七つ下がりの雨と罠
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季節は六月、梅雨の真っ只中。しかし、今日は珍しく晴れ。今朝の天気予報でも「今日は梅雨の中休み、一日陽差しが届きます」なんて言っていた。私はどこかに出かけたかったのをグッと我慢して、溜まっていた洗濯物を片付けた。午後にはバイトを終えたランサーが帰ってきたので、二人で夕ご飯の買い出しに出ることにした。結局、いつもとあまり変わらない休日になってしまった。
買い物を終えて店の外に出ると、さっきまで青かった空はすっかり鉛色に沈んでいた。ゴロゴロと雷まで鳴っている。晴天に浮かれ、傘を持ってこなかったことを後悔した。改めて携帯で天気予報を確認すると相変わらず晴れマークが燦然と輝いていた。そんな馬鹿な、そう思いながら下までスクロールすると「にわか雨に注意しましょう」の一文があった。そう言うことはもっと上に書いておいてほしい。しかし天気予報を恨んでも、空は晴れてくれない。
「降りそうだね……」
「ああ、嫌な空だな。傘ねえのか」
「持ってこなかった。油断してた」
「……降り出す前に帰れればいいんだが」
「野生の勘的には」
「んー、そうだなぁ。これくらいなら走れば間に合うんじゃねえか」
家までは走れば五分ほど。ランサーの勘を信じることにした。しかし、ちょうど半分くらいのところで、水滴が鼻に当たった。初めはポツポツと降り出した雨はすぐ勢いを増し、あっという間に二人ともずぶ濡れになってしまった。途中からランサーは私の手を引いて走ってくれたけど、サーヴァントには軽い走りでも私にとっては全力疾走だったので、マンションに着く頃には心臓が悲鳴をあげていた。おまけに濡れた服や髪が身体にベタベタと張り付き、苦しいやら痛いやら気持ち悪いやらで、エレベーターの中では一言も発することができなかった。ランサーは黙って私の背中を軽くさすってくれていた。そのおかげもあって、部屋の前にたどり着く頃には呼吸が落ち着いてきた。
改めて見ると、見事な濡れ鼠っぷり。まるで服を着たまま水浴びでもしたようだ。お互い顔を見合わせると、どちらともなく笑いがこぼれた。身体から滴り落ちる水滴で、コンクリートの床には小さな水たまりが出来ており、流石にこのまま部屋に入るのは憚られた。
「いやあ、こりゃひでえ」
ランサーはうんざりした表情で言った。同時に頭をぶるぶると振り、水滴が辺りに飛び散る。私もそれを避けつつ、髪や服を絞る。
「びっしょびしょ……。野生の勘、外れちゃったね」
「悪い、オレの感覚でなら間に合ってたんだが」
「私のペースは考慮していなかったと」
「まあ、そうなるな」
ランサーは少しすまなさそうに笑った。私はふと、ずぶ濡れのランサーに違和感を覚えた。サーヴァントが濡れている姿というのは珍しいような。
「ランサーは霊体化すればよかったんじゃ」
「あー。まあ……そう言われりゃそうだな」
「言われりゃって……」
「いいじゃねえか。たまにはこういうのも悪かねえだろ。それに、お前一人を濡らして平気で帰れるほどオレは薄情な男じゃねえよ」
存外に優しい返答に少し驚く。「気付いたならもっと早く言えよ」などと言われるかと思った。
「それに、水も滴るいい男ってな」
ランサーは下りた前髪をかき上げてニヤリと笑う。濡れて乱れた髪のせいか妙に色っぽく見えた。思わず視線をそらすとイヤリングが目に入る。イヤリングから滴り落ち、鎖骨を伝って胸元へと流れていく水滴に視線を誘われ、Tシャツが濡れ透けて露わになった筋肉の凹凸に思わず目を奪われた。恥ずかしいからと視線を逸らした先で、もっと大きな落とし穴にはまってしまった気分だった。さらにランサーがTシャツをめくり上げて裾をぎゅっと絞る。その下からちらりと見える引き締まった腹筋も異様に艶めかしく見えて、思わず生唾を飲み込んでしまった。
学生の頃、雨の日になるとはしゃいでいた男子を内心バカにしていたけど、目の前の光景に「なるほどこれは……」という言葉が浮かんだ。何が「なるほど」だ。何を考えているんだ私は。やましい気持ちを振り払うようにフルフルと頭を振った。
「どうした? 顔が赤いぞ。……もしかして、興奮したか?」
「ち、違う! 水滴、払っただけだもん。ほら、さっさと中入るよ」
ささやかな下心を見透かされたのが悔しくて、ランサーから買い物袋をふんだくり、返事を待たずにそそくさと部屋に入った。
*
