序章/プロトタイプ
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流星群/太刀川隊
夜の10時。この日、太刀川隊は夜間任務だった。
「莉子さん、今日はやけに空見てるっすね?」
「ん。今夜は流星群だって、迅が言ってたから」
少しも疑わない澄んだ瞳に、夜空を映している。あまりにも上を向いたままなので、他のメンバーは心配になる。莉子は気にも止めず、空を見上げるのをやめない。
「あんまよそ見してると、転ぶぞ〜」
「大丈夫」
「落ちたりなんかしたら、お仕置きしちゃうぞ」
「大丈夫〜」
太刀川は苦笑して肩を落とす。あんまりに莉子が夢中だから、みんななんだか悔しかった。
「あ!」
莉子の弾んだ声で、みんな空を見る。星の光が一筋の煌めきとなって、水平線に落ちていく。流星群は、光を失った街ではとても綺麗に見えた。
「なんかお願いするの?」
「ん?んー考えてなかったな」
出水の問いかけに、莉子はあっけらかんと返す。本当になにも考えていなかった。この日々がずっと続けばそれでいいや。莉子は頭の片隅でそっと、そんな願いを口ずさんだ。
煙草/諏訪洸太郎
莉子はわざわざ喫煙室にいる諏訪を訪ねる。諏訪を見ている。諏訪の吸う、煙草の煙をぼんやりと。諏訪はなんだか居心地が悪くて、灰を落とすペースを上げる。
「……なんだよ。俺の顔になんかついてるか?」
「いや」
たまに何処を見ているのか、分からない虚な目をするから、諏訪はぎょっとするのだ。また灰を落とす。
「憧れがあって、煙草」
「あぁ?」
意外な答えに、拍子抜けする。諏訪は煙草の煙で肺を満たすと、大きく吐き出した。莉子は煙を避けもしない。
「似合いそうじゃないですか、私」
「いや、どうだ?」
「でも、声変わるの嫌で」
「あー……」
諏訪は煙草を吸う莉子を想像する。煙を纏う彼女を想像して、まぁ、似合わなくはないなと、妙に納得を覚える。
「ま、大人になるまでに考えとけばいいんじゃねぇの」
「大人ねぇ……」
莉子は自分の年齢を数える。大人になるまであと1年程。薄寒くなった。甘えたがりの自分は、大人なんかになれるのかと。
花火/弓場拓磨
どぉん。外で花火のあがる音が聞こえる。花火大会の予定でもあったっけ。莉子は音に惹かれてふらりと外に出る。もう寝巻きだが、気にするような女ではなかった。
「あ、拓磨」
「……お前なぁ」
同じように音に惹かれて、弓場も外に出ていた。鉢合わせた幼馴染が、あまりにも無防備なのでため息を吐く。幼馴染が睨むので、莉子はほんの少し怯えるけれど、なにも言わないからなんのことか分からない。ま、顔を顰めてるのはいつものことだし。莉子は気にせずに音の鳴る方へ、歩く。弓場も、黙ってついていく。
「花火大会、今日だっけ?」
「なんかイベントだろ。競馬とか」
「あーなるほどね……」
建物が邪魔で、よく見えない。音の鳴る方へ、歩く。
「花火大会、蓮ちゃん任務だって」
「そうか」
踏切に入り、線路の上に立つと、景色が突き抜けていて花火が綺麗に見えた。2人ぽつんと、立ち尽くす。遠くに花火があがる。弾ける音が鳴り渡る。
「拓磨は、花火大会来る?」
「行く」
「やった」
花火が莉子の笑顔を照らすのが、横目で見えた。弓場は遠く懐かしい痛みを覚える。この一瞬が、永遠でも構わないと、溺れた夢のように思う。踏切が鳴る。腕を引いて線路を下りる。電車の走る音の向こうで、まだ花火の音が聞こえる。
