裏・五月 薔薇には為れぬとお前は言うが
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
02
飲み込んだものが食べ物なら血肉になる。サーヴァントにとっては魔力だ。しかしどうやら、感情はそうではないらしい。
あの日感じた些細な違和感は心の隅で確かに残留し続け、その正体もよくわからないまま、オレは依久乃に相対し続けた。
*
カウンターに置かれたティーセットを受け取り、サービングトレーに乗せる。紅茶の銘柄だけが書かれた伝票を確認し、記された番号のテーブルを一瞥すると、そこには見覚えのある少女の背中があった。フロアには幸い他の客はいない。オレはレジ横の冷蔵ショーケースから、適当に見繕ったケーキをトレーに乗せてテーブルへ向かった。
「お待たせいたしました。本日の紅茶、ケニア茶のブレンドでございます。お好みでミルクを加えてお召し上がりください」
テーブルにティーセットを丁寧に置き、決まり文句を伝える。
「ありがと」
少女は何やら難しげな本を熱心に読んでおり、ティーセットに一瞬だけ視線を遣ると、またすぐに戻した。オレには気付いていない。そのまま続けて目の前にケーキを置く。注文していない品物が出てくれば、流石に顔を上げるだろう。
「ちょっと、これは頼んでないんだけど……って、ランサー!?」
「よう、嬢ちゃん」
空になったトレーを小脇に抱え、軽く手を上げる。テーブルの客──もとい遠坂凛は、心底驚いた表情でこちらを見上げた。
「なんでアンタがここにいるのよ」
「なんでって、そりゃ」
見りゃわかんだろ、と制服を指差す。
「貴方、本当にどこにでもいるわね。……しかも存外に似合ってるじゃない」
「だろ?」
半ば呆れ気味に放たれた言葉だが、世辞ではないとわかったので、オレは少し気分が良くなる。
「ところでこれ、何? ケーキなんて頼んでないわよ」
怪訝な表情で、ケーキを指差す。
「ああ、そりゃオレの奢りだ。気にすんな」
「気にすんなって……私にも計画ってものが」
「あ? いいじゃねえか。美味いぜ、ここのケーキ」
「知ってるわよ。何度も来てるもの。だからこそ誘惑が……」
顔には食べたいと書かれているのに、手を出す事を躊躇っている。オレはおもむろにテーブルの端にトレーを置き、向かい側に腰掛けた。紅茶をポットからカップに注いでやると、湯気と共に、香ばしくも爽やかな香りが立ち上る。
「別になんの見返りもなく奢る訳じゃねえよ」
「……何よ? ナンパなら付き合わないわよ」
「違えよ。実は、ちとお前さんに相談があってな」
ケーキの皿を相手の方に寄せて、先端がペーパーナプキンで包まれたフォークの持ち手を向けて差し出すと、彼女は何かを必死に我慢するような表情で、本とケーキを交互に見つめている。「……ダメか?」じっと見つめて念押しをすると、嬢ちゃんは読んでいた本を閉じ、観念してフォークを受け取った。
「お金の事以外なら」
「そこまで落ちぶれちゃいねえよ」
早速フォークのナプキンを外し、ケーキの鋭角になっている部分を切り取って一口頬張ると、さっきまでオレを訝しんでいた表情が途端に緩んだ。
「いいねぇ、美人のそういう顔は」
特に他意なくこぼした言葉に、はっと我に返った嬢ちゃんは顔を赤くして狼狽える。こうして見ると、ただの年頃の少女だ。
「な、何言ってんのよバカ。ほら、くだらない事言ってないでさっさと用件を言いなさいよ。相談があるんでしょ」
「おっと、そうだな。単刀直入に聞くが──」
崩していた姿勢を正し、正面から彼女を見据える。それに釣られてか、向こうもやや身構えた表情をした。
「依久乃の好きな物を教えてくれ」
「……は?」
相談内容が意外だったのか、彼女は聞いた事もないような間の抜けた声を出した。
*
違和感を感じたあの日から、オレは少しだけ依久乃に踏み込むようになった。その正体を知るには相手を知る事がいいと、本能的に理解していたからかも知れない。そして経験上、そのためには好悪を尋ねるのが手っ取り早いとも。
