから縋りつきたくなってしまう。
(俺のことが嫌いか?)
訊いてしまえたらよかったのに。ついぞ、そんな決定的な言葉は言えなくて。だって、お前は俺のこと、大好きなはずだろ。
「なにも遠慮しなくていい。気遣いもいらない」
莉子が首を横に振るから、なおも強く抱きしめた。
「対等に返そうとか、考えなくていいから。思いっきり甘えてくれ」
それだけで、充分蕩けそうなほど幸せなんだから。素直にそう伝えられて、君にちゃんと伝わるのはいつになるんだろう。今日はごめん、そこまで勇気を出せなくて。莉子は俺の顔を覗き込んで見上げる。涙は止まったみたいだ。情けない俺が君の瞳に映る。
「甘えて、いい?」
「いい」
「幼馴染だから?」
「…………うん、そう。だから、昔みたいに頼ってくれ」
好きだからだよって言えたら、よかったんだろうな。後の祭り。ダセェ告白をしたくないあまり、君をもう泣かせたくないあまりに、いつだって遠ざかる。
「分かった、頑張る」
なんも分かってねぇなぁ。馬鹿だなぁ。愛しくて仕方なくて、どさくさに紛れてもう一度抱きしめて。全部、全部伝えたら。全部、全部伝わったら。清い君を汚すことになってしまうだろうか。それは許されるんだろうか、俺はどうしたいんだろうか。
「プレゼント、ありがとう」
ようやく君は笑って。中身はさ、スケジュール帳だから。願わくば来年も、そのノートに俺との予定が増えますように。自分の切実さが馬鹿らしくなって、誤魔化すように笑った。君はプレゼントを大事そうに抱えて帰る。もうあんなことで泣かしたらダメだ。ちゃんと考えなきゃ。俺も部屋へ帰って、1人で反省会。手を繋いで帰ったことが邪魔して、集中なんて出来ないけれど。