ひまわり/唯我尊
尊敬する両親が、ゴッホが好きだった。だから、ひまわりと言えばゴッホですよね、と言った。打ち捨てられた空き地で、凛と咲くひまわりを見つけたから。
「やめろ、その教養ありますアピール」
「そんなんじゃないですよ……」
出水に切り捨てられて、唯我はしょんぼりと押し黙る。暑い陽射しがじりじりと、思考を焼いていく。この隊に、自分の居場所は。
「いいよね、ゴッホ。詳しくはないんだけど」
優しい声に振り向くと、莉子が控えめに笑っていた。日光を受けて、眩しく輝いて見えた。唯我は、言葉を失くす。なんて言えば、貴方にこの喜びや感謝を伝えられるだろうか。
「印象派だと、レッサー・ユリィが好きなんだ」
「は」
「今度、美術館でも行こうか」
「ぼ、僕とですか?」
「そうだよ?」
それ以外に誰がいるのと、可笑しそうに莉子は笑う。熱で空気が揺らいで、蜃気楼のよう。
「ぜひ!喜んで!」
「やった。計画立てようね」
ようやっと、唯我は返事をする。先を歩く先輩を追う。この人がいる場所が、自分のいる場所と思う。唯我は莉子のいる場所で、咲きたいと思うのだ。
影/生駒達人
這い寄る黒いシミのような影が、彼女を取り囲む絵が見える。もちろん幻想だけど、生駒はそんな莉子が目に飛び込んできた瞬間、縋りつくように駆け寄った。ボーダーのラウンジの隅っこ、誰からも忘れられたとでも言うように、ぽつんとソファに座る。
「莉子ちゃん!大丈夫か?」
返事はなく、虚ろに頷く。どうにかしたい。したいけれど、それが出来るのは自分ではないと、生駒は痛く理解していた。
「誰か呼ぶか?弓場ちゃん?太刀川さん?」
それにも、莉子は首を横に振る。壊れそうで、壊してしまいそうで、怖い。生駒は取り残されそうになる。ふっと、莉子が生駒の袖に軽く触れる。びくっと肩を揺らす彼。
「少し、側にいて。出来れば、くだらない話をして」
無理して笑う莉子を、どうしようもなく大切に思えてしまう。無垢で無自覚な罠にかかったように。
「……おん」
生駒は、莉子の隣に腰掛けた。話せることは、ない。自信がない。それでも、影が彼女を取り込まないように、そっと手を握っていた。誰か、誰でもいいから、彼女を助けて。祈るように、そっと。
君の奏でる音楽/水上敏志
ボーダーの雑踏の中、大嫌いで気になるあいつを見つける。水上はただ一言、言いたくて近づく。こちらに気づいて、微笑む顔が嫌いで。それはどうしようもなく、羨ましいから。
「莉子さん、今日の配信聴きました」
「あ、ありがとう」
「もうちょっと本気で歌えないんすか」
水上は淡々としたトーンで、ちくちくと莉子を責める。いつものことなので、莉子は苦笑い。
「やっぱ水上くんには分かる?」
「そりゃ分かりますわ。本気のあんた聴いてりゃ」
最初から気に食わなかった。あの人に想われているあんたが。それなのに、あんたの歌を聴いたら、自然と涙を溢す自分がいた。水上はそれを一生の不覚と思うし、歌で手を抜く莉子は見過ごせなかった。
「また聴かせてくださいよ」
あの時みたいに。彼女に完全に負けるとしても、もう一度聴きたいと思う歌。ちゃんと躾けて欲しかった、俺はあんたにはなれっこないのだと。
回し飲み/王子一彰
(莉子さん、実際のところ誰までなら回し飲み出来るの?)
