本編
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期待を胸に、ボーダー入隊式を迎えた。新しいことに挑むのに、不安を覚えたことはない。全員同じ隊服なのが気持ち悪くて嫌で、気休めに帽子をかぶった。忍田本部長の挨拶を聞く。最短であちら側に行きたい。訓練の説明を受けて、無難にこなしていく。個人ランク戦のやり方を説明されて、各々挑戦していった。ランク戦をする前に、訊きたいことがあったので手を挙げる。黒いロングコートの、背の低い女性が近寄ってきて対応してくれる。この人誰だっけ。
「どうしました?」
「トリガーの変更ってどうやるんですか?」
「?? トリガーもう変えたいの?使いにくかった?」
「そういうわけじゃないんですけど……」
「トリガー変えちゃうと、ポイント0に戻っちゃうよ」
「とりあえず一通り触ってみたくて」
「うーんそっかぁ」
女性は少し悩んだあと、バックヤードの方向へ俺を連れて行った。パソコンに似た、ディスプレイのある機械が立ち並んでいる。
「ここで申請して変更出来るんだけど……受理まで時間かかるし、そもそもここ正隊員しか入れないし、トリガーめちゃくちゃ種類あるから、全部試すのはめっちゃ大変だと思う……」
「そうなんですか」
「正隊員になれば、もっと簡単に変更出来るし、トリガーも複数持てるよ」
やりたいことをやるには、今はまだ少し早いようだ。帽子をとって頭を下げ、感謝を述べる。
「ありがとうございます。今のトリガーで正隊員目指します」
「いえいえ。でも、どうしてトリガー全部触りたいの?エンジニアと兼任目指してるの?」
バックヤードを出ながら、そう訊ねられる。C級の身分で口にするのは憚られたが、隠すことでもないので。
「パーフェクトオールラウンダー目指してて」
「あーなるほど。そっかそっか……」
彼女は馬鹿にするでも誉めそやすでもなく、頷いて少し目を伏せた。俺みたいな奴は、多いのだろうか。
「大変だよ?」
「分かってます」
「私も一通りトリガー触ってるけど、どれもマスターじゃなくてさ」
情けないよね、と困ったように笑う。別にそんなことは思わない。見ず知らずの俺にそう話すこの人は、誠実だと思った。
「そんなに自分に期待しちゃうと失望して疲れちゃうこともあるから……潰れないでね」
俺にとっては余計なお世話だけど、突っぱねる気にもなれなかった。この人が優しさからそう言っていることは、顔を見れば分かるから。きっとこの人は、自分に対してそう言っているんだ。なんで、そんな弱気なことを言うのだろう。
「大丈夫だと思います」
「うん。君強そうだもんね」
「名前、教えてもらえませんか」
「私? 小林莉子。太刀川隊の、小林莉子だよ」
太刀川隊?太刀川隊って確か。思考を巡らせているうちに、莉子さんは呼ばれてこの場を離れた。名乗るのを、忘れてしまった。莉子さんの弱気な笑みが、どうしても引っかかって離れない。太刀川隊は、A級トップクラスの部隊だったはずだ。なんでそんな人が、あんな表情をするんだろう。もっと自信を持てばいいのに。
(パーフェクトオールラウンダー、興味ないかな)
自信がないのはきっと、今の自分に満足出来てないからだ。不満があるのなら、改善していけばいい。まだなにも知らないあの人のことを、勝手に救うつもりでいた。ああいう人を、俺は強くしてやりたい。まずは、俺が強くならなくては。あの人の言葉で、やる気が失せるなんてことはなかった。
入隊式でちょっと面倒を見た男の子に、妙に懐かれた。あんな体育会系な子に好かれる所以はないように思うのだけど。竜司とか全然私に懐かないし。
「名前はなんて言うの?」
「荒船哲次です」
「てつじくん、ね」
