45. 破暁
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「茜凪ッッ!!!」
「――っ」
妖術の一つに、身代わりを召喚させるものがある。
茜凪が冷静に見えて、我を忘れかけながら対峙した敵は、茜凪が油断した刹那にその術を繰り出した。
同時に身代わりを爆発させるような術をかけ、手が届きそうと思い近付いてきた茜凪を傷付けることとなるだろう。
目の前で、懐かしい色をした光が爆破へと導かれる。
足掻いても、退いたとしても今の体制で己がもてる最速の動きをすることは出来ない。
頭の片隅で、狛神や斎藤、千鶴が名前を呼んでいるのを聞いていた。
見開いた目をようやく逸らし、爆風から少しでも体を守ろうと腕を前に出した時だった。
「!」
ガッと視界の悪い頭上から襟首を掴まれ、そのまま持ち上げられた。
体が宙に浮いて、抱き留められる感覚。
二の腕には鋭い爪のようなもので傷付けないように最善の注意を払いながら守られているのがわかった。
そのままされるがままに体を守られていれば、いつの間にか爆発する音は遥か後方で鳴り響いた気がする。
次にしっかりと目を開き、意識をはっきりさせられたのは、真っ暗な闇の中だった。
しかし、茜凪はこの暗さを知っている。
いつもじゃれ合う時とは違う。
妖としての腕は逞しく、元から背は高い相手ではあるけれど、獣化した今は更に大きく見えた。
片手だけで支えられているのを理解したと同時に、暗かった世界は開かれる。
大きくバサリと音を立てた漆黒の羽は、何度か動きを見せながら茜凪を確実に守り切っていた。
「茜凪さん……!」
千鶴の声にようやく反応できた。
未だに体を支えてくれている大きな腕と、鋭い爪、漆黒の羽、立派な嘴を携えた男の名前を呼んでやる。
「烏丸……」
真っ黒な瞳は、妖が力を発揮する時の赤い瞳に変わっていた。
少しだけ呆れたような、心配したような目で見つめられれば居心地が悪くなったのは仕方ないことか。
顔を逸らすと同時にハッと思い出し、茜凪は烏丸の片腕の中から暴れ出す。
「敵は……ッ」
「あ、ちょっとオイッ!」
獣化した烏丸の胸板を押し返し、先程までいた場所を振り返りながら茜凪は笠の女の姿を探していた。
しかし残されているのは爆風で形を悪くした地面だけであり、彼女の姿はどこにもない。
敵が張っていた結界も破れ、天から月の光が差し込んでいる。
逃げられたのだと悟った。
「こら、暴れんなって……!」
「放してくださいッ!」
「茜凪ッ、ちょ……オイッ!!!」
腕を叩くわ、嘴を押しのけるわ、とにかく烏丸の腕の中から体を自由にしようと本気で暴れる茜凪に、烏丸が声を荒げた。
しかし獣化している揚句、体格差も見て同然であり茜凪の動きは結局封じ込められてしまう。
最後の最後は足を地面につけない状態で羽交い絞めにされて、茜凪はようやく動きを止めた。
だがあくまで止めたのは体だけ。口から飛び出る言葉が留まることは知らなかった。
「放してッ!!!」
「今更追いかけたところで捕まえられる相手じゃねえって」
「うるさいです!いいから下ろしてくださいッ!」
「今お前をここで下したら何するかわかったもんじゃねぇだろうが」
「決まってるじゃないですか!相手を追わないと……ッ」
そこまで言いかけて、言葉が詰まった。
「……っ、追わないと……!」
「……」
「小鞠が……っ」
それ以上……何も言えなかった。
奥歯を強く噛んで、握りしめた拳はわなわなと震えだした。
この悔しさや痛みをどこに向けていいかが分からない。
目の前で。
目の前で大切な命は見事に踊らされ、自分を守り、消えていった。
死んだのではない。悲惨な終わり方で、消えたのだ。
「……間に合わなかったか」
暴れるのをやめ、全身の力を抜きただ拳だけを握りしめている茜凪を烏丸はそっと下ろして、小鞠がいた場所をみつめる。
静かに零した言葉には、何かを知っているように聞こえた。
結界が消えた。
屯所にいた者を昏睡状態にさせるための妖術もじきに解けるであろう。
獣化したままの烏丸がいたのでは、大問題になる。
翼でもう一度、己の体を包んだ烏丸はゆっくりと息を吐き、いつもの人の姿に戻った。
重丸がその光景を、体を起こしながら目を逸らさずに見つめていた……。
「茜凪」
「……ッ」
名前を呼ばれた茜凪は、聞きたくないとでもいうようにして体を返し、屯所の出口へと向かって行く。
勢いからして、敵を……笠の女を追うわけではなさそうだ。
ぼろぼろの着物を引きずりながら、茜凪は新選組の間を掻き分けてそのまま一度姿を消してしまった。
彼女とすれ違ったのに、斎藤は何も声をかけることは出来なかった。
ただ泣きもせず声をあげずに悔しそうに表情を歪める姿は、今までにみたことのないくらい彼女の悲痛な叫びだっただろう。
目に留めた光景が忘れられそうにない。
思わず小鞠がいた箇所に残る灰を見つめて、斎藤は目を細めた。
「子春」
「はい」
茜凪が屯所から出て行ったのを見届けて、烏丸は名前を呼んだ。
子春、と呼ばれた少女は烏丸の問いに間髪置かずに現れて、背後に控えた。
「茜凪をつけといてくれ。敵を追うようだったら、全力で止めろ」
「それは彼女を傷付けてもいい。と……?」
「いい。殺すつもりでかかれ。どうせ死なない」
