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海へ行こう、と提案したのは依久乃からだった。
春の海は穏やかで、人も少なかった。
波が来て、まだ冷たい海水が1人で立ち尽くすアーチャーの素足を撫でる。海へ誘った張本人はというと、浜辺に着くなりアーチャーの靴を脱がし波打ち際まで連れてきたものの、すぐさまアーチャーを置いて離れていってしまった。今は、少し遠くの方で小石や貝殻を拾い集めながら、迫り来る波と追いかけっこをしている。そんな彼女をアーチャーは心配そうに眺める。置き去りにされたことは苦ではないが、スカートを靡かせ波と戯れる彼女の危なっかしい足取りを見ていると気が気でなかった。小言が次々と思い浮かぶが、瞬時に全く聞き入れようとしない依久乃の強情な表情が目に浮かび、何故か自然と頬が緩んでしまった。
しばらくすると依久乃は大事そうに拾い集めた貝殻や石を、すべて海に放り投げてしまった。全く予想がつかない行動にアーチャーが半ば呆れていると、依久乃が小走り気味に近づいてきた。彼女のひらひらとしたスカートの裾はすっかり濡れていて、足にまとわりついている。
「アーチャー、なんかお父さんみたいな顔してる」
「無邪気にはしゃぐ君を見ていると、な」
「心配で心配で仕方ない?」
「ああ、実に危なっかしくてかなわん」
「『わたし』が?」
「ん?ああ。………他の誰でもない、君が、だよ」
「そっか。じゃあわたしはアーチャーにとって特別?」
「ふ、そうだな」
何を当たり前の事を聞くのか、とアーチャーは思った。目の前にいる君が特別だから、心配もするし、こうして海にもついて来たのだ。
「じゃあ、世界とわたし、どちらかを天秤にかける時が来たら?」
至極穏やかな笑みで、そして時間でも尋ねるような気軽さで依久乃はそんな事を言った。その問いは、アーチャーの過去と理想を思えば、重くのしかかる問いだ。しかしアーチャーは別段動じることもなく切り返す。質問の意図は読めている。
「底意地の悪い質問だな」
「えへへ。そんな意地悪い女を選んだのはアーチャーでしょ」
「サーヴァントはマスターを選べない」
「そうじゃなくて、さ」
「……ああ、わかっているさ」
アーチャーは、依久乃の頭を撫でて軽く口づけをした。
質問の意図は読めているが、問い自体には胸が少し痛む。頭が勝手に思考を始める。もしその時になったらどうするだろうか。現実を知らないまま夢を見ていられる時期はとうに過ぎた。守護者になった自分に変化はない。ならば、過去の選択を繰り返すしか可能性はないのだろうか。否、しかし、しかしだ。この胸には確かにあの日に見た輝きが、答えがある。失くしたものをどこで拾い上げたのか、いつからかこの胸には、再び熱い炎が燻っているのだ。一瞬目の前をよぎった残酷な幻を振り払い、アーチャーは穏やかな声で言った。
「そんな時はこないよ」
「……どうして?」
「それはな。オレは、全ての人を救うからさ」
「まるで正義の味方……だね」
「ああ、そういうものにオレは憧れたからな」
そう言いながらアーチャーは目を閉じた。
「……知ってる」
そう言って依久乃も目を閉じた。束の間の静寂に、穏やかな波の音が響く。
アーチャーの言葉は強がりではない。そして依久乃もまた、彼の未来を悲観してはいなかった。きっといつかその時が来たら、どちらかを選ぶことになるだろう。その事はきっと依久乃も覚悟の上だと、アーチャーは何となく理解していた。何せオレを選んだ女性なのだから、と。そして実際に、依久乃も既に覚悟を決めていた。その時になれば自分が選ばれる可能性は限りなく低いと。
しかし、そう思いながらもアーチャーは最後の結末まで足掻きたいとも強く思っていた。かつての自分はそう出来なかったし、守護者の役割は未来永劫変わることはないが、それでも、理想の形を思い出した今、今度こそ足掻くことができるはずだと。強く、もう一度、信じたいと。