部屋に上がり、エアコンを冷房から除湿に切り替えた。ひときわ冷たい風が生乾きの肌を撫でる。買ってきたものを冷蔵庫にしまい、タオルを取りに脱衣所へ。ちょうどランサーもやってきたので、大きめのバスタオルを手渡した。私はTシャツとショートパンツという軽装だったので、服はそのままにフェイスタオルで身体をサッと拭いた。
「依久乃、こっち向け。髪、拭いてやるよ」
言うやいなやランサーは自分の身体を拭いたバスタオルをばっと私にかぶせ、わしゃわしゃと乱雑に髪を拭いてきた。かき乱された自分の髪が顔に当たるのがくすぐったくてぎゅっと目を閉じる。お世辞にも丁寧な手つきとは言えないけど、大きな手で頭を包まれるのは存外に心地よかった。
しばらくされるがままに頭をゆらゆらと揺らしていると、ランサーの手の動きがぴたりと止まった。恐る恐る目を開けると、至近距離にランサーの顔があり、次の瞬間、唇に何か柔らかいものが触れる。すぐにキスされたのだと気付いた。
ふと、結婚式の誓いのキスってこんな感じなのだろうか、などと考えてしまった。バスタオルをヴェールに見立てた所で、ここは古マンションの狭い脱衣所だ。あまりにも風情に欠ける。それにランサーが今の文化を知ってるわけがない。自分の発想の滑稽さに恥ずかしくなり、唇を離す。
「なんだ、もう終わりか」
「……お風呂沸かさなきゃ」
顔が熱い。照れ隠しに頭を覆っていたバスタオルをかぶり、そのままそっぽを向いて風呂場のドアを開けた。湯船の横にしゃがみこみ、水とお湯の蛇口をそれぞれ緩め温度調整をする。適当な温度になったらあとは蓋を閉めて放っておけばいいのだけど、なんとなくお湯が貯まるのをぼうっと眺めていた。全力疾走をして疲れたせいか頭が上手く働かない。働かないくせに、先ほどのキスのことや部屋の前で見たランサーの姿ばかりが脳裏にちらつく。やましいことは立派に焼き付ける自分の頭に辟易していると、脱衣所の方から衣擦れの音が聞こえた。釣られて振り向くと、ランサーが服を脱いでいて、またどきりとしてしまう。
「ま、まだ沸かないよ?」
「いや、濡れたままだと気持ち悪くてな」
「そう。脱いだ服ちゃんと洗濯機に入れてね」
すぐさまバスタオルで顔を隠し、できるだけなんとも思っていないという風に声音を取り繕う。視線は必死に揺れる水面を見つめていた。波立つ水面に顔は映らないけど、多分、赤い。ランサーの裸くらい、いつもなら全然平気なのに、今日はどうしたってくらい悩ましげに見えてしまう。
「依久乃は脱がねえのか」
「お風呂入るときに脱ぐよ」
「濡れたままでいると冷えるぞ」
「これ、結構あったかいし大丈夫……ひゃ、何するの!」
ランサーにバスタオルを取り上げられた。湿った服が空気に触れ、身体から熱が奪われる。エアコンの冷たい空気が、いつの間にか脱衣所にまで満ちていて、思わず「寒っ」と呟いてしまった。
「ほら、いいからさっさと脱いじまえよ」
そう言うランサーは既にパンツ一丁になっていた。確かにランサーの言う通り、濡れていると熱を奪われるから、脱いだ方が温かいのだけど、今ランサーの前で脱ぐと、何か色々まずい気がする。
「やだ。絶対えっちなことするでしょ、ランサー」
「ああ? それを言うなら、今のお前の格好の方がずっと『えっち』だぞ」
「え?あ……」
自分の身体を見下ろすと、濡れたTシャツにがっつりと下着が透けて見えていた。咄嗟に両腕で胸元を隠したけど、今更だった。二人して雨に濡れたから当然といえば当然だ。
「おいおい、マジで気付いてなかったのかよ……」
「もっと早く言ってよ!! っていうかバスタオル返して」
バスタオルを奪い返そうとランサーに詰め寄ると、その勢いを利用され、腕の中に引き込まれてしまった。濡れた服越しにランサーの体温が生ぬるく伝わってくる。
「観念しろ。いい加減、風邪引くぞ」
「や、まって、離して」
濡れた服と肌の感触に、自分の中で何かが耐えられなくなる気がして、ランサーの身体を押し返そうとする。けれど、片手で背中をがっちりホールドされてビクともしない。ランサーはその隙にもう片方の手でブラジャーのホックを外す。
「ちょっとやめて。ちゃんと自分で脱ぐから」
「駄目だ」
首筋に顔を埋められて、息がくすぐったい。そのうち、Tシャツとショートパンツ、それぞれに手を入れられる。これ、脱がそうとしているんじゃなくてただのセクハラじゃないか。必死に抵抗するも、ランサーの手つきに身体が反応してしまい、次第に力が入らなくなる。
「ね、もう、お願い、やめて」
