とあるお人好しの恋の話
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02
玄関に入ってすぐの冷たい床に、大きくて黒い男が横たわっている。
道端で倒れているところをなんとか担いで来たが、部屋に入った途端また気絶してしまった。意識があるうちはなんとか支えられたが、こうなってはもう私の力ではびくともしない。声をかけても反応しなくなりかなり冷や冷やしたが、幸い呼吸はしっかりあったので胸をなでおろす。どうやっても重たくて部屋まで運ぶことはできなかったので、少しでも楽なようにと、ソファに置いてあったクッションを枕代わりに頭に敷き、寒くないように毛布をかけてやった。
ひと段落して冷静になって、だんだん自分のやったことに対する後悔と、彼に対する疑問が湧き上がってきた。冷静に考えてみれば不審な点だらけだ。私は救急車なんて一言も言ってないのに、携帯を使うのを阻止された。他に連絡されたくない場所でもあるのだろうか。というか救急車じゃなくとも、家族とかいるだろう。連絡先を聞けばよかった。しかし当の本人は再び意識を失っていて、それを聞き出す術はない。
緊急事態とはいえ、身元の知れない怪しい男を家に招き入れてしまったこの異様な状況に、どう対処していいか頭を悩ませていた。
しかし多分相手が誰でも同じことをしただろう。結局のところ、見ず知らずの相手でも放っておけなかっただけだ。ああ、私の悪い癖だ。困っている人を見ると、自分のことはそっちのけで助けてしまう。おまけにいつも一人でなんとかしようとしてしまって、あとで誰かに頼る可能性に気付いたときには、もう取り返しがつかなくなっていることが多い。
以前にもこういう感じで生き倒れていた男を拾ったことがあった。その男はギャンブルで身持ちを崩し食うに困っていた。そうとは知らず今回のように親切心から家に招き入れたら、そのままなし崩し的に居着かれて、最終的にヒモになった。まあヒモといっても、基本が現物支給で必要最低限の現金しか渡さなかったので、最終的には出ていかれたのだけど。
まさか今回も……と一瞬ろくでもない予感がよぎったが、必死で振り払う。まだこの人がヒモだとは限らない。というか帰り道にヒモが生き倒れているなんて、人生に二度もあってたまるか。とりあえず意識が戻って大丈夫そうなら、路銀程度のお金を渡して帰ってもらおう。貸すのではなくあげるのでこれはノーカンだ。
状況に対して気持ちの整理をつけたところで、困ったことに気がついた。シャワーを浴びたいのだが、意識を失い容態が不明確な男から目を離すのは気が引ける。単純に急変の可能性があるため心配なのと、仮に意識が戻ったとしたら、私がいない間に何かしでかされないかという懸念だ。防犯的な意味で。いや、防犯など、家に招き入れておいて今さらか。己の間抜けさにまた頭を抱えたくなったが、髪や服から香る酒と煙草の入り混じった飲み屋独特の匂いが不快感を煽る。考えていても埒があかないので、彼には申し訳ないがなんとか起きてもらうことにした。
男の身体を揺さぶると、少し意識が戻ったのか小さくうめき声が漏れた。眉間に皺を寄せ、苦しそうに何かを呟いている。聞き取りづらかったので顔を近づける。よく見るとそれなりに整った顔立ちだ、などと思った瞬間、手が伸びてきてそのまま顔を引き寄せられた。
「……んっ!?」
一瞬本気で何が起こったかわからなかった。しかし、すぐさま口元の柔らかい感触に意識を奪われる。反射的に顔を離そうとしたが、既に後頭部に手が回されていてそれは叶わない。それどころか、そのまま舌を入れられている。意識が曖昧なくせに、むしろ曖昧だからか、驚くほど強い力で頭を固定されている。その上男は私の唾液を時折すするように吸った。突然の事に、頭の中では「なんで」という言葉が渦巻いている。先程から予想外の出来事ばかりで、いい加減気が変になりそうだ。
