37. 縹
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「はじめ兄ちゃんの父ちゃんって、どんな人?」
「俺の父親?」
「うん」
小鞠が京の町を徘徊する如く毎夜出かけていくのにしびれを切らし、菖蒲が紅葉狩りに行くことを提案した。
斎藤は正直そんな余裕などなかったのだが、致し方なく付き合う結果となっていた。
そして最近の重丸の様子がおかしいこと、話を聞いてほしいという願いがあったことを考慮し、斎藤は彼の声に耳を傾けていた。
紅葉が視界いっぱいに溢れる伏見稲荷大社で、その少年は一つの秘密を語り始める。
「俺の父親はとある旗本の足軽だった。後に御家人株を買い、御家人になったと言われていたが……」
「…?」
少しだけ表情が曇ったことに、重丸は気付いたのだろう。それ以上、斎藤から父親の話を聞いてはいけないと感じたようだ。
「―――おらの父ちゃんはな、とっても優しいんや」
子供なりに、彼を傷付けないようにと、自らのことを話し出す。
“小鞠のことが怖いんだ”ということから些か離れた話題になっているが、黙って聞いてやろうと斎藤は頷いた。
「一人ぼっちになった母ちゃんを大事にしてくれて、本当の子供じゃないおらのことまで一生懸命に面倒みてくれるんや」
「(本当の子供じゃない……?)」
「ぶきっちょで、お人好しで、兄ちゃんやねえちゃんみたいに刀も使えんし、小さな商人やけど……。おら、父ちゃんのこと大好きや」
「……そうか」
「でもな……。おらにとって、父ちゃんは父ちゃんで代わりなんておらへんけど……父ちゃんも“父上”の代わりにはなれへん」
その物語には二人の男が登場している。
一人は彼を愛し、今も傍にいてくれる不器用でお人好しな男。
そして、もう一人……。
「おらの本当の“父親”は、もう死んでんねん……――」
第三十七片
縹
「重丸くんと斎藤さん、仲良いわね」
重箱の料理を頬張りながら、菖蒲は片隅で話しこんでいる斎藤と重丸を見つめて呟いた。
何故だかすっきりとした顔をしている小鞠と共に料理が並べられた輪に参加した茜凪は、光景をなんとなく眺めていた。
重丸と斎藤が良い関係性を築いているのは知っているが、二人っきりで親密に話をしているのは初めて見たのだ。
なんだか入り込めない空気が滲んでいる。
少しだけ頭の片隅に生まれた不安はそのままに、茜凪は箸で卵焼きをつまんでいく。
「斎藤さんも強いですし、重丸くんが目指している武士に近いんじゃないでしょうか」
水無月が菖蒲の問いに答えれば、狛神も小鞠もなんとなく納得してしまう。
だが、茜凪だけは違った。
斎藤は強い。それはここにいる誰よりも知っている。
だけど、重丸が斎藤に頼ったのはまた別の理由があるはずだ。
茜凪の視線には気付いていた斎藤だが、目前にいる重丸に刺激を与えたくなかったため、気付かないふりをし続けた。
続けられる会話は小さな声で紡がれる。
「おらの父上は、おらが五つの時に家を出てってしもうたんや」
「……」
「母ちゃんは愛想つかれて捨てられたって最初思ってたみたいやけど、おらは知ってたんや。父上は仲間を守るために、故郷に帰ったんや」
「仲間を守るため?」
重丸の頭の中を霞めるのは、最後の記憶。
帰らずの人になってしまった、憧れて強くて優しい父の姿だった。
「なぁ……兄ちゃん」
彼は……―――そう、重丸は恐らく賢いのだ。
だからこそ、勘付いていた。
いや、その血筋故にかもしれない。
「小鞠ねえちゃんって……人間?」
「――」
態度には出さなかった。しかし、すぐさま返事を出来ないところが答えになっている。
そして、どうしてそれが看破されてしまったのか。何を根拠にそう思うのか。
問いたださなければならないとも思えた。
「もしかして、たまに瞳の色が変わったりするんやないの……?」
「重丸……、」
「ねえちゃん、どうして小鞠ねえちゃんと知り合いなの?」
「……っ」
「ねえちゃんも……人間じゃないの?」
返せない返事。
斎藤には判断が出来なかった。
表情は変えずにいれば、重丸は斎藤の本心を見抜けなかったようである。しかし、彼の指先はわずかに反応を示していた。
「おらの父上は……黒い瞳を、たまに綺麗な色に変えるんや」
「瞳の色が変わるのか?」
「うん。それは他人に見られちゃいけないって。おらと、おらの母ちゃんしか知らないことなんだって」
父親が死んでしまってからは、母親に父のことを言及するも答えてくれないことを知った。
年齢を重ねるごとに、母がどうして最初に愛した男のことを語れないのかも知った。
死とは切なくて、悲しいことなのだと初めて知った。
「おらの父上は……たぶん人間やない」
「……っ」
「母ちゃんは人間やけれど、おらも……人間やない」
「あんたの……父上は……――」
閉ざされた向こう側へ向かう。
重丸は、一度口を閉ざした後、何とも言えない悲しそうな顔をして言った。
「縹 重丸」
「!」
「おらの名前は縹 重丸。父上が縹家の姓を持つ男や」
つまり……――重丸は、妖と人間の間に生まれた子供だと悟った。
秘密にしといてくれと言われている分、茜凪や狛神はこのことを知らないのだろう。
「父上が人間やないなにかなのは知ってたけど、“何”かまではおらは知らん」
「……」
「縹なんて姓、聞かへんやろ? なのに小鞠ねえちゃんは“縹”って名乗っとる」
「だから怖いのか?」
理由に近かっただろう。
しかし、重丸は正しい答えを告げるために首を振った。
「ちゃう……。おら、小鞠ねえちゃんになんかされたから怖いんやあらへん」
「ならば、何故避ける」
「……」
一体、何を恐れているのか。
どうして避けているのか。
「おら、父上がいなくなってから数人“縹”って名乗った人に出会ってるんや。でも……みんな死んだ」
「死んだ……?」
「同じ理由や……っ、殺されたんや」
頬を撫ぜる風が、一瞬悪寒に変わる。
これが最後の予兆だった。
「だから小鞠ねえちゃんも、殺されるかもしれん……っ。怖いんや。おらと関わった縹の人がみんな死んで、おらがいるからいけないんやないかって……!おら、何も知らへんのに!」
「……っ」
彼女が怖いから避けているのではない。
彼女の先にある何かを恐れている。見えもしない、わからない未来に彼は怯えているのだ。
「小鞠ねえちゃん、死ぬの……?」
「……死ぬとも限らん」
「死なない……?」
「あぁ」
言い聞かせるしかなかった。
何かの闇に怯える彼。そして、縹について聞いてしまったこと。
彼女は何故、京に来た?
縹の者は、どうして重丸に接触しては殺されている……?
確かに、これは斎藤の専門外だ。
茜凪に聞くのが適正だし、話を聞くべきだったのは斎藤ではなく彼女なのだ。
小鞠は死なない。
断言に近いものを渡せば、気休めでも重丸は安堵した表情を差し出してくれた。