「無防備な女には、お仕置きが必要だろ」
「やだ、こんなとこで、余計に冷えちゃう」
「……そうだな。このままオレと風呂に入るなら離してやる」
「わ、わかった、一緒に入るから、離して」
「いい子だ」
ランサーはニヤリと笑い、キスをすると同時に一瞬だけ舌を口に滑り込ませてから腕を解いた。その焦らすような唇の感触に名残惜しさを感じながら、フラフラと脱衣所の壁にもたれかかった。乱れた息を整えながら理性を固く結び直す。一緒にお風呂に入るくらい、別に、なんともないんだから。何かとてつもない罠にはまっていて、もうとっくに抜け出せなくなっているような気がしなくもないけど、なんとか、なる。なるんだから。
*
はめられた。こんなはずじゃなかったのに。私は今、何故かランサーと一緒に湯船に浸かっている。しかも、背中から抱きかかえられるような体勢で。本当は今すぐ上がりたいのに、がっしり掴まれて身動きが取れない。
本当に、うちの湯船は狭い。少なくとも大人二人が浸かれる広さじゃない。だから私は交互に浸かるつもりだった。ランサーが先に湯船に足を入れたので、私は身体でも洗おうとシャワーを手に取ると、その手首を捕まれ引っ張られた。
「ちょ、何してるの、まさか」
「一緒に入るんだろ」
「いやいや、それは無理」
「大丈夫だって」
「大丈夫じゃない。狭いから」
「いけるいける」
「お湯溢れちゃうってば」
「んなこと気にすんなよ」
「気にする! もったいないって」
私は必死に抵抗した。しかし攻防の末に私が足を滑らせてそのまま倒れこみ、それをランサーが抱き止める形になり、そのまま文字通り湯船にはめられてしまったのだった。確かに二人で浸かるのは無理ではなかったけど、お湯は大部分が溢れてしまったし、実際かなり窮屈だ。無理やり引き入れた当の本人も「思ったより狭いな」などとのたまっている。
「……だから言ったじゃん、狭いって」
私は眉間にしわを寄せて、嵩が増えた水面に口をつけて息をぶくぶくさせた。ランサーは軽く笑いながら、宥めるように私の頭をぽんぽんと叩く。一度に大量のお湯が流れた排水口の奥で、ごぽぽ、と空気が動く音がした。
「入れたんだから、いいじゃねえか」
「よくない。狭いし、びっくりしたし、お湯も溢れたし」
「そりゃあ悪かった」
「そうまでして一緒に浸かりたかった?」
「まあ、な。でも、こうしてるとあったけえだろ?」
ランサーは落ち着いた声音でそう言って、後ろから回した腕の力を少し強めた。何か、いいようにはぐらかされた気もするけど、確かに温かい。お湯だけでも十分温かいけど、ランサーの身体もしっかりと熱を持っていて、私の冷えた肌に熱を伝えてくる。
「まあ、そりゃあ……あったかい、けど」
それにしたって無理やりはないでしょ。そう言いたかったけど、ほどよい温かさに怒りがゆるみ、わざわざ口に出して抗議する気分ではなくなっていた。弛緩した筋肉はほどよい弾力があり、密着しているとなかなかに心地がよかった。しかし、やはり少し気恥ずかしく、私はまたお湯に口をつけてぶくぶくさせた。
それからランサーは、意外にも何もしてこなかった。時折腕の力を強めたりはするが、それ以上は私の身体に触れたりせず、寄り添うようにしていた。しかしその心地よさに安心しかけたその時、ランサーはおもむろに首筋に顔を寄せキスを落としてきた。ちゅ、という音が浴室内に反響して、ひときわいやらしい。身をよじろうとするも時既に遅し。私を囲う腕には既に強い力が込められていた。ふいに、耳を横から甘噛みされる。軟骨に歯の当たる何とも言えない感触と、かすかに吹きかかる吐息に、身体が跳ねる。
「なあ、依久乃。このままここでしちまおうぜ」
耳元で低く囁かれる。欲を孕んだその声は、鼓膜から全身に行き渡り甘い痺れをもたらした。お腹の奥が、微かに疼く。
「……嫌か?」
ランサーは追い打ちをかけるように、今度は普段の粗野さからは想像もできないほどの甘えた声で誘う。入る前に結び直した私の理性は、とうにゆるみ切っていた。観念して本音を言えば、いますぐこの誘惑に身を委ねてしまいたい。けれど、私にはこの誘いに乗るわけにはいかない理由があった。さっきからずっと頭の片隅で私の理性を押しとどめている存在がある。それは洗濯物だ。服やタオルを濡れたまま長く放置すれば、悲惨なことになる。この季節は特に。雰囲気に流されそうな浅ましい自分を叱咤し、強い意志でぴしゃりと断った。
「ダメ!」
「なんでだよ。つれねえな」
