06. 憂苦
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季節はついに皐月を迎えた。
桜が舞っていた頃よりも、更に温かみを増した五月。
本来であれば、心穏やかに過ごせる季節であるにも関わらず、この男はしかめっ面だった。
「一君?」
「なんだ」
「なんか……あったのか?」
隣に並んでいた平助が、瞬きをしつつ苦笑いで男に尋ねる。
この男……斎藤 一は、確かに常日頃から表情をうまく出す方ではない。無表情というより、常に鋭い視線を投げるような男だ。しかし、決して怒っているわけでもないし、眉間に皺が寄っていたり、誰かを睨んでいるような視線はしていない。いつもなら。
だが、今日はそうではなかったのだ。
「何故そのような事を聞く」
「いや、なんつーか……いつもと違うって言うか……」
「何も変わっておらぬ」
「そ、そうか?なんか表情怖いけど……」
「俺は元からこのような顔だ」
「いやいや、そんなことなかったって」
平助は斎藤に向けていた視線を、そのまま前へと向け直した。ここで何を言っても無駄な気がした。恐らく、こーゆー時の斎藤は無自覚であることを長い付き合いの平助は気付いていたのだ。
「すっごい苦い汁でも飲んだみたいな顔になってるって」
「飲んではおらん」
「例えの話だって。そんくらい酷い顔してるぜ」
「いや、だから俺は……!」
多少声を張ってしまい、斎藤はハッと気付いて咳払いをした。
平助は数歩前に行った状態で振り返り、溜息をつきながら彼をほっとくことにしたのだった。
「(何故……)」
なんだか、心がモヤモヤする。その原因すらもよくわかっていない。
いつから?と聞かれれば、明確に答えることが出来たけれど。
そう、日付は覚えている。あの日……総司や茜凪と共に不逞浪士を捕えた日の翌日だった。
何があったの?それも覚えている。翌日、茜凪をたまたまた祇園の近くで見つけたので声をかけたのだ。
その時から、心がモヤモヤしている。
これは、遡ること数日前のことだった。
第六片
憂苦
「楸」
「あれ、斎藤さん?」
祇園の入口付近には、鴨川が流れている。もう少し先まで行けば、三条大橋が見える場所。
ここ祇園四条の川辺に茜凪がしゃがんで何かしているのをたまたま見つけたので、斎藤は声をかけたのだ。
何をしているのかと手元を覗き込むと、彼女は川の水で冷やされた茄子やきゅうり、大根が入った籠を持っていた。水で洗い、冷やしていたというところか。
「こんばんは。お仕事お疲れ様です」
「あぁ」
丁度いいから、このまま菖蒲の料亭で夕餉を食べてから衛士のもとへと戻ろうと思い、そのまま彼女が川辺から上がってくるのを見つめていた。
「あ、もしかして寄って行かれますか?」
「あぁ、そのつもりだ」
「よかった!今日、新鮮なお魚を烏丸と狛神が釣って来たので、きっと美味しいですよ」
変わらない笑顔を向けてくれることに、心の臓の奥が跳ねた気がする。
あの日……屯所に茜凪が沖田と共に連行されてから会っていなかった為、数日ぶりの再会となる。五月に入り、そろそろ屯所を出てから初めて土方のもとに報告に行かなければならないと思っていたので、あの日の事情をきちんと把握しておきたかった。
斎藤は無自覚だったが、これが事の発端だった。
「ただいま戻りました」
「おかえり。茄子、冷えてた?」
「大丈夫でしたよ」
「そう。あ、いらっしゃい。斎藤さん」
茜凪が勝手場に入り、菖蒲に冷やしてきた茄子や大根、きゅうりなどを手渡す。
よく慣れたものであり、たすき掛けして着物の袖をあげていた茜凪がそれを優雅な動きで解いていく。そのまま着物の裾を少し叩いてから、斎藤の所まで戻ってきた。
菖蒲が斎藤に気付き、挨拶をしてきたので短く返せば、茜凪が彼を席へと促した。