あらふねくんは言い辛いので、下の名前で呼ぶことにした。哲次くんは、私を見掛けると犬のように駆け寄ってきて、挨拶してくれる。犬みたい、と言ったら、めちゃくちゃ渋い顔をされたけど。犬が嫌いなんだそうだ。
「莉子さんは学校どこなんですか?」
「六穎館だよ」
「えっ見かけたことないです」
「……私、不登校だからね」
そう言えば、言葉に迷うように顔を曇らせた。当たり前のことだけど、ちょっと傷つくな。哲次くんは文武両道の優等生で、正義感も遠大な目標もあって、輝いて見えた。私とは違う世界の生き物だろう。きっと、自責と後悔に濡れて沈みゆく夜など知らない。教えたいとは思わない。けれど、側にいるとちょっとだけ、正論に押し潰されて消えたくなる。お前は間違っていると、告げられている気分になるのだ。
「莉子さん、俺のこと苦手です?」
やっぱり違和感として伝わってしまったらしく。でも、そんな真っ正面から訊いてくるとは思わなくて、目を丸くした。
「苦手だって言ったら、悲しい?」
「俺のことはどうでもいい。莉子さんがどう思ってんのか知りたい」
「…………うん、ちょっと苦手」
素直に白状したら、君は悲しそうな顔をした。やっぱり、傷つくんじゃないか。だから、言いたくなかったのに。
「なんでかって、説明出来たりしますか」
「……哲次くん、正しすぎるから」
「はい?」
哲次くんは毒気を抜かれたように、呆気に取られていた。言葉を選びながら、私は話を続ける。
「哲次くんに好かれるような人間じゃないよ。私はダメな奴で……哲次くんといると、私はダメなんだなぁって再認識しちゃう」
「あんたを好きかどうかは、俺が決めることだろ」
それはそうなんだけど。正論しか知らなそうなところが、苦手なんだよ。どうしたって、当てはまらない自分を責めちゃうから。
「……俺、別に自分が正しいなんて思ったことないですよ」
「うん、知ってる。だからこれは、私のせい」
私が勝手に劣等感に苛まれてるだけ。顔を背けて逃げた。私は逃げてばかりだ。
「…………俺は、もっと話したい」
哲次くんは、逃げなかった。顔も見ない私の横で、話を続けた。
「俺のこと、苦手でもいいです。もっと莉子さんのこと教えてください。俺は、あんたを知らなすぎる」
「なんで知りたいの。放っておけばいいのに」
「あまりにも俺と違うから。知りたいと思うんです」
恐る恐る、哲次くんの表情を伺った。凛々しくて純真な顔がそこにあった。眼差しは引くことを知らないようで。力強くて恐ろしいくらいだった。
「俺のことも、話すから知ってください。それで莉子さんが少しでも楽になれたらいい」
「楽に?」
意外な言葉におうむ返しをすると、哲次くんはしっかりと頷いた。そうか、この子は本当に私の在り方を責めるつもりはないんだな。
「俺は、あんたの良き友人になってみたいんだ」
「……変わってるねぇ」
「そんなことねぇだろ。あんたの周りは、俺なんかより賑やかに見えるぜ」
味方の数は、比べたことがなかった。指折り数える。哲次くん一人に否定されたところで、折れないで立っていられることに気付く。哲次くんも味方の一人に数える。私を否定する人間など、いない。
「うん、うん。ありがとう」
涙ぐむと、哲次くんは酷く慌てた。私の扱いに慣れていないのが可笑しくて、笑う。
「泣いたり笑ったり、忙しいな」
「そうだよ、これが私だよ」
そう伝えれば、哲次くんもニカっと笑った。彼を傷つけないで済んでほっとした。哲次くんは丈夫だから、私が何を言っても傷つかないのかもしれないけど。腹の底を隠していても仕方ないな。素直に生きよう。劣等感と和解出来て、清々しい思いがした。
狙撃手もマスターランクになった。徐々に目標に近付けている筈だ。そろそろ、自分のメソッドが通用するのか試したい。銃手・射手がまだ習得出来てねぇけど、どうせ人に教えるのはひとつずつだ。構わないだろう。莉子さんを捕まえようと探す。会いたいと思った時に限って、見つからない人だ。
