50. 朝陽
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「あなたは一体、何者ですか」
構えた切っ先はそのままに、茜凪は旭を睨みながら見下ろした。
慶応三年、年の瀬近付く寒空の下。
油小路の変と同日、同時刻に起きた妖側の戦い。
斎藤に助けられ、彼の横に並びながら新来として現れた北見 旭。
旭の狙いを問い詰めるべく、茜凪と旭の語りが幕を開けた――。
第五十片
朝陽
「く……っ、誰かと思ったら人間如きが……ッ」
茜凪のために参戦してくれた斎藤に旭は悪態をつきながら言葉を吐き捨てる。
状況がいまいち理解できなかったし、斎藤の脇差を奪い旭を討ち返した茜凪の行動にも驚いていたけれど今は黙って話を聞くことにする。
旭の視線が気に喰わなかったのか、茜凪は更に刀の先を旭に突きつけた。
「私の質問に答えてください」
「日本で最強にあたる狐が、まさか人間とつるんでたなんてな。とんだがっかりだぜ」
「答えろ」
口調を強め、茜色の瞳で睨みを利かせる。
旭の分が悪いことは見て取れたけれど、どうにも屈する姿勢は見せなかった。
「おーおー。形勢逆転しただけでそこまで強気で出れるなんて単純な女だな。これだから困るぜ、お嬢様はよ」
「貴女だって、立派な北見の“お嬢様”でしょ」
「え……」
茜凪の言葉を聞いて、声を漏らしたのは重丸だった。
式神からも解き放たれ、重丸がこちらを怯えた表情で見つめていたけれど、どう見ても旭は男に見えた。
が、それはあくまで見た目だけの話である。
斎藤も旭と剣を交え、姿を見てからある違和感を感じていたけれど、看破は出来なかったようだ。
「テメェ……俺のこと知ってたってわけか」
「やはり、女なんですね」
「……」
「かまかけただけです。藍人から、年の離れた“姉”がいるというのは聞いていたので」
「クソが……ッ」
どうやら否定はしないようである。
違和感の原因はこれか、と明確に理解した斎藤は、旭が女であるということに妙に納得してしまっていた。
千鶴と比べて、とても巧妙な男装だった。
「それで、わざわざ男装までして私に何の御用ですか」
「……」
「左構えになれなんて、無茶難題を押し付けて何が目的ですか」
「質問攻めかよ」
「貴女がそれに値する行動をしているからです」
相手が女だとわかってなお、茜凪は彼女……旭から警戒を解かなかった。
切っ先も未だに彼女を捕えたままである。
何を躊躇っているのか、はたまた口に出せない話なのか。
旭は真っ直ぐ、茜凪の真意を探るような目をして見上げてきた。
茜色の瞳、茶色の髪、顔つきは“彼”にそっくりだと旭は一人感じていた。
「……お前、刀は右でしか振るえないのか?」
「……」
「さっきみたいに、普段から左手で剣を握ることはないのか?」
―――そこの、男のように。
一瞬だけ旭の視線が斎藤に揺らいだ。
じとりとした、何かを試すような瞳に斎藤は居心地がとても悪くなる。
遠くで何かが焦るような声をあげて怒鳴っているのを、頭の片隅で聞き届けていた。
降り出した雪が冷たく降り注ぐ。一面の視界を白く染めながら、旭は視線を茜凪に戻した。
「何故、そんなことを聞くのですか」
「いいから答えろ」
「質問してるのは私です」
「いいから」
旭の口調の強さに負けたこと、そして会話が進まないということに気付いた茜凪が刹那間を置き考える。
尋問しているのは茜凪であるはずなのに、どうしてだか気分が悪かった。
「……ありません。私は右利きです」
「チッ……さっきのはそこの襟巻男に化けたってわけか」
先程、茜凪は自分自身が行った行動を思い返してみた。
斎藤が振るった居合いを含め、多くの剣技。彼が放つものほぼ全ての型を、茜凪は妖であるが故に覚えている。
狐は人を騙し、姿を変える種族でもある。
変化自体はさほど難しいものではないし、斎藤の技術だけを真似して刀を振るうことだってやろうと思えばできるのだ。
それを今までしなかったのは、茜凪なりの理由があった。
斎藤が、“左構え”ということだけで虐げられ、孤独を知る人であったことも一つの理由。
「――だが、見たところやはりお前しか……いねぇんだよな」
「なんのことですか」
旭がボソリと視線だけを逸らし吐いた声はあまりにも切なかった。
何かを理解し、備えを求めるもののような姿。
実際に茜色の瞳は、旭の焦りを捕えていた。
探しているのだと。
“左構え”を。
「……俺がお前に会いに来た理由は、“お前が左手で剣を使えるかどうか”が知りたかったからだ」
「左手で……?」
ゆっくりとではあるが、重丸が斎藤のところまでやってくる。
旭の存在が怖いのであろう。なるべく陰から見守るような体制を続けていたいが壁も彼女から身を守るものもない。
斎藤に言い放った暴言がある手前、彼の陰に隠れるわけにもいかなかったが、斎藤は重丸を寄せて己の後ろに隠してやった。
何も言わず、ただ無言での優しさ。
重丸は斎藤をみあげていたけれど、彼の目線は茜凪と旭に向いていた。
涙が零れそうになるのを必死に堪えて、重丸は斎藤の優しさをただただ大事に心の奥にしまい込んだ。
「左手で剣を振るえる者の候補に、どうして私が上がるのですか」
「お前の兄貴は、左手で刀を扱えたからだ」
「!?」
「左構えだと……?」
それは寝耳に水だったようだ。
茜凪も表情を崩し、“何も知らない”という顔を見せる。斎藤は己以外に左手で剣を振るう者がいたのかと信じ難い衝撃を受けた。
道場に通い剣を習うにしろ、最初に必ず利き手は修正されるもの。斎藤は己の意志を貫いて利き手を変えることなどなかったが、まさか……同じ考えを持つ者がいたなんて。
「知らないのかよ。お前、環那の妹だろ」
「そう、ですけど……、」
「知らなかったって顔だな」
「……」
「無理もねぇか。環那は絶界戦争で死んでるし、テメェが生まれる前の話だもんな」
けっ、と嘲笑を贈られたことはわかっている。
旭にとって、何かがとても気に喰わなさそうに見えた。
「俺は今、どうしても倒さなきゃならねぇ敵がいる」
「敵……?」
「その軍隊を叩くには、最終的に環那が使った術が必ず必要になる……が。生憎環那は数十年以上も前に死んでるし、環那が使った業を他に使えた者がいたって事実も、使える奴がいることも誰も確認できてないことだ」
“そこまで言えば、わかるよな?”
視線で訴えられた続きは、安易に想像できた。
「だから、妹である私のところに……」
「まぁな。テメェがあの術を使える妖だなんて到底思えないが、“左構え”ってところにかけてみようと思った……。とんだ無駄足だったな」
もう戦うつもりはないのだろう。
実力も今ので十分理解できた、というように手をついて旭が立ち上がる。
目線は少しみあげる形になったが、同じくらいの高さまでくればやはり彼女も“女”であることが伺えた。
見てくれだけはどうみても男であるのは頷けたが、声も仕草もやはり藍人とはどこか違う。旭は彼とは重ならないと感じた。
「それから最後の忠告しといてやる」
「……」
「縹 小鞠が死んだだろ」
「……――」
「油断はするな。俺はお前が苦しもうが知ったこっちゃないが、テメェがヘマを重ねれば――」
「……」
「必ず、周りの大切なもの、全部灰になって崩れ落ちるぜ」