53. 体温
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「斎藤。ちょいと使いを頼まれちゃくれねぇか」
連日、ぱらぱらと雪が降り出すようになった慶応三年 師走。
伏見奉行所に詰めるようになってから新選組は休む暇もなく働いていた。
主に土方や近藤の仕事は幕府の者と話をすることであり、最近は二条城に立ち寄ることが増えていたという。
そんな中、斎藤を呼び出した土方は目線を合わせることなく書状に筆を走らせながら告げる。
使いというものだから、どこか遠方に行くのか。はたまた近しい場所で厄介ごとを片付けて来るのだろうと考えていた。
今までそんな仕事が多かったから予想したのもある。
「わかりました。どちらまで」
「伏見稲荷まで行って来い」
「伏見稲荷……?」
「行けばわかる。原田がいるはずだから、着いたらアイツに聞いてくれ」
伏見稲荷。
いわゆる神社であり、まだ小鞠が健在の頃にあの辺りへ紅葉を見にいった記憶は遠い昔のようだ。
伏見奉行所からさほど距離はない。にしてもあの神社に一体なんの使いがあるというのか。
湧いては増えていく疑問を土方にぶつけてやろうと思ったが、信頼する鬼の副長が続けた言葉には含みがあると考え何も言えなくなってしまった。
「斎藤。俺はお前にいつか“後悔しないようにしろ”と言ったよな」
「はい」
あれは確か茜凪が料亭に預けられ、体調の回復を待っていた間の話だ。
自分が後悔しないように動いてみろと言われた、約一年ほど前の話を今でも覚えている。
「今、敢えて同じ言葉をお前に言う。――……後悔しないようにな」
「……――」
「これから俺たちは確実に薩長軍と戦になるだろう。一年前とは訳が違う。そこを履き違えるな」
何に対して言われているのか、即座に理解した。
土方は遠回しに“茜凪”と己の関係について告げて来ている。
菖蒲が何かを吹き込んだのか。はたまた土方自身の考えか。
どちらにしても、鬼の副長は鬼になりきれていないということを少しだけ思ってしまう。
まだ茜凪のことだと決まったわけではないのに、なんとなく察してしまった。
「――……はい」
手短に答えて、そのまま奉行所を出た。
重たい足取り。枷がついたように感じるのは、きっと先日、旭に言われた言葉が今でもまだどこかで答えを探しているからだ。
彼女を守るためには、どうするべきだというのか。
自分はどう答えを出したいのか。
何故、迷いながらも傍にいたいと願うのか。
考えても、斎藤には答えが出る予感がしなかった。
第五十三片
体温
奉行所を出てしばらくすると、伏見稲荷の入り口である小道に辿り着いた。
案の定、そこにいたのには見覚えのある人物が二人。
一人は背も高く大柄であり、赤髪の筋肉質の男。
もう一人はもはや見慣れた一人の妖狐であった。
「……」
やはり、か。そんな気はしていたんだ。
呼び出されたことには、きっと茜凪が関係しているのだろう、と。
こうして逢瀬を用意してくれた仲間に感謝しつつも、同時に逃げたくなるような衝動に駆られる。
今、彼女とまともに話をすることは出来れば避けたい。
土方の命令が絡んでいなければ、きっと……。
そう思った時点で、己の弱さが滲み出ていたのに斎藤は既に気付いている。
「お。来たか」
「左之……」
「はじめくん……?」
隠れるわけにもいかず、談笑していた二人の前まで行けば赤髪の大柄の男――原田が目を細めて笑っていた。
傍らに佇むだけの少女は、また少しほっそりと痩せこけた気がした。
一番驚いたのは茜凪だったようだ。
斎藤が来るとは聞いておらず、むしろここで原田と談笑していた理由すら知らない気がした。
どうして呼ばれたのかを教えてもらっていなかったのだろう。
「んじゃ、揃ったことだし行って来いよ」
「え?」
「左之、これは一体どういう……」
「せっかく伏見稲荷まで来たんだ。千本の鳥居でも見ながら冬の京を満喫して来いって。きっと夕陽に照らされて綺麗だぜ」
来たことがないわけではなかったけれど、まぁ想像すれば綺麗な夕陽を拝められるのは容易に考えられた。
だが、まさか本当に茜凪と二人で参拝だなんて。
「あの、左之助さん……私なにも……」
「ほら、いいからいいから。なっ」
「わ……っ」
肩に手を置かれ、ぽんっと前に押し出されればそのままよろけてしまった。
前に立ってた斎藤が軽く腕を掴んで受け止めてやれば、原田はまるで二人の恋路を見つめるような視線で微笑む。
「土方さんには、斎藤が使いを全うしてたって伝えとくからよ」
「お、おい左之……っ」
「ちょっと左之助さん……っ!」
「んじゃ、あんまり遅くならないうちに帰ってこいよ。斎藤」
そのまま背を向けて歩き出した原田に、斎藤は刹那唖然としてしまった。もっと驚いていたのは茜凪だ。開いた口が塞がらないようだった。
「……」
「……」
二人、寄り添ったまましばしの沈黙。