(連絡入れてみるか……)
携帯端末を取り出し、「今なにしてますか?」とメッセージを送る。元気にしてたらすぐ連絡くれるだろ。とりあえず、ラウンジで待つ。弟子になってくれって頼んだら、あの人はどんな顔をするだろうか。
(ちょっと微妙な顔しそうだよな)
2年ほど付き合って、莉子さんの思考回路はだいたい把握してる。謙遜はしないが、自分の実力は低く見積もっている人だ。釣り合わない、と断られそうである。俺にとってはそんなの関係ないし、釣り合わないなどと考えたこともない。いつだって、あの人は対等な友人だ。
『男女の友情が、成立すると思ってる?』
ついこないだ、王子がそう言って絡んできた。思っている、成立すると断言した。王子は目を細めて、そう、と人好きのする笑みを浮かべた。王子は腹の底が見えなくて少し苦手だ。王子も莉子さんに興味がある風だが、動機は俺と違うように感じる。友人として、心配になる。莉子さんはあまりにも無防備で無垢な人だから。まぁ、莉子さんには味方が多いから、杞憂だろうけど。メッセージに既読がつく。
『家でだらだらしてた。そろそろ動かなきゃと思ってたとこ〜』
『待ってるんで、本部で会えませんか?』
『いいよ〜』
『ラウンジにいるので。慌てずに来てください』
莉子さんの家からなら、30分くらいかかるだろうか。缶コーヒーを買う。飲みながら、なんて言って弟子にしようか考える。大事なことなのでカッコくらいつけたいが、そんな大袈裟なことでもない気がするし、気恥ずかしい。柄になく緊張してきた。断られても、友達は続ける、けど。余所余所しくなられたりしたら、多分ショックだ。まぁでも、莉子さん押しに弱いしな。よっぽど嫌でない限りは、オッケーしてくれるだろ。よっぽど嫌なわけは、ないし。ないか?断られた時、ダメージデカくないか、それ。珍しく、あれこれ心配している。そんだけ俺の中で大事な人なのだ。特別な友達。
「ごめん、待った?」
「大丈夫です。寝癖ついてますよ」
「寝癖だか天パだか分からないから大丈夫」
いや、明らかに寝癖なんだって。向かいに座る莉子さんの頭を、立ち上がって撫でつけてやる。莉子さんの髪はふわふわしていて、くるくると癖がついている。パーマはかけてないと言うのだから、驚きだ。天真爛漫な莉子さんに、よく似合っている。
「へへへ、ありがとう」
「……どういたしまして」
ふいに弓場さんの顔が浮かんだ。苦労してそうだなぁって。
「今日はどうしたの?面白い映画でもあった?」
「えっ、と」
らしくなく言い淀んだ。莉子さんは不思議そうな顔をしている。オレンジ色の瞳を見つめる。ひとつ瞬きして、覚悟を決める。
「狙撃手もマスターランクになりました」
「えっすご。おめでと」
「莉子さんを弟子に取ります」
「んえ?」
「莉子さん、俺の弟子になってください」
立ち上がって帽子を取り、頭を下げた。莉子さんが戸惑っているのが空気で分かる。伺い見ると、困ったように首を傾げた。
「鋼くんいるじゃん?」
「あいつは……別枠です」
「私、多分満足させられる弟子には」
「莉子さんが満足するならそれで充分です」
「え、え〜?」
思ったよりは、重くも暗くも受け止められてない。ほっと一安心する。莉子さんが興味を持ってそうな感じが嬉しい。ワクワクして、自然と笑顔になる。
「俺とパーフェクトオールラウンダーになりましょ」
「うーーーーん」
「興味あるんでしょ?」
「正直、ちょっとある……けど、私根性なしだし、最後まで出来ないかも」
「やってみてダメだったら、そん時はそん時」
「うーーーーん」
別に俺相手に気ぃ遣う必要、ないのに。この人は本当に、そういう遠慮があるとこが意地らしい。
「ねぇねぇ、じゃあさ」
「うん?」
「師匠って呼んでもいい?」
