09. 本能
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日暮れのために傾きかけた夕陽が、とても綺麗な空を作りだす。
市中で重丸を見つけた斎藤が、彼と共に猫を探すことになったのは、数刻前の出来事。
これは合流した茜凪と共に、三人で猫を探す後半戦に出たときのお話。
第九片
本能
茶屋を出たところで斎藤と茜凪、そして重丸は再び橋の近くにある茂みに来ていた。ここは、昼時に重丸が猫を取り逃がした場所である。
「やっぱり最初に見かけた場所から、行動範囲は広くないと思うんや!」
「うむ、一理ある」
「せやろぉ!よーし、今度こそちゃんと捕まえてやんからなぁ!」
茶そばを食べて元気になったからか、重丸は一人声を高らかにして茂みの中を捜索し始める。
そんな彼を微笑ましく思いながら、辺りを確認していくのだった。
「茜凪、あんたはそちらを頼めるか」
「は……はい……っ」
「?」
左側を探そうとしていた斎藤が、茜凪に右側を捜索するように頼み出た。視線を合わせてきっちり伝えてやったのだけれど、彼女は目を合わせた瞬間、それとなく顔を背けた。
実は、このようなやり取りは茶屋を出たあたりから続いていて、目が合っては赤面され、逸らされていた。
特にこれと言って、顔を背けられるようなことをした覚えがなかった斎藤が首を傾げるが、単にそれが彼の無自覚であることに気付いていないだけ。斎藤は疑問に思いつつも今は猫を探すのだ、と目先のことに集中したのだった。
「この辺だったんだけどなぁ……」
重丸が再び匍匐前進をするような体制で前のめりになりながら、猫の目線でそれを探す。ぶつぶつと物を言いつつも、重丸は今後の予防策を必死に作ろうとしていた。
猫などの動物だって、生きて行くために必死なのだ。魚や食べ物をどこからか手に入れないと、命を落としてしまいかねない。人間にしろ、猫にしろ、今はそんな世の中なのだ。
つまり、重丸がここで猫を追い払い、猫が彼の家に寄りつかなくなったとしても彼らはまた別の家に忍び込んでは食べ物を盗むだろう。
次の家は子供相手とは限らない。殺されてしまう可能性もある。弱肉強食のこの世でそれを言い出したらキリはないのだけれど、常に争いの中にある世とそれに巻き込まれる生き物たちが不憫でならなかったのも事実。
本来、人では考えないようなことを考えた茜凪は、己の存在が“妖”であることを強く認識していた。
「重丸くん。本当にこの辺りなのですか?」
「うん……。ここまで追ってきて、さっき取り逃がしたんだ……」
ならば、どうすればいいのかなんて目に見えていた。
きっと、帰ったら菖蒲に大目玉を喰らい、再び着物を汚した時と同様に怒鳴られ、数刻正座じゃ済まされないかもしれない。でも。
それでも。
「茜凪ねぇちゃん……?」
重丸のもとから離れ、ずっと先まで歩き続ける。適度な個所まで来れば、重丸にも斎藤にも気取られないと思っていた。いや、願っていた。
それは、いつかの野良犬が狛神に向かって牙を剥いた日……意図も容易く静まらせた力と同じ。
「―――出てきてください」
重丸と、斎藤の頬を風が通り抜ける。
夕陽が先に見えるこの場所からは、茜凪がまるで光の使者のように見えた。
風が着物の裾を流して、短い茶色の髪も揺れる。
しばらく風が流れたままの時が続き、茜凪は茂みの中から見えたある個所を目指して歩き始めた。
翡翠の瞳は陽に反射したからではなく、確実に茜色だった。
「みゃー」
「こんばんは」
茂みを掻き分ける前に、猫の方から茜凪の前に姿を現した。
白い毛並みに、斑模様。間違いない、この猫であろう。
「私のお話、少し聞いていただけますか?」
「みゃー……」
「……ありがとうございます」
背後からゆっくり重丸と、斎藤が近付いてくる気配がする。その前に、終わらせなければ。
距離はまだある。大丈夫なはずだ。
「ここから先の人間の世界で、貴方たちの行動に迷惑している方がいます。これ以上、食べ物を盗んだり、彼らに関わると貴方たちが危険です」
「……」
「もちろん、貴方たちが生きていくために必要なことであるのも承知しております」
「シャーッ!」
「はい。故に、私は貴方たちを別の場所へとお連れしたいと思います」
毛並みを逆立てて、反論するような猫の姿勢に、茜凪は膝をつき、なるべく視線が合うようにしゃがんでやった。
数歩下がって、これ以上近付くなと言っているような猫の態度の理由もわかっている。
「祇園の裏通りの一角に、私は住んでおります。そちらで、私に貴方たちの面倒をみさせてください」
「フシー…ッ」
「私の気配は今、覚えましたよね?これを追って、来て下さい」
「……」
「人間の世に望まずとも近しい鬼と妖と同じく、貴方たちも同類」
「……」
「せめて、同じ立場の者が命を落とさぬよう、力になりたいと思っています」
そこまで告げて、時間切れ。
背後に近付いてきた気配が、茜凪に声をかけた。
「茜凪ねぇちゃん、猫見つかったの!?」
「茜凪」
重丸は声を上げると同時に、足元にいる猫の存在を見て、“あぁあー!”と声をあげた。そのまま掴みかかりそうな勢いをみせたので、茜凪が即座に彼の腕を掴み、止める。
「重丸」
「ねぇちゃん…!?」
“くん”と付けるのも忘れ、彼の顔ではなく、猫の目を見つめたまま茜凪は告げた。
「大丈夫。きっともう貴方の家には行きません」
「え……?」
「だいじょうぶ」
何度も言い聞かせるようにして、茜凪は繰り返した。二回目からは、重丸の瞳をちゃんと見つめて告げてやった。
「で、でも……」
「みゃー…」
「あっ」
躊躇っている間に、重丸の前から茂みの奥へと姿を消した猫。追おうと思ったものの、彼の腕を掴んだままの茜凪が許さなかった。
「行っちゃった……」
夕暮れ時。
消えた猫の方角を見つめたまま、重丸は落胆する。しかし、茜凪は凛とした強い視線をそちらに向け続けた。
「(例え、私に頼らずとも……)」
――この子供のもとに、もう来ることはないだろう。
根拠の無い自信が、そう思わせていた。だから茜凪は許さなかったのだ。重丸が猫を追うことを。
「帰りましょう」
「……」
「大丈夫です、重丸くん。猫も分かってくれますよ」
「……ねぇちゃんが、そう言うなら」
彼は素直な子供だ。
茜凪の言う事を素直に聞き、落胆したままだったけれど、茂みを振り返ることなく橋の方角へと歩き出す。
静かにそれを後ろで見つめながらも、茜凪は彼に微笑んだ。
「何をしたのだ」
「ちょっとだけ、細工を」