42. 獣化
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「ただいま」
「おかえり。遅かったわね」
祇園市中。
料亭も暖簾をおろし、片付けをしている頃だった。
屯所で何かが起きていることも知らずに、無事に帰宅した茜凪はそのまま風呂に入ろうと着物を脱ぎ始めていた時のことだ。
風呂場の窓にカンカン!と叩かれた音がする。
着替えもそのままに、帯を解いた状態で窓を躊躇わずに開けた彼女。
目に飛び込んできたのは一枚の使い魔だった。
「これ、狛神の……」
何かを知らせるために、茜凪のもとへ訪れたのだろう。
触れれば感じられたのは、重丸が捕らわれたということ。
そして、小鞠に新選組が襲撃されているということ。
感じ取れたことには微塵も嘘はなかったが、頭には謎だけが残る。
「小鞠……っ?」
新選組の屯所といえば、先程皆と別れてきたばかりではないか。
あそこには、復帰した斎藤もいる。
千鶴も、病状が芳しくない沖田も。
原田や永倉、土方だけで妖を相手にするのは難しいと感じ、茜凪は急いで帯を巻きなおして屯所にとんぼ返りになろうと料亭を飛び出す。
「ちょっと、茜凪!?」
慌てた形相に、菖蒲が驚き彼女の後を追い料亭の入り口から出てきたところで固まった。
そして茜凪も道のど真ん中で固まってしまう。
目の前に、蛇の式神がいたからだ。
「小鞠の式神……!?」
妖力の気配が小鞠のものだった。
間違いない、彼女は新選組を襲っている。
何故、という気持ちと同時に大切なものを傷付けられていることへの憤りを深く感じる。
式神の蛇が茜凪や背後にいる菖蒲を襲うために牙を剥いたが、そもそもの実力が違うのだ。
「去れ」
たった一言。
それから手を巨大な蛇の式神に翳しただけ。
それだけで、妖力の強さに圧倒されて式神は消え去る。
一瞬だけ、茜凪の瞳の色が茜色に変わっていたことに菖蒲は気付けないでいた。
「茜凪……今の……」
また、得体の知れないものが自分たちの周りを取り巻いている。
恐怖を感じた菖蒲だったが、茜凪は怯むこともしなかった。
「菖蒲、部屋に戻っててください。水無月の側を離れないように」
「あ、あんたはどうするの……」
「私は、様子を見てきます」
菖蒲が危険だからやめてほしいという顔をしたのを、茜凪は見逃すこともなかった。
しかし、ここは向かわねばならない。
本当に小鞠が相手になるのだとしたら、帯刀していない今の格好は無茶だ。
茜凪はすぐに部屋に戻り、約一年ぶりに無銘の愛刀を携えて、元来た道を戻ることになる……。
「水無月。緊急事態です。菖蒲をお願いします」
「茜凪……っ」
「事情は帰ってからご説明しますから……ッ」
ただの町娘のような着物姿で刀と妖術の札だけを持ち駆け出した茜凪。
菖蒲は不安そうな顔でそれを見送るのだった。
第四十二片
獣化
新手の存在に危機を感じたのは、新選組や狛神だけではなかった。
どう考えてもここで妖の羅刹に参戦されることは、本音の小鞠にはとても迷惑だっただろう。
だがしかしここで笠の女が差し向けた羅刹を拒んでは、全てがばれてしまう……。
どうにかしてやり過ごさねばならなくなり、小鞠は密かに顔を歪める。
「妖の羅刹……ッ」
「こんなに……」
全ての個体が禍々しい空気を放っており、これが殺気や妖力だと感じたのは確かだ。
どう考えても、全てが異常である。
姿カタチも何もかも。
白髪で灼眼を放つ化け物が勢ぞろいしたことにより、狛神と小鞠の戦いも自然と一度休戦された。
「縹……っ、てめぇめんどくせえもん差し向けやがって……ッ」
「これは……っ」
あたしが寄越したものじゃない、とは言えなかった。
そうだとしても信じてもらえないし、今更信じてもらう必要もない。
二度と交わらないことを小鞠が選び、今日こうしてここに在るのだから。
「私を裏切るのか。それとも意志のままに戦うのか……。魅せどころですよ、縹 小鞠」