目を輝かせて、そんなことを言う。面食らって、頬が熱い。敵わねぇな、と思う。予想外の反撃を喰らったが、無事に弟子に出来た。俺の夢はここからだ。
三門市内近辺の、行くことが出来るいくつかの映画館の中で、一番行きやすい場所を選んだ。午前中11時からの回と、午後16時からの回があり、お互いの予定とか前後の行動を踏まえて11時からの回を予約してもらった。哲次くんが珍しく、わざわざ電話して誘ってきた映画なので、よっぽど面白かったのだろう。封切りしてから1週間程度の映画は、私1人ではまず観ないタイトルだった。なんとなくネットで評判も覗いたが、好評なようだ。あらすじなどは敢えて見なかった。いつもより少しだけ早起きだから、あくびが出る。待ち合わせ場所には、10分前に着いた。数分後には、哲次くんが来る。
「すみません、待ちました?」
「全然。今来たとこ」
「よかった〜めちゃくちゃ楽しみにしてて。俺も早くもう一回観たくて」
哲次くん、ご機嫌だなぁ。うんうん、と話を聞く。哲次くんは普段口数が少ないけれど、好きなことや興味のあることの話になると途端に饒舌になる。私も一緒なので、気持ちはよく分かる。いつも話を聞いてもらってる分、こういう日は私が聞き役になる。
「なんも言わない方がいいですよね!?」
「そうだね、ネタバレは嫌だね」
「分かりました、黙ります」
そう言って10秒もしないうちに、「監督が面白い人で〜」と話し出したので、笑ってしまった。まぁ、舞台裏の話は映画の内容と関係ないからいいけど。最悪、ネタバレを喰らっても怒るようなことでもない。哲次くんが観せたがった映画だ、哲次くんの好きなように観せてくれればいい。
「ポップコーン、食べます?」
「うん、哲次くん食べるなら」
「じゃあ大きいのひとつだけ買いますか」
映画館の売店に並ぶ。烏龍茶の1番大きいやつを注文し、ポップコーンも頼む。会計しようとしたら、哲次くんが後ろからコーラを追加で頼む。そうして、勝手に会計しようとする。
「ちょっと、私が出す」
「いいっす、俺が出します」
「なんでよ、学生は奢られときなよ」
「莉子さん誘ったの俺だし。割引もしてもらえるし」
「割引は気にしなくていい!」
私が千円を出し、小銭を探してるうちに哲次くんが千円を出し、精算してしまう。哲次くんは、おつりを私に差し出した。受け取らずにいたら勝手にポケットに突っ込まれる。
「どうせ莉子さん観なくても、俺1人で来てるんです。これくらいさせてください」
「もぉ〜……」
諦めて、小銭を財布にしまう。開演まであと10分。お手洗いを済ませて、席に着く。中央の後ろ寄り。観やすい席だ。コマーシャルや予告を見て、次に観たい映画に思いを馳せる。誰と観るかも考えながら。誘う相手によってジャンルや内容は考える。困ると、大抵拓磨か哲次くんを誘って行く。ポップコーンを貪る。たまに爪先が哲次くんの手にぶつかる。気にしないけど。本編が始まる前に、お互い端末の電源を落とす。いよいよだ。
上映中はひと言も話さないし、隣も見ない。映画はダークで、ハードで、アクションがすごかった。途中急に爆発するので驚く。4DXじゃなくてよかった。ハッピーエンドではないのかもしれないが、因果応報で好きなストーリーだった。エンドロールが流れ終わり、周囲が明るくなる。
「やっぱ最高だった……!!」
隣で哲次くんが噛み締めるように言って、私を振り向く。瞳をキラキラさせながら、それでもグッと堪えた声でそっと、
「あの、どうでした……?」
そう訊ねる。期待と不安が無い混ぜの表情。哲次くんは映画が終わるといつもこうだ。だけど決してお世辞を言ったことはない。
「面白かったよ。オチが特に好き」
「ですよね!!莉子さん好きそうと思った!!」