そんな意地の悪く下世話な質問が、口から出かかる。王子は莉子から受け取ったペットボトルを少し見つめ、なんでもないように蓋を開けた。既に封の空いていたそれは、温度も生温い。水分を遠慮なく喉へ流し込み、なにも気にしてない風に莉子へ返す。莉子は受け取って、自分もお茶を飲む。王子は胸が騒めくのを自覚する。
(弓場さんは当然として。同い年はみんな大丈夫なのか?太刀川さんとか二宮さんは。後輩は……)
この人の中で、自分の立ち位置はどこなのか探す。王子が黙るので、莉子は所在なさげに視線を泳がせた。王子の胸の内など知る由もないが、詮索もしないのが莉子が好かれる所以だった。
「莉子さん、いい加減チェス覚えてよ」
僕のために。王子は莉子を愛してはいなかった。ただ、過去に莉子が一方的にした無責任な約束の、責任を問い続けているだけ。愛してくれるって言ったでしょ。
「教えてくれないと分かんないよ」
僕に振り回されて、擦り減るところが見たい。暴力的な感情を笑顔で押し潰して、今日も王子は莉子に話しかける。
神様とは/迅悠一
「神様ってどんな顔してると思う?」
疲れた顔を隠すように笑いながら、迅は莉子に問いかける。莉子は表情を変えず、迅から目を離さず。
「迅みたいな顔」
その重さに迅は潰されそうになる。やっぱりそう?と笑って誤魔化せずに下を向く。
「って、言って欲しかった?」
莉子の声は、一定のトーンで迅の耳に響く。迅が顔を上げると、莉子の仏頂面がある。
「残念ながら、会ったことないんで知らないんだよね。本当に残念なことに」
気にしても心配もしてないから、君も悩まないで大丈夫だよ。莉子が視線を外したのには、きっとそんな意味合いが含まれる。だから、迅も莉子を見ずに空を見上げた。
「つーか、真面目に考えたことないな。神様のことなんて」
莉子の呟く声は、空気に溶けてぼやける。迅は黙って聞いていた。少し疲弊した心が癒されるような気がした。
「いても、縋らないけどね」
気怠い温度に身を任せる。ほんの少し寄りかかれる存在。お互いがそうだった。
ブランコ/弓場拓磨
『散歩行きたい』
夜の11時過ぎ、莉子からのLINEに弓場はため息を吐いた。顰めた顔とは裏腹に、テキパキと外に出る支度をする。いつしか日常となった深夜の散歩。莉子を2度と傷つけたくない。たった1人の誓いのために、弓場は莉子をとことん甘やかす。本当はこのままではダメだと知っている。
「やほ。夜は涼しいね」
莉子はラフな格好で、小さく手を振る。弓場も軽く手をあげて返す。重ねたら、昔と違って自分の手がだいぶ大きいのだろうな。そんなことを思う。
「どっちに歩く?」
「公園の方、行きたい」
並んで歩く。弓場が気にしなくとも、莉子は歩くのが速いので、速度は揃う。会話は多くない。莉子も弓場も、話したい時に話したいことを話す。公園に入ると、莉子が無邪気にブランコに駆け寄った。座って漕ぎ出すので、弓場も隣のブランコに座る。小さい。
「夜の公園、静かだけどちょっと怖い」
「俺がいるから大丈夫だろ」
「そうだね」
莉子は、同じように歳を取ったはずなのに、姿が変わらない。初恋したあの時のまま。弓場は背も伸びたし声も低くなった。その違いがどうしようもなく懐かしく、侘しい。
「わっなに?」
ほんの少し触れたくなって、莉子の背中を押す。ブランコは大きく揺れて、戻ってくる。こんな風に、戻ってくるならいいのに。そのうち、莉子が笑った。それだけでなにか満たされる自分に、弓場は自嘲した。
君のこと/迅悠一
「莉子ちゃんって、絵描いたりするの?」
なんとなく連れ立った午後、迅と莉子はカフェでお茶をしていた。莉子は大きめのアイスティー、迅はメロンソーダフロート。
