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美し国から来たる司書


帝国図書館の司書の元に、再び招魂研究の依頼が来た。
「……今回は、誰?」
奇跡的に梶井基次郎の招魂には成功したものの、坪内逍遥、有島武郎、川端康成、正宗白鳥、井伏鱒二、徳永直の招魂には悉く失敗した「運のない」司書にまたやれというのか、と呆れながら助手にしていた永井荷風から資料を受け取った。
「二葉亭四迷……僕より、森先生とかの余裕派の面々の方が詳しいと思うけどね」
「……確か、『くたばってしまえ』の人?」
司書が図書館の中で一番の信頼を置く永井荷風と森鴎外の作品は彼らの自分に対する信頼に報いねばと思って最近いくつか読んでいるものの、そこまで文学に触れて来なかった司書にいきなり文豪たちの多くの名作は辛く、永井から「3分でわかる日本文学作品」のシリーズ本があることを教えてもらって後にこっそり毎日自室で読んでいてようやくある程度の知識は身に付いてきたところである。
「二葉亭四迷」の筆名は「くたばってしまえ」から来ている、というのも前回の坪内逍遥の招魂の際に事前学習として余裕派から教えてもらった知識だった。
「そうだね、そして彼は特にロシア文学に造詣が深い」
「デビュー作は坪内逍遥先生の名前を借りて出版した……」
「よし、じゃあ今回は誰を最初の潜書者にする?森先生?夏目先生?他には……」
永井が司書に二葉亭四迷と関係があった文豪の名前を挙げていく途中、
「はい」
と、司書は永井に金の栞と限界量のインクを渡した。
「……ん?これはどういうことかな?」
「このまま梶井基次郎先生のご縁に……!!!」
「えーっ!また僕が行くのかい??」
「運がない」と言われ続けて来た司書の元に奇跡的に梶井基次郎を呼んだのは永井だったため、司書は今回もその永井の強運に頼って二葉亭四迷を呼ぶつもりなのだろう。
……と、永井はすぐに察する。
「お願いします!!!あとで信玄餅取り寄せますんで!!!!!!」
「信玄餅アイスも付けてくれ」
「分かりました!!!二葉亭四迷さん呼んだら付けます!!!」
――ヤケクソだな……。
永井は「分かったよ」と承諾する。
「ありがとうございます!」
司書は、永井に深々と一礼してから共に潜書の部屋に行った。
「さて……いつもと違う時間が出たら、調速機を使っても構わないよ」
「分かりました、ご武運を」
「文学の真髄のもう一つは、実験的な勇気だ」
「『此方と彼方を結ぶもの、其は縁という見えぬもの。魂と肉体を結ぶもの、其は愛という見えぬもの。文字と文学を結ぶもの、其は人間という見えるもの。』」
司書がいつも通りの錬成陣と呪文を唱えて永井を送り出した後、ふっと永井がどれくらいの距離にまで行ったかの目安になる置時計を有魂書の上に置く。
「……4時間……4分……?」
――見たことない時間だ。
司書は慌てて調速機を取りに行く。
司書室に戻る途中、森鴎外とバッタリ会った。
「おや、どうしたのかな」
「調速機どこに置いたか覚えてません?」
「それならば戸棚にあるだろう。……君の部屋は坂口君並みには汚くないはずだが」
「たくさん使わないんですよ!普段は!」
「ああ、そうだった。ところで永井君は……潜書中かな?」
「見たことない時間が出たから、早く帰って来てもらおうと思って……森先生も来ます?」
「ほう……見せてもらおうか」
調速機を見つけると、司書は鴎外と共に潜書の部屋に戻った。
「『時よ、汝はいかにも美しい』」
調速機を錬成陣の中心に置いて呪文を唱えると、永井は初めて見る文豪を連れて来ていた。
「……捕まえるのに……苦労したよ……」
「俺は坪内雄蔵……」
「うわーーーっ!!!信玄餅アイスも確定だーーーーーー!!!」
感動のあまり名乗りが終わる前に司書は思わず二葉亭四迷に抱きついた。
「信玄餅……アイス……?」
「来てくれてありがとうございます!!!ありがとうございます、二葉亭四迷さん!!!」
「な、何がなんだかよく分からない……逍遥さん!……逍遙さんはいるのか?」
「ごめんなさい、いませーーーーん!!!」
二葉亭四迷との出会いは、こういったものだった。