そう、オレの人生は己との戦いであり、勝利をイメージする事で現実を塗り替えてきた。ならば今度こそ───
「えいっ」
「とぅわっ!!」
アーチャーは突然バランスを崩した。尻餅をつきそうになるところをなんとか耐えたが、結局前に倒れてしまい砂浜に四つん這いのようになった。そしてその瞬間やってきた波を盛大に被り、ずぶ濡れになってしまった。前髪が下りて、普段よりも幾分か幼く見える。
アーチャーは一瞬何が起こったかわからず目を白黒させていたが、後ろで依久乃が盛大に笑っている声が聞こえ、次第に状況に気付いた。倒れ方、位置関係からして所謂「ひざカックン」をされたことに気づいた。
「き、君なあ……本当に……!」
「いやあ、なんか、シリアスモードだったんで」
「そうなるような質問をしてきたのは君だろう」
「そうだっけ?ふふ。やーい、アーチャーの濡れ鼠」
「くっ……そのような子供じみた挑発には乗らん」
「じゃあ、これはどう?」
そう言って依久乃が取り出したのは、2丁の拳銃……の形をしたチープな水鉄砲だった。ピンクと黄緑、蛍光色のスケルトン。縁日の景品などでもらえる、単純な構造のアレだ。
「また懐かしいものを……」
「ふふ、こう言うの好きでしょ」
依久乃は水鉄砲に海水を充填し、満タンになった片方をアーチャーに手渡した。
「いや、私が好きなのはあくまで本物で……」
「先に相手に当てた方が勝ちね」
「君が私に勝負を挑むというのかね?」
受け取った水鉄砲をまじまじと見た後、軽く構える。さすが武器の扱いに長けているのか、アーチャーの構え方には「らしさ」があった。だからこそ構えているのが蛍光色のおもちゃというギャップが滑稽なのだが。
「これは本物とは勝手が違うでしょ。だから勝ち負けはわかんないよ!」
「ハンデは必要ないのか?」
「子供じみた挑発には乗らないんじゃなかったの?」
「ぬかせ。君も同じく濡れ鼠にしてやる」
「ふふ、じゃあ三本勝負、行くよ!」
そう言った途端、依久乃は脱兎のごとく逃げ出し、アーチャーは容赦なく全速力で後を追った。もちろん、勝負はあっけなくついた。アーチャーの勝利だ。
「これでもサーヴァントのはしくれだ。低ランクとはいえ一般人に引けは取らん」
「アーチャーくん容赦なさすぎ。生身の人間に本気出すとか」
「勝負なのだから手を抜く方が失礼だろう」
「負けず嫌いだなあ」
砂浜に押し倒され、身体中を砂まみれにしながら依久乃は柔らかく微笑んだ。アーチャーが笑っていたからだ。馬乗りになっておもちゃの水鉄砲の銃口を向けるアーチャーの頬を優しく撫でながら依久乃は言った。
「アーチャー、笑ってる」
「…………そうか。自覚はなかったんだが」
「楽しい?」
「ふむ、この程度ではなかなか、張り合いがないな。もう少し対等な勝負をしたいものだ」
「素直じゃないなぁ。どうせ私じゃ、相手になりませんよ。もっと強いひと、呼んでこないと。……青い誰かさんとか」
「それは勘弁願いたい。君との時間を邪魔されては困るからな」
そう言って、互いに顔を見合わせ笑う。
この時が、ずっと続けばいいのに───依久乃の笑顔を見ながら、アーチャーは思った。しかしすぐにかき消した。彼自身、そんなささやかな願いを持つ事さえ自分に許せないのだ。だから言い聞かせる。こんなものは泡沫の夢なのだ。そう思いながらも、アーチャーはまるで縋るように砂まみれの彼女をかき抱いていた。
「アーチャー、くるしい」
「すまない」
口で謝りながらも、アーチャーはその腕を緩めることはしなかった。依久乃はその不器用さを想いながら、海水ですっかり潰れてしまったアーチャーの髪の毛をあやすように優しく撫でていた。共に歩む事が出来ないから、互いにこの時に縋る。それが人の道なのだと、それでいいのだと彼を肯定するように。
泡沫の夢はすぐに消えてしまうからこそ、美しい。そして心だけは時間にとらわれない。交わした想いは、今だけは永遠だ。