「ん?たまに描くよ」
「そっか。今度見せてよ」
迅がこんなことを訊いたのは、未来視で紙を月見や橘高に見せている莉子が見えたから。紙に描かれたものまでは見えなかったので、興味が湧いたのだ。
「そんな上手じゃないよ」
「それでも見せて」
へらっと笑えば、分かった、と微笑む。莉子は迅を疑わない。気味悪がらない。素直に真っ直ぐ接してもらえるのが、ありがたかった。莉子といる時間が長いので、必然莉子の未来を多く視てしまう。彼女の未来が固まることはなかった。それだけのことが、なんだか希望のような気がして安心する。未来は自分が決められるものではないと。
「莉子ちゃんは何色が好き?」
知り得ないことを知りたかった。それがちっぽけな、たかが友達のことであっても。それを求めているうちは、普通の人間でいられる気がしたから。
夜の10時。この日、太刀川隊は夜間任務だった。
「莉子さん、今日はやけに空見てるっすね?」
「ん。今夜は流星群だって、迅が言ってたから」
少しも疑わない澄んだ瞳に、夜空を映している。あまりにも上を向いたままなので、他のメンバーは心配になる。莉子は気にも止めず、空を見上げるのをやめない。
「あんまよそ見してると、転ぶぞ〜」
「大丈夫」
「落ちたりなんかしたら、お仕置きしちゃうぞ」
「大丈夫〜」
太刀川は苦笑して肩を落とす。あんまりに莉子が夢中だから、みんななんだか悔しかった。
「あ!」
莉子の弾んだ声で、みんな空を見る。星の光が一筋の煌めきとなって、水平線に落ちていく。流星群は、光を失った街ではとても綺麗に見えた。
「なんかお願いするの?」
「ん?んー考えてなかったな」
出水の問いかけに、莉子はあっけらかんと返す。本当になにも考えていなかった。この日々がずっと続けばそれでいいや。莉子は頭の片隅でそっと、そんな願いを口ずさんだ。
煙草/諏訪洸太郎
莉子はわざわざ喫煙室にいる諏訪を訪ねる。諏訪を見ている。諏訪の吸う、煙草の煙をぼんやりと。諏訪はなんだか居心地が悪くて、灰を落とすペースを上げる。
「……なんだよ。俺の顔になんかついてるか?」
「いや」
たまに何処を見ているのか、分からない虚な目をするから、諏訪はぎょっとするのだ。また灰を落とす。
「憧れがあって、煙草」
「あぁ?」
意外な答えに、拍子抜けする。諏訪は煙草の煙で肺を満たすと、大きく吐き出した。莉子は煙を避けもしない。
「似合いそうじゃないですか、私」
「いや、どうだ?」
「でも、声変わるの嫌で」
「あー……」
諏訪は煙草を吸う莉子を想像する。煙を纏う彼女を想像して、まぁ、似合わなくはないなと、妙に納得を覚える。
「ま、大人になるまでに考えとけばいいんじゃねぇの」
「大人ねぇ……」
莉子は自分の年齢を数える。大人になるまであと1年程。薄寒くなった。甘えたがりの自分は、大人なんかになれるのかと。
花火/弓場拓磨
どぉん。外で花火のあがる音が聞こえる。花火大会の予定でもあったっけ。莉子は音に惹かれてふらりと外に出る。もう寝巻きだが、気にするような女ではなかった。
「あ、拓磨」
「……お前なぁ」
同じように音に惹かれて、弓場も外に出ていた。鉢合わせた幼馴染が、あまりにも無防備なのでため息を吐く。幼馴染が睨むので、莉子はほんの少し怯えるけれど、なにも言わないからなんのことか分からない。ま、顔を顰めてるのはいつものことだし。莉子は気にせずに音の鳴る方へ、歩く。弓場も、黙ってついていく。
「花火大会、今日だっけ?」
「なんかイベントだろ。競馬とか」
「あーなるほどね……」
建物が邪魔で、よく見えない。音の鳴る方へ、歩く。
「花火大会、蓮ちゃん任務だって」
「そうか」