いっそうテンションを上げて、哲次くんは話す。さて、これから遅めのお昼を食べながら感想会だ。哲次くんと物語の話をするのは好きだ。自分の言語化出来ていない感想が、するすると形になるから。
「でもこれ、続くよね?」
「続編決まってます」
「次も観たいな」
「もちろん!!ぜひ!!」
先の楽しみが増えた。こうやって小さな約束を積み重ねて、守るために生きていく。
「どうしました?」
「トリガーの変更ってどうやるんですか?」
「?? トリガーもう変えたいの?使いにくかった?」
「そういうわけじゃないんですけど……」
「トリガー変えちゃうと、ポイント0に戻っちゃうよ」
「とりあえず一通り触ってみたくて」
「うーんそっかぁ」
女性は少し悩んだあと、バックヤードの方向へ俺を連れて行った。パソコンに似た、ディスプレイのある機械が立ち並んでいる。
「ここで申請して変更出来るんだけど……受理まで時間かかるし、そもそもここ正隊員しか入れないし、トリガーめちゃくちゃ種類あるから、全部試すのはめっちゃ大変だと思う……」
「そうなんですか」
「正隊員になれば、もっと簡単に変更出来るし、トリガーも複数持てるよ」
やりたいことをやるには、今はまだ少し早いようだ。帽子をとって頭を下げ、感謝を述べる。
「ありがとうございます。今のトリガーで正隊員目指します」
「いえいえ。でも、どうしてトリガー全部触りたいの?エンジニアと兼任目指してるの?」
バックヤードを出ながら、そう訊ねられる。C級の身分で口にするのは憚られたが、隠すことでもないので。
「パーフェクトオールラウンダー目指してて」
「あーなるほど。そっかそっか……」
彼女は馬鹿にするでも誉めそやすでもなく、頷いて少し目を伏せた。俺みたいな奴は、多いのだろうか。
「大変だよ?」
「分かってます」
「私も一通りトリガー触ってるけど、どれもマスターじゃなくてさ」
情けないよね、と困ったように笑う。別にそんなことは思わない。見ず知らずの俺にそう話すこの人は、誠実だと思った。
「そんなに自分に期待しちゃうと失望して疲れちゃうこともあるから……潰れないでね」
俺にとっては余計なお世話だけど、突っぱねる気にもなれなかった。この人が優しさからそう言っていることは、顔を見れば分かるから。きっとこの人は、自分に対してそう言っているんだ。なんで、そんな弱気なことを言うのだろう。
「大丈夫だと思います」
「うん。君強そうだもんね」
「名前、教えてもらえませんか」
「私? 小林莉子。太刀川隊の、小林莉子だよ」
太刀川隊?太刀川隊って確か。思考を巡らせているうちに、莉子さんは呼ばれてこの場を離れた。名乗るのを、忘れてしまった。莉子さんの弱気な笑みが、どうしても引っかかって離れない。太刀川隊は、A級トップクラスの部隊だったはずだ。なんでそんな人が、あんな表情をするんだろう。もっと自信を持てばいいのに。
(パーフェクトオールラウンダー、興味ないかな)
自信がないのはきっと、今の自分に満足出来てないからだ。不満があるのなら、改善していけばいい。まだなにも知らないあの人のことを、勝手に救うつもりでいた。ああいう人を、俺は強くしてやりたい。まずは、俺が強くならなくては。あの人の言葉で、やる気が失せるなんてことはなかった。
入隊式でちょっと面倒を見た男の子に、妙に懐かれた。あんな体育会系な子に好かれる所以はないように思うのだけど。竜司とか全然私に懐かないし。
「名前はなんて言うの?」
「荒船哲次です」
「てつじくん、ね」
あらふねくんは言い辛いので、下の名前で呼ぶことにした。哲次くんは、私を見掛けると犬のように駆け寄ってきて、挨拶してくれる。犬みたい、と言ったら、めちゃくちゃ渋い顔をされたけど。犬が嫌いなんだそうだ。
「莉子さんは学校どこなんですか?」
「六穎館だよ」
「えっ見かけたことないです」
「……私、不登校だからね」
