59. 愛言葉 【最終話】
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「おかえり」
朝陽が京に射し込んだ。
光が冬独特の空気を携えた地に、夏と比べて色素の薄い空が広がる。
旅立ちの朝というにはどこかしゃれていて、それでいてぴったりだと思ってしまえる朝だった。
逃げ帰るようにして祇園料亭に戻ってきた烏丸は、戸口をゆっくり開けたところで声をかけたれたのに気付き、顔をようやくあげた。
「爛……」
「ひでぇ顔だな。まるでお前がふられたみたいだ」
けらけらと笑う姿は己の兄そのものであった。
からかっているように見えて、その仕草、表情は全て烏丸を慰めているよう。
言ってることとやってることが違う、天邪鬼とはまさにこのことではないかと感じた。
「なんて言われた」
「何が」
「行ってきたんだろ? 斎藤 一のところ。朝方、出ていくのに気付いた」
「知ってたのかよ……」
「気付かれないと思ったのか? お前は隠密とかには向いてないからな」
素直で隠し事もできない、嘘もつけない。
そんな弟のことを、兄はよく知っていた。
「隠密や間者、人に隠し事をしたり、人のために嘘をつける者はお前より……そう。斎藤 一みたいな人間のことを言うんだよ」
「……」
「話したくないならいいけどよ。出立は真昼だ。準備しとけよ、凛」
別宅の階段を上り、支度を進めるためか。それだけを残して消えた兄に、烏丸は小さく……届かないことを知って、告げた。
「一だって、嘘なんてつけねぇよ……」
先程まで繰り返してきたやりとりを思い出して、泣きたくなった。
どうして人も妖も、争いを続けるのだろうか。
どうして誰よりも上に立ち、人を従えていきたいと思うのか。
統治は平和であるためにも必要なことかもしれない。
力のために戦うこと。愛する人と離れること。
理屈はわかっていても、頭で、真意で納得できないことが世の中にはたくさん転がっている。
「優しい嘘なんて、ひとつもつけないはずだ……一だって」
いくら間者に適しているといわれる斎藤でも、感情はある。
だから。
だから……――。
「それでも、行くしかないのか……」
それは、誰の望みだったのか。
誰が託した願いなのか。
何を果たすための力なのか。
新選組の行く末に、妖の戦いに身を投じる彼らの行く末には、何があるのか。
平和を願い、再び巡り会えることを信じて。
烏丸は、斎藤の嘘を届けるために歩き出した……――。
最終話
愛言葉
「茜凪」
菖蒲の手伝いをしていた茜凪に声がかかったのは、烏丸が斎藤と話を着けてから数刻後だった。
時刻は間もなく真昼に到達すると言われる頃合い。
鴨川の畔で笊を使い野菜を冷やして保存食を作る手伝いをしていたところ、背後から烏丸に呼び止められる。
真冬の川は冷たくて悴んだ手を手拭でちょうど吹き終わった頃だ。
振り返るとどこかバツが悪そうな顔して佇んでいる烏丸。
いつもより少しだけ厚めに着込んだ姿は、これから四国までの旅路につくと言われれば納得できた。
「烏丸……。もう出立ですか?」
「いや……まだだ」
どことなく歯切れが悪い答え。
なんだかこれから出される言葉にいい気がしない。
首を傾げて続きを待った。
「……お腹でも空きましたか? 昼餉はまだなので、もう少し待たないと出てきませんよ」
「いや、そうじゃなくて……」
「……じゃあ、私に何か話があるとか?」
考えても、よくわからない。
ここまで歯切れが悪く、なんだか真剣でありながらもそわそわしている彼は初めて見る。
耐え切れなくなって、距離があった彼の前まで進むと視線を逸らされた。
話がある、ということに図星なのだろう。
「……ここ、冷えますから中で話しませんか?」
「いや、ここでいい」
「え?」
「ここでいい。すぐ話す、聞いてくれ」
「……はい」
尋常じゃない気迫に負け、別宅の中に入ることすら留めてしまう。
深呼吸を大きくした烏丸の姿を見届けてから、茜凪は彼の言葉に耳を傾けた。
「茜凪。俺と爛と一緒に、烏丸の里に来てほしい」
思わず返事をすることも反応をすることも出来なくて、茜凪は烏丸の放った言葉の意味を考えながら固まってしまう。
「え?」
「頼む。事情が変わったんだ」
「進展があったということですか……?」
嘘のでまかせ。
真実を見極める眼を持つ狐に対して、どこまで通用するか。
茜凪も烏丸も妖の中では上位にくる血筋だ。