というかそれ以前にこうも口を塞がれては呼吸が出来ない。さすがに苦しくなって床についた手を叩いて声を上げると、目の前の男はハッと我に返って唇と手を離し、距離を取るために上体を起こす。私は半ば酸欠状態ですぐ動けず、ゆるゆると反対側に身を引いて座り、指先で唇を拭った。
「……オレは今、何を……!!」
それは私が聞きたい。いや、された事はわかる、所謂キスと言う奴だ。しかも舌を入れられた。こっちが聞きたいのは意図の方である。とはいえこの狼狽えっぷりから察するに、どうやら故意ではないらしい。もしや寝ぼけて恋人とでも勘違いしたのだろうか。
「……その、今、私は君に、キスをしていたような気がするのだが」
「ええ、まあ、はい、そりゃもうがっつりと」
やや朦朧とした意識のまま答えると、男は起こした上半身を再び床につけ、頭を抱えてしまった。その落ち込みっぷりにこちらまで居た堪れなくなり、思わず助け舟を出す。
「……わざとじゃない、んですよね」
「わざとではない! 断じて。この状況で信じてくれというのも無理な話だろうが、私は普段は決して初対面の女性にこんな狼藉を働く男ではないのだ……」
世の中の大抵の男は初対面の女性にこういう事しないと思うけど。まあ、それはさておき。人は、自分より動揺している人間がいると逆に冷静になるものだ。本来ならば、狼狽えたいのはこちらなのだが、酸欠なのもあいまって、返す言葉も浮かばず、ぼんやりと男を見つめてしまう。男は私の様子に気付き、慌てて咳払いをして居住まいを正し、頭を下げた。
「不快な思いをさせてしまったことを心から謝罪する。しかし、私は少し複雑な身の上でな……出来ることは何でもするから、どうか通報や訴訟だけは、勘弁していただけないだろうか」
キスひとつで通報だなんて大げさな。見ず知らずの異性を家にあげた私にも問題はあるし、生き倒れて意識が朦朧としていた彼を責めることはできないだろう。
「顔を上げてください。そりゃ驚きましたけど、故意じゃないんでしょう? 私だって……その……これくらい全然平気だし、悪意があったわけじゃないなら、大丈夫ですよ」
両手を身体の前で振って気にするなアピールをすると、彼は更に眉間の皺を深めた。
「……本当に、許してくれるのか?」
男は謝罪を要求したくせに、信じられないと言った顔でこちらを見つめてくる。
「いや……まあ、暴力とかじゃないですし、別に。それに私なんかより彼女さんが心配してるだろうから、早く連絡してあげてください」
「……彼女? なんのことだ」
「あ、いや、さっきの……彼女さんと勘違いしてたのかなって」
彼はまるで私が何かとても見当違いなことを言っているとでも言いたげな顔をした。フォローをしたはずなのに、何故か気まずい。彼は何かを言うべきか言わざるべきか思案している様子だった。複雑な事情を抱えているのだから、言えないことのひとつやふたつはあるだろうが、それが全く予想が付かずやきもきする。しばらくして、ようやく言える言葉が見つかったのか、口を開いた。
「君は……いったいどこまでお人好しなんだ。オレが寝ぼけたふりでわざとこういう事をして、弱みに付け込むような男だったらどうする?」
彼があまりにも真顔で言うものだから、私は思わず笑ってしまった。謝罪を信じて許した相手を逆に心配するなど、それこそお人好しというものだろう。彼は戸惑いの表情を浮かべている。私が笑う理由が心底理解できないと言ったふうだ。
「なぜ笑う……!」
「だって、それを聞いてくるってことは、あなたにはそのつもりがないってことですよね」
「そうとは限らないだろう」
「そんなことないですよ。……私、知ってるんです。本当にそういうことする男は、何食わぬ顔で懐に入り込んで、遠慮とか確認とか、一切しないん、だから……」