「お酒、飲んで行かれます?」
「いや、今日はいい」
「わかりました。今、お茶とってきますね」
忙しなさそうに動く彼女に、菖蒲が“あんたも夕餉済ませたら?”と奥から声が飛んできた。菖蒲が気を利かせてくれているのだろう。更にその奥から、何か言っている声が聞こえたが聞きとれなかった。
斎藤が首だけそちらに向けていたところで、背後から階段を下りる音が響く。足音の主を確認しようと振り返れば、眠たそうに欠伸をした狛神だった。
「ん……? 一、来てたのか」
「あぁ、邪魔をする」
「別に構わねえよ」
未だに夕餉を食えというやりとりが続いていたようで、会話の内容を聞いた狛神が“俺様も食うか”なんて言いながら勝手場の奥にあった小鉢をいくつか持ってきた。一つは斎藤に渡し、箸を取り出す。
そこに茜凪が戻ってきたので、彼女は座ろうと思っていた席に狛神がいることに目をパチパチしていた。
「狛神、起きてたんですね」
「今さっきな」
「お茶、足りなくなりましたね」
茜凪も結局、斎藤と夕餉を摂るらしく手に抱えていた湯のみは二つだった。視線を下げてから、湯のみを二人の前に静かに置いて、彼女は再び勝手場の奥へと去っていく。
「いいって、自分でやるから」
狛神が腰をあげつつ、彼女を追うところだったが“いいです”と大きな声で帰って来たので狛神は鼻で息を吐いてから、もう一度斎藤の隣に腰かけたのだった。
「アイツもちょっとは休んでりゃいいのに」
「そうだな。忙しなく動いているように見える」
「菖蒲がコキ使いすぎなんだよ。俺様たちは妖なんだ、人間に付き合う義理もねーんだしさ」
「そう言いつつ、あんたも彼女に手を貸しているではないか」
「それは……」
要は、狛神も茜凪もお人好しということか。
狛神に至っては、こう見えて結構なお人好しだろう。言動や態度が色々と誤解を招くが、過去に過った彼の純粋な心は今もまだどこかにあるのだ。
まして狛神は菖蒲を好んでいるようには見えない。彼がここに在るのは、菖蒲の為というより、ここに集っている妖の仲間の為とも見えた。
「そういうお前は何で俺達と懇意にするわけ?」
「俺が?」
「そ。茜凪と仲良いだろ」
「仲が良いと言えるほどではないと思うが……」
確かに、身近な女子の中では最もよく話し、接点を持ってはいるだろう。
土方が命を下した関係もあると思うが、良き話相手だとは思っている。
御陵衛士でもなく、新選組でもなく、“斎藤 一”という男を受け入れてくれているからだろう。
だが、命令が無い状態で彼女が己の傍にいたかは分からないし、交友関係を築けたかと聞かれても疑問だ。
「でもお前、アイツにちゃんと会いに来てるだろ。それって何で?」
「それは……」
ほっとくと、恐らく毎日と言うほど林の木の上で斎藤の様子を確認しに来て、木から落ちて怪我が増えたり、彼が現れる場所で待ち伏せをしたり、斎藤の身に怪我がないかどうかなどを心配するんじゃないかと思ったからだ。
“斎藤さん!斎藤さん!”と背を追って来て、何かにつけて笑顔を向けてくれる彼女に無茶をさせたくない、というより怪我をさせたくない、心配させたくないし、したくないと思っていたのは本当のところ。
「もしかして、お前……――」
狛神の問いに答えを考えてつつ、茜凪が運んできたお茶を口にした。
千鶴には負けたが、渋くもなく、飲みやすい程度の濃さ。合格といったところ。
だが、狛神の言葉と茜凪が戻ってきたのは寸の秒違いで。
「逢い引きってことか?」
「ぐふッ!?」
「えっ、斎藤さん!?」
盛大にお茶を呑んで噎せ返った彼を見て、湯のみを一つ、それからお通しの温泉卵をお盆に乗せた茜凪がギョッとしている。お茶が苦いと思ったらしい。
「すみませんっ、熱すぎました?濃すぎました!?」
「い……いや……」
「ご、ごめんなさい……」