58. 号哭
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慶応三年 師走も終わる年の瀬。
妖たちが夜な夜な会議を終え、お互いが知った情報を胸の内に秘めながら、陽が上り新しい一日が始まる。
この日は特に羅刹の襲撃もなく、各々が旅立ちに向けた準備を進めることができた。
再び陽が沈み―――話し合いを行ってから丸一日という時間が過ぎた頃。
時刻は再び真夜中と呼ばれるに等しい。
いや、もはや黎明が近付く頃合いだ。
狛神は数刻前、陽が沈む前に京を出て己の故郷であり、初霜の鬼を守るためにある里へと足を向けた。
目的は妖の羅刹を生み出し、羅刹の軍隊を操っていると思われる“詩織”と“絶界戦争”についての接点を探すためだった。
爛はもう少しだけ京の様子を見ると言い、狛神より一日遅く京を出ることを決めていた。弟である烏丸と一緒に。
烏丸と爛の出立まではあと半日といったところか。四国の山に着く時刻を考え、真昼に出立を決めたらしい。
そんな旅立ちを控えた中、暗闇に気配を消し、動く者がいた。
弟である、烏丸 凛だ。
「……よし」
兄の隙という隙を見つけ、祇園の料亭を抜け出した。
茜凪が寝静まっているのは先程確認したから、問題はないはず。水無月にはばれたとしてもさして揉め事にはならない。
どちらかというと水無月はこれから烏丸がしようとしていることを応援してくれるはずだ。
寒さに耐えられるように多少厚着をして、誰にも気づかれないように徐々に料亭から距離をとっていく。
向かう先はただ一つ。
伏見にある奉行所へ。
あの黒が似合う凛とした男に、全てを伝えるために。
第五十八片
号哭
伏見奉行所は、不気味なほど物音がしなかった。
薩長と小競り合いが起きていることも、いつ戦になってもおかしくない状況であることは誰もが肌で感じていた。
殺気も息を吸う音すらも、味方にですら気づかれないように音を殺す。
そんな奉行所からは音が消えても当然というべきか。
―――こなしてきた小さな任務や奉行所周辺へ偵察に出た際の報告を土方に伝え終えた斎藤は、疲れた顔をしながら廊下に立ちつくし、明ける冬の空を見つめていた。
彼方向こう側から赤みを射し、溶けだしたもののまだ残っている残雪を輝かせながら昇る太陽を感じていた。
額に巻いた鉢金の重さを、もう感じることが出来ない。
それほど肌に馴染み、そして違和感がないくらいに戦闘態勢を整えたまま一日を過ごすことが当たり前になっていた。
いつしか大坂に近藤と共に送られた沖田がいないことが当たり前になりつつあった。
ここで持ちこたえなければならないのは自分だ。
次の戦が起きるのは時間の問題。
敵も味方も争いを避けられない所まで来ているのはわかっている。
京の人間はこの争いを前に、住み慣れた京から逃げ離れる姿を多く見受ける。
まさか、この京全体を戦火に巻き込む日が来るとは……。
あの日野にあるボロ道場からはせ参じた時、誰がそんなことを思っただろうか。
思わず見惚れた光景に、雪を踏みしめて音をシャリ、ジャリと鳴らしながら斎藤は庭先へと出てみた。
山々の向こう側には光がもう溢れているのだろう。だんだん明るくなってきた。
何も言葉もないままに、そうしていた時だ。
庭先にいるのは自分だけのはずなのに、もう一つ……―――シャリ、ジャリと音を鳴らして誰かが降り立った気配。
この気配には覚えがある。
確信を持ち振り返れば、彼もまた情けなく、少しだけ切なそうに笑っている姿があった。
「よう、一。ちゃんと飯、食ってるか?」
「烏丸……」
そう、いつも彼は人に優しい。
真っ黒な服装や容姿からは想像もつかないくらい、闇からかけ離れた存在だった。
出会ってからもう一年以上の月日が流れている。
そして出会った場所も、此処。京の都であったことも忘れない。
