弓場と迅の話
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迅視点↓
手紙を書いて
「その封筒、どうしたの?」
君が可愛らしい封筒を複数手に持っていた。封筒も切手もオシャレで綺麗。
「趣味で文通をしてるんだよ〜」
君は深くは語らず、ポストに封筒を投函して街並みに溶ける。輪郭を取り戻すように、隣に駆け寄った。そういえば、君の手書きの文字をあまり読んだことがない。
(なんか書き物してるなぁとは思ってたけど、手紙書いてたのか)
てっきり小説でも書いているもんだと思っていた。でもよくよく考えたら、執筆はデジタルって言っていたな。SEのせいで、君の生活を垣間見てしまうことに、罪悪感というものは正直ない。そんなこと慣れきってしまってるから。でも、不快だとか不気味だとか、思われたくないから言動には気をつける。深く訊ねないし、知ってる風には振る舞わない。
(書くのに使っているのは、あれはボールペンかな?)
気になってきて、散歩がてら街に繰り出す。平日の駅前は、比較的人が少なくて落ち着いて見える。頭に開いたビジョンを適当に眺めながら、大きめの文房具屋を覗いた。ひと口にペンと言っても、結構いろんな種類があるんだな。好奇心の薄い自分が、君のおかげで世界を広げられた時、言いようのないワクワクがある。君と過ごすのは素晴らしく楽しい。
(なにかひとつ、贈ろう)
なんでもない日に、なんでもない感謝を込めて。君はなんて言うだろうか。それは渡してからのお楽しみ。カラーペンや万年筆など見比べて、目が止まったのはガラスで出来た美しいペン。君の手の中にあるのを想像して、素敵だったからこれにしよう。ガラスペンは、ペン先にインクをつけながら書くらしい。インクも贈らなきゃ。
(青いのがいいな)
青は好きなんだ、空と海の色。溶けて透けて、消えてなくなりそうになる色。世界の最果ては、きっと青なんじゃないかなんて思う。青いインクだけでも片手で数え切れないほど色があって、迷ってしまう。色見本と睨めっこして、発色が明るいけど濃く深い青を手に取る。箱もなんだか君が気に入りそう。ラメかなんかが入っていて、光沢がキラキラ綺麗。ガラスペンと一緒にレジに持って行く。せっかくだから、プレゼント包装をかけて。
(これで俺にもお手紙書いてよ)
君の困ったように笑う顔が目に浮かぶけど、多分君は俺にも手紙を書いてくれる。君の紡ぐ文字に想いを馳せる。きっと手書きのそれは君みたいに温かい。
しゃぼん玉飛んだ
「屋根まで飛んで壊れて消えた」なんて、儚すぎるじゃないか。どうせなら雲の上まで飛ばしてやりたいのに。
いつもの公園で、莉子ちゃんと空を眺めていた。真昼の太陽は眩しいけれど、湿気がなくて風が心地よい日。ベンチに座って、サイダーを飲む。500mlのを、2人で半分こ。電車の走る音、自転車のベル、人々の談笑。雑踏の中で、切り取られたみたいな空気。空が高い、吸い込まれそうなほど。
「きゃ〜!!」
莉子ちゃんがビクッと肩を揺らす。幼い子供を連れた母親が、笑顔で公園に入ってきた。切り取られた空気の内側に。
「大丈夫?」
「うん、平気」
そう言いながらも、莉子ちゃんはすすっと俺に寄りかかってくる。言葉と裏腹の行動に、きゅんとする。そっと、頭を撫でてあげた。親子は少し離れた砂場で、しゃぼん玉を吹いて遊び始めた。風に乗ってしゃぼん玉がこちらに流れてくる。莉子ちゃんは子供みたいに、しゃぼん玉に触れて遊んでいた。
「しゃぼん玉、好き?」
「んー好きでも嫌いでもないよ。迅は?」
「俺は好きじゃない」
それを聞くと、莉子ちゃんは遊ぶ手を止めて、不安そうに俺を見た。
「大丈夫?」
「うん、平気平気。そんな大層嫌いってわけじゃないから」
俺も指先でひとつ、しゃぼん玉を突く。しゃぼん玉は壊れて消える。自分の手で壊したものを視るのは、いつだって嫌な気分だ。
「壊れなければいいのにと思うからさ」
「しゃぼん玉、綺麗だからねぇ」
「そうそう」
どうせなら、宇宙まででも飛んでいけばいいね。君は空を見上げて目を細めると。
「宇宙まで行っちゃったら、綺麗なのかどうか分からなくなるね」
いっぱい星があるからさ。君の声がすうっと空に消える。しゃぼん玉も、追いかけるように消えて。そっか、そんな考え方もあるね。
「しゃぼん玉は、これでいいのかもね」
君の頭に触れて、髪先を指で弄る。しゃぼん玉は、流れてこなくなった。また2人きりの切り取られた空気。まぁ俺がしゃぼん玉嫌いなのは、小さい頃に遊んでて吸い込んじゃったからなんだけどね。
春が来て、去っていく
春は好きな季節なんだ。俺が生まれた季節だから。望んで生まれてきたと、信じたくなる季節だから。けれど、出会いと別れの季節は、俺に休むことを許してはくれない。
(日差しが強いな)
日を追うごとに陽は伸びて、気温も上昇していく。未来視のビジョンが、1番慌ただしい時期。頭がショートしそうで、人混みを離れて公園のベンチへ逃げ込む。ペットボトルのジュースを、額に充てて冷やした気になる。中身を飲み込むと、ため息が出た。春は好きな季節なのに。
(莉子ちゃん、なにしてるかな)
自然と君が浮かんで、携帯で連絡を取ってみる。今日、会ってくれる未来が視える。それだけで、酷く安心してしまう。それがどういうことなのか、周りの人間は名前をつけたがるけど。俺はつけないし探さない。桜が咲いて、散ることに意味なんてないでしょう。意味なんてなくても、何度でも咲くんだ。
(春が終わっていく)