しかしそれは難航した。何故なら好きな物を聞いた時も、嫌いな物を聞いた時も、わからないという表情をしたからだ。
態度から推測しても、アレコレ理由をつけて違うと言い張る。たとえば宝飾品を見て目を輝かせるのは、そのものの神秘に惹かれているから。あるいは身に付けるに相応しい人の手に渡る事を思えばこそだと言う。オレの事を目で追っている事についても、ただ神秘が強いからだと。しかし、オレの事を見つめる目の色はどう見ても、生前オレが嫌という程受けた視線、有り体に言えば恋する女のそれだ。それを指摘しても頑なに目のせいだと言う。特殊な体質だから、そういう事もあるのかもしれない。百歩譲って本当にそうだとして、では料理はどうだと問えば、そのものが好きな訳ではなく、オレが美味しそうに食べるから作れるのだと。
思い返せば確かに、依久乃が笑顔を見せる瞬間はあれど、好きな事・ものにおいて、アイツ自身が主語になる瞬間は一度たりとてなかった。
嫌いなものに至っては、本当にわからないという顔だった。嫌な事はあるけれど、大抵の事は耐えられる、これと言って特に嫌いなものはない、と。その様子はどちらかと言えば「嫌いなものがない」というよりは「何かを嫌う事」自体を恐れているようにも思えた。
そんな状況だったので、あの日感じた違和感の正体は解明されるどころか混迷を極め──いや、ある意味では明確になりつつあったのだが、だからこそモヤモヤはむしろ肥大化していた。持て余す感情は動きを鈍らせる。どうしたものかと考えて、本人がわからないなら周囲の意見を聞けばいいと思い至った。
偶然にもバイト先の喫茶店に遠坂凛が訪れたのは、まさにその矢先。渡りに船と、多少強引ではあるが会話のきっかけを掴んだのだった。
*
「依久乃は自分の好きな物を自覚できないのよ。そういう子なの」
オレがこれまでの事情を簡単に説明すると、目の前の少女は、さも当たり前のようにそう言った。
「そういう子って、どういう意味だよ?」
「どういう意味も何も、そのまんまの意味よ」
オウム返しされても、「つまりはどういう意味だ」という言葉しか浮かばない。オレは依久乃の事を何も知らないのだと思い知らされる。言葉の意味を咀嚼しかねているのを察してか、彼女は「依久乃の目については知ってる?」と尋ねてきた。
「……知ってるが、それが何か関係あんのか?」
「あの子が好き嫌いに鈍感なのは、その目のせいよ。正しくは、目を使うための訓練のせい」
そういえばアイツも以前言っていた。あの目が神秘に惹かれるのは無意識だから、対策をしなければ、強い神秘を持ったものに惑わされたり、感情が暴走して精神にダメージを受ける危険があると。
「あの家では一世代おきに目を持つ人間が生まれるんだけど、生まれた子供はすぐに精神的な訓練をするの。そうしなければ、仕事で使い物にならないから。
上の世代が下の世代を訓練するんだけど、あの子の場合、上の世代──つまりお爺さんが早々に亡くなってしまって、途中からは自己流で訓練せざるを得なかったらしいのよ。そして当然、若いうちに跡を継いだから、少し危ういの。
本人は出来ているつもりみたいだけど、実際は無理やり感情を抑えている状態になってるんじゃないかしら」
遠坂凛は、依久乃の事情を淡々と述べた。そこには憐憫も同情もなく、ただ事実だけを見つめる目があった。
つまり、好き嫌い、快・不快と言った本能的な感情はありはするが、依久乃自身はそれを感じられない程に心を凍らせてしまっていると、そういう事らしい。
仕事の為、役割の為に感情を殺す。目的は違えど、その感覚はオレにも覚えがある。生前、上からの命令が意にそぐわない事など日常茶飯事だったし、その為に自我を殺すのは、オレにとっては造作もなかった。しかし反面、仕事抜きなら己の感情に嘘はつかないし、好き嫌いもハッキリしている。そこがオレと依久乃の大きな違いだ。
