51. 天満屋
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全てがわからなくなりかけていた。
一体なにが正しくて、一体なにが間違いであるのかさえも、見失いかけていた。
念頭に渦巻くのは、どうして気付いて、救ってあげられなかったのかということ。
たった一人の、同じ立場で同じ女の、友人だった。
危険信号は何度も送られてきていたはずだ。どこで見逃していたのか、どうして気を配ってやれなかったのか。
大それたことを出来る立場であるなどと思ったこともないし、日本で最強の狐といわれてもイマイチしっくりとこない。
わかるのは、もう小鞠の笑顔に出会うことも出来ないし、巡り会えたとしても来世か。そもそも来世で彼女に会う資格が今の自分には与えられていないことを茜凪は重々理解していた。
「北見……旭……」
天満屋。
今、茜凪はどういうことか、任務中である斎藤の目が届くところに置かれていた。
―――北見 旭。
彼女が攻め入ってきたのはつい数日前のこと。
油小路の変が起きた同日のことだった。
茜凪の実力試しのために訪れた彼女だったが、今の茜凪が使い者にならないことを理解して一度身を退いたように思えた。
彼……いや、彼女は藍人の実の姉であり、絶縁関係にあった血縁者である。
藍人に茜凪が拾われた頃には、その姉とは既に縁を切っていたようで、茜凪は旭のことを全く知らずに今まで過ごしてきたのだ。
そんな彼女が今、何かを敵とみなし、何かを倒すために力を求めている。
小鞠のことですら、彼女の耳には既に届いていた。
どこからの情報網だかわかりしれないが、小鞠の死について“死んだ”ということ以外にも知っているのだとすれば、旭は妖の羅刹について何かを知っているかもしれない。
問い質して無理やりにでも仕入れたい情報であったにも関わらず、茜凪は立ち去る旭を追うことが出来なかった。
「……」
とある一室に敷かれた布団の上で時間が過ぎるのだけを待つ。
小さく小さく縮こまりながら、ただただ布団の中で足をたたんで目を細めていた。暗闇がすぐそこまでやってきていて、呑み込まれても仕方ないと思ってしまった。
「(……弱ってる場合じゃないのに)」
重丸はあのあと斎藤によって家まで送り返され、茜凪はそのまま天満屋に半ば軟禁のような状態にあっている。
土方に相談を重ねた斎藤と烏丸の頼みから、今は料亭に帰さない方がいいという結論に至ったらしい。
理由は、彼女の身を案じる者が傍にいれば茜凪はまた無理に笑って飄々と過ごしていくだろうという憶測から。
烏丸は酷くそれを避けたがっていた。
斎藤にも、会っていない土方にすら茜凪の心労は目に見えていた。
“ならば一人になれて、且つ誰かの目に留まる場所”とあがった時、斎藤が詰めている天満屋に置くのがいいという結果に導かれた。
斎藤は隊務中だ。
彼女にかまけている暇はないが、何かあった時にすぐ傍に居る。
臨機応変にそこは対応しろという命令を受け、斎藤のもとに預けられることになった。
もちろん茜凪は斎藤や烏丸、そして土方が秘密裏にそんなことをしていたなんて知りもしないだろうけれど。
「寒い……」
火鉢は既にこと切れた。
布団だけが頼りになるこの部屋で、茜凪はただただ時を過ごす。
外に雪の結晶を生み始めていたことに彼女はまだ気付いていなかった。
第五十一片
天満屋
砂利を踏みしめて音があたりに一度響いてから、斎藤は顔をゆっくりと上げた。
鉛色した空がゆっくりと氷の粒を落としてくる。
ひらひらと舞い落ちるそれを眺めながら、なんともいえない気持ちになり、心がぎゅうと締め付けられた。
「……」
生憎、傘は持ち合わせていなかった。
途中で買って帰ることにして黙って歩き出したものの、足取りは軽くはない。
理由は今さっき、どの幹部隊士よりも遅く受けた報告によるものだったことを、斎藤は自身、理解していた。
――平助が致命傷の傷を受け、死の淵から変若水の力で回復した。
つまり平助は羅刹となったということ。
今まで幾度となく下っ端の平隊士がそう成り、幾度となく失敗を繰り返し、そして斬り殺してきた。かつて仲間と呼ばれた者たちを。
しかし、此度は違うかもしれない。血に狂わないかもしれない。
左腕が動かなくなった山南が自ら改良を重ねた変若水で力を取り戻したように。
平助は死するはずだった。
命を落とし、油小路の変の死者として語り継がれるはずだった。いや、正しくはそうなったのだ。表向きは。
しかし変若水を手にし、その身を羅刹とし現世に舞い戻った。
何度でも心で呼応するもの。
平助は、羅刹になった。
「平助……」
永倉は、“死なせてもやれねぇ場所なのか、ここは!”なんて激怒していたらしい。
彼は何が起きたって最期まで人として身を賭し、戦うだろう。
いつだって死ぬ覚悟はできているからだ。
無論、斎藤とて同じこと。
死ぬ覚悟はできている。
死が怖いならば、刀など腰には差したりしない。
いつか戦いの中で敗れ、同じように剣で殺されることを望んでいる。
しかし。
それは命の懸け所をどこにするかという話。
最後はまるきり同じでも、過程は恐らく永倉と全く違うものになる。
なぜならば、斎藤は然るべき時、然るべき場所で、変若水を飲む覚悟があったからだ。
【おかしいと思ったんだ……。小鞠の死に方】
【あ?】
【だから、おかしいって思ったんだよ。小鞠の死に方を聞いて】
脳内に響き始めたのは先刻、烏丸が徐に話し始めた羅刹についての一つの答え。
報告を終えた斎藤は、茜凪の身柄を確保したという斎藤の話を聞いて土方のもとにやってきた烏丸と対面していた。
おまけでついてきた狛神もそこには居て、新選組と妖の間には既に信頼関係が生まれてしまっているように思えた。
本来、彼らにとって人とこのような関係を築いていいのかどうかも危ぶまれた。
【狛神から聞いた、小鞠の死に方。体が徐々に灰のように砂となって形を成さずに消えていったって話】
【あぁ……】
思い出したくないのか、最後に魂を浄化させたような蒼い炎の激しさをみるように狛神が目を逸らして頷いた。
土方も、斎藤もあの光景を思い返しては言葉を詰まらせてしまう。
【爛に文で聞いてみたんだ。羅刹の最期に、そんな現象が起きるのかってことを】
【どういう理由だかわかったのか?】
【あぁ……】
導かれた答えは、あまりにも悲惨で切なかった。
【羅刹のあの爆発的な力や回復力は、変若水を飲んだ者の寿命を削って生み出されてるらしい】
【な……っ】
【!?】
【つまり羅刹化すればするだけ、命を削ってる。それで、最後まで寿命を使い切ると……】
―――あぁやって、形を成さずに消えていくんだ……。
聞こえた烏丸の声は、か細くて弱々しかった。
羅刹とは、生きた証すら残せないのか、と。
そんなものに、小鞠は成り下がらなければならなかったのか、と。
烏丸の声を思い返してから、斎藤は足を留めた。
耳に残ったのは烏丸の声だったが、浮かんできた顔は茜凪のものだったから。