******

「ふふっ、檸檬爆弾……」
梶井基次郎の『檸檬』を読んで彼の誕生日には檸檬グッズを贈ろうと梶井の誕生日の欄に印を付けていたら、
「司書殿、どうやら僕へのご褒美の信玄餅と信玄餅アイスが存外みんなに好評なようだよ」
「誤発注分は……無事消化できそう?」
「そもそもなんで誤発注するのかな……」
「分からない……信玄餅とアイスの4セットのつもりが桁を間違えて40セットになってたの……」
自分、二葉亭四迷を呼んだ功労者の永井、その顛末の目撃者の鴎外、そして来てくれた二葉亭四迷だけのつもりだったのに、入力の際のミスの誤発注で全員に配れる量が届いてしまった。
「……まぁ、今度もし新しい招魂の研究があってその対象の文豪を呼べたら……今度は赤福でお願いするよ」
「はいはい、赤福ね……私はへんば餅の方が皆さんの味覚に合うと思うんですけど……」
「何事も実験的な試みは大事だよ」
「赤福かぁ……三重に所縁のある梶井さんとか乱歩さんなら絶対食べたことあるでしょ……」
「徳田君が『食べてみたい』と言っていたよ」
「そんなの頼むしかないでしょ!!!」
司書が最初に縁を結んだ佐藤春夫に次いで長く世話になっている徳田秋声には殊の外甘いのを図書館の全員が知っていた。
司書は、彼が時々見せる嬉しそうな表情が好きで好きで仕方なかった。
……決して恋愛感情ではなく、今世で巡り会えた新たな「友人」として。
永井とは浮世絵や西洋絵画論、鴎外とはドイツの話、漱石とは甘味の話、子規からは俳句の指導……。
「おいおい、これはまた近年稀に見るハイレベルな俳句だなぁ」
俳句のルールを知らずに季語を3つも使っていて子規に大笑いされたのは、よい思い出だ。
その他にも、日替わりで助手にする文豪たちからには色々なことを教わっている。
(なお、坂口安吾が助手の時は部屋が更に混沌としてしまって次の泉鏡花に怒られた)
「……そうだ、今から二葉亭さんを助手にしよう」
「いいんじゃないかな、彼からはロシアの話が聞けるかもしれないよ」
「じゃあそうする。……ボルシチとピロシキと白樺しか分からない人でも怒らないかな……」
「司書殿、絶対もっと知ってるだろう」
「えー……大黒屋光太夫とか……」
「やっぱり三重がらみ!」
「てこね寿司は、トテモオイシイ……」
「分かった分かった!来るように言っておくから……!」
「あっ、永井先生ありがとうございます」
「それと、来月購入する本の確認は今日中に」
「はーい」
「それじゃあ、呼んで来るよ」
永井が部屋を出てから、司書は作業に集中する。
……といっても、この作業は形式的なものだが。
日本で出版された書籍及びCD、DVD等の出版物は基本すべからくこの帝国図書館に納品されることになっているし、各国の洋書も最近入りつつある。
永井や鴎外、漱石など外国文学に造詣の深いものは大喜びしていたが、外国語はサッパリな司書は、彼らのプレゼンテーションを聞くことしかできなかった。
「一回試しにシェイクスピアとか呼んでみる?」
結局それは失敗に終わったのだが、呼べたら呼べたで苦労したであろうから……これでよかったのかもしれない。
「あれっ、この本確か半年前に納本されていたはず……」
「司書殿、お呼びかな」
確認の為の連絡をしようと席を立って部屋を出ようとした瞬間、二葉亭四迷が部屋に入って来た。
「あっ、二葉亭先生!……えっとー……チャオ!……じゃないな、これはイタリア語……うーん……」
「ズドラーストヴィチェ、だな」
「いい声……」
元々低い声が好きな司書にとって、二葉亭四迷の声は「ストライク中のストライク」と言えるものだった。
「はっはっは、心の声が出てるぞ司書殿」
「……!!!」
「まぁ……ロシア語を気に入ってくれたなら……それに越したことはないが」
「あっ、ごめんなさい……ドストエフスキーもプーシキンもトルストイも読んだことないロシア初心者です……」
確かドストエフスキーの『罪と罰』は漫画、トルストイの『戦争と平和』はDVDで作品を知ったのだった。
それで「読んだ」はないだろう、と。
「ほう……」
「やっぱりいい声……」
再度その言葉を呟いた司書に、
「もしかして司書殿は……ロシア語を勉強したいのかな?」
と、わざとらしく耳元で二葉亭四迷は囁く。
「……っっつ!!!」
司書は、思わず腰が抜けて床にへたり込んでしまう。
「面白い人だ……あなたは」
「ごめんなさい、私二葉亭四迷先生の声が本当にダメかもしれない……」
「声とは……また意外なところに」
「ちょ……ちょっと用事あるんで、この部屋で待っててください」
司書は「ここにいてはいけない」と本能的に思って慌てて立ち上がる。
「あっ……司書殿!」
「行ってきます!!!」
二葉亭四迷は何かロシア語で言っていたが、司書はなりふり構わず部屋を出た……。

