38. 交叉
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慶応三年 十一月。
紅葉狩りに出かけた日から、既に二日が経過した昼下がり。
大役を終えた一人の武士は、不動堂村の屯所を訪れていた。
訪れたというのは他人行儀である。戻ってきたというのが正しい表現。
この日、土方から命令を受けて御陵衛士として動いていた斎藤の働きは見事に終了したのだ。
「なんだ。一君、僕に黙ってそんな楽しいことしてたなんて」
広間で事情の説明をしてみれば、懐かしい面々に囲まれて、心が少し軽くなったのを感じていた。
沖田に嫌味っぽく苦笑いで責められれば、目を伏せるしかなかった。
永倉や原田に関しては、『半年以上もよく間者として耐えていたな』なんて思いながらも、脳裏に過った一人の少女の存在が斎藤の心を強くしていたのではないかと感じた。
だが、斎藤が新選組に復帰したのはほんの序章だ。
ここから始まる連なった戦いは決して止まることもなく、彼らの道を険しくしていくこととなる。
「伊東 甲子太郎……。まさか近藤さんの暗殺を企ててくるなんてな」
土方が広間の中心で腕を組み唸る。隣にいた近藤は何とも言えない表情をしていた。己の命が、かつて仲間だと心から信頼した男に狙われていることが複雑なのだろう。
土方の隣、片隅で目を伏せていた斎藤は対峙した永倉、原田、そして夜着のままの沖田に顔を向ける。
変わらずに見えて、変わってしまったものも伺えた。
千鶴は相変わらず土方の小姓として働いており、お茶をついでは黙って端によけている。
戻ってきたこの心の拠り所で、今度こそ戦おう。守るべきもの、貫くべきものを通すために。
第三十八片
交叉
間者としての働きを終えた斎藤は、しばしの間、この不動堂村の屯所に身を置き、沖田の相手をすることになった。
その間に永倉や原田、そして土方と狙われている近藤が直々に伊東を討つために戦略を練り始めていた。
坂本 龍馬が暗殺されたことにより、原田に疑念の眼差しがかかっていることも事実。そしてそこに巻き込まれた紀州藩の三浦の警護にあたることになった斎藤。
ゆっくりと、着実に。
伊東を討つための動きはとられていた。
沖田の相手をすることにはなったがそれも数日の間の話。
とりあえず斎藤は新たな屯所で割り振られた己の部屋へ向かおうと広間を出て、庭から出入り口の門に繋がるところに目を向けた。
「!」
門前に影。よく知った姿だ。
土方に用があるのはわかっていたけれど、まさか待っているなんて思わなかった。
門の所で背を木板に預けて爪先を見つめていた着物の少女に声をかける。
「茜凪」
「あ、はじめくん……。終わりましたか?」
「あぁ」
今朝、御陵衛士を抜け出して新選組に復帰した斎藤と共に屯所までやってきた茜凪。
彼女は彼女で、土方に命じられていた“斎藤を支える”という役目を全うし、共に任務を終了させた。
自然に頬が緩みそうになるのを斎藤は必死にこらえていたが、相手の娘は綺麗な微笑みを迷いなく向けてきた。
「隊務、無事に遂行できましたね」
「あぁ」
「私はあまり役に立たかなった気がしますけれど」
謙遜しながら笑った娘に、すぐさま否定を飛ばしてやりたかった。
“あんたの存在は大きな助けとなり、俺を支えてくれていた”
ありのままに伝えてしまいたかったけれど余計な言葉が付帯してしまいそうだ。どうにか抑え込んで、無言で笑う。
穏やかな空気が彼女に斎藤の気持ちを伝えているようだった。
「おい、見ろよあれ」
「あれ……斎藤組長じゃ……」
「あの話、ほんとうだったんだな。御陵衛士が不利な状況に陥ったら、新選組に寝返ったっての……」
「おい、やめろよ聞こえるだろ」
そんな穏やかな空気も、彼の部下であるはずの隊士の囁きで遮られた。
斎藤は背を向けていたけれど、茜凪はバッチリ彼らの顔が見えていた。
コソコソ話しながらも、斎藤の背に不満ありげな視線を向けている。
「……っ」
許せなくて、文句を浴びせようと一歩を踏み出した。が、それを制したのは紛れもない本人だった。
「なんで……」
「いい。言わせておけ」
「でも、」
「茜凪」
「……っ」
斎藤の制止に、茜凪も従うしかなかった。
本当のことを告げればいいのにと何度も思ってしまう。