(どうか彼の道行きに、幸あらん事を)
春の海は穏やかで、人も少なかった。
波が来て、まだ冷たい海水が1人で立ち尽くすアーチャーの素足を撫でる。海へ誘った張本人はというと、浜辺に着くなりアーチャーの靴を脱がし波打ち際まで連れてきたものの、すぐさまアーチャーを置いて離れていってしまった。今は、少し遠くの方で小石や貝殻を拾い集めながら、迫り来る波と追いかけっこをしている。そんな彼女をアーチャーは心配そうに眺める。置き去りにされたことは苦ではないが、スカートを靡かせ波と戯れる彼女の危なっかしい足取りを見ていると気が気でなかった。小言が次々と思い浮かぶが、瞬時に全く聞き入れようとしない依久乃の強情な表情が目に浮かび、何故か自然と頬が緩んでしまった。
しばらくすると依久乃は大事そうに拾い集めた貝殻や石を、すべて海に放り投げてしまった。全く予想がつかない行動にアーチャーが半ば呆れていると、依久乃が小走り気味に近づいてきた。彼女のひらひらとしたスカートの裾はすっかり濡れていて、足にまとわりついている。
「アーチャー、なんかお父さんみたいな顔してる」
「無邪気にはしゃぐ君を見ていると、な」
「心配で心配で仕方ない?」
「ああ、実に危なっかしくてかなわん」
「『わたし』が?」
「ん?ああ。………他の誰でもない、君が、だよ」
「そっか。じゃあわたしはアーチャーにとって特別?」
「ふ、そうだな」
何を当たり前の事を聞くのか、とアーチャーは思った。目の前にいる君が特別だから、心配もするし、こうして海にもついて来たのだ。
「じゃあ、世界とわたし、どちらかを天秤にかける時が来たら?」
至極穏やかな笑みで、そして時間でも尋ねるような気軽さで依久乃はそんな事を言った。その問いは、アーチャーの過去と理想を思えば、重くのしかかる問いだ。しかしアーチャーは別段動じることもなく切り返す。質問の意図は読めている。
「底意地の悪い質問だな」
「えへへ。そんな意地悪い女を選んだのはアーチャーでしょ」
「サーヴァントはマスターを選べない」
「そうじゃなくて、さ」
「……ああ、わかっているさ」
アーチャーは、依久乃の頭を撫でて軽く口づけをした。
質問の意図は読めているが、問い自体には胸が少し痛む。頭が勝手に思考を始める。もしその時になったらどうするだろうか。現実を知らないまま夢を見ていられる時期はとうに過ぎた。守護者になった自分に変化はない。ならば、過去の選択を繰り返すしか可能性はないのだろうか。否、しかし、しかしだ。この胸には確かにあの日に見た輝きが、答えがある。失くしたものをどこで拾い上げたのか、いつからかこの胸には、再び熱い炎が燻っているのだ。一瞬目の前をよぎった残酷な幻を振り払い、アーチャーは穏やかな声で言った。
「そんな時はこないよ」
「……どうして?」
「それはな。オレは、全ての人を救うからさ」
「まるで正義の味方……だね」
「ああ、そういうものにオレは憧れたからな」
そう言いながらアーチャーは目を閉じた。
「……知ってる」
そう言って依久乃も目を閉じた。束の間の静寂に、穏やかな波の音が響く。
アーチャーの言葉は強がりではない。そして依久乃もまた、彼の未来を悲観してはいなかった。きっといつかその時が来たら、どちらかを選ぶことになるだろう。その事はきっと依久乃も覚悟の上だと、アーチャーは何となく理解していた。何せオレを選んだ女性なのだから、と。そして実際に、依久乃も既に覚悟を決めていた。その時になれば自分が選ばれる可能性は限りなく低いと。
しかし、そう思いながらもアーチャーは最後の結末まで足掻きたいとも強く思っていた。かつての自分はそう出来なかったし、守護者の役割は未来永劫変わることはないが、それでも、理想の形を思い出した今、今度こそ足掻くことができるはずだと。強く、もう一度、信じたいと。
そう、オレの人生は己との戦いであり、勝利をイメージする事で現実を塗り替えてきた。ならば今度こそ───
「えいっ」