「洗濯しなきゃだから」
「……あー、それなら仕方ねえな」
意外にもランサーすんなりと引き下がった。しかし盛大にため息をつき、私の肩に頭をもたげ全身で残念アピールをしてきた。視界の端に映った青い頭には、何故かしゅんとなって垂れ下がった犬の耳が見えた気がした。
「あのさ、もう少しだけなら……このままくっついてていいよ」
少し強く言いすぎただろうか。そんな罪悪感から、私はつい飴をあげてしまった。我ながら甘いなと思う。だけど結局のところ、離れがたいのは私も同じなのだ。
ランサーは嬉しかったのか、苦しいくらいに腕の力を強め、首筋に頭をすり寄せて来た。まるで犬がじゃれているみたいで、少しかわいいなと思う。とは言え首筋に触れる髪の毛がくすぐったい。なんとか身をよじって振り返ると、至近距離で目が合い思わず怯む。その隙に唇を奪われた。油断したところに噛み付かれ、可愛い犬はその実、獰猛な獣なのだと思い知らされる。
「だから、ダメ、だって」
「もう少しだけなら、いいんだろ」
「やだ、まって、ねえ」
逃げようと唇を離しても狭い浴槽の中ではすぐに追いつかれてしまう。その獣はもはや完全に雄の目をしていた。捕まって口の中を舐められる度に身体に電流が走り、鋭い視線に射抜かれ、理性が焼き切れそうになる。私はそれに必死に抗い、無理やり顔を逸らした。今度こそ私が拒絶したと思ったのか、ランサーの腕の力が緩んだ。しかし、私は拒絶したいわけではなく、とにかく発言の機会が欲しいだけだった。
「っ、はぁ……おねがい、だから、つづきは……ベッドで……」
誤解を解きたいのに、呼吸が乱れて上手く言葉を紡げず、漸く吐き出せたのは最低限の言葉だった。お願いだから。続きをするなら、やるべきことが終わってからちゃんとベッドでしよう。そう伝えたかったのだけど、いいおわってから言葉選びを盛大に誤ったことに気付く。これでは続きをせがんでいるように聞こえてしまうじゃないか。
慌てて訂正しようと息を整える前に、ランサーが勢いよく立ち上がった。同時に私も腕を引っ張り上げられ、立たされる。すっかりかさの減ってしまったお湯が足元でちゃぷちゃぷと波を立てて揺れた。
そのままくるりと向きを変えられ唇を塞がれる。さっきよりも深く、長く、ねっとりと、漏れる息すら閉じ込めるように。後頭部と腰にはしっかりと手が回されていて、今度こそ完全に、逃れることができない。本当にこのままここで始まってしまうのだろうか。触れ合った場所がやたらと熱く感じて、またお腹の奥がきゅうと疼く。絡み合う舌の感触に頭の奥がじんじんと痺れ、必死に抵抗する理性が溶かされそうになった時、ランサーは驚くほど呆気なく唇を離した。
急に解放され、意図が読めずに混乱するも、私はもうフラフラだった。呼吸は乱れ、表情が弛緩しきっているのを感じる。たぶん今とても情けない顔になっているんだろう。ギリギリ残った理性で、口端から垂れている涎を拭ったけど、もう腰はとっくに砕けていて、たぶん今身体を離されると一人で立つことすらできない。ひどい男だ。こんなになってから唇を離すなんて。精一杯の抵抗を込めて、ランサーを睨みつけたが、彼はそんな私の様子を見て、意地の悪い笑みを浮かべていた。
「なら、さっさと上がらないとな」
ランサーはフラフラの私をひょいと横抱きにして、そのまま浴室から出てしまった。そして脱衣所にあった新しいバスタオルで私を包んで、そのまま部屋へ。エアコンのひんやりとした空気が身体を撫で、身をすくめる。互いの身体から垂れた水滴が床を濡らしていく。
「まって、ランサー……せん、たく……」
「終わったら、まとめて洗えばいいだろ」
ランサーはまた私の唇に噛み付いた。やはり、このままベッドまで連れて行かれるのだろうか。ああでも、どうせシーツも濡れてしまうのなら洗濯は後からでもいいのかもしれない。度重なるキスで酸素不足なのか、ぼんやりとした頭はもうこの状況から逃れる術を思いついてくれなかった。
「本当は、夜まで我慢しようと思ったんだがな。お前があんまり無防備なんで、無理だったわ」
ベッドに私を組み敷いた獣は、獰猛な表情で笑う。雨はまだ降り続いていて、薄暗い部屋に浮かぶ白い肌と肩から降りた長い髪がやたらと扇情的だ。濡れたままの肢体から、雨のように水滴が滴り落ちる。その刹那、閃光が闇を裂き、赤い瞳が鋭く光った。