すっかり葉桜になった木々が、風で揺れる。湿り気を帯びたそれは、次の季節の訪れを知らせているようだ。毎年変わらずに同じ花を咲かせるから、植物は好きだ。どんなに移ろいでも、変わらないものをずっと探している。そんなものは、どこにもないと知ってはいるのに。君も俺も、この街ですら、いつかは朽ちて灰になるだろう。
(そうだとしても、結末の意味くらいは)
話が大きくなり過ぎている時は、疲れている。空を仰いだ。雲が流れていく。俺が出来ることなんて、とても小さくて、そんなもの世界は必要ともしていないのかもしれない。
「迅、みっけ」
声のする方へ視線を向ける。君と目が合う。君はなにも言わずに横へ座った。みっけ。響きが気に入って、口の中で小さく繰り返す。見つけてもらえたね。
「暑いから、お茶飲みに行こうよ」
「そうだね」
君が俺を引っ張り起こす。歩く方へついていく。どこへ行っても見つけてほしいなんて、そんなことは自己中で憚られる。だからせめて、見つけてもらえるように頑張り続けるよ。もう少しだけを、何度も繰り返す。どんな結末を迎えようと、それでよかったねとみんなが言えるように。
頑張り屋の君に似合う
驚くほどにいろんなものを生み出す、君の指先。文章を、アクセサリーを、音楽を、他にもいっぱい。なにかに夢中の君はキラキラしているね。その輝きが曇らないような、お手伝いが出来たらいいな。
(あ、可愛い)
君はポケットから手を出して、くしゃみをする口を抑えた。右手の中指に、絆創膏が巻いてあるのに気づく。反射的に可愛いと思って、自分に首を傾げる。でも、なんか可愛い。
「どうしたの?指」
「ん?あぁ。紙でスッと切っちゃった」
君は手を閉じて開いてみせる。クラゲが泳ぐみたいな動きだ。絆創膏は肌の色に馴染んで、君の身体の一部みたいな顔してる。端っこは剥がれてきてしまっているけど。
「作業する時に少し気になる」
「少し休憩したらいいじゃない」
いつも忙しなくなにかしてるんだからさ。そう言うと君は、うーんと納得がいかないようだった。君はいつもなにかしてないと、不安なんだよね。頭をぽんぽんと撫でると、嬉しそうに身体を揺らす。大丈夫だよ。
「中指使わなくても、出来ることする」
「かえって他の指も怪我しちゃうかもよ?」
「視える?」
「そういうわけじゃないけどさ」
君の頬を指で突く。顔をこちらに向けるのを逃さないように、瞳を覗き込む。橙色の虹彩に、光が反射して綺麗。いつまでも見ていられる。
「心配してるんだよ」
頬に触れると、瞼が落ちる。人形のように長いまつ毛。頬を撫でて、それから右手を取って指先に触れる。深爪気味で小さい爪、なににも染まっていない指。手を合わせれば、随分差がある。
「そんなに急いで生きなくても、平気だよ」
そっと握れば、握り返される。ぱっと離れる手と手。君はまた手を開いたり閉じたりしてる。やっぱり指先に絆創膏が貼ってあるの、可愛い。
「退屈なの、嫌なんだもん」
「俺がいるでしょ」
「うん、まぁ。そうだね」
君が大きく伸びをする。肺に大きく息が入って、吐き出される。夕方5時の鐘が鳴る。
「ちょっとのんびりぼんやりしてみるよ」
「それがいいよ」
その絆創膏が剥がれてしまうまでくらいは、俺と休憩していてよ。のんびりいこう、君を退屈させたりしないからさ。
弓場視点↓
虹の麓へ
同じ時間、同じ景色を見て過ごし続けたら、いつかはお前に辿り着けるんじゃないかと、勝手に期待して。特別な瞬間を、たくさん共有したい。そのためなら、どこへだって行ける。
天気予報ではにわか雨が降ると、キャスターが繰り返し伝えていたのに。お前は傘を忘れたと言う。それが天然なのか確信犯なのか、俺には分からないしどちらでも構わないんだ。ひとつの折り畳み傘を、ふたりで半分こにして。
「濡れてない?」
「濡れてねぇ」
嘘をひとつ吐いて、お前が濡れないように肩を引き寄せた。靴下が濡れてしまう前に、適当なカフェに入る。莉子は俺のシャツの色が変わっているのを見て、不満げな顔をする。
「濡れてないって言ったのに……」
「お前が傘忘れるのが悪い」
「私が傘忘れたのに、拓磨が濡れる必要ないじゃん」
むぅ、とむくれているのを、片手で頬を摘んで潰した。
「嫌なら今度から傘持ってこい」
「……ごめんなさい。ありがとう」
素直に受け取ってりゃいいんだ。俺が捧げるなにもかも。窓際の席につく。雨粒が窓を叩く音が響いていた。
莉子はいつも通りアイスティーを頼んで、ガムシロップをひとつ入れて飲んだ。ストローの先を噛むのも、いつも通り。繰り返しの毎日でも、俺は飽きたりなんてしないけれど。退屈だからと何処か他所へ行ってしまうのではと、いつも不安。なにか特別なこと、起きればいいのに。
「あ、虹!」
莉子が窓に張り付いて空を見る。雲間から陽が差し込んで、見事な虹を架けた。雨上がりの街は、陽の光を受けてきらきらと光っている。そんな景色の中でも、目を惹かれるのはやっぱりお前で。
「虹の麓まで、行ってみるか」
口に出してから、恥ずかしくなって穴に入りたくなる。なんてキザなこと言ったんだろう。誤魔化すように虹を凝視する。鮮やかな光の帯は、すうっと溶けてなくなりそうだ。
「いいよ、行こっか」
お前の声も表情も、なにもかもが穏やかで。嬉しそうに店を出る支度をするから、俺も慌てて身支度する。水たまりを踏んで、はしゃぐように歩き出す。どんなに遠い場所でも、虹の麓が分からなくなっても、お前とならば辿り着ける気がするんだ。だから、離れないでいて。
同じように幸せが訪れますように
いつだってずっと話していたいが、考えれば考えるほど言葉なんて出てこない。
(寝たのか……?)