フォローをしようとしたはずが、自分で傷を抉ってしまった。胸の奥から熱いものがこみ上げて、言葉に詰まる。おまけに目頭まで熱くなり、涙までこぼれる始末だ。酔いは冷めたと思っていたが、まだ残っていたのか。やっぱり飲みすぎたかも知れない。
「やはり不快だったんだろう!?そうなら素直にそう言ってくれと……」
落ち着いたはずの彼がまた慌てている声がする。歪んだ視界では表情も見えない。ああ、申し訳ないな。本当に、あれくらいどうってことはないのだ。すかさず、大丈夫、これは違う、と言葉を絞り出すが、どうしようもなく湿っぽく震えている。見ず知らずの他人に、迷惑はかけたくないのに。
「とてもそうは見えないぞ」
急に視界がひらけたと思ったら、涙を彼がその指先で拭ってくれたようだ。反射的にまばたきをしてしまい、水滴が次々に頬を伝い落ちる。濡れたまつ毛が、視界の端に微かに映る。一瞬メイクの崩れを気にするが、そういえばアイラインもマスカラも、飲み屋ですっかり落ちてしまっていたことを思い出す。ああ、そうだ。私は今日既に泣いていたんだった。少し深呼吸をして、胸に詰まったものを少しずつ言葉にして取り出す。
「……これは、別件で。さっきのこととは無関係なので」
本当に、あなたのせいではないですよ。そう伝えるように、相手の目をしっかり見据えて答える。こんな、出会って間もない相手に、弱さを見せるわけにはいかないのだ。そう思うのに、目から溢れる雫は止まらず、そのたびに見据えた先の鈍色の瞳が揺れる。赤の他人の泣く姿に、たいそう心を揺らしているようだった。お願いだから、そんなに、心配そうな目で見ないで欲しい。
「その……差し支えなければ、聞かせてもらえないだろうか。私などでは力不足かもしれないが、言葉にすれば楽になることもあるだろう」
彼はふたたび私の涙を拭いながら言った。正直なところ、今日出会ったばかりの赤の他人に事情を話すのは気が引ける。しかしどうにも自責の念に駆られているようだし、話すことで関係がないことを証明すれば、少しは彼の心も軽くなるだろうか。
(続)
玄関に入ってすぐの冷たい床に、大きくて黒い男が横たわっている。
道端で倒れているところをなんとか担いで来たが、部屋に入った途端また気絶してしまった。意識があるうちはなんとか支えられたが、こうなってはもう私の力ではびくともしない。声をかけても反応しなくなりかなり冷や冷やしたが、幸い呼吸はしっかりあったので胸をなでおろす。どうやっても重たくて部屋まで運ぶことはできなかったので、少しでも楽なようにと、ソファに置いてあったクッションを枕代わりに頭に敷き、寒くないように毛布をかけてやった。
ひと段落して冷静になって、だんだん自分のやったことに対する後悔と、彼に対する疑問が湧き上がってきた。冷静に考えてみれば不審な点だらけだ。私は救急車なんて一言も言ってないのに、携帯を使うのを阻止された。他に連絡されたくない場所でもあるのだろうか。というか救急車じゃなくとも、家族とかいるだろう。連絡先を聞けばよかった。しかし当の本人は再び意識を失っていて、それを聞き出す術はない。
緊急事態とはいえ、身元の知れない怪しい男を家に招き入れてしまったこの異様な状況に、どう対処していいか頭を悩ませていた。
しかし多分相手が誰でも同じことをしただろう。結局のところ、見ず知らずの相手でも放っておけなかっただけだ。ああ、私の悪い癖だ。困っている人を見ると、自分のことはそっちのけで助けてしまう。おまけにいつも一人でなんとかしようとしてしまって、あとで誰かに頼る可能性に気付いたときには、もう取り返しがつかなくなっていることが多い。
以前にもこういう感じで生き倒れていた男を拾ったことがあった。その男はギャンブルで身持ちを崩し食うに困っていた。そうとは知らず今回のように親切心から家に招き入れたら、そのままなし崩し的に居着かれて、最終的にヒモになった。まあヒモといっても、基本が現物支給で必要最低限の現金しか渡さなかったので、最終的には出ていかれたのだけど。