首筋に噛み付かれ、逃げるように顔を逸らすと、窓の外の景色が目に入った。分厚い鈍色の雨雲の西の終わりに覗く真っ赤な夕陽。それはまるで雨雲に「早く沈め」と押しやられているようで、降り注ぐ快楽になすすべ無く追いやられる私の理性を表しているようでもあった。
───ああ、この雨は。一体、いつになったら止むんだろう。
買い物を終えて店の外に出ると、さっきまで青かった空はすっかり鉛色に沈んでいた。ゴロゴロと雷まで鳴っている。晴天に浮かれ、傘を持ってこなかったことを後悔した。改めて携帯で天気予報を確認すると相変わらず晴れマークが燦然と輝いていた。そんな馬鹿な、そう思いながら下までスクロールすると「にわか雨に注意しましょう」の一文があった。そう言うことはもっと上に書いておいてほしい。しかし天気予報を恨んでも、空は晴れてくれない。
「降りそうだね……」
「ああ、嫌な空だな。傘ねえのか」
「持ってこなかった。油断してた」
「……降り出す前に帰れればいいんだが」
「野生の勘的には」
「んー、そうだなぁ。これくらいなら走れば間に合うんじゃねえか」
家までは走れば五分ほど。ランサーの勘を信じることにした。しかし、ちょうど半分くらいのところで、水滴が鼻に当たった。初めはポツポツと降り出した雨はすぐ勢いを増し、あっという間に二人ともずぶ濡れになってしまった。途中からランサーは私の手を引いて走ってくれたけど、サーヴァントには軽い走りでも私にとっては全力疾走だったので、マンションに着く頃には心臓が悲鳴をあげていた。おまけに濡れた服や髪が身体にベタベタと張り付き、苦しいやら痛いやら気持ち悪いやらで、エレベーターの中では一言も発することができなかった。ランサーは黙って私の背中を軽くさすってくれていた。そのおかげもあって、部屋の前にたどり着く頃には呼吸が落ち着いてきた。
改めて見ると、見事な濡れ鼠っぷり。まるで服を着たまま水浴びでもしたようだ。お互い顔を見合わせると、どちらともなく笑いがこぼれた。身体から滴り落ちる水滴で、コンクリートの床には小さな水たまりが出来ており、流石にこのまま部屋に入るのは憚られた。
「いやあ、こりゃひでえ」
ランサーはうんざりした表情で言った。同時に頭をぶるぶると振り、水滴が辺りに飛び散る。私もそれを避けつつ、髪や服を絞る。
「びっしょびしょ……。野生の勘、外れちゃったね」
「悪い、オレの感覚でなら間に合ってたんだが」
「私のペースは考慮していなかったと」
「まあ、そうなるな」
ランサーは少しすまなさそうに笑った。私はふと、ずぶ濡れのランサーに違和感を覚えた。サーヴァントが濡れている姿というのは珍しいような。
「ランサーは霊体化すればよかったんじゃ」
「あー。まあ……そう言われりゃそうだな」
「言われりゃって……」
「いいじゃねえか。たまにはこういうのも悪かねえだろ。それに、お前一人を濡らして平気で帰れるほどオレは薄情な男じゃねえよ」
存外に優しい返答に少し驚く。「気付いたならもっと早く言えよ」などと言われるかと思った。
「それに、水も滴るいい男ってな」
ランサーは下りた前髪をかき上げてニヤリと笑う。濡れて乱れた髪のせいか妙に色っぽく見えた。思わず視線をそらすとイヤリングが目に入る。イヤリングから滴り落ち、鎖骨を伝って胸元へと流れていく水滴に視線を誘われ、Tシャツが濡れ透けて露わになった筋肉の凹凸に思わず目を奪われた。恥ずかしいからと視線を逸らした先で、もっと大きな落とし穴にはまってしまった気分だった。さらにランサーがTシャツをめくり上げて裾をぎゅっと絞る。その下からちらりと見える引き締まった腹筋も異様に艶めかしく見えて、思わず生唾を飲み込んでしまった。
学生の頃、雨の日になるとはしゃいでいた男子を内心バカにしていたけど、目の前の光景に「なるほどこれは……」という言葉が浮かんだ。何が「なるほど」だ。何を考えているんだ私は。やましい気持ちを振り払うようにフルフルと頭を振った。
「どうした? 顔が赤いぞ。……もしかして、興奮したか?」
「ち、違う! 水滴、払っただけだもん。ほら、さっさと中入るよ」
ささやかな下心を見透かされたのが悔しくて、ランサーから買い物袋をふんだくり、返事を待たずにそそくさと部屋に入った。
*
部屋に上がり、エアコンを冷房から除湿に切り替えた。ひときわ冷たい風が生乾きの肌を撫でる。買ってきたものを冷蔵庫にしまい、タオルを取りに脱衣所へ。ちょうどランサーもやってきたので、大きめのバスタオルを手渡した。私はTシャツとショートパンツという軽装だったので、服はそのままにフェイスタオルで身体をサッと拭いた。