20分前に返信して、既読がつかなくなった。あくびをして目をこする。もうすぐ日付も変わる時刻。別に急ぎの用事なんてないし、話してた内容も取り留めのないものだけれど。なんとなく、ほんの少しだけ、寂しいと感じる。
(おやすみとは言われてないし)
毎夜、おやすみと言われて終わるわけでもないんだけど。おやすみと送ってこないうちは、なにか返信があるのではと期待してしまって。朝型なんだけどなぁ。またひとつあくびをする。
(声が聞きたいなぁ)
思考が定まらなくなってきて、ふわふわした頭でそんなことを思う。船を漕ぎながら、明日の予定とか天気だとかが巡る最中に、どこにだって君がいる。明日も会いたいな。会ったらなにを話そう。伝えたいことは山ほどあるけれど、きっと明日もなに一つ形にはならないだろう。それでもいいから。
(限界)
携帯端末を充電ケーブルに挿して、ベッドサイドに置いて。ベッドに潜り込んで、壁の方を向いて横になった。くの字になって眠る。意識が遠くなるのに、何秒もかからなかった。
ジリリリリ
目覚ましが鳴って、目を覚ました。落ち着いて止めて、身体を起こす。夢でも会えたような心地がして、余韻に浸ってしばらくぼんやりしていた。身体を伸ばす。あくびで大きく息を吸い込む。辛いところはない。君も同じように朝を迎えていればいいと思う。携帯を開いた。君からの返信は、まだ着ていない。ほっとする。君にちょっとでも寂しい思いは、させたくないから。
(おはよう)
スタンプを送って、体調を気遣う文面を起こして、消す。毎日心配してたら鬱陶しいかも。今日は天気もいいし、きっと君も元気なはず。自分には天気によって具合が悪いなんて感覚、分からないんだが。君と違うということを大切にしたい。違うところを教えて欲しくて。大切に覚えて、誰よりも優しくしたい。
(今日もいい日だな)
やっぱり、消す。会う前からこんなにも幸せなんて、馬鹿みたいだろ。恥ずかしいから、消す。
ただいまには
お前の耳を彩る音が、どんなものなのか興味があった。お前がなにを好きなのか、実際のところはどうでもいいんだが。だってまるっと全部、君の存在自体が。
駅前の公園で待ってるよ。お前がそう連絡を寄越すから慌てている。陽も落ちかかってるってのに、そんなところに1人でいないでくれ。誰かとこのあとも、なんて言われても奪い返したくなるけど。公園に着くと、足をぶらつかせてベンチに座っているのを見つける。赤いヘッドフォンから流れる音楽を、楽しんでいるようで。それでも、駆け寄るとヘッドフォンを外す。
「ただいま」
「……それ、いつもなに聴いてるんだ」
指差して、訊ねる。ただいまに素直に返せなくて。莉子はヘッドフォンを両手で持つと、立ち上がって俺の方へ差し出した。届くわけがない。それなのに、背伸びして、俺に掲げるようにして。あまりにも無防備。
(かわ……)
数秒、思考が飛んで。息を飲む。莉子が首を傾げる。グラグラと揺さぶられてるように錯覚して、腕の中に収めてしまいたくなる。
「屈んで」
言われるがままに、頭 を差し出す。頭に乗っけられたそれから、音が聞こえる。少し目が覚める。体勢を戻すと、やはりお前は見下ろすほどに小さい。俺の中でその存在はあまりにも大きいけど。
「最近よく聴くの」
そう言われた曲は男性のボーカルで、疾走感があって重たい音を奏でていた。この曲も歌うんだろうか。莉子のイメージとかけ離れていて、やはり上手いこと噛み砕けない。そもそも、俺には好きな曲を歌いたいという感覚は分からないし。
「……あまり、聴いたことねぇ」
「だよね」
少し残念そうにするお前に、少し罪悪感を覚える俺。でも、お前が好きなものを全部好きになれなくても、不安じゃない。
「帰ろ」
「あぁ」
ヘッドフォンを莉子に返す。莉子は首から下げて歩き出す。2人で並んで歩く帰り道が、いつまでも一緒ならなんだっていい。なにを好きでも、なにをしてても。最後に帰ってきてくれればいいんだ。……おかえりは、言えるようにならないとだよな。
くしゃみもあくびもしゃっくりですら
もうなにしてたって可愛く思えるから、なんか腹が立ってくる。
「くしゅんっ」
お前が横でくしゃみをした。しっかり口元を手で抑える。繰り返しくしゃみしているから、何処かで誰かがお前の話をしているのかと思うと、胸がざわついてしまう。
「大丈夫か、寒いか?」
「いや、寒くはないけど」
鼻を擦っているので、ティッシュを渡してやる。ズズッと情けない音がお前からする。自然にゴミを渡されて、何も言わずに自分のポケットにしまう。
「ふわぁ……」
今度は大口開けてあくびをする。並びがよく、白い歯がちらっと覗く。莉子は眠たそうにまばたきをした。つられて、俺もあくびが出る。
「うつった」
嬉しそうに、悪戯っぽく小さく微笑まれると、胸の内がくすぐったい。言葉もなくて、返事の代わりに頭に触れた。少しこちらに身体を傾けるのに、どうしようもなく焦がれる。しばらく、ゆったり街中を散歩する。莉子は一生懸命話したり、興味深そうに街を飛び交う鳥を見たり。黙って、隣を歩く。君が隣にいてくれさえすれば、それで満足で。話すことなんて、なにもなくて。
「っく」
喋りすぎたのか、莉子はしゃっくりをし始めた。息を止めてみたりしているが、しゃっくりは止まらずに繰り返される。
「わっ」
「わあ!!」
俺が脅かしたより、デカい声で驚く。そっちの声のがびっくりするっての。俺の服の端をキュッと掴んで、離す。あー、可愛い。そのまま手を握って攫いたいほど。
「びっくりした」
「止まったか?」
「っく、止まんない」
ひっくひっくと、呼吸の度にしゃくり返る。そのうち、放っておいてまた喋り出した。言葉が途切れ途切れに、耳に届く。声を聞いてるとふわふわするから、内容が頭に入ってこなくて。いつも申し訳ないな、もったいないと悩んでいる。
「今日もいい日だった」
そう君が呟くのが、その呟きを聞けるのが、なにより幸せで。いつだって側にいたい。くしゃみもあくびもしゃっくりも、全部全部独り占めにしたい。なにをしてたって可愛く見える。俺がおかしいのかな。君が世界一可愛いだけかな。
夢主視点↓
眠れない夜に
ベッドに40分ほど横たわっていたが、眠気が訪れず飽きた。退屈も耐え難く思えて、身体を起こす。目を擦りながら携帯で時間を確認すれば、午前1時を過ぎていた。そろりとベッドを抜け出る。家族が寝静まったリビングで、淡く電気をつけ、電子レンジで牛乳を温める。紅茶のティーバッグを入れて、ロイヤルミルクティにするのだ。ちょっと贅沢に、二宮さんに買って貰った良い茶葉のやつ。眠れない夜には、沈み込まないように上手く自分の機嫌を取る。眠れない私が悪い子なわけではない。
(少し誰かと話したいな)
幼馴染の顔が浮かぶが、とっくに眠っているだろうと遠慮した。夜更かしの伯母か、あと起きていそうなのは。迅なら起きているかな、とダイヤルしようとした時にふと。
(拓磨が起きている時間なら、拓磨に電話をかけたんだろうか)
小さな疑問が胸に波紋を広げて、憂鬱を呼んでくる。一番私が話したい人は、誰なんだろうか。一番なんて、決めなくてはダメか?その日その時、気分次第で話したい相手なんて変わる。相手の気分次第でも変わる。気持ちよく眠っている拓磨を叩き起こしてまで、私はわがままを聞いてもらおうとは思わない。相手のことを考えるって、そういうことじゃないのか。
(いつも誰かを想っているのに、何故薄情だと、中途半端だと、浮気者だと罵られるのだろう)
好きな人が、大切にしたい人が多いだけ。それだけの人間だと思う、自分は。罵ってくる誰かの顔は知らない。けれど後ろ指を刺されている気がして、心苦しい。急速に精神から潤いを失って、濁ってひび割れる心地がする。躊躇いなく電話をかけた。
『もしもし、どうしたの?』
「こんばんは、ちょっとしんどくて」
『うん、いいよ。ゆっくり話してみて』
迅の声が耳に馴染む。安心する。心の拠り所がひとつでなくてはいけないなんて、そんな決まりはない。拓磨を頼れない時は、迅を頼る。迅も無理な時は、蓮ちゃん。太刀川さんも二宮さんも、きっと話を聞いてくれる。そうだ、私には優しくしてくれる人がたくさんいる。