まさか今回も……と一瞬ろくでもない予感がよぎったが、必死で振り払う。まだこの人がヒモだとは限らない。というか帰り道にヒモが生き倒れているなんて、人生に二度もあってたまるか。とりあえず意識が戻って大丈夫そうなら、路銀程度のお金を渡して帰ってもらおう。貸すのではなくあげるのでこれはノーカンだ。
状況に対して気持ちの整理をつけたところで、困ったことに気がついた。シャワーを浴びたいのだが、意識を失い容態が不明確な男から目を離すのは気が引ける。単純に急変の可能性があるため心配なのと、仮に意識が戻ったとしたら、私がいない間に何かしでかされないかという懸念だ。防犯的な意味で。いや、防犯など、家に招き入れておいて今さらか。己の間抜けさにまた頭を抱えたくなったが、髪や服から香る酒と煙草の入り混じった飲み屋独特の匂いが不快感を煽る。考えていても埒があかないので、彼には申し訳ないがなんとか起きてもらうことにした。
男の身体を揺さぶると、少し意識が戻ったのか小さくうめき声が漏れた。眉間に皺を寄せ、苦しそうに何かを呟いている。聞き取りづらかったので顔を近づける。よく見るとそれなりに整った顔立ちだ、などと思った瞬間、手が伸びてきてそのまま顔を引き寄せられた。
「……んっ!?」
一瞬本気で何が起こったかわからなかった。しかし、すぐさま口元の柔らかい感触に意識を奪われる。反射的に顔を離そうとしたが、既に後頭部に手が回されていてそれは叶わない。それどころか、そのまま舌を入れられている。意識が曖昧なくせに、むしろ曖昧だからか、驚くほど強い力で頭を固定されている。その上男は私の唾液を時折すするように吸った。突然の事に、頭の中では「なんで」という言葉が渦巻いている。先程から予想外の出来事ばかりで、いい加減気が変になりそうだ。
というかそれ以前にこうも口を塞がれては呼吸が出来ない。さすがに苦しくなって床についた手を叩いて声を上げると、目の前の男はハッと我に返って唇と手を離し、距離を取るために上体を起こす。私は半ば酸欠状態ですぐ動けず、ゆるゆると反対側に身を引いて座り、指先で唇を拭った。
「……オレは今、何を……!!」
それは私が聞きたい。いや、された事はわかる、所謂キスと言う奴だ。しかも舌を入れられた。こっちが聞きたいのは意図の方である。とはいえこの狼狽えっぷりから察するに、どうやら故意ではないらしい。もしや寝ぼけて恋人とでも勘違いしたのだろうか。
「……その、今、私は君に、キスをしていたような気がするのだが」
「ええ、まあ、はい、そりゃもうがっつりと」
やや朦朧とした意識のまま答えると、男は起こした上半身を再び床につけ、頭を抱えてしまった。その落ち込みっぷりにこちらまで居た堪れなくなり、思わず助け舟を出す。
「……わざとじゃない、んですよね」
「わざとではない! 断じて。この状況で信じてくれというのも無理な話だろうが、私は普段は決して初対面の女性にこんな狼藉を働く男ではないのだ……」
世の中の大抵の男は初対面の女性にこういう事しないと思うけど。まあ、それはさておき。人は、自分より動揺している人間がいると逆に冷静になるものだ。本来ならば、狼狽えたいのはこちらなのだが、酸欠なのもあいまって、返す言葉も浮かばず、ぼんやりと男を見つめてしまう。男は私の様子に気付き、慌てて咳払いをして居住まいを正し、頭を下げた。
「不快な思いをさせてしまったことを心から謝罪する。しかし、私は少し複雑な身の上でな……出来ることは何でもするから、どうか通報や訴訟だけは、勘弁していただけないだろうか」
キスひとつで通報だなんて大げさな。見ず知らずの異性を家にあげた私にも問題はあるし、生き倒れて意識が朦朧としていた彼を責めることはできないだろう。
「顔を上げてください。そりゃ驚きましたけど、故意じゃないんでしょう? 私だって……その……これくらい全然平気だし、悪意があったわけじゃないなら、大丈夫ですよ」