「依久乃、こっち向け。髪、拭いてやるよ」
言うやいなやランサーは自分の身体を拭いたバスタオルをばっと私にかぶせ、わしゃわしゃと乱雑に髪を拭いてきた。かき乱された自分の髪が顔に当たるのがくすぐったくてぎゅっと目を閉じる。お世辞にも丁寧な手つきとは言えないけど、大きな手で頭を包まれるのは存外に心地よかった。
しばらくされるがままに頭をゆらゆらと揺らしていると、ランサーの手の動きがぴたりと止まった。恐る恐る目を開けると、至近距離にランサーの顔があり、次の瞬間、唇に何か柔らかいものが触れる。すぐにキスされたのだと気付いた。
ふと、結婚式の誓いのキスってこんな感じなのだろうか、などと考えてしまった。バスタオルをヴェールに見立てた所で、ここは古マンションの狭い脱衣所だ。あまりにも風情に欠ける。それにランサーが今の文化を知ってるわけがない。自分の発想の滑稽さに恥ずかしくなり、唇を離す。
「なんだ、もう終わりか」
「……お風呂沸かさなきゃ」
顔が熱い。照れ隠しに頭を覆っていたバスタオルをかぶり、そのままそっぽを向いて風呂場のドアを開けた。湯船の横にしゃがみこみ、水とお湯の蛇口をそれぞれ緩め温度調整をする。適当な温度になったらあとは蓋を閉めて放っておけばいいのだけど、なんとなくお湯が貯まるのをぼうっと眺めていた。全力疾走をして疲れたせいか頭が上手く働かない。働かないくせに、先ほどのキスのことや部屋の前で見たランサーの姿ばかりが脳裏にちらつく。やましいことは立派に焼き付ける自分の頭に辟易していると、脱衣所の方から衣擦れの音が聞こえた。釣られて振り向くと、ランサーが服を脱いでいて、またどきりとしてしまう。
「ま、まだ沸かないよ?」
「いや、濡れたままだと気持ち悪くてな」
「そう。脱いだ服ちゃんと洗濯機に入れてね」
すぐさまバスタオルで顔を隠し、できるだけなんとも思っていないという風に声音を取り繕う。視線は必死に揺れる水面を見つめていた。波立つ水面に顔は映らないけど、多分、赤い。ランサーの裸くらい、いつもなら全然平気なのに、今日はどうしたってくらい悩ましげに見えてしまう。
「依久乃は脱がねえのか」
「お風呂入るときに脱ぐよ」
「濡れたままでいると冷えるぞ」
「これ、結構あったかいし大丈夫……ひゃ、何するの!」
ランサーにバスタオルを取り上げられた。湿った服が空気に触れ、身体から熱が奪われる。エアコンの冷たい空気が、いつの間にか脱衣所にまで満ちていて、思わず「寒っ」と呟いてしまった。
「ほら、いいからさっさと脱いじまえよ」
そう言うランサーは既にパンツ一丁になっていた。確かにランサーの言う通り、濡れていると熱を奪われるから、脱いだ方が温かいのだけど、今ランサーの前で脱ぐと、何か色々まずい気がする。
「やだ。絶対えっちなことするでしょ、ランサー」
「ああ? それを言うなら、今のお前の格好の方がずっと『えっち』だぞ」
「え?あ……」
自分の身体を見下ろすと、濡れたTシャツにがっつりと下着が透けて見えていた。咄嗟に両腕で胸元を隠したけど、今更だった。二人して雨に濡れたから当然といえば当然だ。
「おいおい、マジで気付いてなかったのかよ……」
「もっと早く言ってよ!! っていうかバスタオル返して」
バスタオルを奪い返そうとランサーに詰め寄ると、その勢いを利用され、腕の中に引き込まれてしまった。濡れた服越しにランサーの体温が生ぬるく伝わってくる。
「観念しろ。いい加減、風邪引くぞ」
「や、まって、離して」
濡れた服と肌の感触に、自分の中で何かが耐えられなくなる気がして、ランサーの身体を押し返そうとする。けれど、片手で背中をがっちりホールドされてビクともしない。ランサーはその隙にもう片方の手でブラジャーのホックを外す。
「ちょっとやめて。ちゃんと自分で脱ぐから」
「駄目だ」
首筋に顔を埋められて、息がくすぐったい。そのうち、Tシャツとショートパンツ、それぞれに手を入れられる。これ、脱がそうとしているんじゃなくてただのセクハラじゃないか。必死に抵抗するも、ランサーの手つきに身体が反応してしまい、次第に力が入らなくなる。
「ね、もう、お願い、やめて」
「無防備な女には、お仕置きが必要だろ」
「やだ、こんなとこで、余計に冷えちゃう」
「……そうだな。このままオレと風呂に入るなら離してやる」
「わ、わかった、一緒に入るから、離して」
「いい子だ」