「御意」
そのまま音なく消えた子春を見届けてから、烏丸は再び小鞠がいた場所を見つめた。
残された小太刀の鞘、刀自体は途中まで茜凪が扱っていたので別の場所に落ちていた。
「……やはり、羅刹だったか」
無念の籠る声で吐き出したのは、遅すぎるものだった……。
第四十五片
破暁
慶応三年 十一月。
約一月前に里に帰るといって姿を消した烏丸が戻ってきた。
空には月がまだ見えていたけれど傾きは大分あり、もうすぐ黎明の時刻であることを告げている。
光の加減が明るくなり、辺りを照らし出すであろうと思われた時、新選組の屯所である不動堂村を包み込んでいた妖による結界も消えた。
屯所の中で倒れ込み、昏睡状態になっている隊士たちは未だに目を覚まさなかったけれど、これも時間の問題だろう。
外へと姿を一度消した茜凪の背を思いながら、烏丸は深く溜息を零して小鞠の残骸を眺めるだけだった。
「烏丸」
「なんだ」
怪我をした狛神は傷口を抑えながら、戻ってきた烏丸と目を合わせて言葉を交わす。
互いに重苦しい空気になるとはわかっていたけれど、聞かずにはいられなかった。
「……里で、何か聞いてきたのか?」
「……そう、だな」
「……縹たちのことか」
「あぁ……」
「……」
「小鞠……どんな……、最期だったんだ………?」
尋ねた問いは、どうしても烏丸が知りたいものだった。
里へと赴いたと告げた嘘も、知った事実を知らせるためにも、最期がどんな終わり方だったのかを知りたかった。
裏切り者として散ったのか。
茜凪を最後の最後まで殺そうとしていたのか……。
「……茜凪を、」
「……」
「茜凪を守るため、身を呈して……――殺られた」
「……――」
「縹らしい……散り方、だった」
「……そう、か」
重すぎた。
月が隠れ、太陽に呑み込まれるように消えていくのを見届けながら誰もが言葉を出せなかった。
わからないことが多すぎて、どうしても答えを求めてしまう。その過程にはどれだけ多くの嘘と、そして悲しみが待ち受けているのであろうか。
烏丸と狛神の言葉を聞いて、硬直したのは他でもない重丸だった。
音もなく流れた一筋の涙に、千鶴と沖田が気付き、声をかける。
「重丸くん……」
沖田の声に、堰を切ったように重丸は瞳に涙を溜め込んで、大声で泣いた。
また、命がひとつ消えた。
子供ながらに“死”を彼は誰より理解してる。
身近にいたものが帰らなくなり、何度も何度も同じ姓を名乗る者が現れては死んでいく。
訪れた数人目の“縹”は女であり、まだ少女だった。
怯えていたのは失いたくないから。仲良くなればそれは失った時に大きな悲しみを受け止めるのは己であるから。受け止めきれないと知っていたから。
だけど、仲良くしなくたって事実を知っただけで胸は押しつぶされた。
“あたしが怖い?”
そう聞いてきた少女はとても悲しそうに笑っていた。
“失うのが怖い”
どれだけの距離を保とうと、目の前で動いていて、関わった人が死んでしまったことが重丸には辛くて苦しかった。
枯れるまで泣いたというべきか。
重丸は喉がつぶれて声が出なくなるまで、大声で泣き続けた。
千鶴が背をさすりながら、小鞠という存在がどんな人物であったのかがわからないので理解までは及ばなかったが……重丸の苦しみを知ろうと傍に寄り添っていた。
重丸の涙は、その場にいた誰もに改めて痛みを教えた。
狛神は唇を噛み涙を懸命にこらえているように伺えたし、烏丸に対しては己を責めているようにも見える。“もっと早く戻っていれば……”と。
いつまでもこのままでいられない新選組は、土方の命令により千鶴と重丸は広間へ、沖田は部屋に戻し、それ以外の者は屯所内の確認に宛てさせた。
それぞれが動き始めた中、ふと斎藤は足を止め、投げられた小鞠が使用していた小太刀を拾いに行く。
「……」
柄についていた血はまだ乾いていなかった。
茜凪の血と、小鞠の血、妖の羅刹の血などたくさんのものが混ざり合っている。
混沌とした絵図は、今の妖たちを表しているようだった。
小太刀を拾い、放られた鞘へ納めてやる。
顔をあげた時、烏丸と目が合った。
「ごめん、一」
「……何故、詫びる」
「……わからない」
「あんたも……ぼろぼろだな」
烏丸の身なりをみて、斎藤が告げる。
着物は破れていたし、見れば小さな生傷が多く、烏丸も何かとずっと戦っていたのが伺えた。
頬にも血が流れた跡があり、笑顔はどこか疲れていて、無理矢理つくりだしたものだとわかった。
「こんだけぼろぼろになったって、何一つ救えなかった」
「……」
告げた結果は、その通りであったけれど。
悲痛であり、人を殺めてきた斎藤からしてみれば“残念”としか言いようがないものであったけれど。
理解したうえで胸が締め付けられるのは、誰を想ってか。
努力が報われなかった烏丸か。
この場で知らずに戦い続けた狛神か。
己を責めている重丸か。
それとも……。
「烏丸、狛神」
狛神は声には反応しなかった。
まだ俯いたままの彼の代わりに、音源を拾い目を向けたのは烏丸。
呼び止めた土方に問う。
「土方さん……」
「今のお前らに聞くのは酷だとわかってるが……説明してもらおうか」
「……そう、だよな。新選組は小鞠のこと、知らねえよな」
「羅刹のことも、あの死に方についてもこっちは覚えのないことだ。どういうことだか説明しろ」