踏切に入り、線路の上に立つと、景色が突き抜けていて花火が綺麗に見えた。2人ぽつんと、立ち尽くす。遠くに花火があがる。弾ける音が鳴り渡る。
「拓磨は、花火大会来る?」
「行く」
「やった」
花火が莉子の笑顔を照らすのが、横目で見えた。弓場は遠く懐かしい痛みを覚える。この一瞬が、永遠でも構わないと、溺れた夢のように思う。踏切が鳴る。腕を引いて線路を下りる。電車の走る音の向こうで、まだ花火の音が聞こえる。
ひまわり/唯我尊
尊敬する両親が、ゴッホが好きだった。だから、ひまわりと言えばゴッホですよね、と言った。打ち捨てられた空き地で、凛と咲くひまわりを見つけたから。
「やめろ、その教養ありますアピール」
「そんなんじゃないですよ……」
出水に切り捨てられて、唯我はしょんぼりと押し黙る。暑い陽射しがじりじりと、思考を焼いていく。この隊に、自分の居場所は。
「いいよね、ゴッホ。詳しくはないんだけど」
優しい声に振り向くと、莉子が控えめに笑っていた。日光を受けて、眩しく輝いて見えた。唯我は、言葉を失くす。なんて言えば、貴方にこの喜びや感謝を伝えられるだろうか。
「印象派だと、レッサー・ユリィが好きなんだ」
「は」
「今度、美術館でも行こうか」
「ぼ、僕とですか?」
「そうだよ?」
それ以外に誰がいるのと、可笑しそうに莉子は笑う。熱で空気が揺らいで、蜃気楼のよう。
「ぜひ!喜んで!」
「やった。計画立てようね」
ようやっと、唯我は返事をする。先を歩く先輩を追う。この人がいる場所が、自分のいる場所と思う。唯我は莉子のいる場所で、咲きたいと思うのだ。
影/生駒達人
這い寄る黒いシミのような影が、彼女を取り囲む絵が見える。もちろん幻想だけど、生駒はそんな莉子が目に飛び込んできた瞬間、縋りつくように駆け寄った。ボーダーのラウンジの隅っこ、誰からも忘れられたとでも言うように、ぽつんとソファに座る。
「莉子ちゃん!大丈夫か?」
返事はなく、虚ろに頷く。どうにかしたい。したいけれど、それが出来るのは自分ではないと、生駒は痛く理解していた。
「誰か呼ぶか?弓場ちゃん?太刀川さん?」
それにも、莉子は首を横に振る。壊れそうで、壊してしまいそうで、怖い。生駒は取り残されそうになる。ふっと、莉子が生駒の袖に軽く触れる。びくっと肩を揺らす彼。
「少し、側にいて。出来れば、くだらない話をして」
無理して笑う莉子を、どうしようもなく大切に思えてしまう。無垢で無自覚な罠にかかったように。
「……おん」
生駒は、莉子の隣に腰掛けた。話せることは、ない。自信がない。それでも、影が彼女を取り込まないように、そっと手を握っていた。誰か、誰でもいいから、彼女を助けて。祈るように、そっと。
君の奏でる音楽/水上敏志
ボーダーの雑踏の中、大嫌いで気になるあいつを見つける。水上はただ一言、言いたくて近づく。こちらに気づいて、微笑む顔が嫌いで。それはどうしようもなく、羨ましいから。
「莉子さん、今日の配信聴きました」
「あ、ありがとう」
「もうちょっと本気で歌えないんすか」
水上は淡々としたトーンで、ちくちくと莉子を責める。いつものことなので、莉子は苦笑い。
「やっぱ水上くんには分かる?」
「そりゃ分かりますわ。本気のあんた聴いてりゃ」
最初から気に食わなかった。あの人に想われているあんたが。それなのに、あんたの歌を聴いたら、自然と涙を溢す自分がいた。水上はそれを一生の不覚と思うし、歌で手を抜く莉子は見過ごせなかった。
「また聴かせてくださいよ」
あの時みたいに。彼女に完全に負けるとしても、もう一度聴きたいと思う歌。ちゃんと躾けて欲しかった、俺はあんたにはなれっこないのだと。
回し飲み/王子一彰
(莉子さん、実際のところ誰までなら回し飲み出来るの?)
