54. 爛
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伏見稲荷大社に赴いてから、どれくらいの時間が経ったのか。
あれからも目まぐるしく続く日々の中で、茜凪は彼から与えられた言葉の意味をずっと考えていた。
“ 誰も怨むな ”
意味はわかる。
ただ、成せるかどうか。貫けるかどうかという不安の方が大きかった。
そうしている間にも、着実に魔の手は伸びて来ていた。
人間に対しては、薩長と幕軍がついに戦を始めようとしていることが目に見えていた。
あとどれくらいの時間が残されているかもわからない。京からは逃げる人の姿が多く見られていた。
一方、妖としても頭を悩ませていたのが妖の羅刹だった。
目に見える場所、そして薩長の中には妖と手を結んでいそうな空気を醸し出している者はいない。
しかし京を訪れ、たびたび夜更けに辻斬りを起こす妖の羅刹が増えていた。
尾張が落とされたのは知ってはいたけれど、まさか京にまで出て来るとは。
詩織の狙いは何なのか。
どうして茜凪を知っていて、こちら側の人間であると示唆したのかもわからないまま時間だけが過ぎていく。
決断の時は、もう目前に迫っていた。
そして差し迫って問題が起きていたのは何も未来だけの話ではない。
「クソったれ……ッ!」
「烏丸……!」
人気のなくなり始めてしまった京。
そしてそんな京の夜となれば、寝静まり音一つない世界が広がっている。
そこに音源を齎したのは金属音やら不気味な咆哮であった。
京の中心から南側に進んだ場所。西本願寺より更に下部で戦闘を繰り広げる妖達がいた。
「血ガァ……血ガホシイィ……!」
「ふざけやがって……」
最近頻発する妖の羅刹の辻斬り。斬っても斬ってもふつふつとどこからともなく現れ、また事件を起こしていく。
新選組が人間の政で手が塞がっているならば、やはり動けるのは妖である茜凪たちだけ。
無論、最初から妖の羅刹の相手は人間ではなく妖として片づけるつもりではあったが、ここまでくると誤魔化すのも厳しくなってくる。
まして今日相手にしている数はとても多かった。
羅刹の強靭な肉体とそれなりに強い妖とくれば、茜凪と烏丸、そして狛神でも苦戦を強いられるほどのものである。
「血……血ィ……」
「くそ……このままじゃ仕留め損ねるぞ……!」
「行かせません……!」
三人の攻撃をうまくかわして、更に南を目指そうとする羅刹。
この先にあるのは伏見奉行所であり、そこに詰めているのも誰だかわかっている。何より羅刹の存在が表沙汰になるのも避けたかった。
「クケケケケケケケ……!!!」
「ぐ……っ」
馬鹿力で押されれば、抑え込むのもままならない。
体ごと押されてしまえば、地に足を引きずった跡が残る。
狛神が、いっそ誰も見ていないならば獣化してしまおうかと考えたが、安易すぎる考えであると烏丸が指摘したばかりだった。
「今日は数が多すぎる……!このままじゃ……!」
「なら結界を張る!その中で仕留める分には獣化しても何しても人間には見えないだろ!」
烏丸が懐から札を取り出して投げつけようとした刹那だった。
「何……!?」
「烏丸!」
彼の行動より早く、妖術を繰り出した羅刹がいた。
避けようと体をひねったが、別の方向から攻撃が見舞われた。そちらは避けきれそうにない。
痛み覚悟で動き続けたが、最終的に彼に傷は与えられなかった。
理由は、対角線上で戦っていた茜凪が持っていた刀を投げつけ、一匹の羅刹を滅したからだった。
「茜凪……!」
しかし、彼女が相手にしていた羅刹は攻撃対象であった茜凪が武器を失くしたために“殺せる”より“逃げられる”と考えたようだ。
「しまった……!」
てっきり攻撃してくると思っていた彼女は、羅刹が逃げ出すとは思わなかったらしい。
一匹ではなく、複数の羅刹が崩れた包囲網から更に南へと足を向ける。
「追え! 茜凪!」
「……っ」
「行けッ!」
烏丸の下まで刀を取りに戻っていたのでは時間が無駄だ。
狛神が持っていた刀を彼女に投げつけて、告げる。
刀を受け取り、茜凪は常闇に姿を隠そうとしている羅刹を追いかけ始めた。