(自分が笑顔でいられる道を選び続けよう)
誰がなんと言ったって。私なりの優しさをばら撒き続ける。右も左も選んでまっすぐ進もう。眠れない夜も、私は1人じゃない。1人じゃないから、幸せでいないとなんだ。
頑張れない、頑張ってない、頑張りたい
落ち込んでる時に来てくれないと、自分勝手だけど怒ってしまったりするのです。理性では、君が忙しいのは知っているのにね。
(だるい……)
ベッドから出ようと決意してから、3時間経った。それは決意したとは言えない。でも、ちゃんと起きようとは思っているんだ。本当だよ。誰にも信じてもらえないかもしれないけど。ちゃんとしようとしてるの。本当に。
(誰も来てくれない)
私が辛いのに、誰も助けてくれない。そりゃそうだ、誰にも伝えてないもん。なるたけ迷惑はかけたくないから。でも、鬱々とした日は勝手にイライラしてる。誰も助けてくれない、あんまりだ。でも、誰にも弱音を吐けずにベッドに沈み込んでいる。矛盾した理不尽な思いは、私の身体を両端から引っ張って裂こうとする。胸に重りが入っているようで、呼吸もしづらい。
(迅はなにしてるの)
知ってるよ、君は私の親ではないし、先生ではないし、保護者ではない。親友だけど、私のこといつも視ているわけではない。でも、視えているなら助けてくれてもいいじゃん。助けてよ。わがままに嫌気がさして、自己嫌悪に陥ってしまう。4時間経った。まだ朝ごはんも食べられぬまま。
ピンポーン
インターホンが鳴る。重い身体をなんとか起こしてリビングへ行き、通話口に頭を寄せる。
『俺だよ』
詐欺だ!反射的にそう茶化して笑みが出る。廊下を歩いてドアを開ければ、迅が立っている。迅はそっと私を引き寄せると、背中を撫でた。
「大丈夫、よく頑張ったね」
涙が込み上げて、声を押し殺すことも出来ずに泣いた。なにも頑張ってないけど、みんなが忙しく生活を頑張っている中、一人で起き上がることも出来ないのに。温かく受け入れて、認めてくれることがなによりも嬉しくて安心した。
「落ち着いたら、なにか食べて散歩に行こう」
「うん、ごめんね」
「謝ることなんてなにもないでしょ?」
「うん、ありがとう」
忙しい中で、みんな私を忘れずにいてくれる。私の全てを理解してくれる人間など、いない。私もみんなの、迅の全てなど知らないから。それでも、もう少しこの世界で頑張ろうと思う。素晴らしきこの世界で、生きててもいいと思えるように。
色彩についての考察
人間の魂とは、どんな色をしているものなんだろう。人によって違うのか、生まれて歳をとるのと共に色づいていくものなのか。所詮例え話だ、知り得ることなど永劫ないだろうけど。
明け方が任務で、そのまま自分の仮眠室で寝て、起きて食堂でご飯食べて。お昼を過ぎても、なんとなく怠かったから仮眠室に戻り、さっき起きた。家に帰るのにも早いので、シーリングスタンプでも作ることにした。蝋燭に火を灯し、スプーンにワックスを乗せて溶かしていく。スタンプ台に溶けたワックスを垂らして、真鍮製のスタンプを押す。冷えるとワックスは固まって、ペリっと剥がれる。綺麗に丸く押せたそれを、テーブルに並べていく。手紙の封に貼るスタンプは、使い切れないほどたくさん作った。ボーダーのみんなにお裾分けして、配ってまわっている。
(次は黄色、水色、ピンクと白……)
色がマーブル模様に混ざるのが楽しい。よく、なにかモチーフを決めてイメージスタンプを作る。大体は実在しないキャラクターのもの。羽矢ちゃんが喜ぶ。ふと、キャラクターのイメージカラーはパッと思いつくものだが、実在の人物となると一緒に生活していても、よく分からないものだなと思う。
(大抵、着ている服とか好きな色に引っ張られちゃうな)
例えば、准くんのイメージは赤だけれど、それは隊服が赤だからではないか?彼、私服で赤なんて着ないし。私服はカーキとか多い気がする。でも赤だよなぁ。似合う色と、好きな色と、他人がイメージする色は、きっとどれも違くて。魂の色は、恐らくもっと複雑で分かり得ない。イメージとは、偏見でしかないのかもしれない。
(お、なんか綺麗に出来た)
2色のブラウンと、灰緑と、薄いピンクを、オシャレなハートのスタンプで押した。なんとなく幼馴染を思い出し、彼に贈ろうと思った。彼らしいなぁと思ったのだけど、思い込みでしかないかもしれないし、彼が気にいるかは分からないけれど。本当の色なんて、見えているのかは分からない。基準もないから、同じ色が見えているのかの擦り合わせも出来ない。だから、美しいと思うもので彩って、素敵だと思える色を分かちあえるようにしたい。見え方が違ったとしても、綺麗だと言ってもらえるように。
白と黒、君と私
白黒はっきりしたものなんて、とても数少ないのだと最近思う。曖昧グレーで丁度いいんだと、0か100かなんて疲れてしまうと、最近思う。オセロくらいでいい、そんなものは。
「オセロって、まだある?」
外が雨なので、君の部屋で過ごしている。幼い頃よりも、物は増えただろうにちっとも散らかってない。君の性格を表している様。私の部屋を見たら、嫌われちゃうかな。
「どっかにはあると思うが……」
「よく遊んだよねぇ」
君は返事はしないけど、椅子から立ち上がると勉強机の下を覗き込んだ。ガチャガチャ探して、ないと分かると今度はベッドの下。
「一緒に探す?」
「いや、お前分かんねぇだろ。待ってろ」
ベッドの上に座り込んで、しゃがみ込んで下を漁る君の背中を眺める。広い背中に触れて、撫でてみる。
「んん、なんだ……?」
君は少し鬱陶しそうな声を出して、顔を上げた。眉間に皺が寄ってる。
「なんでもないよ」
「…………」
君は小さくため息を吐くと、指の背で私の頬を撫でて、頭を撫でてからまた下を覗き込む。私も一緒になって覗く。世界が逆さまになる。薄暗くてよく見えないし、手を伸ばしたら頭から落ちそうなので、体勢を元に戻して大人しく待つことにした。
「あった」
ベッドの下から引き摺り出されたオセロ盤は、埃は被っていたけど昔のまんま。思わず拍手をする。君は埃を払うと、オセロ盤をベッドの上に置き私と向き合う。
「どっちがいい」
「黒!」
「後攻だぞ?」
「うん、黒がいい」
石を並べて、拓磨から白を置いていく。交互に置いて、ひっくり返して。幼い頃、夢中で遊んだのを思い出す。私があんまりしつこく遊ぶから、もう嫌だって突っぱねられたこともあったっけ。静かにプレイする。拓磨の手が止まったから、顔を伺った。真剣に盤面を見つめる瞳が、ふっとこちらに向けられる。
「……なんだ」
「なんでもないよ」
やっぱり君はため息を吐いて。
「あんまり見るな」
「分かった」
盤面に目を落とした。かなり押されてるかなぁ。拓磨が白を置く。あ、逆転出来るかも。
そのあと巻き返すことが出来て、接戦になった。ゲームが終わって、石の数を数える。マスにひとつずつ並べていったら。
「あれ?同じ?」
「引き分けだな」
オセロですら、白黒つかないや。顔を見合わせて、笑った。もう一度とせがんだら、返事はしないけどもう一戦始まる。このままいつまでも、君といられたらいいのに。
手紙を書いて
「その封筒、どうしたの?」
君が可愛らしい封筒を複数手に持っていた。封筒も切手もオシャレで綺麗。
「趣味で文通をしてるんだよ〜」
君は深くは語らず、ポストに封筒を投函して街並みに溶ける。輪郭を取り戻すように、隣に駆け寄った。そういえば、君の手書きの文字をあまり読んだことがない。
(なんか書き物してるなぁとは思ってたけど、手紙書いてたのか)
てっきり小説でも書いているもんだと思っていた。でもよくよく考えたら、執筆はデジタルって言っていたな。SEのせいで、君の生活を垣間見てしまうことに、罪悪感というものは正直ない。そんなこと慣れきってしまってるから。でも、不快だとか不気味だとか、思われたくないから言動には気をつける。深く訊ねないし、知ってる風には振る舞わない。
(書くのに使っているのは、あれはボールペンかな?)