そんな意地の悪く下世話な質問が、口から出かかる。王子は莉子から受け取ったペットボトルを少し見つめ、なんでもないように蓋を開けた。既に封の空いていたそれは、温度も生温い。水分を遠慮なく喉へ流し込み、なにも気にしてない風に莉子へ返す。莉子は受け取って、自分もお茶を飲む。王子は胸が騒めくのを自覚する。
(弓場さんは当然として。同い年はみんな大丈夫なのか?太刀川さんとか二宮さんは。後輩は……)
この人の中で、自分の立ち位置はどこなのか探す。王子が黙るので、莉子は所在なさげに視線を泳がせた。王子の胸の内など知る由もないが、詮索もしないのが莉子が好かれる所以だった。
「莉子さん、いい加減チェス覚えてよ」
僕のために。王子は莉子を愛してはいなかった。ただ、過去に莉子が一方的にした無責任な約束の、責任を問い続けているだけ。愛してくれるって言ったでしょ。
「教えてくれないと分かんないよ」
僕に振り回されて、擦り減るところが見たい。暴力的な感情を笑顔で押し潰して、今日も王子は莉子に話しかける。
神様とは/迅悠一
「神様ってどんな顔してると思う?」
疲れた顔を隠すように笑いながら、迅は莉子に問いかける。莉子は表情を変えず、迅から目を離さず。
「迅みたいな顔」
その重さに迅は潰されそうになる。やっぱりそう?と笑って誤魔化せずに下を向く。
「って、言って欲しかった?」
莉子の声は、一定のトーンで迅の耳に響く。迅が顔を上げると、莉子の仏頂面がある。
「残念ながら、会ったことないんで知らないんだよね。本当に残念なことに」
気にしても心配もしてないから、君も悩まないで大丈夫だよ。莉子が視線を外したのには、きっとそんな意味合いが含まれる。だから、迅も莉子を見ずに空を見上げた。
「つーか、真面目に考えたことないな。神様のことなんて」
莉子の呟く声は、空気に溶けてぼやける。迅は黙って聞いていた。少し疲弊した心が癒されるような気がした。
「いても、縋らないけどね」
気怠い温度に身を任せる。ほんの少し寄りかかれる存在。お互いがそうだった。
ブランコ/弓場拓磨
『散歩行きたい』
夜の11時過ぎ、莉子からのLINEに弓場はため息を吐いた。顰めた顔とは裏腹に、テキパキと外に出る支度をする。いつしか日常となった深夜の散歩。莉子を2度と傷つけたくない。たった1人の誓いのために、弓場は莉子をとことん甘やかす。本当はこのままではダメだと知っている。
「やほ。夜は涼しいね」
莉子はラフな格好で、小さく手を振る。弓場も軽く手をあげて返す。重ねたら、昔と違って自分の手がだいぶ大きいのだろうな。そんなことを思う。
「どっちに歩く?」
「公園の方、行きたい」
並んで歩く。弓場が気にしなくとも、莉子は歩くのが速いので、速度は揃う。会話は多くない。莉子も弓場も、話したい時に話したいことを話す。公園に入ると、莉子が無邪気にブランコに駆け寄った。座って漕ぎ出すので、弓場も隣のブランコに座る。小さい。
「夜の公園、静かだけどちょっと怖い」
「俺がいるから大丈夫だろ」
「そうだね」
莉子は、同じように歳を取ったはずなのに、姿が変わらない。初恋したあの時のまま。弓場は背も伸びたし声も低くなった。その違いがどうしようもなく懐かしく、侘しい。
「わっなに?」
ほんの少し触れたくなって、莉子の背中を押す。ブランコは大きく揺れて、戻ってくる。こんな風に、戻ってくるならいいのに。そのうち、莉子が笑った。それだけでなにか満たされる自分に、弓場は自嘲した。
君のこと/迅悠一
「莉子ちゃんって、絵描いたりするの?」
なんとなく連れ立った午後、迅と莉子はカフェでお茶をしていた。莉子は大きめのアイスティー、迅はメロンソーダフロート。
「ん?たまに描くよ」
「そっか。今度見せてよ」
迅がこんなことを訊いたのは、未来視で紙を月見や橘高に見せている莉子が見えたから。紙に描かれたものまでは見えなかったので、興味が湧いたのだ。
「そんな上手じゃないよ」
「それでも見せて」
へらっと笑えば、分かった、と微笑む。莉子は迅を疑わない。気味悪がらない。素直に真っ直ぐ接してもらえるのが、ありがたかった。莉子といる時間が長いので、必然莉子の未来を多く視てしまう。彼女の未来が固まることはなかった。それだけのことが、なんだか希望のような気がして安心する。未来は自分が決められるものではないと。
「莉子ちゃんは何色が好き?」
知り得ないことを知りたかった。それがちっぽけな、たかが友達のことであっても。それを求めているうちは、普通の人間でいられる気がしたから。