悩んだ挙句、これも土方の命令か……なんてどこか言い訳を用意しながら斎藤はゆっくりと鳥居に向かって歩き出した。
「あの、はじめくん……」
まだきょろきょろと迷うように原田の背中と斎藤の背中を見つめていた茜凪だったけれど、諦めたのか……そのまま斎藤の背に追いつけるように駈け出したのだった。
「……」
風に吹かれる京。
今日はいい天気であり、西から傾く橙色の光も鮮やかに通していく。
遠くから、二人が伏見稲荷に足を踏み入れて行ったのを見届けていたのは天狗の妖。
靡く髪、伸びる影など構わずに切ない面で二人を見守る。
「……頼むぜ。一」
このままの茜凪が詩織に勝てるとは思わない。
もちろん小鞠の死が癒えないのは烏丸とて一緒ではあったが、己の身より彼は茜凪が大切だった。
「茜凪を……――」
輝く夕陽を浴びて、後方に伸びる影。
前を歩いていく斎藤の背を黙って追いながら、久しぶりの二人きりの空間に茜凪は惑いを感じていた。
対する斎藤も、遠ざけなければならない娘が再び己の前に現れていることに矛盾を感じている。
愛しくもあり、会えたことに喜びを感じている。しかし同時に切なさや儚さも噛みしめている。どう切り出せばいいかわからず、ただただ歩を進めるだけでいたが重苦しい沈黙に耐えられなかったのは茜凪のようだ。
「あの、はじめくん」
「なんだ」
「どうしてここにいるんですか? 今、伏見奉行所は薩長との小競り合いで……」
確かに忙しい。
茜凪の耳にも届いていたようであり、へたに誤魔化しがきかないことを悟る。
用意していた言い訳を述べてやった。
「副長からの命令だった。伏見稲荷まで行って来いと」
「…?」
「そしたらあんたと左之がいた……」
「私は今朝、左之助さんから夕方に伏見稲荷に行こうって誘われて……。夕陽を見れば元気が出るからとかなんとか……。てっきり左之助さんとだと……」
その言い方は聞き捨てならなかった。
肩が反応して跳ねてしまう。
己ではなく原田の方がよかったという意味か。誘ったのが原田だったから来たというのか。
斎藤自身が逢引きを申し込んだとて、断られていたということか。
余計なことばかり念頭に浮かんでしまい、慌てて言葉を選んだが、どこか鋭くそして寂しげな声が漏れた。
「俺では不満か」
「ち、違います! そんな意味じゃありません!」
「……」
「で、でも……はじめくん忙しいのに……」
「その副長の命令だ」
「私に構うことがですか?」
変な命令であると同時に、土方にも心配をかけているとわかった。
こちらも誤魔化しきれず、今度は茜凪が困る番だった。
「……最近、どうですか? 風邪とか、怪我とか……」
「問題ない。あんたが心配するようなことは何も起きてはおらぬ」
「総司さんの体調はいかがですか?」
「総司は……あまり芳しくはない。恐らく、松本先生のところへ行き、戦線離脱を余儀なくされるだろう」
「そうですか……」
沖田と茜凪もそれなりに仲がよかったとは思う。
千鶴と比べればもちろん千鶴との方が沖田も親しくはあったけれど、離れているのに沖田と親睦が深かったのは茜凪の人柄もあるはずだ。
どことなく、斎藤自身の次に出てきたのが沖田のことでザワザワとした心情になる。
だが、もっとザワついたのは次の問い。
「平助さんは……?」
「……――」
――平助は。
続けることに、躊躇いがあった。
彼女が気にするのは平助の身はもちろんのことだが、その先にある羅刹のことにも関わっているからだろう。
「……変若水を飲み、羅刹となった」
呼吸をひとつ置いてから、斎藤は表情を気取られないようにして前を見据える。
鋭い瞳孔から放たれた視線は、さすがは間者として働いた者だ。無に等しかった。
「外見上の変化などは見られない。ただ、朝に寝て夜に活動をするということだけだ。大事ない」
「……」
誤魔化せなかっただろう。重たい沈黙が再び訪れる。
入り口から多くの鳥居を潜ってきたが、神社の中間までもう少しというところか。
砂利道や林を抜けるような風景に変わっていき、更に木々の間から伸びる夕陽が彼らの道を照らし続けた。
冬は陽が短い。まだ時刻はそれほど遅くはないというのに、夕陽はどんどん沈み続ける。
林のような道を抜け、坂を上り、まだまだ上へ。
鳥居は途絶えることを知らず、どことなく不気味な空気すら漂わせた。
半歩後ろを歩いていた茜凪が、無言で足早になり斎藤の隣に並んだのはその時だ。
道が木々の中にあるので暗くなり、不安にかられたのか。
相変わらず素直な娘は何も言わずにそうしてきた。
「疲れたか……?」
「いいえ、大丈夫です」
綺麗な夕陽がきっと待ってますから。
付け足された言葉は、言い訳染みていた。
ただ会いたかったから会っているのではない気がする。
命令が絡んで、近状の確認をするためというのがあって、建て前は夕陽を見るためだ。
ならば、本音はどこにある?
互いの、どうしようもなく口から伝えることが出来ない本音は一体どこにあるというのか。