気になってきて、散歩がてら街に繰り出す。平日の駅前は、比較的人が少なくて落ち着いて見える。頭に開いたビジョンを適当に眺めながら、大きめの文房具屋を覗いた。ひと口にペンと言っても、結構いろんな種類があるんだな。好奇心の薄い自分が、君のおかげで世界を広げられた時、言いようのないワクワクがある。君と過ごすのは素晴らしく楽しい。
(なにかひとつ、贈ろう)
なんでもない日に、なんでもない感謝を込めて。君はなんて言うだろうか。それは渡してからのお楽しみ。カラーペンや万年筆など見比べて、目が止まったのはガラスで出来た美しいペン。君の手の中にあるのを想像して、素敵だったからこれにしよう。ガラスペンは、ペン先にインクをつけながら書くらしい。インクも贈らなきゃ。
(青いのがいいな)
青は好きなんだ、空と海の色。溶けて透けて、消えてなくなりそうになる色。世界の最果ては、きっと青なんじゃないかなんて思う。青いインクだけでも片手で数え切れないほど色があって、迷ってしまう。色見本と睨めっこして、発色が明るいけど濃く深い青を手に取る。箱もなんだか君が気に入りそう。ラメかなんかが入っていて、光沢がキラキラ綺麗。ガラスペンと一緒にレジに持って行く。せっかくだから、プレゼント包装をかけて。
(これで俺にもお手紙書いてよ)
君の困ったように笑う顔が目に浮かぶけど、多分君は俺にも手紙を書いてくれる。君の紡ぐ文字に想いを馳せる。きっと手書きのそれは君みたいに温かい。
しゃぼん玉飛んだ
「屋根まで飛んで壊れて消えた」なんて、儚すぎるじゃないか。どうせなら雲の上まで飛ばしてやりたいのに。
いつもの公園で、莉子ちゃんと空を眺めていた。真昼の太陽は眩しいけれど、湿気がなくて風が心地よい日。ベンチに座って、サイダーを飲む。500mlのを、2人で半分こ。電車の走る音、自転車のベル、人々の談笑。雑踏の中で、切り取られたみたいな空気。空が高い、吸い込まれそうなほど。
「きゃ〜!!」
莉子ちゃんがビクッと肩を揺らす。幼い子供を連れた母親が、笑顔で公園に入ってきた。切り取られた空気の内側に。
「大丈夫?」
「うん、平気」
そう言いながらも、莉子ちゃんはすすっと俺に寄りかかってくる。言葉と裏腹の行動に、きゅんとする。そっと、頭を撫でてあげた。親子は少し離れた砂場で、しゃぼん玉を吹いて遊び始めた。風に乗ってしゃぼん玉がこちらに流れてくる。莉子ちゃんは子供みたいに、しゃぼん玉に触れて遊んでいた。
「しゃぼん玉、好き?」
「んー好きでも嫌いでもないよ。迅は?」
「俺は好きじゃない」
それを聞くと、莉子ちゃんは遊ぶ手を止めて、不安そうに俺を見た。
「大丈夫?」
「うん、平気平気。そんな大層嫌いってわけじゃないから」
俺も指先でひとつ、しゃぼん玉を突く。しゃぼん玉は壊れて消える。自分の手で壊したものを視るのは、いつだって嫌な気分だ。
「壊れなければいいのにと思うからさ」
「しゃぼん玉、綺麗だからねぇ」
「そうそう」
どうせなら、宇宙まででも飛んでいけばいいね。君は空を見上げて目を細めると。
「宇宙まで行っちゃったら、綺麗なのかどうか分からなくなるね」
いっぱい星があるからさ。君の声がすうっと空に消える。しゃぼん玉も、追いかけるように消えて。そっか、そんな考え方もあるね。
「しゃぼん玉は、これでいいのかもね」
君の頭に触れて、髪先を指で弄る。しゃぼん玉は、流れてこなくなった。また2人きりの切り取られた空気。まぁ俺がしゃぼん玉嫌いなのは、小さい頃に遊んでて吸い込んじゃったからなんだけどね。
春が来て、去っていく
春は好きな季節なんだ。俺が生まれた季節だから。望んで生まれてきたと、信じたくなる季節だから。けれど、出会いと別れの季節は、俺に休むことを許してはくれない。
(日差しが強いな)
日を追うごとに陽は伸びて、気温も上昇していく。未来視のビジョンが、1番慌ただしい時期。頭がショートしそうで、人混みを離れて公園のベンチへ逃げ込む。ペットボトルのジュースを、額に充てて冷やした気になる。中身を飲み込むと、ため息が出た。春は好きな季節なのに。
(莉子ちゃん、なにしてるかな)
自然と君が浮かんで、携帯で連絡を取ってみる。今日、会ってくれる未来が視える。それだけで、酷く安心してしまう。それがどういうことなのか、周りの人間は名前をつけたがるけど。俺はつけないし探さない。桜が咲いて、散ることに意味なんてないでしょう。意味なんてなくても、何度でも咲くんだ。
(春が終わっていく)
すっかり葉桜になった木々が、風で揺れる。湿り気を帯びたそれは、次の季節の訪れを知らせているようだ。毎年変わらずに同じ花を咲かせるから、植物は好きだ。どんなに移ろいでも、変わらないものをずっと探している。そんなものは、どこにもないと知ってはいるのに。君も俺も、この街ですら、いつかは朽ちて灰になるだろう。
(そうだとしても、結末の意味くらいは)
話が大きくなり過ぎている時は、疲れている。空を仰いだ。雲が流れていく。俺が出来ることなんて、とても小さくて、そんなもの世界は必要ともしていないのかもしれない。