人間もしょせんは獣の一種だ。無駄にデカい脳味噌のおかげで、理性で感情を退けられはするが、それはあくまで一時だけ。どこかで発散して行かねば立ち行かなくなる。それはアイツとて例外ではない。今のように必要のない時にまでフタをしていれば、いずれどこかで破綻する。それを思うと、オレはどうしようもなくもどかしい気分になった。同時に、自分より年若いはずの少女の冷静さも気になった。
「それに関してお前さんは何とも思わねえのか?」
オレの問いに、嬢ちゃんは一瞬微かに目を見開き、
「それは……私が、どうこう出来る問題じゃないもの」
スッと視線を逸らして、そう言った。
彼女自身、若くして家督を継いだという点では依久乃と同じ。それに「何かを思う」という事は、自分の生い立ちにも疑問を持つ事と同義なのだ。僅かに緊張した唇と、微かに揺れる瞳の奥に、己の問いが野暮だったと反省する。
嬢ちゃんは紅茶に口をつけ、少し顎をあげてゆっくりと飲み干した。そしてカップを置いた時には、先程の凍らせた表情が嘘のように、いつもの気の強そうな雰囲気に戻っていた。
「……ところで、何だってアンタが、依久乃の好きな物なんて聞きたがるのよ?」
「ああ? 別に大した理由はねえよ。ただ気になっただけだ」
「本当に? ランサー、まさかアンタあの子の事……」
「そんな訳ねえだろ。アイツとはただの飲み友達だ。それ以上でもそれ以下でもねえよ」
やや食い気味に返してしまったせいで、彼女はオレの事を疑わしい目で見ている。主導権を取られたようで居心地が悪い。
「だいたいな、別にそういうんじゃなくたって、好きな物が『わからない』だなんて言われりゃ、気になるだろ普通。
嬢ちゃんの見立てで、アイツが好きそうなモンとかねえのか?」
「そうね……。強いて言うなら、宝石は好きだと思うわよ。だからあんな家でも、仕事を続けてるんじゃないかしら。本人が認めるかどうかはさておき、ね」
そう言って嬢ちゃんは空になったカップに二杯目の紅茶を注いだ。一杯目の鮮やかな赤とは違う、深い赤銅色。そこに、小さな磁器のピッチャーからミルクが注がれ、白濁が紅茶の中を靄のように広がっていく。それはオレのハッキリしない気持ちと共にティースプーンでかき混ぜられ、元の色があっという間にわからなくなってしまった。
(続)
飲み込んだものが食べ物なら血肉になる。サーヴァントにとっては魔力だ。しかしどうやら、感情はそうではないらしい。
あの日感じた些細な違和感は心の隅で確かに残留し続け、その正体もよくわからないまま、オレは依久乃に相対し続けた。
*
カウンターに置かれたティーセットを受け取り、サービングトレーに乗せる。紅茶の銘柄だけが書かれた伝票を確認し、記された番号のテーブルを一瞥すると、そこには見覚えのある少女の背中があった。フロアには幸い他の客はいない。オレはレジ横の冷蔵ショーケースから、適当に見繕ったケーキをトレーに乗せてテーブルへ向かった。
「お待たせいたしました。本日の紅茶、ケニア茶のブレンドでございます。お好みでミルクを加えてお召し上がりください」
テーブルにティーセットを丁寧に置き、決まり文句を伝える。
「ありがと」
少女は何やら難しげな本を熱心に読んでおり、ティーセットに一瞬だけ視線を遣ると、またすぐに戻した。オレには気付いていない。そのまま続けて目の前にケーキを置く。注文していない品物が出てくれば、流石に顔を上げるだろう。
「ちょっと、これは頼んでないんだけど……って、ランサー!?」
「よう、嬢ちゃん」
空になったトレーを小脇に抱え、軽く手を上げる。テーブルの客──もとい遠坂凛は、心底驚いた表情でこちらを見上げた。
「なんでアンタがここにいるのよ」
「なんでって、そりゃ」
見りゃわかんだろ、と制服を指差す。
「貴方、本当にどこにでもいるわね。……しかも存外に似合ってるじゃない」
「だろ?」
半ば呆れ気味に放たれた言葉だが、世辞ではないとわかったので、オレは少し気分が良くなる。
「ところでこれ、何? ケーキなんて頼んでないわよ」
怪訝な表情で、ケーキを指差す。
「ああ、そりゃオレの奢りだ。気にすんな」
「気にすんなって……私にも計画ってものが」
「あ? いいじゃねえか。美味いぜ、ここのケーキ」