両手を身体の前で振って気にするなアピールをすると、彼は更に眉間の皺を深めた。
「……本当に、許してくれるのか?」
男は謝罪を要求したくせに、信じられないと言った顔でこちらを見つめてくる。
「いや……まあ、暴力とかじゃないですし、別に。それに私なんかより彼女さんが心配してるだろうから、早く連絡してあげてください」
「……彼女? なんのことだ」
「あ、いや、さっきの……彼女さんと勘違いしてたのかなって」
彼はまるで私が何かとても見当違いなことを言っているとでも言いたげな顔をした。フォローをしたはずなのに、何故か気まずい。彼は何かを言うべきか言わざるべきか思案している様子だった。複雑な事情を抱えているのだから、言えないことのひとつやふたつはあるだろうが、それが全く予想が付かずやきもきする。しばらくして、ようやく言える言葉が見つかったのか、口を開いた。
「君は……いったいどこまでお人好しなんだ。オレが寝ぼけたふりでわざとこういう事をして、弱みに付け込むような男だったらどうする?」
彼があまりにも真顔で言うものだから、私は思わず笑ってしまった。謝罪を信じて許した相手を逆に心配するなど、それこそお人好しというものだろう。彼は戸惑いの表情を浮かべている。私が笑う理由が心底理解できないと言ったふうだ。
「なぜ笑う……!」
「だって、それを聞いてくるってことは、あなたにはそのつもりがないってことですよね」
「そうとは限らないだろう」
「そんなことないですよ。……私、知ってるんです。本当にそういうことする男は、何食わぬ顔で懐に入り込んで、遠慮とか確認とか、一切しないん、だから……」
フォローをしようとしたはずが、自分で傷を抉ってしまった。胸の奥から熱いものがこみ上げて、言葉に詰まる。おまけに目頭まで熱くなり、涙までこぼれる始末だ。酔いは冷めたと思っていたが、まだ残っていたのか。やっぱり飲みすぎたかも知れない。
「やはり不快だったんだろう!?そうなら素直にそう言ってくれと……」
落ち着いたはずの彼がまた慌てている声がする。歪んだ視界では表情も見えない。ああ、申し訳ないな。本当に、あれくらいどうってことはないのだ。すかさず、大丈夫、これは違う、と言葉を絞り出すが、どうしようもなく湿っぽく震えている。見ず知らずの他人に、迷惑はかけたくないのに。
「とてもそうは見えないぞ」
急に視界がひらけたと思ったら、涙を彼がその指先で拭ってくれたようだ。反射的にまばたきをしてしまい、水滴が次々に頬を伝い落ちる。濡れたまつ毛が、視界の端に微かに映る。一瞬メイクの崩れを気にするが、そういえばアイラインもマスカラも、飲み屋ですっかり落ちてしまっていたことを思い出す。ああ、そうだ。私は今日既に泣いていたんだった。少し深呼吸をして、胸に詰まったものを少しずつ言葉にして取り出す。
「……これは、別件で。さっきのこととは無関係なので」
本当に、あなたのせいではないですよ。そう伝えるように、相手の目をしっかり見据えて答える。こんな、出会って間もない相手に、弱さを見せるわけにはいかないのだ。そう思うのに、目から溢れる雫は止まらず、そのたびに見据えた先の鈍色の瞳が揺れる。赤の他人の泣く姿に、たいそう心を揺らしているようだった。お願いだから、そんなに、心配そうな目で見ないで欲しい。
「その……差し支えなければ、聞かせてもらえないだろうか。私などでは力不足かもしれないが、言葉にすれば楽になることもあるだろう」
彼はふたたび私の涙を拭いながら言った。正直なところ、今日出会ったばかりの赤の他人に事情を話すのは気が引ける。しかしどうにも自責の念に駆られているようだし、話すことで関係がないことを証明すれば、少しは彼の心も軽くなるだろうか。
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