「迅、みっけ」
声のする方へ視線を向ける。君と目が合う。君はなにも言わずに横へ座った。みっけ。響きが気に入って、口の中で小さく繰り返す。見つけてもらえたね。
「暑いから、お茶飲みに行こうよ」
「そうだね」
君が俺を引っ張り起こす。歩く方へついていく。どこへ行っても見つけてほしいなんて、そんなことは自己中で憚られる。だからせめて、見つけてもらえるように頑張り続けるよ。もう少しだけを、何度も繰り返す。どんな結末を迎えようと、それでよかったねとみんなが言えるように。
頑張り屋の君に似合う
驚くほどにいろんなものを生み出す、君の指先。文章を、アクセサリーを、音楽を、他にもいっぱい。なにかに夢中の君はキラキラしているね。その輝きが曇らないような、お手伝いが出来たらいいな。
(あ、可愛い)
君はポケットから手を出して、くしゃみをする口を抑えた。右手の中指に、絆創膏が巻いてあるのに気づく。反射的に可愛いと思って、自分に首を傾げる。でも、なんか可愛い。
「どうしたの?指」
「ん?あぁ。紙でスッと切っちゃった」
君は手を閉じて開いてみせる。クラゲが泳ぐみたいな動きだ。絆創膏は肌の色に馴染んで、君の身体の一部みたいな顔してる。端っこは剥がれてきてしまっているけど。
「作業する時に少し気になる」
「少し休憩したらいいじゃない」
いつも忙しなくなにかしてるんだからさ。そう言うと君は、うーんと納得がいかないようだった。君はいつもなにかしてないと、不安なんだよね。頭をぽんぽんと撫でると、嬉しそうに身体を揺らす。大丈夫だよ。
「中指使わなくても、出来ることする」
「かえって他の指も怪我しちゃうかもよ?」
「視える?」
「そういうわけじゃないけどさ」
君の頬を指で突く。顔をこちらに向けるのを逃さないように、瞳を覗き込む。橙色の虹彩に、光が反射して綺麗。いつまでも見ていられる。
「心配してるんだよ」
頬に触れると、瞼が落ちる。人形のように長いまつ毛。頬を撫でて、それから右手を取って指先に触れる。深爪気味で小さい爪、なににも染まっていない指。手を合わせれば、随分差がある。
「そんなに急いで生きなくても、平気だよ」
そっと握れば、握り返される。ぱっと離れる手と手。君はまた手を開いたり閉じたりしてる。やっぱり指先に絆創膏が貼ってあるの、可愛い。
「退屈なの、嫌なんだもん」
「俺がいるでしょ」
「うん、まぁ。そうだね」
君が大きく伸びをする。肺に大きく息が入って、吐き出される。夕方5時の鐘が鳴る。
「ちょっとのんびりぼんやりしてみるよ」
「それがいいよ」
その絆創膏が剥がれてしまうまでくらいは、俺と休憩していてよ。のんびりいこう、君を退屈させたりしないからさ。
弓場視点↓
虹の麓へ
同じ時間、同じ景色を見て過ごし続けたら、いつかはお前に辿り着けるんじゃないかと、勝手に期待して。特別な瞬間を、たくさん共有したい。そのためなら、どこへだって行ける。
天気予報ではにわか雨が降ると、キャスターが繰り返し伝えていたのに。お前は傘を忘れたと言う。それが天然なのか確信犯なのか、俺には分からないしどちらでも構わないんだ。ひとつの折り畳み傘を、ふたりで半分こにして。
「濡れてない?」
「濡れてねぇ」
嘘をひとつ吐いて、お前が濡れないように肩を引き寄せた。靴下が濡れてしまう前に、適当なカフェに入る。莉子は俺のシャツの色が変わっているのを見て、不満げな顔をする。
「濡れてないって言ったのに……」
「お前が傘忘れるのが悪い」
「私が傘忘れたのに、拓磨が濡れる必要ないじゃん」
むぅ、とむくれているのを、片手で頬を摘んで潰した。
「嫌なら今度から傘持ってこい」
「……ごめんなさい。ありがとう」
素直に受け取ってりゃいいんだ。俺が捧げるなにもかも。窓際の席につく。雨粒が窓を叩く音が響いていた。
莉子はいつも通りアイスティーを頼んで、ガムシロップをひとつ入れて飲んだ。ストローの先を噛むのも、いつも通り。繰り返しの毎日でも、俺は飽きたりなんてしないけれど。退屈だからと何処か他所へ行ってしまうのではと、いつも不安。なにか特別なこと、起きればいいのに。
「あ、虹!」
莉子が窓に張り付いて空を見る。雲間から陽が差し込んで、見事な虹を架けた。雨上がりの街は、陽の光を受けてきらきらと光っている。そんな景色の中でも、目を惹かれるのはやっぱりお前で。
「虹の麓まで、行ってみるか」
口に出してから、恥ずかしくなって穴に入りたくなる。なんてキザなこと言ったんだろう。誤魔化すように虹を凝視する。鮮やかな光の帯は、すうっと溶けてなくなりそうだ。
「いいよ、行こっか」
お前の声も表情も、なにもかもが穏やかで。嬉しそうに店を出る支度をするから、俺も慌てて身支度する。水たまりを踏んで、はしゃぐように歩き出す。どんなに遠い場所でも、虹の麓が分からなくなっても、お前とならば辿り着ける気がするんだ。だから、離れないでいて。
同じように幸せが訪れますように
いつだってずっと話していたいが、考えれば考えるほど言葉なんて出てこない。
(寝たのか……?)