ランサーはニヤリと笑い、キスをすると同時に一瞬だけ舌を口に滑り込ませてから腕を解いた。その焦らすような唇の感触に名残惜しさを感じながら、フラフラと脱衣所の壁にもたれかかった。乱れた息を整えながら理性を固く結び直す。一緒にお風呂に入るくらい、別に、なんともないんだから。何かとてつもない罠にはまっていて、もうとっくに抜け出せなくなっているような気がしなくもないけど、なんとか、なる。なるんだから。
*
はめられた。こんなはずじゃなかったのに。私は今、何故かランサーと一緒に湯船に浸かっている。しかも、背中から抱きかかえられるような体勢で。本当は今すぐ上がりたいのに、がっしり掴まれて身動きが取れない。
本当に、うちの湯船は狭い。少なくとも大人二人が浸かれる広さじゃない。だから私は交互に浸かるつもりだった。ランサーが先に湯船に足を入れたので、私は身体でも洗おうとシャワーを手に取ると、その手首を捕まれ引っ張られた。
「ちょ、何してるの、まさか」
「一緒に入るんだろ」
「いやいや、それは無理」
「大丈夫だって」
「大丈夫じゃない。狭いから」
「いけるいける」
「お湯溢れちゃうってば」
「んなこと気にすんなよ」
「気にする! もったいないって」
私は必死に抵抗した。しかし攻防の末に私が足を滑らせてそのまま倒れこみ、それをランサーが抱き止める形になり、そのまま文字通り湯船にはめられてしまったのだった。確かに二人で浸かるのは無理ではなかったけど、お湯は大部分が溢れてしまったし、実際かなり窮屈だ。無理やり引き入れた当の本人も「思ったより狭いな」などとのたまっている。
「……だから言ったじゃん、狭いって」
私は眉間にしわを寄せて、嵩が増えた水面に口をつけて息をぶくぶくさせた。ランサーは軽く笑いながら、宥めるように私の頭をぽんぽんと叩く。一度に大量のお湯が流れた排水口の奥で、ごぽぽ、と空気が動く音がした。
「入れたんだから、いいじゃねえか」
「よくない。狭いし、びっくりしたし、お湯も溢れたし」
「そりゃあ悪かった」
「そうまでして一緒に浸かりたかった?」
「まあ、な。でも、こうしてるとあったけえだろ?」
ランサーは落ち着いた声音でそう言って、後ろから回した腕の力を少し強めた。何か、いいようにはぐらかされた気もするけど、確かに温かい。お湯だけでも十分温かいけど、ランサーの身体もしっかりと熱を持っていて、私の冷えた肌に熱を伝えてくる。
「まあ、そりゃあ……あったかい、けど」
それにしたって無理やりはないでしょ。そう言いたかったけど、ほどよい温かさに怒りがゆるみ、わざわざ口に出して抗議する気分ではなくなっていた。弛緩した筋肉はほどよい弾力があり、密着しているとなかなかに心地がよかった。しかし、やはり少し気恥ずかしく、私はまたお湯に口をつけてぶくぶくさせた。
それからランサーは、意外にも何もしてこなかった。時折腕の力を強めたりはするが、それ以上は私の身体に触れたりせず、寄り添うようにしていた。しかしその心地よさに安心しかけたその時、ランサーはおもむろに首筋に顔を寄せキスを落としてきた。ちゅ、という音が浴室内に反響して、ひときわいやらしい。身をよじろうとするも時既に遅し。私を囲う腕には既に強い力が込められていた。ふいに、耳を横から甘噛みされる。軟骨に歯の当たる何とも言えない感触と、かすかに吹きかかる吐息に、身体が跳ねる。
「なあ、依久乃。このままここでしちまおうぜ」
耳元で低く囁かれる。欲を孕んだその声は、鼓膜から全身に行き渡り甘い痺れをもたらした。お腹の奥が、微かに疼く。
「……嫌か?」
ランサーは追い打ちをかけるように、今度は普段の粗野さからは想像もできないほどの甘えた声で誘う。入る前に結び直した私の理性は、とうにゆるみ切っていた。観念して本音を言えば、いますぐこの誘惑に身を委ねてしまいたい。けれど、私にはこの誘いに乗るわけにはいかない理由があった。さっきからずっと頭の片隅で私の理性を押しとどめている存在がある。それは洗濯物だ。服やタオルを濡れたまま長く放置すれば、悲惨なことになる。この季節は特に。雰囲気に流されそうな浅ましい自分を叱咤し、強い意志でぴしゃりと断った。
「ダメ!」
「なんでだよ。つれねえな」
「洗濯しなきゃだから」
「……あー、それなら仕方ねえな」
意外にもランサーすんなりと引き下がった。しかし盛大にため息をつき、私の肩に頭をもたげ全身で残念アピールをしてきた。視界の端に映った青い頭には、何故かしゅんとなって垂れ下がった犬の耳が見えた気がした。
「あのさ、もう少しだけなら……このままくっついてていいよ」