「あの先には奉行所だ。新選組やら幕軍やら、人間が関わってきたら悲惨だ……」
「んじゃ、俺たちもさっさと終わらせて追いかけるとしようぜ」
背中合わせで対峙した烏丸と狛神。
笑顔を消して、二人も闇の中へと刀を振るった……――。
第五十四片
爛
気が付いた時、もう鈴虫の声は鳴りやんでいた。
季節は巡り、ふと空を見上げた時、氷の結晶が降り注いでいた。
井上に聞けば、これで今年は三度目だよと答えてくれたのを覚えている。
いつの間にか、それほどまでに心を閉じ込めてしまったのかと己の器に呆れたのも確かだ。
油を注ぎ、陽炎を残す部屋の中で斎藤は正座をし、刀の手入れを続けていた。
だが、ふと手が止まる時がある。
まるで平和な世の中だというように音も何もない夜は過ぎる。
これが嵐の前の静けさであることは誰もが悟っていた。
片隅で手酌で酒を飲む原田の姿があるのも認識してはいたけれど、声をかける気にはならなかった。
彼も彼で思うことがあるのだろう。
土方は幕府のお偉いさんと密談や書状のやり取りを続けていて、寝る間も惜しんで働いている。
永倉は一人で稽古を続け、平助に至っては夜に目覚め、朝陽と共に寝入る日々を続けていた。
唯一、ここ最近で変わってしまったのは、大坂に近藤と共に送られてしまった沖田の存在くらいだろうか。
――労咳は沖田の体を蝕み、戦線離脱を余儀なくさせた。
二条城の軍議の帰りに街道で撃たれた近藤と共に大坂にいる松本の下に今はいるのであろう。
もう一度、同じ舞台に立ちたいと願いながらも離れた戦友への寂しさと不安も拭えない。微塵も顔や表には出していないけれども。
幾度も出会い、別れ、そしてその手で相手を終わらせてきた身である斎藤は今更、別れの一つを気にしていられないと己に言い聞かせていた。
そう。
別れの、一つなど。
「なぁ……斎藤」
伏見奉行所の作りは、中庭を大きく囲う廊下であり、真ん中が吹き抜け上になっていてそこから冬の月を拝むことが出来る。
青白く、不気味に聳える月を見上げながら原田は藪からに尋ねてきた。
「お前は……夢って、あるか」
「夢?」
それは、とても唐突な質問だった。
「俺はいつか叶えたい夢があるんだが……どうもその夢がそれぞれ相反しててな。どちらか一方を取るには難しすぎる夢なんだ」
「……」
ということは、原田には夢が二つあるということか。
彼の夢など考えたこともなく、そして聞いたこともなかったのだが、槍が関係していて男気溢れる夢なのではないかと勝手に思ってしまった。
「お前には、夢ってあるか?」
「夢……。ゆめ、か」
将来なりたいもの。叶えたいこと。願い。望み。
希望にあふれる世界を望む者もいれば、ありふれた幸せを望む者も多いであろう。
考えて、うまく浮かばなかったことに口ごもる。
「俺は……刀でありたいと、願う」
「新選組の刀、か」
「あぁ……」
左利きを受け入れ、共に背を預け戦ってくれる仲間に大きな恩を感じている。
その恩を返したいというのは、夢に含まれるだろうか。
「そうか。お前らしいな」
「そうだろうか」
「あぁ。まさに斎藤って感じだ」
手酌で酒を汲み、そのまま一気に煽った彼を見つめながら斎藤は黙る。
そして、次の言葉は予想外に肩を跳ねさせてた。
「なら、例えばの話だが」
「……あぁ」
「その夢を望むと同時に、戦のねぇ安らかな時間を……誰かと過ごしたいと思ってしまったら……――お前はどうする」
「は……――?」
「例えばの話だが、茜凪と……――」
望めない先。
別れが見える関係。
触れることを許されない温度。
手に入れられない笑顔。
傍に居られない、存在。
共に笑い、傷を負うこともなく、ただ彼女と歩く日々を思い描く。
それは現状からは遠すぎて、努力しなければならないことが多すぎて、叶えるには未知数の距離がある。
だが、それはそれは幸せな光景だと描いてしまった己がいた。
同時に自分が情けなくなった。
「まぁ、お前にはあんまりわからねぇかもな……」
「……」
「武士の志一筋のお前には」
わからなくは、ない。
ただ、そう思うことが自分に対しての裏切りになる気もした。
そして大きく揺らいだ自分がいることを認めたくなかった。