20分前に返信して、既読がつかなくなった。あくびをして目をこする。もうすぐ日付も変わる時刻。別に急ぎの用事なんてないし、話してた内容も取り留めのないものだけれど。なんとなく、ほんの少しだけ、寂しいと感じる。
(おやすみとは言われてないし)
毎夜、おやすみと言われて終わるわけでもないんだけど。おやすみと送ってこないうちは、なにか返信があるのではと期待してしまって。朝型なんだけどなぁ。またひとつあくびをする。
(声が聞きたいなぁ)
思考が定まらなくなってきて、ふわふわした頭でそんなことを思う。船を漕ぎながら、明日の予定とか天気だとかが巡る最中に、どこにだって君がいる。明日も会いたいな。会ったらなにを話そう。伝えたいことは山ほどあるけれど、きっと明日もなに一つ形にはならないだろう。それでもいいから。
(限界)
携帯端末を充電ケーブルに挿して、ベッドサイドに置いて。ベッドに潜り込んで、壁の方を向いて横になった。くの字になって眠る。意識が遠くなるのに、何秒もかからなかった。
ジリリリリ
目覚ましが鳴って、目を覚ました。落ち着いて止めて、身体を起こす。夢でも会えたような心地がして、余韻に浸ってしばらくぼんやりしていた。身体を伸ばす。あくびで大きく息を吸い込む。辛いところはない。君も同じように朝を迎えていればいいと思う。携帯を開いた。君からの返信は、まだ着ていない。ほっとする。君にちょっとでも寂しい思いは、させたくないから。
(おはよう)
スタンプを送って、体調を気遣う文面を起こして、消す。毎日心配してたら鬱陶しいかも。今日は天気もいいし、きっと君も元気なはず。自分には天気によって具合が悪いなんて感覚、分からないんだが。君と違うということを大切にしたい。違うところを教えて欲しくて。大切に覚えて、誰よりも優しくしたい。
(今日もいい日だな)
やっぱり、消す。会う前からこんなにも幸せなんて、馬鹿みたいだろ。恥ずかしいから、消す。
ただいまには
お前の耳を彩る音が、どんなものなのか興味があった。お前がなにを好きなのか、実際のところはどうでもいいんだが。だってまるっと全部、君の存在自体が。
駅前の公園で待ってるよ。お前がそう連絡を寄越すから慌てている。陽も落ちかかってるってのに、そんなところに1人でいないでくれ。誰かとこのあとも、なんて言われても奪い返したくなるけど。公園に着くと、足をぶらつかせてベンチに座っているのを見つける。赤いヘッドフォンから流れる音楽を、楽しんでいるようで。それでも、駆け寄るとヘッドフォンを外す。
「ただいま」
「……それ、いつもなに聴いてるんだ」
指差して、訊ねる。ただいまに素直に返せなくて。莉子はヘッドフォンを両手で持つと、立ち上がって俺の方へ差し出した。届くわけがない。それなのに、背伸びして、俺に掲げるようにして。あまりにも無防備。
(かわ……)
数秒、思考が飛んで。息を飲む。莉子が首を傾げる。グラグラと揺さぶられてるように錯覚して、腕の中に収めてしまいたくなる。
「屈んで」
言われるがままに、
「最近よく聴くの」
そう言われた曲は男性のボーカルで、疾走感があって重たい音を奏でていた。この曲も歌うんだろうか。莉子のイメージとかけ離れていて、やはり上手いこと噛み砕けない。そもそも、俺には好きな曲を歌いたいという感覚は分からないし。
「……あまり、聴いたことねぇ」
「だよね」
少し残念そうにするお前に、少し罪悪感を覚える俺。でも、お前が好きなものを全部好きになれなくても、不安じゃない。
「帰ろ」
「あぁ」
ヘッドフォンを莉子に返す。莉子は首から下げて歩き出す。2人で並んで歩く帰り道が、いつまでも一緒ならなんだっていい。なにを好きでも、なにをしてても。最後に帰ってきてくれればいいんだ。……おかえりは、言えるようにならないとだよな。
くしゃみもあくびもしゃっくりですら
もうなにしてたって可愛く思えるから、なんか腹が立ってくる。
「くしゅんっ」
お前が横でくしゃみをした。しっかり口元を手で抑える。繰り返しくしゃみしているから、何処かで誰かがお前の話をしているのかと思うと、胸がざわついてしまう。
「大丈夫か、寒いか?」
「いや、寒くはないけど」
鼻を擦っているので、ティッシュを渡してやる。ズズッと情けない音がお前からする。自然にゴミを渡されて、何も言わずに自分のポケットにしまう。
「ふわぁ……」
今度は大口開けてあくびをする。並びがよく、白い歯がちらっと覗く。莉子は眠たそうにまばたきをした。つられて、俺もあくびが出る。
「うつった」
嬉しそうに、悪戯っぽく小さく微笑まれると、胸の内がくすぐったい。言葉もなくて、返事の代わりに頭に触れた。少しこちらに身体を傾けるのに、どうしようもなく焦がれる。しばらく、ゆったり街中を散歩する。莉子は一生懸命話したり、興味深そうに街を飛び交う鳥を見たり。黙って、隣を歩く。君が隣にいてくれさえすれば、それで満足で。話すことなんて、なにもなくて。
「っく」
喋りすぎたのか、莉子はしゃっくりをし始めた。息を止めてみたりしているが、しゃっくりは止まらずに繰り返される。
「わっ」
「わあ!!」
俺が脅かしたより、デカい声で驚く。そっちの声のがびっくりするっての。俺の服の端をキュッと掴んで、離す。あー、可愛い。そのまま手を握って攫いたいほど。
「びっくりした」
「止まったか?」
「っく、止まんない」
ひっくひっくと、呼吸の度にしゃくり返る。そのうち、放っておいてまた喋り出した。言葉が途切れ途切れに、耳に届く。声を聞いてるとふわふわするから、内容が頭に入ってこなくて。いつも申し訳ないな、もったいないと悩んでいる。
「今日もいい日だった」
そう君が呟くのが、その呟きを聞けるのが、なにより幸せで。いつだって側にいたい。くしゃみもあくびもしゃっくりも、全部全部独り占めにしたい。なにをしてたって可愛く見える。俺がおかしいのかな。君が世界一可愛いだけかな。
夢主視点↓
眠れない夜に
ベッドに40分ほど横たわっていたが、眠気が訪れず飽きた。退屈も耐え難く思えて、身体を起こす。目を擦りながら携帯で時間を確認すれば、午前1時を過ぎていた。そろりとベッドを抜け出る。家族が寝静まったリビングで、淡く電気をつけ、電子レンジで牛乳を温める。紅茶のティーバッグを入れて、ロイヤルミルクティにするのだ。ちょっと贅沢に、二宮さんに買って貰った良い茶葉のやつ。眠れない夜には、沈み込まないように上手く自分の機嫌を取る。眠れない私が悪い子なわけではない。
(少し誰かと話したいな)
幼馴染の顔が浮かぶが、とっくに眠っているだろうと遠慮した。夜更かしの伯母か、あと起きていそうなのは。迅なら起きているかな、とダイヤルしようとした時にふと。
(拓磨が起きている時間なら、拓磨に電話をかけたんだろうか)
小さな疑問が胸に波紋を広げて、憂鬱を呼んでくる。一番私が話したい人は、誰なんだろうか。一番なんて、決めなくてはダメか?その日その時、気分次第で話したい相手なんて変わる。相手の気分次第でも変わる。気持ちよく眠っている拓磨を叩き起こしてまで、私はわがままを聞いてもらおうとは思わない。相手のことを考えるって、そういうことじゃないのか。
(いつも誰かを想っているのに、何故薄情だと、中途半端だと、浮気者だと罵られるのだろう)
好きな人が、大切にしたい人が多いだけ。それだけの人間だと思う、自分は。罵ってくる誰かの顔は知らない。けれど後ろ指を刺されている気がして、心苦しい。急速に精神から潤いを失って、濁ってひび割れる心地がする。躊躇いなく電話をかけた。