相手を征することも見破ることも難しい血を相手に力が無意識に発動されたとして、どこまでばれてしまうだろうか。
心を落ち着かせて、烏丸は答える。
「まぁ……そんなところだ。まだ確実ではないが、恐らく里でお前の力が必要になる」
「それは……詩織と絶界戦争との関係を見直す上で、ということですか……?」
「あぁ。お前の中にある些細なものでも話してもらった方が、調べられる幅が広がるだろうっていう爛からの意見だ」
「……」
まぁ、それはそうかもしれないというのが茜凪の気持ちでもあった。
というのは、詩織と対峙した時に心の中に何故か“懐かしい”と感じる気持ちがあったから。
だが、彼女が懸念し、口を噤んでいるのは彼らに反対したいからではない。
「ですが、狐である私が天狗の里に押しかけたら……」
そう。
烏丸と茜凪は例外中の例外だったが、狐と天狗は元来仲がとても悪い。
一族同士、接点を持とうとも協力しようともしない。
それは過去の歴史が起こした事件があるからなのだが、相手を化かし、謀ることを得意とする種族である彼らは似た者同士。
元から折り合いがつかぬ者なのかもしれない。
今となっては狐という妖自体が滅んだも同然であり、対峙することも少ないけれど……お互いを怨みあうような過去の歴史を持つ種族が、里に訪ねたりしたらなんて言われるか。
相棒であり、親友である烏丸やその兄である爛に迷惑がかかるのでは。と考えていた。
「それは平気だ。これから起きるかもしれない妖の戦争を思えば、里の奴らだって協力してくれる。それに俺はお前と小さい時から一緒にいるんだから、みんな茜凪を知ってるも同然だって」
鼓動が跳ねる。
ばれるか、ばれぬか。どちらだ。隠し通せるか、どうか。と。
「……事情はわかりましたが、それでは新選組の守備の方は誰に任せるのですか?」
「そこは子春に頼む。アイツらに危害がいかないよう、見ててもらう。子春だけじゃ不安なら、烏丸の部隊を子春とともに付ける」
「……」
「今はお前の春霞の本能が感じてる、詩織の情報がひとつでも多く必要なんだ。頼む、茜凪」
烏丸の意志の強さを感じる。
その強さからか、信頼しているからか、彼の言葉を見極めるための力が発動しない。無意識で探りをいれることはなかった。
だが、やはり何かおかしいのを感じているのも事実。
「一緒に来てくれ」
彼はずっと共に過ごしてきた仲間だ。裏切りなんてあるはずないし、一緒にいることがこれから続くのも謂わば自然の流れな気がする。
疑うことはしなかった。
だが、気になるからこそ直接聞いてみた。
「烏丸」
「……なんだ」
「私に隠し事、してませんよね?」
いつもの彼のふざけた場面であるならば、見抜けたかもしれない。
だが今は最初から真剣に問われ、答えを待っている姿しかない。
噛まないとしても自然であって、なんとも思わなかった。
「嘘、ついていませんよね? 本当に私の力が必要だから……突然、こんな話を持ってきたのですよね?」
「……」
もういっそ、話してしまおうか。
全て真実を。
斎藤がなんて言っていたのかも。
そうしたら烏丸がこんなに内心葛藤することもなく、茜凪に嘘をつく必要もないのに。
烏丸は一度瞼を閉じ、奥歯を噛みしめた。
ギリっと音が鳴ったことも気付かれないように。
深呼吸をして、答えた。
「ない。お前に隠し事も、嘘も、俺は何もしていない」
「……」
「お前の力が必要だから。やっぱり俺たちと一緒に妖として、天狗の里に来てほしいから……頼んでるだけだ」
―――……本当は違う。
なんて言えない。斎藤の思いを知っている。
例え後にこの嘘がばれて、茜凪の怨みを買うことになったとしても。
斎藤が言葉に出せなかった、茜凪への恋情全てが自分にかけられたと烏丸は知っていた。
「(俺だって……一のあんな顔、見たくなかった……)」
“茜凪はただの妖だ”
そう告げた時の斎藤の顔がこびりつく。
間者に適任していると誰もが認める姿。感情を押し殺し、面に出すことなく任務をこなし、仲間すら欺ける相手が最後にみせた表情。
今にも泣きそうで、辛くて耐えられそうになくて。
初めて彼を人だと思った。
その弱さは、烏丸がよく知るひ弱で、脆い人間そのものだった。
“辛い。悲しい。愛しい”が混ざった顔だった。
「茜凪」
頼む。
そう言い、茜凪を必死に遠ざけて守ろうとしている斎藤の言葉ひとつひとつに込められた思いを無駄にはしたくない。
烏丸の思いを斎藤の思いに更に込めて。
語尾が掠れそうになりながらも告げた。
「……わかりました」