そう言えば、言葉に迷うように顔を曇らせた。当たり前のことだけど、ちょっと傷つくな。哲次くんは文武両道の優等生で、正義感も遠大な目標もあって、輝いて見えた。私とは違う世界の生き物だろう。きっと、自責と後悔に濡れて沈みゆく夜など知らない。教えたいとは思わない。けれど、側にいるとちょっとだけ、正論に押し潰されて消えたくなる。お前は間違っていると、告げられている気分になるのだ。
「莉子さん、俺のこと苦手です?」
やっぱり違和感として伝わってしまったらしく。でも、そんな真っ正面から訊いてくるとは思わなくて、目を丸くした。
「苦手だって言ったら、悲しい?」
「俺のことはどうでもいい。莉子さんがどう思ってんのか知りたい」
「…………うん、ちょっと苦手」
素直に白状したら、君は悲しそうな顔をした。やっぱり、傷つくんじゃないか。だから、言いたくなかったのに。
「なんでかって、説明出来たりしますか」
「……哲次くん、正しすぎるから」
「はい?」
哲次くんは毒気を抜かれたように、呆気に取られていた。言葉を選びながら、私は話を続ける。
「哲次くんに好かれるような人間じゃないよ。私はダメな奴で……哲次くんといると、私はダメなんだなぁって再認識しちゃう」
「あんたを好きかどうかは、俺が決めることだろ」
それはそうなんだけど。正論しか知らなそうなところが、苦手なんだよ。どうしたって、当てはまらない自分を責めちゃうから。
「……俺、別に自分が正しいなんて思ったことないですよ」
「うん、知ってる。だからこれは、私のせい」
私が勝手に劣等感に苛まれてるだけ。顔を背けて逃げた。私は逃げてばかりだ。
「…………俺は、もっと話したい」
哲次くんは、逃げなかった。顔も見ない私の横で、話を続けた。
「俺のこと、苦手でもいいです。もっと莉子さんのこと教えてください。俺は、あんたを知らなすぎる」
「なんで知りたいの。放っておけばいいのに」
「あまりにも俺と違うから。知りたいと思うんです」
恐る恐る、哲次くんの表情を伺った。凛々しくて純真な顔がそこにあった。眼差しは引くことを知らないようで。力強くて恐ろしいくらいだった。
「俺のことも、話すから知ってください。それで莉子さんが少しでも楽になれたらいい」
「楽に?」
意外な言葉におうむ返しをすると、哲次くんはしっかりと頷いた。そうか、この子は本当に私の在り方を責めるつもりはないんだな。
「俺は、あんたの良き友人になってみたいんだ」
「……変わってるねぇ」
「そんなことねぇだろ。あんたの周りは、俺なんかより賑やかに見えるぜ」
味方の数は、比べたことがなかった。指折り数える。哲次くん一人に否定されたところで、折れないで立っていられることに気付く。哲次くんも味方の一人に数える。私を否定する人間など、いない。
「うん、うん。ありがとう」
涙ぐむと、哲次くんは酷く慌てた。私の扱いに慣れていないのが可笑しくて、笑う。
「泣いたり笑ったり、忙しいな」
「そうだよ、これが私だよ」
そう伝えれば、哲次くんもニカっと笑った。彼を傷つけないで済んでほっとした。哲次くんは丈夫だから、私が何を言っても傷つかないのかもしれないけど。腹の底を隠していても仕方ないな。素直に生きよう。劣等感と和解出来て、清々しい思いがした。
狙撃手もマスターランクになった。徐々に目標に近付けている筈だ。そろそろ、自分のメソッドが通用するのか試したい。銃手・射手がまだ習得出来てねぇけど、どうせ人に教えるのはひとつずつだ。構わないだろう。莉子さんを捕まえようと探す。会いたいと思った時に限って、見つからない人だ。
(連絡入れてみるか……)
携帯端末を取り出し、「今なにしてますか?」とメッセージを送る。元気にしてたらすぐ連絡くれるだろ。とりあえず、ラウンジで待つ。弟子になってくれって頼んだら、あの人はどんな顔をするだろうか。