少し強く言いすぎただろうか。そんな罪悪感から、私はつい飴をあげてしまった。我ながら甘いなと思う。だけど結局のところ、離れがたいのは私も同じなのだ。
ランサーは嬉しかったのか、苦しいくらいに腕の力を強め、首筋に頭をすり寄せて来た。まるで犬がじゃれているみたいで、少しかわいいなと思う。とは言え首筋に触れる髪の毛がくすぐったい。なんとか身をよじって振り返ると、至近距離で目が合い思わず怯む。その隙に唇を奪われた。油断したところに噛み付かれ、可愛い犬はその実、獰猛な獣なのだと思い知らされる。
「だから、ダメ、だって」
「もう少しだけなら、いいんだろ」
「やだ、まって、ねえ」
逃げようと唇を離しても狭い浴槽の中ではすぐに追いつかれてしまう。その獣はもはや完全に雄の目をしていた。捕まって口の中を舐められる度に身体に電流が走り、鋭い視線に射抜かれ、理性が焼き切れそうになる。私はそれに必死に抗い、無理やり顔を逸らした。今度こそ私が拒絶したと思ったのか、ランサーの腕の力が緩んだ。しかし、私は拒絶したいわけではなく、とにかく発言の機会が欲しいだけだった。
「っ、はぁ……おねがい、だから、つづきは……ベッドで……」
誤解を解きたいのに、呼吸が乱れて上手く言葉を紡げず、漸く吐き出せたのは最低限の言葉だった。お願いだから。続きをするなら、やるべきことが終わってからちゃんとベッドでしよう。そう伝えたかったのだけど、いいおわってから言葉選びを盛大に誤ったことに気付く。これでは続きをせがんでいるように聞こえてしまうじゃないか。
慌てて訂正しようと息を整える前に、ランサーが勢いよく立ち上がった。同時に私も腕を引っ張り上げられ、立たされる。すっかりかさの減ってしまったお湯が足元でちゃぷちゃぷと波を立てて揺れた。
そのままくるりと向きを変えられ唇を塞がれる。さっきよりも深く、長く、ねっとりと、漏れる息すら閉じ込めるように。後頭部と腰にはしっかりと手が回されていて、今度こそ完全に、逃れることができない。本当にこのままここで始まってしまうのだろうか。触れ合った場所がやたらと熱く感じて、またお腹の奥がきゅうと疼く。絡み合う舌の感触に頭の奥がじんじんと痺れ、必死に抵抗する理性が溶かされそうになった時、ランサーは驚くほど呆気なく唇を離した。
急に解放され、意図が読めずに混乱するも、私はもうフラフラだった。呼吸は乱れ、表情が弛緩しきっているのを感じる。たぶん今とても情けない顔になっているんだろう。ギリギリ残った理性で、口端から垂れている涎を拭ったけど、もう腰はとっくに砕けていて、たぶん今身体を離されると一人で立つことすらできない。ひどい男だ。こんなになってから唇を離すなんて。精一杯の抵抗を込めて、ランサーを睨みつけたが、彼はそんな私の様子を見て、意地の悪い笑みを浮かべていた。
「なら、さっさと上がらないとな」
ランサーはフラフラの私をひょいと横抱きにして、そのまま浴室から出てしまった。そして脱衣所にあった新しいバスタオルで私を包んで、そのまま部屋へ。エアコンのひんやりとした空気が身体を撫で、身をすくめる。互いの身体から垂れた水滴が床を濡らしていく。
「まって、ランサー……せん、たく……」
「終わったら、まとめて洗えばいいだろ」
ランサーはまた私の唇に噛み付いた。やはり、このままベッドまで連れて行かれるのだろうか。ああでも、どうせシーツも濡れてしまうのなら洗濯は後からでもいいのかもしれない。度重なるキスで酸素不足なのか、ぼんやりとした頭はもうこの状況から逃れる術を思いついてくれなかった。
「本当は、夜まで我慢しようと思ったんだがな。お前があんまり無防備なんで、無理だったわ」
ベッドに私を組み敷いた獣は、獰猛な表情で笑う。雨はまだ降り続いていて、薄暗い部屋に浮かぶ白い肌と肩から降りた長い髪がやたらと扇情的だ。濡れたままの肢体から、雨のように水滴が滴り落ちる。その刹那、閃光が闇を裂き、赤い瞳が鋭く光った。
首筋に噛み付かれ、逃げるように顔を逸らすと、窓の外の景色が目に入った。分厚い鈍色の雨雲の西の終わりに覗く真っ赤な夕陽。それはまるで雨雲に「早く沈め」と押しやられているようで、降り注ぐ快楽になすすべ無く追いやられる私の理性を表しているようでもあった。
───ああ、この雨は。一体、いつになったら止むんだろう。
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