「知ってるわよ。何度も来てるもの。だからこそ誘惑が……」
顔には食べたいと書かれているのに、手を出す事を躊躇っている。オレはおもむろにテーブルの端にトレーを置き、向かい側に腰掛けた。紅茶をポットからカップに注いでやると、湯気と共に、香ばしくも爽やかな香りが立ち上る。
「別になんの見返りもなく奢る訳じゃねえよ」
「……何よ? ナンパなら付き合わないわよ」
「違えよ。実は、ちとお前さんに相談があってな」
ケーキの皿を相手の方に寄せて、先端がペーパーナプキンで包まれたフォークの持ち手を向けて差し出すと、彼女は何かを必死に我慢するような表情で、本とケーキを交互に見つめている。「……ダメか?」じっと見つめて念押しをすると、嬢ちゃんは読んでいた本を閉じ、観念してフォークを受け取った。
「お金の事以外なら」
「そこまで落ちぶれちゃいねえよ」
早速フォークのナプキンを外し、ケーキの鋭角になっている部分を切り取って一口頬張ると、さっきまでオレを訝しんでいた表情が途端に緩んだ。
「いいねぇ、美人のそういう顔は」
特に他意なくこぼした言葉に、はっと我に返った嬢ちゃんは顔を赤くして狼狽える。こうして見ると、ただの年頃の少女だ。
「な、何言ってんのよバカ。ほら、くだらない事言ってないでさっさと用件を言いなさいよ。相談があるんでしょ」
「おっと、そうだな。単刀直入に聞くが──」
崩していた姿勢を正し、正面から彼女を見据える。それに釣られてか、向こうもやや身構えた表情をした。
「依久乃の好きな物を教えてくれ」
「……は?」
相談内容が意外だったのか、彼女は聞いた事もないような間の抜けた声を出した。
*
違和感を感じたあの日から、オレは少しだけ依久乃に踏み込むようになった。その正体を知るには相手を知る事がいいと、本能的に理解していたからかも知れない。そして経験上、そのためには好悪を尋ねるのが手っ取り早いとも。
しかしそれは難航した。何故なら好きな物を聞いた時も、嫌いな物を聞いた時も、わからないという表情をしたからだ。
態度から推測しても、アレコレ理由をつけて違うと言い張る。たとえば宝飾品を見て目を輝かせるのは、そのものの神秘に惹かれているから。あるいは身に付けるに相応しい人の手に渡る事を思えばこそだと言う。オレの事を目で追っている事についても、ただ神秘が強いからだと。しかし、オレの事を見つめる目の色はどう見ても、生前オレが嫌という程受けた視線、有り体に言えば恋する女のそれだ。それを指摘しても頑なに目のせいだと言う。特殊な体質だから、そういう事もあるのかもしれない。百歩譲って本当にそうだとして、では料理はどうだと問えば、そのものが好きな訳ではなく、オレが美味しそうに食べるから作れるのだと。
思い返せば確かに、依久乃が笑顔を見せる瞬間はあれど、好きな事・ものにおいて、アイツ自身が主語になる瞬間は一度たりとてなかった。
嫌いなものに至っては、本当にわからないという顔だった。嫌な事はあるけれど、大抵の事は耐えられる、これと言って特に嫌いなものはない、と。その様子はどちらかと言えば「嫌いなものがない」というよりは「何かを嫌う事」自体を恐れているようにも思えた。
そんな状況だったので、あの日感じた違和感の正体は解明されるどころか混迷を極め──いや、ある意味では明確になりつつあったのだが、だからこそモヤモヤはむしろ肥大化していた。持て余す感情は動きを鈍らせる。どうしたものかと考えて、本人がわからないなら周囲の意見を聞けばいいと思い至った。
偶然にもバイト先の喫茶店に遠坂凛が訪れたのは、まさにその矢先。渡りに船と、多少強引ではあるが会話のきっかけを掴んだのだった。
*
「依久乃は自分の好きな物を自覚できないのよ。そういう子なの」
オレがこれまでの事情を簡単に説明すると、目の前の少女は、さも当たり前のようにそう言った。
「そういう子って、どういう意味だよ?」
「どういう意味も何も、そのまんまの意味よ」