当の羅刹を差し向けた笠の女は茜色の瞳を向けて、無表情のままに楽しんでいた。
全ての羅刹が動きを止めたかと思えば、息をすることすら躊躇われる空間が生まれる。
誰かが固唾を飲む音が響いた。
構えた狛神と、惑う小鞠。
新選組すらも巻き込み、妖の羅刹に囲まれた彼らが時を待つ……。
そして――。
「やれ」
合図は訪れた。
下したのは、小鞠ではなく笠の女だった。
一斉に支配されたように、動き出した羅刹たち。
本能のまま、捕食するために活動を始めた彼らは、思考を失っていると言っても過言ではなかった。
小鞠を含め、通常の妖ならば変若水を飲んだからと言って理性は失わない。強靭な体を持っているからだ。
しかし、彼らはどちらかというと精神面を何者かに喰われている気がしてならなかった。
土方は再び疑念を抱いたまま、襲いかかってくる妖の羅刹を相手にしていく。
「てめえら!気ィ抜くんじゃねぇぞッ!」
「あぁ!」
原田と永倉を戦闘に、妖怪である化け物に挑んでいく。
狛神が二人を追い越して、妖の羅刹を攻撃していくが、殺そうとはしていないようだ。
鬼と同様……同族殺しを彼は好まないらしい。
妖界の中には妖同士で本能に抗えずに同志を殺す妖もいたけれど、狛神はそこまで成り下がりたくなかった。
そんな中、小鞠は光景をただ眺めるだけだった。
自分がここで追い打ちをかければ、確実に狛神は殺せただろう。
しかし、その仕草を小鞠は微塵もみせなかった。
こうならないために……決定的に相手を殺せる瞬間を作らないように努めていたのが無駄になってしまった。
「(どうしろっていうの……っ、これじゃあ……!)」
小鞠が眉を寄せ、悔しそうに顔を背けたことを笠の女は見過ごさなかった。
小鞠が何をしようとしているのかを悟り、女は腰を下ろして観戦していたのをやめ、立ち上がる。
「なるほど。それが答えですね」
納得したように、女は羅刹への命令を強めた。
馬力も、速さも違う羅刹に、人間であり一流剣士の新選組も追い詰められていく。
狛神が大半を相手にしていたけれど、このままでは持ちこたえられないとわかったのだろう。
「狛神流・参式……ッ!」
指が真横に線を描き、新選組を全員退かせた後、狛神が炎の壁を生み出した。
それは、茜凪が出す蒼い炎とはまた別のもの。
誰もが妖術で生み出せる赤い炎を操ったものだ。
しかし、これもすぐに破られるだろう。
「狛神、あいつら殺しちまっていいのか!?」
「知らねーよッ! 羅刹化した奴を、元に戻せる術があるなら殺すなってどっかの狐と天狗は言うだろうけどなッ!」
「元に戻せる方法なんて……」
正直なところ、羅刹については同じ変若水を使っているならば、狛神よりも新選組の方が詳しいであろう。
その新選組の誰もが、“羅刹になった者がただの人間に戻る”という現象を知っていることはなかった。
山南をはじめ、過去に羅刹となった切腹対象の隊士も誰一人、元に戻れる状態の者などいなかった。
恐らく、ない。
元に戻る方法など、羅刹化した者には残されていない……。
「現時点では羅刹化した者が人間に戻ったという話も、方法も……」
「つまり、戻せる方法はねーってことか」
「そうなるな……」
「……それが、あいつらの意向なんだろ……っ」
自ら選んで、羅刹となった。
小鞠がそうだったんだ。ならば、炎の壁の向こう側にいる奴らも同じなのであろう。
「倒せるなら倒して構わない。が、あれはお前らが知る羅刹でも、妖でもないぜ」
「あぁ……」
「前線は俺様が行ってやらァ。てめえらはせいぜい、俺様が取りこぼした奴らでも喰らってろ」
狛神らしい物の言い方だったが、彼なりに新選組を守ろうとしてくれている。
誰もが理解している。
妖の羅刹とただの人間がどれだけ圧倒的に不利なのかを。
「いくぜ」
狛神は何も気にしていないのだろう。
そして、妖であることに引け目など感じていないのだ。
構えをとった狛神に天からの落雷が衝突する。
光が眩しくて目を背けた一瞬だった。
「え……っ」
「狛神……ッ」