(ちょっと微妙な顔しそうだよな)
2年ほど付き合って、莉子さんの思考回路はだいたい把握してる。謙遜はしないが、自分の実力は低く見積もっている人だ。釣り合わない、と断られそうである。俺にとってはそんなの関係ないし、釣り合わないなどと考えたこともない。いつだって、あの人は対等な友人だ。
『男女の友情が、成立すると思ってる?』
ついこないだ、王子がそう言って絡んできた。思っている、成立すると断言した。王子は目を細めて、そう、と人好きのする笑みを浮かべた。王子は腹の底が見えなくて少し苦手だ。王子も莉子さんに興味がある風だが、動機は俺と違うように感じる。友人として、心配になる。莉子さんはあまりにも無防備で無垢な人だから。まぁ、莉子さんには味方が多いから、杞憂だろうけど。メッセージに既読がつく。
『家でだらだらしてた。そろそろ動かなきゃと思ってたとこ〜』
『待ってるんで、本部で会えませんか?』
『いいよ〜』
『ラウンジにいるので。慌てずに来てください』
莉子さんの家からなら、30分くらいかかるだろうか。缶コーヒーを買う。飲みながら、なんて言って弟子にしようか考える。大事なことなのでカッコくらいつけたいが、そんな大袈裟なことでもない気がするし、気恥ずかしい。柄になく緊張してきた。断られても、友達は続ける、けど。余所余所しくなられたりしたら、多分ショックだ。まぁでも、莉子さん押しに弱いしな。よっぽど嫌でない限りは、オッケーしてくれるだろ。よっぽど嫌なわけは、ないし。ないか?断られた時、ダメージデカくないか、それ。珍しく、あれこれ心配している。そんだけ俺の中で大事な人なのだ。特別な友達。
「ごめん、待った?」
「大丈夫です。寝癖ついてますよ」
「寝癖だか天パだか分からないから大丈夫」
いや、明らかに寝癖なんだって。向かいに座る莉子さんの頭を、立ち上がって撫でつけてやる。莉子さんの髪はふわふわしていて、くるくると癖がついている。パーマはかけてないと言うのだから、驚きだ。天真爛漫な莉子さんに、よく似合っている。
「へへへ、ありがとう」
「……どういたしまして」
ふいに弓場さんの顔が浮かんだ。苦労してそうだなぁって。
「今日はどうしたの?面白い映画でもあった?」
「えっ、と」
らしくなく言い淀んだ。莉子さんは不思議そうな顔をしている。オレンジ色の瞳を見つめる。ひとつ瞬きして、覚悟を決める。
「狙撃手もマスターランクになりました」
「えっすご。おめでと」
「莉子さんを弟子に取ります」
「んえ?」
「莉子さん、俺の弟子になってください」
立ち上がって帽子を取り、頭を下げた。莉子さんが戸惑っているのが空気で分かる。伺い見ると、困ったように首を傾げた。
「鋼くんいるじゃん?」
「あいつは……別枠です」
「私、多分満足させられる弟子には」
「莉子さんが満足するならそれで充分です」
「え、え〜?」
思ったよりは、重くも暗くも受け止められてない。ほっと一安心する。莉子さんが興味を持ってそうな感じが嬉しい。ワクワクして、自然と笑顔になる。
「俺とパーフェクトオールラウンダーになりましょ」
「うーーーーん」
「興味あるんでしょ?」
「正直、ちょっとある……けど、私根性なしだし、最後まで出来ないかも」
「やってみてダメだったら、そん時はそん時」
「うーーーーん」
別に俺相手に気ぃ遣う必要、ないのに。この人は本当に、そういう遠慮があるとこが意地らしい。
「ねぇねぇ、じゃあさ」
「うん?」
「師匠って呼んでもいい?」
目を輝かせて、そんなことを言う。面食らって、頬が熱い。敵わねぇな、と思う。予想外の反撃を喰らったが、無事に弟子に出来た。俺の夢はここからだ。