オウム返しされても、「つまりはどういう意味だ」という言葉しか浮かばない。オレは依久乃の事を何も知らないのだと思い知らされる。言葉の意味を咀嚼しかねているのを察してか、彼女は「依久乃の目については知ってる?」と尋ねてきた。
「……知ってるが、それが何か関係あんのか?」
「あの子が好き嫌いに鈍感なのは、その目のせいよ。正しくは、目を使うための訓練のせい」
そういえばアイツも以前言っていた。あの目が神秘に惹かれるのは無意識だから、対策をしなければ、強い神秘を持ったものに惑わされたり、感情が暴走して精神にダメージを受ける危険があると。
「あの家では一世代おきに目を持つ人間が生まれるんだけど、生まれた子供はすぐに精神的な訓練をするの。そうしなければ、仕事で使い物にならないから。
上の世代が下の世代を訓練するんだけど、あの子の場合、上の世代──つまりお爺さんが早々に亡くなってしまって、途中からは自己流で訓練せざるを得なかったらしいのよ。そして当然、若いうちに跡を継いだから、少し危ういの。
本人は出来ているつもりみたいだけど、実際は無理やり感情を抑えている状態になってるんじゃないかしら」
遠坂凛は、依久乃の事情を淡々と述べた。そこには憐憫も同情もなく、ただ事実だけを見つめる目があった。
つまり、好き嫌い、快・不快と言った本能的な感情はありはするが、依久乃自身はそれを感じられない程に心を凍らせてしまっていると、そういう事らしい。
仕事の為、役割の為に感情を殺す。目的は違えど、その感覚はオレにも覚えがある。生前、上からの命令が意にそぐわない事など日常茶飯事だったし、その為に自我を殺すのは、オレにとっては造作もなかった。しかし反面、仕事抜きなら己の感情に嘘はつかないし、好き嫌いもハッキリしている。そこがオレと依久乃の大きな違いだ。
人間もしょせんは獣の一種だ。無駄にデカい脳味噌のおかげで、理性で感情を退けられはするが、それはあくまで一時だけ。どこかで発散して行かねば立ち行かなくなる。それはアイツとて例外ではない。今のように必要のない時にまでフタをしていれば、いずれどこかで破綻する。それを思うと、オレはどうしようもなくもどかしい気分になった。同時に、自分より年若いはずの少女の冷静さも気になった。
「それに関してお前さんは何とも思わねえのか?」
オレの問いに、嬢ちゃんは一瞬微かに目を見開き、
「それは……私が、どうこう出来る問題じゃないもの」
スッと視線を逸らして、そう言った。
彼女自身、若くして家督を継いだという点では依久乃と同じ。それに「何かを思う」という事は、自分の生い立ちにも疑問を持つ事と同義なのだ。僅かに緊張した唇と、微かに揺れる瞳の奥に、己の問いが野暮だったと反省する。
嬢ちゃんは紅茶に口をつけ、少し顎をあげてゆっくりと飲み干した。そしてカップを置いた時には、先程の凍らせた表情が嘘のように、いつもの気の強そうな雰囲気に戻っていた。
「……ところで、何だってアンタが、依久乃の好きな物なんて聞きたがるのよ?」
「ああ? 別に大した理由はねえよ。ただ気になっただけだ」
「本当に? ランサー、まさかアンタあの子の事……」
「そんな訳ねえだろ。アイツとはただの飲み友達だ。それ以上でもそれ以下でもねえよ」
やや食い気味に返してしまったせいで、彼女はオレの事を疑わしい目で見ている。主導権を取られたようで居心地が悪い。
「だいたいな、別にそういうんじゃなくたって、好きな物が『わからない』だなんて言われりゃ、気になるだろ普通。
嬢ちゃんの見立てで、アイツが好きそうなモンとかねえのか?」
「そうね……。強いて言うなら、宝石は好きだと思うわよ。だからあんな家でも、仕事を続けてるんじゃないかしら。本人が認めるかどうかはさておき、ね」
そう言って嬢ちゃんは空になったカップに二杯目の紅茶を注いだ。一杯目の鮮やかな赤とは違う、深い赤銅色。そこに、小さな磁器のピッチャーからミルクが注がれ、白濁が紅茶の中を靄のように広がっていく。それはオレのハッキリしない気持ちと共にティースプーンでかき混ぜられ、元の色があっという間にわからなくなってしまった。
(続)