彼が陰口を叩かれて、居場所を虐げられるのは茜凪も心苦しい。
目を逸らして拗ねたような表情を露骨にすれば、彼はくすりと笑うだけ。
耳の裏についた簪の飾りがシャランと音を立てていた。
「本当のこと、言えばいいのに」
「必要ない」
「あんな風に言われるの、私は見たくないです」
「構わぬ」
「……どうして」
耐えられずに、不貞腐れた顔で見上げてやれば斎藤は清々しい表情をしていた。茜凪とは対照的すぎるくらいだ。
凛とした色の瞳も、髪も、全てが穏やかに笑っていた気がして、どこか彼が嬉しそうに見えた。
こんな時代のこんな時期。笑っていられる状況じゃないのは、武士である彼が誰より理解していたはずなのに。
「彼らは知る必要のないことだ」
「……」
「知る必要のある者だけが、知っていればそれでいい」
切ない響きに聞こえたけれど、それはどこか美しさを孕んでいた。
記憶の片隅から逆側の端まで残るもので多いのは、彼の美しくも、切ない横顔と後背だった気がする。
「その必要のある者に、私は入りますか……?」
新選組でもない、人間でもない自分にそれが許されるのか。
恐らく、妖の規定からすれば大幅な違反にあたる気がする。
だけどこの人の心を、戦いを、誠を見紛うことなく見届けたい。
だからこそ、確かめたくて尋ねてしまったのだが―――。
「あんたに知られていないと困るな」
眉を下げながら斎藤から返ってきた言葉。
茜凪は拗ねた顔も何もかも受け渡してしまった。
―――そんな二人を土方が廊下の端から静かに眺めていたことに、彼らはきっと気付いていない。
「ったく。アイツも男ってことだな」
斎藤一という男は、剣一筋だ。
土方の命令に愚直に従い、己の感情は決して口にしたり余計なものを表に出さない。
趣味は刀の目利きではあるが、金も女も酒も物も、自ら欲しがったこともなかった。
彼を間者に出したのは、彼の恋心を許したいと思ったからではない。
しかし、土方の決断は斎藤に安らぎを与えたとも言えた。
同時に茜凪からの愛情と向き合わせる結果となる。
彼の全身全霊が、彼女を大切だと語っている。
向ける眼差しがどこまでも優しくて、温かいものだと分かる。
この一年で、斎藤にとって茜凪はかけがえのない人になったのは見るだけで理解できた。
隊務であったことも間違いない。
しかし、彼に与えたのが大切な存在との短くても優しい時間であったことも間違いはないだろう。
剣を振るいし一瞬に生まれるような、鋭い閃光のような時間。刹那の時。
とても短く、瞬きせずに見届けなければならない。
そんな時間……――。
「副長」
「山崎か。どうした」
「伊東一派の新たな動きが入りました」
「よし。原田と新八、それから近藤さんを集めろ。総司の相手は斎藤に任せておけ」
「わかりました」
「それから、用が済んだら門前に来てる茜凪を俺のところに呼んで来い」
動き出す新選組。
相対するように、共に動き出したのは妖も同じであった。
「あれ、茜凪ちゃん来てたんだね」
「総司さん」
「久しぶり」
召集がかからなかった沖田が、門前のところで斎藤と並んでいた茜凪に声をかけた。
先程までは夜着の姿だったが、斎藤が相手をしてくれるということできちんと着替えてきたらしい。どうやら沖田は剣術の稽古の相手をしてもらえると思っているようだが……。
「―――」
久しぶりに会ったからか、それとも緊張感が走る新選組の屯所だったからか。
今となっては珍しく働いた直感能力が、沖田と目を合わせた時に発動した。
彼の体は病魔に巣食われていて、とても剣を握れる状態ではないこと。最後に会った日よりも、深刻化しているということ……。
声が、出なかった。
沖田は、もう……。
「総司、何故出てきた。体に障るぞ」
「平気だって。一君は相変わらず過保護なんだから」
誰かさんに似て、と付け加えられたところで沖田が茜凪の前に出てくる。
咳込みもしていないし、力で察知したことを告げてはならないと思い何も言えなかったが、痩せ細ったことも感じられて胸が締め付けられた。
「会わないうちに綺麗になったね、茜凪ちゃん。これ、はじめくんの見立て?」
シャラシャラと音が鳴る簪に触れられて、距離が一層縮まる。
沖田の目は、どうしても見れなかった。
「そ、そうです……」
「へぇ。一君、まさか茜凪ちゃんに贈り物してたなんて」
「総司。い、いいから戻るぞ」