『もしもし、どうしたの?』
「こんばんは、ちょっとしんどくて」
『うん、いいよ。ゆっくり話してみて』
迅の声が耳に馴染む。安心する。心の拠り所がひとつでなくてはいけないなんて、そんな決まりはない。拓磨を頼れない時は、迅を頼る。迅も無理な時は、蓮ちゃん。太刀川さんも二宮さんも、きっと話を聞いてくれる。そうだ、私には優しくしてくれる人がたくさんいる。
(自分が笑顔でいられる道を選び続けよう)
誰がなんと言ったって。私なりの優しさをばら撒き続ける。右も左も選んでまっすぐ進もう。眠れない夜も、私は1人じゃない。1人じゃないから、幸せでいないとなんだ。
頑張れない、頑張ってない、頑張りたい
落ち込んでる時に来てくれないと、自分勝手だけど怒ってしまったりするのです。理性では、君が忙しいのは知っているのにね。
(だるい……)
ベッドから出ようと決意してから、3時間経った。それは決意したとは言えない。でも、ちゃんと起きようとは思っているんだ。本当だよ。誰にも信じてもらえないかもしれないけど。ちゃんとしようとしてるの。本当に。
(誰も来てくれない)
私が辛いのに、誰も助けてくれない。そりゃそうだ、誰にも伝えてないもん。なるたけ迷惑はかけたくないから。でも、鬱々とした日は勝手にイライラしてる。誰も助けてくれない、あんまりだ。でも、誰にも弱音を吐けずにベッドに沈み込んでいる。矛盾した理不尽な思いは、私の身体を両端から引っ張って裂こうとする。胸に重りが入っているようで、呼吸もしづらい。
(迅はなにしてるの)
知ってるよ、君は私の親ではないし、先生ではないし、保護者ではない。親友だけど、私のこといつも視ているわけではない。でも、視えているなら助けてくれてもいいじゃん。助けてよ。わがままに嫌気がさして、自己嫌悪に陥ってしまう。4時間経った。まだ朝ごはんも食べられぬまま。
ピンポーン
インターホンが鳴る。重い身体をなんとか起こしてリビングへ行き、通話口に頭を寄せる。
『俺だよ』
詐欺だ!反射的にそう茶化して笑みが出る。廊下を歩いてドアを開ければ、迅が立っている。迅はそっと私を引き寄せると、背中を撫でた。
「大丈夫、よく頑張ったね」
涙が込み上げて、声を押し殺すことも出来ずに泣いた。なにも頑張ってないけど、みんなが忙しく生活を頑張っている中、一人で起き上がることも出来ないのに。温かく受け入れて、認めてくれることがなによりも嬉しくて安心した。
「落ち着いたら、なにか食べて散歩に行こう」
「うん、ごめんね」
「謝ることなんてなにもないでしょ?」
「うん、ありがとう」
忙しい中で、みんな私を忘れずにいてくれる。私の全てを理解してくれる人間など、いない。私もみんなの、迅の全てなど知らないから。それでも、もう少しこの世界で頑張ろうと思う。素晴らしきこの世界で、生きててもいいと思えるように。
色彩についての考察
人間の魂とは、どんな色をしているものなんだろう。人によって違うのか、生まれて歳をとるのと共に色づいていくものなのか。所詮例え話だ、知り得ることなど永劫ないだろうけど。
明け方が任務で、そのまま自分の仮眠室で寝て、起きて食堂でご飯食べて。お昼を過ぎても、なんとなく怠かったから仮眠室に戻り、さっき起きた。家に帰るのにも早いので、シーリングスタンプでも作ることにした。蝋燭に火を灯し、スプーンにワックスを乗せて溶かしていく。スタンプ台に溶けたワックスを垂らして、真鍮製のスタンプを押す。冷えるとワックスは固まって、ペリっと剥がれる。綺麗に丸く押せたそれを、テーブルに並べていく。手紙の封に貼るスタンプは、使い切れないほどたくさん作った。ボーダーのみんなにお裾分けして、配ってまわっている。
(次は黄色、水色、ピンクと白……)
色がマーブル模様に混ざるのが楽しい。よく、なにかモチーフを決めてイメージスタンプを作る。大体は実在しないキャラクターのもの。羽矢ちゃんが喜ぶ。ふと、キャラクターのイメージカラーはパッと思いつくものだが、実在の人物となると一緒に生活していても、よく分からないものだなと思う。
(大抵、着ている服とか好きな色に引っ張られちゃうな)
例えば、准くんのイメージは赤だけれど、それは隊服が赤だからではないか?彼、私服で赤なんて着ないし。私服はカーキとか多い気がする。でも赤だよなぁ。似合う色と、好きな色と、他人がイメージする色は、きっとどれも違くて。魂の色は、恐らくもっと複雑で分かり得ない。イメージとは、偏見でしかないのかもしれない。
(お、なんか綺麗に出来た)
2色のブラウンと、灰緑と、薄いピンクを、オシャレなハートのスタンプで押した。なんとなく幼馴染を思い出し、彼に贈ろうと思った。彼らしいなぁと思ったのだけど、思い込みでしかないかもしれないし、彼が気にいるかは分からないけれど。本当の色なんて、見えているのかは分からない。基準もないから、同じ色が見えているのかの擦り合わせも出来ない。だから、美しいと思うもので彩って、素敵だと思える色を分かちあえるようにしたい。見え方が違ったとしても、綺麗だと言ってもらえるように。
白と黒、君と私
白黒はっきりしたものなんて、とても数少ないのだと最近思う。曖昧グレーで丁度いいんだと、0か100かなんて疲れてしまうと、最近思う。オセロくらいでいい、そんなものは。
「オセロって、まだある?」
外が雨なので、君の部屋で過ごしている。幼い頃よりも、物は増えただろうにちっとも散らかってない。君の性格を表している様。私の部屋を見たら、嫌われちゃうかな。
「どっかにはあると思うが……」
「よく遊んだよねぇ」
君は返事はしないけど、椅子から立ち上がると勉強机の下を覗き込んだ。ガチャガチャ探して、ないと分かると今度はベッドの下。
「一緒に探す?」
「いや、お前分かんねぇだろ。待ってろ」
ベッドの上に座り込んで、しゃがみ込んで下を漁る君の背中を眺める。広い背中に触れて、撫でてみる。
「んん、なんだ……?」
君は少し鬱陶しそうな声を出して、顔を上げた。眉間に皺が寄ってる。
「なんでもないよ」
「…………」
君は小さくため息を吐くと、指の背で私の頬を撫でて、頭を撫でてからまた下を覗き込む。私も一緒になって覗く。世界が逆さまになる。薄暗くてよく見えないし、手を伸ばしたら頭から落ちそうなので、体勢を元に戻して大人しく待つことにした。
「あった」
ベッドの下から引き摺り出されたオセロ盤は、埃は被っていたけど昔のまんま。思わず拍手をする。君は埃を払うと、オセロ盤をベッドの上に置き私と向き合う。
「どっちがいい」
「黒!」
「後攻だぞ?」
「うん、黒がいい」
石を並べて、拓磨から白を置いていく。交互に置いて、ひっくり返して。幼い頃、夢中で遊んだのを思い出す。私があんまりしつこく遊ぶから、もう嫌だって突っぱねられたこともあったっけ。静かにプレイする。拓磨の手が止まったから、顔を伺った。真剣に盤面を見つめる瞳が、ふっとこちらに向けられる。
「……なんだ」
「なんでもないよ」
やっぱり君はため息を吐いて。
「あんまり見るな」
「分かった」
盤面に目を落とした。かなり押されてるかなぁ。拓磨が白を置く。あ、逆転出来るかも。
そのあと巻き返すことが出来て、接戦になった。ゲームが終わって、石の数を数える。マスにひとつずつ並べていったら。
「あれ?同じ?」
「引き分けだな」
オセロですら、白黒つかないや。顔を見合わせて、笑った。もう一度とせがんだら、返事はしないけどもう一戦始まる。このままいつまでも、君といられたらいいのに。