三門市内近辺の、行くことが出来るいくつかの映画館の中で、一番行きやすい場所を選んだ。午前中11時からの回と、午後16時からの回があり、お互いの予定とか前後の行動を踏まえて11時からの回を予約してもらった。哲次くんが珍しく、わざわざ電話して誘ってきた映画なので、よっぽど面白かったのだろう。封切りしてから1週間程度の映画は、私1人ではまず観ないタイトルだった。なんとなくネットで評判も覗いたが、好評なようだ。あらすじなどは敢えて見なかった。いつもより少しだけ早起きだから、あくびが出る。待ち合わせ場所には、10分前に着いた。数分後には、哲次くんが来る。
「すみません、待ちました?」
「全然。今来たとこ」
「よかった〜めちゃくちゃ楽しみにしてて。俺も早くもう一回観たくて」
哲次くん、ご機嫌だなぁ。うんうん、と話を聞く。哲次くんは普段口数が少ないけれど、好きなことや興味のあることの話になると途端に饒舌になる。私も一緒なので、気持ちはよく分かる。いつも話を聞いてもらってる分、こういう日は私が聞き役になる。
「なんも言わない方がいいですよね!?」
「そうだね、ネタバレは嫌だね」
「分かりました、黙ります」
そう言って10秒もしないうちに、「監督が面白い人で〜」と話し出したので、笑ってしまった。まぁ、舞台裏の話は映画の内容と関係ないからいいけど。最悪、ネタバレを喰らっても怒るようなことでもない。哲次くんが観せたがった映画だ、哲次くんの好きなように観せてくれればいい。
「ポップコーン、食べます?」
「うん、哲次くん食べるなら」
「じゃあ大きいのひとつだけ買いますか」
映画館の売店に並ぶ。烏龍茶の1番大きいやつを注文し、ポップコーンも頼む。会計しようとしたら、哲次くんが後ろからコーラを追加で頼む。そうして、勝手に会計しようとする。
「ちょっと、私が出す」
「いいっす、俺が出します」
「なんでよ、学生は奢られときなよ」
「莉子さん誘ったの俺だし。割引もしてもらえるし」
「割引は気にしなくていい!」
私が千円を出し、小銭を探してるうちに哲次くんが千円を出し、精算してしまう。哲次くんは、おつりを私に差し出した。受け取らずにいたら勝手にポケットに突っ込まれる。
「どうせ莉子さん観なくても、俺1人で来てるんです。これくらいさせてください」
「もぉ〜……」
諦めて、小銭を財布にしまう。開演まであと10分。お手洗いを済ませて、席に着く。中央の後ろ寄り。観やすい席だ。コマーシャルや予告を見て、次に観たい映画に思いを馳せる。誰と観るかも考えながら。誘う相手によってジャンルや内容は考える。困ると、大抵拓磨か哲次くんを誘って行く。ポップコーンを貪る。たまに爪先が哲次くんの手にぶつかる。気にしないけど。本編が始まる前に、お互い端末の電源を落とす。いよいよだ。
上映中はひと言も話さないし、隣も見ない。映画はダークで、ハードで、アクションがすごかった。途中急に爆発するので驚く。4DXじゃなくてよかった。ハッピーエンドではないのかもしれないが、因果応報で好きなストーリーだった。エンドロールが流れ終わり、周囲が明るくなる。
「やっぱ最高だった……!!」
隣で哲次くんが噛み締めるように言って、私を振り向く。瞳をキラキラさせながら、それでもグッと堪えた声でそっと、
「あの、どうでした……?」
そう訊ねる。期待と不安が無い混ぜの表情。哲次くんは映画が終わるといつもこうだ。だけど決してお世辞を言ったことはない。
「面白かったよ。オチが特に好き」
「ですよね!!莉子さん好きそうと思った!!」
いっそうテンションを上げて、哲次くんは話す。さて、これから遅めのお昼を食べながら感想会だ。哲次くんと物語の話をするのは好きだ。自分の言語化出来ていない感想が、するすると形になるから。
「でもこれ、続くよね?」
「続編決まってます」
「次も観たいな」
「もちろん!!ぜひ!!」
先の楽しみが増えた。こうやって小さな約束を積み重ねて、守るために生きていく。