「――よかった……」
館長に確認してもらって、案の定件の本は既に蔵書されていたため購入は取り消された。
「――それにしても、なぜこのような事が……今までなかったはずなのに」
司書は、確認のためにその本を確認しに行く。
「あ、あった……しかし取れない!!」
配架されている場所が高くて少し取りにくいのを飛び上がったりして試行錯誤していると、
「――大丈夫か?そんな時は言ってくれていいんだぜ?」
菊池寛が件の本を取って司書に渡してくれた。
「ありがとうございます。少し確認したくて……」
流れ作業でスッと本を開くと、その本には何も書いてなかった。
「……あれ?」
「おい、この本……!!」
「え、でもこの人はまだ存命して……」
次の瞬間、本が眩い光を発し始めて司書の視界を覆った。

******

一面の白い雪景色。
寒い、寒い。
とても、寒い。
沈まない太陽。
それが私を悩ませる。
どうか私を眠らせて。
私が元気になるまでは。
どうか私を起こして。
私があなたの……。

そこで、司書は目が覚めた。
「あなたの……何?」
「――司書殿、目が覚めたか」
「ん?森先生……?」
「……となると、あの本の浄化は成功したということだな」
「あの本……」
「――館長に見てもらったら、あれは意図的に有碍書にしたものらしい。……そんなことできるのは、伝説レベルの錬金術師くらいしかいないそうだがな」
「浄化……って、森先生の代わりに誰が潜書したんですか?佐藤先生?」
「……いいや、長谷川君だ」
「いや、誰やねん」
思わず織田作之助仕込みのツッコミをしてしまった司書は、ハッとしてから考え込む。
「長谷川……マジで思い浮かばない……」
「君の今の助手は?」
「え?二葉亭四迷先生ですけど」
「――そういうことだ」
「そういうことだ……って言われても……」
司書は、鴎外から忖度するように促されてもよく分からなかった。
「そろそろ戻ってくるだろうから、私は失礼する。そうだ、君が取り寄せた信玄餅……とても美味しかった」
「永井先生、今度は赤福がいいそうです……」
「――ほう。ならば伊良子清白君でも呼ぶのかな?」
「さ、さあ……確かに彼は三重ゆかりの詩人だって白秋先生から教えてもらいましたけど……」
「このままだと、門野幾之進君まで呼びそうだな」
「彼は教師とか実業家じゃないですか?」
「おや、そうだったな」
鴎外は軽快な笑い声をあげながら部屋を出て行った。
それと入れ替わりに、二葉亭四迷が部屋に入って来た。
「司書殿!!」
「あ……二葉亭先生……」
「よかった……あなたが無事で」
二葉亭四迷は安心したような表情を見る。
「もしかして、『長谷川君』って……」
「……俺の本名がどうかしたか?」
――そういうことですか!
鴎外の意図をようやく理解した司書は、軽く頭を抱え込んだ。
「潜書お疲れ様です……」
「構わない、あなたのためなら……」
「私のためなら……?」
「――『死んでも可いわ』」
「はいぃ??」
「……もう少し、あなたは色々勉強した方がいいだろうな」
「……あ、あはは……」
「さあ、まだ疲れているだろうから眠るといい。……不眠は万病の原因だ。ドーブライノーチ……おやすみ」
二葉亭四迷に優しく頭を撫でられた後、司書は再び眠りに落ちて行った……。
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