「なんだよ、ちょっとやつれたか? 元から細っこいんだから、飯くらいちゃんと食えよな」
「何故ここにいる」
「おいおい無視か。まぁいいけどさ」
へらっとまた困ったように笑いながら、彼は頭を掻きながら斎藤に一歩、近付いた。
「お前らがちょっとばかし、心配だったからさ」
「心配?」
「ほら、爛の奴が新選組を遠ざけちまっただろ? 悪いと思ってるんだ。これでも。今までお前らを散々巻き込んできたくせに、最後の最後で何も教えないなんて」
“最後”。
その言葉がひどく斎藤の心に突き刺さる。
この痛みは一体、どこからやってくるのか。
きっと胸の奥。扉をこじ開けて溢れてしまった恋情だ。
傍に居たくて、いてほしくて堪らない、あの笑顔と声と姿を浮かべてしまう。
―――逃げるわけにはいかない。
斎藤は既に決めていた。
曖昧な境界線をきちんと線引きされて、ちゃんと己と向き直していた。
何を優先し、何を求めていくべきなのかを。
だから、こんな痛みを感じて立ち止まっているわけにはいかないのだ。
「烏丸」
「それで。昨日の話だけど、爛から聞いてきたんだ。爛に怒られることになっても、お前らにはやっぱり教えようと思ってさ」
斎藤の呼びかけは遮られた。
そのまま弾丸のように、彼に構うことなく烏丸が話を進めていく。
「小鞠を殺した女……詩織についてだけど、さ」
「……」
「どうやらアイツ、春霞の一族みたいなんだ」
「春霞……――茜凪と……」
「そ。同じ血を継いでる可能性が高い。というよりほぼ確定だ。茜凪と対等に戦ってる時点で怪しかったけれど、色々と証拠らしい証拠も挙がってきててさ」
決めたばかりの決心が揺らぎそうになる。
茜凪は今、どんな気持ちで立っているのだろうか。
泣きたいのではないだろうか。
また無理をしているのではないだろうか。
心の内に苦しみを溜め込んでいないだろうか。
誰かに伝えきれているのだろうか。
今すぐ会いにいって、きちんと聞いてやりたいと思ってしまった時点で斎藤の負けだ。己の心を欺くことなんて出来ない。
それでも、見て見ぬフリをし続けた。
「俺と爛は詩織のことをもう少し調べ上げるために、とりあえず四国に帰ることになった」
「……」
「狛神も里に戻って、情報収集に協力してくれるって話だ。アイツは既に京を出た」
「……そうか」
つまり狛神はこの後起きる戦の被害を免れたことになる。
それにはどこか安心した斎藤自身がいることに気付いていた。
「俺たちもあと半日くらいしたら……真昼頃、京を出る」
「……」
「茜凪は置いていくから、また妖の羅刹に襲われたりしたらアイツを頼ってくれ」
「―――」
そこでまた一つ、頭が冴えきったこの男はある事実に気付いてしまった。
「茜凪はさ、一の傍に居た方がアイツらしくいれると思うんだ」
「……」
「だからさ、茜凪のこと頼んだわ。アイツもきっとそれを望むから」
もし。
もし、この京が戦火に見舞われたとして。
全てを覆い尽くすくらいの戦が起きて。
幕軍が負けるつもりなんてないけれど、もし斎藤や新選組の身に危険が及んだ時。
あの娘が傍にいたら……どうなる?
死ぬか?
――いいや、茜凪はそう簡単に死なないだろう。新選組の幹部と同じくらい強い女だ。負けて死ぬなんて考えにくい。
新選組を率いて逃げるか?
――場合によってはありえるかもしれない。だが、ありえたとしても彼女はこの行動の前にきっとこうする。
――新選組のために妖としての力を使い、戦う。
盾にもなりかねない。生命力が人間よりあるんです、なんて言って平気で前に飛び出してきそうだ。
相手が刀ならばまだいい。
西洋の術式で飛んでくる銃弾だったとしたら。
盾になんてなられてみろ。後悔したってしきれない。
なにより……――。
「――……断る」
なにより、新選組の力になんてなっていいはずがない。
妖は政に関わってはいけない。
それが決まりだ。
「は……?」
「断る」
「は……、一……?」