「とぅわっ!!」
アーチャーは突然バランスを崩した。尻餅をつきそうになるところをなんとか耐えたが、結局前に倒れてしまい砂浜に四つん這いのようになった。そしてその瞬間やってきた波を盛大に被り、ずぶ濡れになってしまった。前髪が下りて、普段よりも幾分か幼く見える。
アーチャーは一瞬何が起こったかわからず目を白黒させていたが、後ろで依久乃が盛大に笑っている声が聞こえ、次第に状況に気付いた。倒れ方、位置関係からして所謂「ひざカックン」をされたことに気づいた。
「き、君なあ……本当に……!」
「いやあ、なんか、シリアスモードだったんで」
「そうなるような質問をしてきたのは君だろう」
「そうだっけ?ふふ。やーい、アーチャーの濡れ鼠」
「くっ……そのような子供じみた挑発には乗らん」
「じゃあ、これはどう?」
そう言って依久乃が取り出したのは、2丁の拳銃……の形をしたチープな水鉄砲だった。ピンクと黄緑、蛍光色のスケルトン。縁日の景品などでもらえる、単純な構造のアレだ。
「また懐かしいものを……」
「ふふ、こう言うの好きでしょ」
依久乃は水鉄砲に海水を充填し、満タンになった片方をアーチャーに手渡した。
「いや、私が好きなのはあくまで本物で……」
「先に相手に当てた方が勝ちね」
「君が私に勝負を挑むというのかね?」
受け取った水鉄砲をまじまじと見た後、軽く構える。さすが武器の扱いに長けているのか、アーチャーの構え方には「らしさ」があった。だからこそ構えているのが蛍光色のおもちゃというギャップが滑稽なのだが。
「これは本物とは勝手が違うでしょ。だから勝ち負けはわかんないよ!」
「ハンデは必要ないのか?」
「子供じみた挑発には乗らないんじゃなかったの?」
「ぬかせ。君も同じく濡れ鼠にしてやる」
「ふふ、じゃあ三本勝負、行くよ!」
そう言った途端、依久乃は脱兎のごとく逃げ出し、アーチャーは容赦なく全速力で後を追った。もちろん、勝負はあっけなくついた。アーチャーの勝利だ。
「これでもサーヴァントのはしくれだ。低ランクとはいえ一般人に引けは取らん」
「アーチャーくん容赦なさすぎ。生身の人間に本気出すとか」
「勝負なのだから手を抜く方が失礼だろう」
「負けず嫌いだなあ」
砂浜に押し倒され、身体中を砂まみれにしながら依久乃は柔らかく微笑んだ。アーチャーが笑っていたからだ。馬乗りになっておもちゃの水鉄砲の銃口を向けるアーチャーの頬を優しく撫でながら依久乃は言った。
「アーチャー、笑ってる」
「…………そうか。自覚はなかったんだが」
「楽しい?」
「ふむ、この程度ではなかなか、張り合いがないな。もう少し対等な勝負をしたいものだ」
「素直じゃないなぁ。どうせ私じゃ、相手になりませんよ。もっと強いひと、呼んでこないと。……青い誰かさんとか」
「それは勘弁願いたい。君との時間を邪魔されては困るからな」
そう言って、互いに顔を見合わせ笑う。
この時が、ずっと続けばいいのに───依久乃の笑顔を見ながら、アーチャーは思った。しかしすぐにかき消した。彼自身、そんなささやかな願いを持つ事さえ自分に許せないのだ。だから言い聞かせる。こんなものは泡沫の夢なのだ。そう思いながらも、アーチャーはまるで縋るように砂まみれの彼女をかき抱いていた。
「アーチャー、くるしい」
「すまない」
口で謝りながらも、アーチャーはその腕を緩めることはしなかった。依久乃はその不器用さを想いながら、海水ですっかり潰れてしまったアーチャーの髪の毛をあやすように優しく撫でていた。共に歩む事が出来ないから、互いにこの時に縋る。それが人の道なのだと、それでいいのだと彼を肯定するように。
泡沫の夢はすぐに消えてしまうからこそ、美しい。そして心だけは時間にとらわれない。交わした想いは、今だけは永遠だ。
(どうか彼の道行きに、幸あらん事を)
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